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01.29
Tue
 おめでとうございます!そして現役生活、本当にお疲れさまでした。
 近年、欧州はアジア北米と比べて有力選手が少なめだったとは云え、七連覇というのは簡単に達成できることではないと思う。それにフィギュアスケートが決して盛んではないスペイン出身の選手が成し遂げたということもすごく意味のあることだと思う。
 もちろん実績は欧州選手権だけではない、平昌五輪で銅メダルを獲ったのは記憶に新しいところだし、世界選手権で二度の金、二度の銅を獲っている。
 ただ、成績がどうこうというよりも、やはりそのスケートの上手さと光る個性が私にとっては印象的だ。クリケットクラブで鍛えられた確固たる技術力の上に築かれた、持ち前の柔らかでありながら小粋なアクセントの効いた演技力にはいつも惹き込まれるものがあった。天性のエンターテイナー性があるスケーターだと思う。
 現役選手最後の演技となった欧州選手権ではショートプログラム、フリーともに技術的には完全にクリーンとはいかなかったが、ベテランらしい風格を漂わせて、どちらもスペインにちなんだプログラムでみごとに演じきっていた。そしてエキシビションのPrometoはなんだか本当に滑りの美しさだけでぐっと持って行く深い力を感じた。

 羽生くんファンにとっては、やはりクリケットクラブでの羽生くんのチームメイトとしてのフェルナンデスくんのことを思い返さずにはいられない。
 通常、やはりトップ選手が複数同じコーチにつくというのは難しいものだと思うのだ。羽生くんがクリケットに加わりたいと云ったときフェルナンデスくんはそれを快諾してくれた。羽生くんも先日そのことに対して礼を述べていたけれど、羽生くんファンとしても本当にそこは感謝してもしきれない。羽生くんがクリケット以外のところにいたらというたらればは考えても仕方ないかもしれないが、クリケットにいられるようになったことで受けたメリットはもの凄く大きいのは間違いないと思うので。
 そして、この二人はチームメイトとしてこの上ないいい関係性だったと思うのだ。先ほども述べたように、通常は同じコーチの元に複数のトップ選手がつくのは難しいと考えられがちだ。けれどこの二人は、同じコーチの元についたものどうしがいい形で相乗効果を示すことがあるという、最上のサンプルとなったと思う。お互いに、お互いがいたからこそ、より実力を伸ばしてゆくことができた、磨きあえた、それは偽りのない実感であろう。

 『チーム・ブライアン』シリーズで描かれていたフェルナンデスくんは、最初はとても手のかかるやんちゃな子、という印象だった。それがすっかり大人になってゆく過程を『チーム・ブライアン』シリーズを通して知ってきたこともあって、ああ、本当に立派な選手になって引退の時を迎えたんだな、と感慨深い。
 羽生くんがクリケットに移籍してから、いつも近くにはフェルナンデスくんがいるものだという感覚ができていたから、ファンとしても、そうでなくなるというのがなんだかとてもさびしい。でもフェルナンデスくんが自分で決めた区切り、これから先の道にどうかたくさんの幸がありますように。

 フェルナンデスくんが羽生くんについて語るらしい「アナザーストーリーズ」は私はBS難民なので、内容把握までにちょっと時間がかかりそうだが、果たしてどんな話が聞けるのか、楽しみである。


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01.25
Fri
 an・anの羽生くん特集は記事、写真ともフィギュアスケート専門誌ではない雑誌としては充実していたと思う。一番印象に残ったのが記事タイトルにした言葉。ファンタジーオンアイスのコラボについて羽生くんが語ったもの。
 なるほどなあ、音楽の上にただ乗っかって滑るんじゃなくて、多分羽生くんは音や声の一つ一つが生まれる瞬間をそれぞれ自分もリアルに体感しながらそれと融合して滑るという感覚なんだろうな、とこの発言であらためて思った。羽生くんの音楽に対する感覚の鋭さというのはこういうところにあるんだな、と。だから、本当に「音楽と一体となった」と観ている側も感じるような滑りが出来るんだな、と。アイスショーの生演奏とのコラボだと、本当に音や声が生まれる瞬間瞬間を共有しながら滑ることが出来て、羽生くんがそこまで降りていっているからこそライヴ感の際立った演技になるんだな、と。
 しかし、私の想像なのだが、試合など録音された音源で演技する場合も、羽生くんは意識的にかどうかは別として、一つ一つの音や声が生まれる瞬間を自分の中で再構成しながら滑っているのではないかなあと思う。ただ出来上がった音に乗っかるだけでは、あれだけ人を惹き込むことは出来ないと思うので。野村萬斎さんが云っていた「音を纏う」というのはそういうことでもあるんじゃないかな、とか。
 よく羽生くんは音楽を聴きながら熱唱している姿をカメラに捉えられるけれど、ああやって熱唱するというのも、音楽が生まれる瞬間を自分の中で再構成しているとも云えるわけで、だからああやって歌うのも、結果的には羽生くんの音楽というものに対する感覚を深めるのに役立っているのでは、などとちょっとこじつけみたいだが考えてみた。お風呂で歌っているという発言も以前あったかと思うけれど、そんなのも含めて。

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 羽生くんが回復してきているというオーサー氏談が。どうかこのまま、順調にすべてが推移しますように。

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 羽生くんの盟友フェルナンデスくんが、いよいよ現役最後の試合に臨んでいる。どうか充実した終わりだったと思える試合になりますように。


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01.21
Mon
 以前の記事でちょっとだけ小林秀雄氏の『モオツァルト』について触れたが、その時は未読だったその『モオツァルト』を今読んでいる最中である(『モオツァルト・無常という事』新潮文庫)。別にモーツァルトのファンだとかその音楽に詳しいとかでは全くないのだが、モーツァルトという一人の人物についていろいろな角度から描いた文章として面白く読める。もっとも文体はすんなり読ませてくれる文体ではないが。
 読んでいる中で、こんな箇所があった。
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 天才とは努力し得る才だ、というゲエテの有名な言葉は、殆ど理解されていない。努力は凡才でもするからである。然し、努力を要せず成功する場合には努力はしまい。彼には、いつもそうあって欲しいのである。天才は寧ろ努力を発明する。凡才が容易と見る処に、何故、天才は難問を見るということが屡々起こるのか。詮ずるところ、強い精神は、容易なことを嫌うからだという事になろう。自由な創造、ただそんな風に見えるだけだ。制約も障碍もない処で、精神はどうしてその力を試す機会を摑むか。何処にも困難がなければ、当然進んで困難を発明する必要を覚えるだろう。それが凡才には適わぬ。
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 これはすごく羽生くんぽいな、と思ったのだった。モーツァルトと羽生くんとではおそらく人間のタイプはまるで違うのだが「努力を発明する」「強い精神は容易なことを嫌う」「困難がなければ進んで困難を発明する必要を覚える」というエッセンスの部分だけ抜き出してみれば共通するものがあるということになるだろうか。とにかく私はこの箇所に、これまでも常に高い目標を掲げ続けてきた、乗り越えた壁の先にまた壁を見てしまう、そして五輪二連覇というとてつもない高い目標を達成した今となってもなお、4Aを含めたパーフェクトパッケージというさらなる高みを目指している羽生くんの姿を重ねずにはいられなかった。
 「自由な創造、ただそんな風に見えるだけだ」これはモーツァルトの音楽について述べているのだろうが、この箇所で私は、羽生くんの演技のあり方を連想しもした。ものすごく難しいことをこなしているのに、まるで自由に踊っているかのように、たやすいことをこなしているかのように見える……。
 モーツァルトについてスタンダールが「肉体の占める分量は、能うる限り少かった」と表現しているということも出てくる。ここでも羽生くんを連想した。もちろん羽生くんのやっていることはフィギュアスケートというまぎれもないスポーツだから、肉体の占める分量は云ってみれば100%とすら云えるのである。しかし、その動きの洗練の度合いが高いため、たとえば私などにとっては「同じ人間の肉体を媒介としてあらわれている表現とは思えない」と感じられたりもするので。

 『モオツァルト』はまだ読みかけだが、これから先も羽生くんを連想させるところなども出てくるかもしれない。私も羽生くんについてたとえばこの『モオツァルト』のように読み応えのある文章でいろいろと表現できたらなあ、などとも思ってしまうのであった。

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 羽生くんがなんかローレウス賞というすごい賞にノミネートされているそうで。賞というものに対してどちらかというと斜に構えている私は、国民栄誉賞の時もそうだったんだけれど「もらえたらそれはおめでとう、でももらえなくても別に自分にとっての羽生くんの有り難さがそれで変わるわけでもないしな」ってな感じである。


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01.15
Tue
 しばらく前にevery.で取り上げられた羽生くんについて記事を書いた。その時に触れなかったというか触れられなかった、私としてはすんなり消化できなかった部分がある。いや、他の部分も簡単に消化できるような内容ではなかったのだが、私としては特に引っかかってしまったところがあるのである。
 それは「勝てない状態なら棄権」と羽生くんが考えていたというところである。これを聞いたとたん私は「うわ、オールオアナッシング思考きたー!」と思ったわけである。All or Nothing、100か0か、金メダルでなければ無に等しい。
 オールオアナッシング思考、もしくは全か無か思考とかスプリッティングとかとも呼ばれるが、こういった物事の捉え方は「認知の歪み」の一つとされ、メンタルヘルス的にはよろしくないとされている。こういった考え方をする人は完璧主義で、ちょっとのミスでもすべてが台無しと思ってしまう。自分を追い詰める。また、この考え方が他者に向いた場合は、他者のちょっとした欠点が許せずに人間関係がうまく築けなかったりする。
 まあ、羽生くんの場合、他者に対してそういった思考を向けている感じはないし、自分に対しても、どちらかといえば完璧主義な方だとは思うが、たとえば日々の練習の中などでも100%思い通りにゆかなくても今日は70は出来たから、というふうにある程度は割り切ることは出来ているかと思う。試合の結果など振り返るときでも、自分の思い通りにいかなかった場合は「悔しい」とは云うけれど、どの点について出来ていたか、どの点について出来ていなかったかを冷静に見極め、出来ていた点についてはそれなりに認めるということもしてきていると思う。だから、羽生くんの思考全体がオールオアナッシングに染まっているとは思わないのだが、しかし。
 平昌五輪は羽生くんにとってはものすごく大きいことだったはずだ。それこそ自分の過去と未来の全てを懸けて、ぐらいのことだったはずだ。そういったことで「金メダルか棄権か」という両極端な選択肢を考えていたということがなんだかすごく重いことに感じる。そういった大きいことでこそ、もし自分の思う通りの結果に到達できなかったとしても「ここまではやれたのだから」というような自己肯定を持つことがそれこそメンタルヘルス的にはすごく大事だと思うのだ。
 なぜ羽生くんは「金メダルか棄権か」という選択肢を設定したのか。平昌で金メダルを獲ることに対する世間の期待がものすごく大きいとわかっていて、金メダルを獲ることこそが自分の責任でありそれ以外は無意味だと感じたということか、それとも、自分自身の望みとしての平昌での金メダルという思いがあまりにも強いから、それ以外は無意味と見えたということか。
 おそらくこの両者はないまぜになっていて分離するのは難しいだろうと思う。だがこれは私の感覚だが、おそらく羽生くんの中では後者の方が強い。つまり、多くの人の期待よりは、羽生くん自身の望みという方の力が強い。平昌五輪の金というのは羽生くんがまだ無名だった頃からの望みでもあるのだし。
 いずれにせよ、羽生くんは「金か棄権か」という姿勢で平昌直前の日々を過ごしていた。それは本当に、メンタルヘルス的に云えば危うい話だったと思う。しかしそこまで、ぎりぎりに自分を懸けた考え方をするからこそ、羽生くんは強いのかもしれない。凡人の考えるメンタルヘルス云々を吹っ飛ばすような、世界トップレベルの勝負師の思考、ということなのかもしれない……。

 羽生くんが平昌で金メダルを獲れて、本当によかった。後から事情がわかるほどにますますそう思う。獲れなかったら、もしくは金を獲れない状態と考えて棄権していたら、羽生くんの精神状態はどうなっていたのかと思うとちょっとひやっとする感覚である。
 そして気づいたことがある。私は平昌五輪前、もちろん羽生くんがどうなるかということで確かにハラハラドキドキはしていた。怪我からの回復具合もよくわからなかったし、そうでなくてもスポーツだから何が起こるかわからないのだから。だけれども「もし羽生くんが金メダルを逃したら」ということをあまり考えていなかったのだ。それは羽生くんがきっと金を獲るだろうと思っていたからというのもあるが、そうならなかった場合を考えるのが怖かったからというのもあるかもしれない。羽生くん本人ほどではないが、ファン心理もある意味結構きわどい崖っぷちを辿っていたのだな。

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 ガーナクリアファイル、ファミリーマート分は無事コンプリート。ふだん基本的にお菓子は買わないのだがおかげでチョコレートが少々たまったので、少しずつ楽しんで食べよう。チョコレートはわりと好きは好きなのである。キャンペーンもガムよりはチョコレート歓迎なのである。
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01.13
Sun
 羽生くんが来季の現役続行を明言した。さらに「4A込みのパーフェクトパッケージ」を目指す、と。
 もちろん私としてはこの発言は大歓迎である。来季も試合プログラムを滑る羽生くんが観られるというのはとても嬉しい。そして4A込みのパーフェクトパッケージ、それは、羽生くん個人にとってもある意味究極的な夢だと思うが、フィギュアスケートファンみんなにとっても究極の夢ではないだろうか。
 いつか4Aを跳ぶなら羽生くんだとずっと夢見てきた。3Aを、助走らしい助走もなしに美しく精度高く跳ぶ羽生くんだから、4Aにはきっと一番近いと。
 氷上練習を再開しているとのことだが、どうかこれからの経過が順調でありますように。そして4A込みのパーフェクトパッケージが実現するためにも、羽生くんの身体がこれから先も無事でありますように。

 昨日の朝日新聞beに女子フィギュアスケートについての記事が載っていた。その中で、千葉大学の吉岡伸彦教授(元日本スケート連盟フィギュア強化部長)が今の世代にとって羽生くんが存在することの意味を指摘している。「お手本のような3Aを跳ぶ羽生選手が近くにいることも大きい」と。
 そういえば、羽生くんの3Aは最初は浅田真央さんを見て「力を入れなくても跳べるんだ」と学んで真似して跳べるようになったのだった。羽生くんのジャンプはパワージャンプでなく、軸とタイミングと流れで跳ぶタイプ。だから、女子にとっても優れたお手本になり得るのだなあ、とあらためて認識した。女子選手の3Aの系譜の中に羽生くんが大きな影響を与えていると思うとなんだか嬉しい。さらに、桐蔭横浜大学の桜井智野風教授(スポーツ科学)は紀平選手や(4回転を跳ぶ)ロシアのジュニア選手について「羽生選手の跳び方と似ている」と分析しているそうだ。女子ジャンプの高難度化に自分が貢献できていると知ったら羽生くんも嬉しいだろう。

 3Aはこれまで羽生くんの大きな武器となってきたジャンプだが、4Aを練習するようになると回転の具合などが違うだろうから、3Aを跳ぶのが難しくなったりするのだろうか。たしか以前羽生くんは2Aを跳ぶのが難しいと云っていたし。ただ、4Aを入れてもプログラム的には3Aも入れた方が多分有利なのだろうし、そのへんを羽生くんがどうやってゆくのか、楽しみである。

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 プルシェンコ様が入院されたとのこと、大事でないことを祈る。どうかすみやかによくなりますように。


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