07.09
Mon
 ふたたび豪雨お見舞い申し上げます。被災された皆様にできるだけ速やかに穏やかな日常が戻りますようお祈りしております。

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 ようやくこの週末、ファンタジーオンアイス関係の映像をテレビ画面でしっかりと観ることができた(神戸のBS放送分と静岡のGet Sports内で放送された分)。しかし本当にファンタジーオンアイスは出演者が豪華で眩暈がする。プルシェンコ様の存在感、プルシェンコジュニアの可愛さ、ランビエール様のカッコよさ、ジョニーの世界観、鈴木明子さんの表現力、織田くんのエンターテイナーっぷり、ヴァーチュー&モイヤー、カッペリーニ&ラノッテ、サフチェンコ&マッソそれぞれの個性と雰囲気、コストナーさんの美しさ、ポゴリラヤちゃんの華麗さ、等々、あげてゆけばきりがなくなってしまうのでよすが、それぞれにみんなすごいなあと思いながら観た。氷の上でスケートをするというだけでもかなり大変なことなのに、音楽に合わせて演じ、美しかったり楽しかったりする作品にするというのは大変なことだ。そんな作品の、それもレベルが高いものをふんだんに観られるアイスショー。今回特にプログラムとして気に入ったのは鈴木あっこちゃんの「風の神の歌」かな。
 コラボも楽しめた。プリンセスプリンセスの特にファンというわけではなかったけれど「Diamonds」はカラオケやお風呂で歌うレパートリーだし(そういや以前替え歌にもさせていただいたっけ)、「ジュリアン」も歌える。織田くんの「勝手にしやがれ」も往年のジュリーを思い出して楽しかったし。清塚さんのピアノとコラボしたカッペリーニ&ラノッテ、サフチェンコ&マッソも雰囲気がすごくあって素敵だった。

 アイスショーのオープニングやフィナーレはいつもお祭りらしいキラキラ感があって好きだ。そのキラキラ感の中でもひときわ羽生くんがキラキラして、キレキレの踊りを見せたり客席を煽ったりしているのを見るだけで幸福になってしまう。

 そういえばランビエール様とヴァシリエフスくんの師弟によるプログラムというのも今までに見なかった形で新鮮でよかった。羽生くんにもこういうのやってみて欲しいな、と思った。羽生くんなら相手は誰がいいだろう。ここはやはり羽生くんが憧れてやまないプルシェンコ様だろうか。存在感が火花を散らし合うような、それでいて融合し合うようなプログラムが観られそう。

 さて「春よ、来い」だが。
 まずあの衣装、とても美しくて素敵だ。夢のような淡いピンクがきれいだし、そして袖についている透明なひらひらが本当に天女めいた雰囲気を醸し出している(のだが、あの袖のひらひらを最初見たとき「海藻サラダにこういうの入ってるよね」とも思った)。
 演技は、なんというのだろう、優美なはかなさもあるのだけれど、その中に不思議な力強さがこもっている感じ。「春」を信じ、呼び寄せる心がその力強さのようなものにつながっているのか。この演技での羽生くんは春を呼ぶ祈り手のようでもあり、その祈りに応えて春をもたらす春の精のようでもある。
 「天と地のレクイエム」「Hope & Legacy」「Notte Stellata」といったあたりから少しずつエッセンスを継承しつつも、それらとはまた違うあらたな雰囲気を纏って、羽生くんにしか作れない世界を作り出していた。
 私は知っているユーミンの曲の中でこの「春よ、来い」はさほど好きな方ではないし、春という季節自体も、実のところ四つの季節のうちで一番苦手である(気候が安定しない上に、年度末年度始といった節目がやってきたりして精神的にも落ち着かないから)。しかしそういうことにかかわりなく、この「春よ、来い」というプログラムは心にしみこんできた。それは羽生くんが「単に季節の春ということだけではなく、人生のつらい時期などを乗り越えることも含めて」といったように「春」を高度に抽象化して演じていたためだろう。
 今回は特に、ピアノの音との融合感が凄かったと思う。清塚さんといろいろなことを話し合いながら公演ごとにプログラムを成長させていったそうだが、そういうことができるのも音楽の中に深く入り込み、萬斎さんの云うように「音を纏って」演技出来る羽生くんだからこそだろう。観ていて羽生くんの演技とピアノの旋律が一体に絡まり合うような感覚をおぼえた。ジャンプも、スピンも、地にくちづけて春のめざめをうながそうとするかのような低いハイドロブレーディングも、春という季節をいっぱいに体現したようなレイバックイナバウアーも、もちろんそれらをつなぐすべての要素も……。それは観ている側にとっても歓びだが、演じている羽生くん、ピアノを弾いている清塚さんにとってもおそらく至福の時間なのではあるまいか。

 「Notte Stellata」もそうだったが、この「春よ、来い」も私にとってはどうやら中毒性の高いプログラムのようだ。この週末、かなり何度も観た。それだけ引き込まれる演技だということだと思う。
 それで、私はContinues with Wingsの愛蔵版ブックで野村萬斎さんが述べていた「放出と吸引」の話を思い浮かべていた。
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(前略)外に向かっている自分の視線がだんだん内に入ってくるというか、外に出したものをもう一回自分のなかに入れていくと、観客と一体化するんですよね。放出と吸引というのを僕たちもやるのですけれど、その次元にまで自分を突き詰めることができれば、ある意味オートマティックに導かれて(極限の演技が)できるはずだ(後略)
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 「外に出したものをもう一回自分のなかに入れていく」「放出と吸引」というのは、私なりの解釈だが、何か演技をすることによって、観ている側の感情などに変化を与え、場の雰囲気なども変える(放出)、その変えた雰囲気まるごとをふたたび自分の側で感じとって受け入れる(吸引)、というようなことではないかと思っている。そして吸引したものが次の放出に影響を与えてゆく、というふうにサイクルが発生するということではないだろうか。そのサイクルが起こっていることを知らず知らずに感じるから、観客は演技に引き込まれるのだ。
 多分、技術が十分でなかったり、精神が未熟だったりなどする場合は、表現者はひたすら「放出」することしかできないと思うのだ。けれどそれだと一生懸命さは伝わっても一方通行感に終わってしまう可能性もある。しかし、ある程度以上の域に達した表現者は、放出だけでなく、吸引も行って、その絶え間ないサイクルを回すことができるのだろう。羽生くんは意識的にか無意識にかは別として、この「春よ、来い」ではそのサイクルをみごとに回していたように感じる。
 それはやはり羽生くんの並外れて高い感受性のなせるわざだと思うのだ。そういうスケーターの演技を観ることが出来て本当に幸せである。やはりできることなら現地で観たかったという思いはあるけれども。現地で観たならば、映像で観る以上にきっと夢幻的であったろう、と想像してみている。

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コメント
えのき様
最新記事が写らず待っていたら「春よー」が来たので初めて間近で見た感想などたくさん書きました。ところが別な連絡が入ったので応対したとたんに全部消えてしまいました。がっかりして書けないでいましたが、思い出したあたりを。
たぶん画面と現地で見たFaOIの印象の違いをテーマに書いたと思います。
ともかく出演者の息遣い、全力の演技が感じられたこと。女性の衣装が品良くキラキラ美しかった事。どなたもご自分の個性をフルに出した美しい演技であった事など記しました。コストナーさんは身体が大きいので画面よりインパクトがありました。織田くんは羽生くんと全く違うキャラを「勝手にしやがれ」で打ち出し、最後まで観客を巻き込み切ったこと。ペアやアイスダンスのカップルが滑稽なキャラを楽しく演じていた事。
その中で印象的だった演技はランビエールとバシリエフスの師弟演技。プルシェンコさんと羽生くんの関係は既に完成された別な個性で少し一緒に演技したが、こちらはバシくんが忠実に先生の後を追っている感じがランビエール独特の少しセクシーで甘い味を加えてるようで美しかった。男女でなくてもなかなか美しい。
「春ー」の事も書きたいけど又今までのが消えてしまうと辛いので、別の機会に。
ルピナス | 2018.07.13 22:32 | 編集
ルピナスさま
書いたものが消えてしまうことってありますよね。私もそれで何度か泣きました(ちなみに、ブログ記事はワードで下書きをしておいてからブログにアップすることにしています)。再度の書き込み、ありがとうございます。
そうそう、現地で観ると、テレビよりもずっと「全力」感が伝わりますよね。コストナーさんは私も以前一度生で観たことがありますがとても素敵でした。
師弟演技について、なるほど、そういうふうに表現していただくと私もまた見返すときに一段深く楽しめそうです。
「春」のこともまたお気が向かれましたらいつでもどうぞ(^^。
えのき | 2018.07.13 23:17 | 編集
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