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09.07
Fri
 亡くなられた方に謹んで哀悼の意を表します。
 助けが必要なところに、必要な助けができるだけ早くゆきわたりますように。復旧復興がすみやかに進んで、平穏な日常が早く戻りますように。

 それにしてもここのところ、災害が多すぎる。日本列島のことをよく「災害列島」とも云うけれど……。だから災害は起こるものとして備えをしておかなければならないのだと思うけれど、でもこれ以上災害がどうか起こりませんようにとも思わずにはいられない。

 こういうことがあるたび、自身でたとえばボランティアに行けるような体力気力などがなく、人や物や金を動かせる力がない自分に落ち込む。しかしここで私が落ち込んでいても何がどうなるわけでもないので、微力でもできることをやって、自分の日常を何とか元気に回したいと思う。


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09.05
Wed
 台風お見舞い申し上げます。被害等の復旧が速やかに進みますように。

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 前の記事に書いたように、出張先で羽生くんのメディアデーを迎えることになってしまった私。で、その後、ホテルでプルシェンコ様の「ニジンスキーに捧ぐ」やジョニー・ウィアー氏の「秋によせて」を観たりしていたのである。それでこの二本のプログラムは、羽生くんが十歳前後の頃のものだということに気づいた。
 たまたま出張に持って行っていた本が(仕事とは無関係)『こころの声を聴く -河合隼雄対話集-』(新潮文庫)だった。その中に掲載されている河合隼雄氏と毛利子来氏との対談の中に「十歳」について興味深い話が出てくるのである。河合隼雄氏によると「私」というものが他と違った存在として認識され始めるのがだいたい十歳頃ということらしい。自我とか自意識とかいったものが確立し始める時期ということだろうか。児童文学の主人公も十歳ぐらいというのがたいへん多いそうだ。
 それで、羽生くんが「ニジンスキーに捧ぐ」と「秋によせて」を選んだのは、もちろんそのプログラムがどちらも名プログラムであるからだろうが、十歳前後に観たプログラムであるということもひょっとしたら影響してるかも、なんて思ったのである。
 羽生くんがお姉さんについてスケートを始めたのはそれよりだいぶ前の四歳である。でもそれは大好きなお姉さんと自分がまだ未分化だった時期であろう。そして、十歳前後になって、自我が確立し始めて、他のスポーツではなくスケートをやっている自分、そのスケートが好きな自分をあらためてより明確に意識したのではないだろうか。十歳になる直前の2004年10月には全日本ノービスBクラスで優勝している。そしてその直後にホームリンクが閉鎖になり、練習環境が厳しくなるということも経験している。十歳頃の羽生くんは自分とスケートの関わりについて、その年齢なりに認識を新たにしていたのだろうと思われる。そんなこんなで、その頃の羽生くんはスケートに対してあらためてある種の初期衝動のようなものを感じていたのではないか、という気がする。
 何かを新しいことを始めるとか、何らかの対象に夢中になり始めるとか、そういった時の初期衝動にまつわる記憶には「特別」感がまつわることが多い。たとえば、私にとって羽生くんの旧ロミジュリは、羽生くんファンとしての初期衝動の象徴のようなプログラムでやっぱり「特別」感がある。そんなふうに、羽生くんにとっても、大好きなプルシェンコ様やジョニーの数あるプログラムの中でも、スケートに対するある種の初期衝動のようなものの中で観た「ニジンスキーに捧ぐ」「秋によせて」は特別感があるのではないだろうか。
 以上は私の推測に過ぎないが、いずれにせよ、羽生くんが相当な思い入れを持って今季のプログラムを選んだことは間違いないわけで、その思い入れがどんな世界を展開してくれるか……本当に楽しみである。名選手の名プログラムをオマージュするというのは勇気のいることだけれども、今の羽生くんは、プル様やジョニーに対するリスペクトを込めつつも、自分なりのプログラムとして成熟させられるという自信がついたのだろう。そして、羽生くんならそうやって羽生くんらしさのあるプログラムとして演じてくれると確信を持てるからこそ、プル様もジョニーも、羽生くんがそれらのプログラムを演じることを喜んでくれているのだと思う。

 羽生くんは今季は「自分のために滑る」といった発言もしている。そのために憧れの選手の名プログラムをオマージュするという気持ちは私なりにだがよくわかる。このブログで何度か触れたように私は詩歌を創作するのだが、あるとき大好きな作家の稲垣足穂をオマージュする作品群を作ったことがある。できたものの客観的な良し悪しはさておき、稲垣足穂に対するリスペクトを込めながら、稲垣足穂テイストを自分なりに取り込みながら、それでいて自分らしさを出す、という過程はとても楽しいものだった。羽生くんも憧れのプル様、ジョニーをオマージュするということにきっと芯からの喜びを感じながら演技することが出来るだろう。その幸福はきっと演技に艶をもたらし、観る側を惹きつけるだろう。これらのプログラムの全貌を知る日が待ち遠しい。


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08.31
Fri
 メディアデーがそのうちあるだろうとは思っていたが、なんちゅう時にしてくれるのだ。私は今出張中なのだ。今から家に帰ってテレビの録画をかけるわけにもいかないし、今日は結構夜遅くまで拘束されるので、ホテルのテレビでニュース類をチェックするのも厳しいだろう。うー。
 というわけで仕事の隙間時間にとりあえずこの記事をアップしている。新プログラムはショートプログラムがジョニー・ウィアー氏がかつて使った「秋によせて」フリーがプルシェンコ様の「ニジンスキーに捧ぐ」をアレンジした「Origin」とな?羽生くんがプル様とジョニーの直系遺伝子をひいていることは前から明らかだったわけだが、それをプログラム上でも改めて宣言するような格好になったわけだ。楽しみだ。
 加えて、四回転半アクセルも今季中に何とかしたいとな?どうかその目標が無事に達成されますように。



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08.27
Mon
 羽生くんを見ていると、時々思い出すフレーズがある。若山牧水についての、俳優の堺雅人さんと、堺さんの高校時代の先生でもあり歌人でもある伊藤一彦氏の対談をまとめた『ぼく、牧水!』(角川ONEテーマ21)という本に出てくる、伊藤氏の発言。
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仕事を成し遂げた人というのはなぜか恵まれていて、河合隼雄(昭和三年~平成一九年)先生が言うところの「意味ある偶然」が次々に起こるのです。
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 この発言はもちろん牧水に関するもので、牧水はちょうど出来たばかりの延岡中学に入学するのだが、そこでの出会いや環境などが歌人若山牧水の形成に非常に大きな意味を持っているという文脈で出てくるのである(「意味ある偶然」とはおそらくユング心理学でいうところの「シンクロニシティ」であろう)。
 羽生くんも、いくつもの意味ある偶然に出会っていると思う。なんといっても、アイスリンクの近くに生まれ、お姉さんがフィギュアスケートを始めたのについて始めた、というのは後から考えるととても大きな意味ある偶然だったと云える。24時間テレビを観て、あらためてそれを感じた。羽生くん自身もスケートをやっていない自分というのが一番考えられないという。本当に、羽生くんがフィギュアスケートにめぐりあってくれてありがとう、と云うしかない。羽生くんくらいいろいろと賢い人だったら、フィギュアスケートとめぐりあっていなくても、仮に此の世にフィギュアスケートというものがなくても、それなりに自分を活かす道を見つけて名を成していたかもしれないが、フィギュアスケートほどふさわしいものが他にあったかどうか……。
 そして、長い間苦労してきた日本男子フィギュアスケート界が上昇気流に乗った時代に生まれ合わせたことも意味ある偶然だろう。また、同時代にフェルナンデスくんという選手が居合わせて、そのことによってクリケットクラブへ移籍することになったのも意味ある偶然だろう。他にもいろいろあると思う。
 ただ、もちろん「意味ある偶然に恵まれたから羽生くんはこれだけの名を成した」というだけではないわけで、羽生くん自身がいろいろ努力などして、結果としていろいろな偶然を「意味あるもの」として立ち上がらせた、というのが正しいのだろうと思う。

 羽生くんが生まれたのが仙台で、東日本大震災で被災した、というのはもちろん、恵まれた偶然と呼ぶわけにはいかない。けれど「意味ある偶然」ではあるのだろう、と思う。
 羽生くんほど才能や実力があって負けず嫌いなら、被災地ではないところに生まれ合わせていても、五輪金メダリストにひょっとしたらなれていたかもしれない。ただ、震災を経験したこと、そこから自分だけ逃げたのではないかという気持ちの負い目を抱いたということ、そういったことが金メダルにかける想いに、特別なものを増し加えた、というのはまず間違いないだろう。
 そして被災したスケーターだからこそ、被災地の人々をより深く励ます存在になれた。羽生くんが努力をし金メダルをとることで、羽生くんが被災したことが「意味ある偶然」として立ち上がったのである。

 多くの人が思っていることだと思うが、羽生くんが楢葉町の裁縫教室の方に「自分を責めないで」という言葉をもらえたことはとても良かったと思う。私も含め多くの人がずっと「自分を責めないで」と思ったり云ったりし続けたとは思うが、やはり現実に被災した方からその言葉をもらうのが一番説得力がある。

 被災した時に見あげた、満天の星空、停電で真っ暗な中に星が輝いていた空が印象的だったという。
 その満天の星空のイメージは「たくさんの人の力が自分を通して金メダルとして結晶した」というような羽生くんの意識のイメージと重なるなあ、と感じた。そんなことを感じながら観たNotte Stellataの美しさには格別なものがあった(そういうふうなことの前では、前の記事に書いたNotte Stellataの映像に日本語訳歌詞字幕がついていたことくらい小さなことだとわかってはいるのだが、神経質でごめんなさい)。

 余談。最初に若山牧水についてちょっと触れたが、牧水の歌の中で次のものは有名な方ではないだろうか。私は子どもの頃教科書で読んで、作者名はその後忘れていたが歌そのものはずっと覚えていた。
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白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
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 この歌の「白鳥」は、牧水がこの歌を詠んだ背景から考えてもおそらくいわゆるハクチョウではなく、何らかの白い海鳥だと思う。でも、それはそれとして、この歌は、羽生くんのある種孤高な感じにつながるものがあるように思う。


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08.25
Sat
 さて今日は24時間テレビだったわけだが。真面目な(?)感想はもうちょっと頭をまとめてから改めて書くとして、ちょっと斜め方向からのごくごく個人的感想を。
 Notte Stellataの演技に日本語訳歌詞字幕付きだったのは、まあ親切っちゃ親切なんだろう。歌詞のテーマが「愛」と紹介されていたし、だから「こういう歌詞なんですよ」と示すことには意味があったとは思う。
 しかし。申し訳ないが私にとっては歌詞字幕はすごく邪魔だった。正直、リアルタイムで観た時は字幕のせいで気が散って羽生くんの演技にうまく集中できなかった。演技部分の録画を何度か観直したが、やはり字幕がどうしても気になる。多分私が言葉というものに対して多々こだわりがある人間だからだろう。さらに、歌詞の内容というのが、美しいと云えば美しいのだが、なんていうか正面切ってロマンティック過ぎてこっぱずかしくなるというか。純粋に歌の詞として聞く分にはそれでもいいのかもしれないが、羽生くんのスケートそのものがとてもロマンティックなので、ロマンティックかぶりで胸焼けがしそうになるというか。
 過去に出たフィギュアスケートファン誌のいとうやまね氏のコラムで、Notte Stellataの歌詞がどういうものかは知っていた。で、そのあまりに王道ロマンティックな内容にちょっと腰が引けてしまった私は、自分がイタリア語ネイティヴでなくてよかったと思ったものだ。羽生くんがNotte Stellataを演じるたびにいちいちそのロマンティックな内容が頭に入ってきたのではたまったものではない、イタリア語だから音楽として聞き流せるからなあ、という感じ。
 いや別に私もロマンティックが嫌いなわけではない、むしろ好きなのだがここまであまりに正面切ってロマンティックなのはちょっと……私はとってもシャイな日本人なのである(?)。

 羽生くんはこの歌詞についてはどう思っているのだろうか。このプログラムについての過去の羽生くんの言及に、この王道ラヴソング的な歌詞についての感想はなかったように思う。羽生くんが白鳥、星、故郷への思い、というものをこのプログラムに象徴させているのはわかるが、歌詞の位置づけは羽生くんの中ではどうなっているのだろう。ちょっと知りたい。



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