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07.13
Fri
 このブログを始めた時の一番最初の記事が「羽生結弦選手ファンとしての二つの心理」だった。その時に述べた二つの心理とは「リアルなアスリートでありリアルな人間である羽生くんを応援しリスペクトする心理」と「羽生くんの存在からいろいろと想像だの妄想だの広げてそれを表現する心理」だった。ここのところ、それと似ているけれどまたちょっと違った「二つの心理」が自分にはあるなあと思っているのでその話。
 一つは「自分と同じ人間として羽生くんを見たい気持ち」である。いや事実として同じ人間なのだが(のはずだが)、いろいろな意味でレベルだの次元だの格だの違いすぎるので、時として同じ人間だという事実を忘れそうになるのである。五輪二連覇とかしちゃう凄い人だし、国民栄誉賞とかいうものまでもらってしまった人だし。だけれどもそれでも、距離はいろいろな意味でものすごーく遠くても、地続きにいる人なのだと意識していたい気持ちがある。さまざまな凄さのある羽生くんだけれども、等身大の喜怒哀楽を持ち、赤い血が流れている、そしてとても「普通」な面もある人間男子なのだと。そして、そういう人間どうしという認識で、ファンとして妥当で可能な範囲でその心理を理解し、応援していきたいと。
 しかし。どうも私の中には羽生くんをとても「超越的」な存在として見たい気持ちも否定しがたくあるのである。羽生くんの超越性については記事を二本ばかり書いてしまったし(こちらこちら)、とにかく羽生くんの持つ雰囲気が人間離れしているところがあるので、此の世ならぬ存在ではないかと思ってみたくなる……ファンタジックな乙女心(なのか?)も抑えられないのである。
 この二つの心理を抱えているとどうなるか。この違いが顕著に出るのが「そう遠くない将来にあるかもしれない羽生くんの結婚の可能性」について考える時である。羽生くんを人間として見たい私は「望む人と幸せな家庭を築けるといいねえ」と思う。片や羽生くんを超越的な存在として見たい私は「そんな、結婚とか、地上の人間がするような『俗』なことなさらないでください!」と思う。
 どっちの気持ちも嘘じゃない。そして私もそれなりに大人になった(?)ので、矛盾する気持ちをそのまま抱えていてもいいのだというふうに思えるようになっている。むしろ、こういう両方の気持ちが味わえておトク、くらいの感覚になってきている気もする。
 「羽生結弦くんの全体性について」という記事にも書いたように、羽生くんにはいろいろな両極が感じられたりもして、だからファン心理もいろいろ複雑になって、そしてだからこそ羽生くんファンは楽しくてやめられないのさ、ということを改めて感じている今日この頃なのであった。

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コメント
えのき様が書かれる羽生君の超越性についての記事、大好物です(笑)
十代の彼はまさに時分の花、移りゆく少年の美が切なくて、此の世ならぬ存在に見えました。
その時期はとうに過ぎた23の今も「天使だ天女だ妖精だ」と言われ続けているなんて普通じゃないです。
氷の上で、キラキラひらひらの衣装を纏い、浮遊感を感じさせる滑りで、しばし非日常の世界に誘ってくれる彼は確かに此の世ならぬ存在に見えます。
でもね、パレードの時に結構近くで見ましたが、ころころ変わる表情のひとつひとつ、仕草のひとつひとつが、もーいちいち可憐で可愛いーのですよ!
日本人離れのスタイルというより人間離れしてて。。
とにかく我々と同じ人類ではないでしょうね、あれは(笑)
天使や妖精の類でないとしたら。。
羽生結弦科 羽生結弦属 羽生結弦という種ですかね?性別 羽生結弦?
もう、なんなんでしょう、あの方。。
強靭な精神に脆弱な肉体。大人で子供。乙女で漢。清純で妖艶。ロマンチストでリアリスト。天使のように無邪気で悪魔のように強か。冷静と情熱。
ここまで両極端ならそりゃ熱狂的ファンと熱狂的アンチに分かれますね(笑)
なでしこ | 2018.07.15 16:37 | 編集
なでしこさま
「超越性」の記事は自分好みのマニアック?に走っている要素があると思うので、気に入ってくださる方がいらして嬉しいです。

そうなんですよね。少年期といえる時期は過ぎた今になっても、天使だの天女だの妖精だの、に見えてしまう。これは凄いことだと思います。

羽生結弦科、羽生結弦属、羽生結弦(個体数1)かもしれません、本当に。で、性別羽生結弦、と。

本当に、いろいろな方向に振れ幅が大きく、さらにエネルギーの量も大きいと思うのです。だから人があちらこちらに振り回されるわけです(笑)。
えのき | 2018.07.16 11:30 | 編集
えのき様、なでしこ様、
羽生くんには両局面があって楽しめる。誠にその通りですし、だから色々なファンが出来て増えてゆくのでしょうね。私もまさにその両極端の魅力に取り憑かれました。
だから、結婚などを含む人間的な部分は、彼も普通の人間に違いないのですから、氷上の演技が終わってから見れる訳で、又その変化を楽しませて貰える気もします。勿論、彼の演技に野生的、人間的部分がない訳ではありません。

ただ確かに彼の演技はお二人の言われる「超越性」に象徴される特徴があると思います。でー、実はびっくりなんですが、私も「超越性」オタクなのです。

では彼の「超越性」の一つの例として最近の「春よ、来い」をあげてみましょう。
前の記事の色彩に戻りますが、衣装のヒラヒラとピンク色。私は観ていて衣装に女性やいやらしさ(言い過ぎですが)を全く感じませんでした。それは彼が「春」を意図したものだからです。私は多少自然オタクでもありますが、考えてみると、ピンク、桃色は春しかないというか敢えて言えば早春の象徴となる色の気がします。正に題そのものです。春たけなわになると多彩な色。盛夏は黄色、紫が増えてきます。秋や冬はあまりピンク色は見ません。
淡いピンク色、桜などのヒラヒラ、これは女性でも女性のものでもありません。これを羽生くんが纏って舞うと「春よ、来い」「春が来た」になるのです。彼の演技は正確で強靭、だから敢えて男性的ピンク、と前記事で書かせて頂きました。
まるで神に春の到来を祈る舞いを捧げているようなー、復活を求めるようなー。

彼の今までの他の演技にも何かそういったものを感じるのです。老若男女も関係ない、生も死も区別ない、何か「超越」したものが彼の舞、演技に映し出される、そこに彼の演技の魅力がある気がします。
ルピナス | 2018.07.22 18:50 | 編集
ルピナスさま
「春よ、来い」は確かに羽生くんの超越性をよくあらわすプログラムですね!
ヒラヒラピンク色が変な女性味を纏わない、というのは凄いことだと思います。
確かに、花の色はいろいろあるのに、淡いピンクの花というと春、早春ですね。羽生くんは淡いピンクを纏って、性を超越し、また人間と自然の境目、生物と非生物の境目も超越しているような感じがします。また、そういう「超越」ができる羽生くんだからこそああいう「春よ、来い」というプログラムを選び得た、ということですよね。

他の演技にも何か超越したものを感じる、全く同感です。プログラムごとにカラーは違っても、何か超越したものがそこには漂っている、そこが羽生くんの羽生くんらしさだと感じています。
えのき | 2018.07.22 23:17 | 編集
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