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10.29
Mon
 四年前に出た『YUZURU』に続く、能登直さん撮影の羽生くん写真集(集英社)。というか『YUZURU』が出たのがもう四年前なのか。ついこないだのように感じるけれど。でも今見返してみたら、やっぱり当然のことながら『YUZURU』の羽生くんより『YUZURU Ⅱ』の羽生くんの方が大人びている。
 帯、カバー、表紙とそれぞれ違う写真が楽しめる仕様はそのままで何より。今回は羽生くんの手書き文字でのメッセージがなかったのがちょっとさびしいけれど。
 一つ前の記事で取り上げた『羽生結弦 魂のプログラム』がフィギュアスケーター羽生結弦に焦点を当てた、記録性の強い写真を集めたものだとすると、この『YUZURU Ⅱ』は羽生くんのキャラクターの全体像にも守備範囲を広げている感じで、写真も記録性というよりは作品性の強いもので構成されている感じ。2014-15シーズンからつい先日までの、いろいろな羽生くんの姿が堪能できる。
 羽生くんの表情や息づかい、その場面場面の雰囲気などがとても伝わってきて好きな写真はたくさんあるのだが、特に印象深いのをいくつか。
 7ページ上と11ページ。バラード第一番の演技中に笑っている羽生くん。この笑顔を捉えているのはすごいなと思う。
 59ページ。Hope & Legacyで手を顔の前に出している羽生くんはカメラマンさんが狙うポイントなのか、他にも撮られているのを見るけれど、能登さんもやはり撮っていたのだな。羽生くんの視線が鋭くて素敵。
 71ページ上。リンクのフェンス水の流れのよう。プーさんの黄、赤と羽生くんの衣装の青、緑の対比が鮮やか。
 90ページ上。なんともいえない雰囲気のある羽生くんの表情がモノクロームで浮かびあがる感じ。
 105ページ下。練習着好きとしては印象的な写真。背景がリンクの真っ白なところに練習着の羽生くんの、ちょっと両手を広げた輪郭がくっきりと映って、私の好物の練習着の皺もいい感じに見えている。
 112-113ページ。平昌五輪バラード第一番の演技直前と思われる写真。張りつめた静寂が伝わってくる感じ。
 141ページ。私は「白シャツ」というアイテムも大好きなので。羽生くんの笑顔と背景の緑がいい感じ。
 付録のポスターは、前回もそうだったけれどもったいなくて貼れないので、本にはさんだまま保管。
 ところどころに能登さんのコメントがあって、カメラマンさんの心情というものが垣間見えて興味深い。羽生くんみたいな人を撮っていて、そして「いいのが撮れた!」と思えたときは本当にカメラマン冥利に尽きるだろうなあ。前に「カメラマンさんもいいなあ」という記事を書いたけれど『YUZURU Ⅱ』を見ていると本当に能登さんがうらやましくなってくる。
 で、能登さんのNHK講座に今度行ってみることにした。おそらく内容はSNSなどに上げてはダメということだろうからレポートは出来ないけれど、楽しんできたいと思う。

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 スケートカナダ、地上波放送分をチェックしただけだが見応えあった。宇野くんショート2位からの逆転優勝おめでとう。友野くん実力を発揮しきれなかったけれど次戦がんばって欲しい。山下真瑚ちゃんグランプリシリーズ初参戦でみごとな演技、2位おめでとう。新葉ちゃんはフリー残念だったけれど次戦に期待。悠良ちゃんは久しぶりのグランプリシリーズ、これからまた上げていって欲しい。メッシングさん味のある演技で素敵、ジュンファンくんみずみずしくて素敵。トゥクタミシェワ姐さんはショートでの3A成功も含めよく戻ってきたと思う。メドベージェワちゃんすっかり大人の雰囲気になって、ショートの失敗からフリーはよく巻き返した。
 しかしジュンファンくんのフリーの演技、曲が羽生くんの旧ロミオとジュリエットのものとだいぶ重なっているので、頭の中にどうしても羽生くんが出てきてしまう。「ああっ、ここで羽生くんが転ぶぅぅぅぅ」とかなってしまうのはニースロミオ墜ちの宿命か。

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 そして次はいよいよ羽生くんのグランプリシリーズ初戦のフィンランド大会。さて「グランプリシリーズ初戦は勝ったことがない」というジンクスはどうなるか。「フィンランドはげんのいい土地」という実績もあるし、ジンクスが打破されるといいな。


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10.25
Thu
 WORLD FIGURE SKATINGを発行している新書館から出た、羽生くんの歴代のプログラムの写真集。最近のプログラムから過去へと、概ね時を遡る構成になっているのが面白い。私が羽生くんのことをまだ知らなかったジュニア以前の写真もある程度の量があるところは、さすが老舗フィギュアスケート誌を出しているところだなあ、という感じ。徹底して演技中かその前後の写真に絞ってあるあたり「フィギュアスケーター羽生結弦」に焦点を当てたのだという姿勢が感じられる。スケーター羽生結弦がどんな風に肉体を動かし、どんな表情を見せたか、そういったことがよく伝わってくる。戦績リストや曲目リストがあるのもありがたい。記録写真集としてとても充実していると思う。
 写真を見ながら、その当時のことなど思い出したりする。特に「ロミオとジュリエット〈旧〉」は、私が羽生くんに決定的に墜ちたプログラムであり、そして初めて買ったフィギュア雑誌がWORLD FIGURE SKATINGだっただけに印象深い。
 そういうわけで私にとって一番思い入れの深い写真は多分その時の表紙だった74ページ。他に好きな写真を挙げてゆくと、8ページ、21ページ、44-45ページ、52-53ページ、56ページ、76-77ページ、90ページ、123ページといったあたり。
 ジュニア以前の写真を見ていると、その時代の羽生くんをリアルタイムでは知らなかっただけに、演技映像をとても観たくなる。一部は『覚醒の時』に収められているけれども、それ以外のものについても今度あらためて動画めぐりをしようかと思っている。

 ところで、初回限定版についてきた下敷きのようなものはどうすればいいのだろうか。もちろんもったいなくて下敷きには使えないので、とりあえず本にはさんだままにしてある。

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 「応援ありがとうございます! 羽生結弦展」の収益の一部が、羽生くん側とも話し合った結果、震災などの被災地に寄付されるとのこと。たくさんの人が集まり、たくさんのグッズが売れたことがそういう貢献につながるというのはなんだか嬉しい。羽生くんもそういう貢献につなげられたことをきっと喜んでいるだろう。私も現地には行けなかったが通販でグッズを一つだけ買ったので、ほんのわずかだが貢献したことになって嬉しい。


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10.23
Tue
 羽生くんのファンであることに、ある種後ろめたさというか、罪悪感のようなものを感じることがある。
 というのは、私が基本的にダメなやつだからである。頑張るとか努力するとかが苦手で、面倒くさがりの怠け者で、どうせ自分は体力気力に恵まれてないしと云いながらずるずると日々を過ごしている。どの面から見ても非生産的で、何かを成し遂げたとか人の役に立っているとか、実感するようなことは何もない。
 そんな人間が、とても頑張っている羽生くんみたいな人を好きになって、勝手に夢を託して応援なんかしちゃっていいのだろうか、と思うわけである。自分が出来ないことを人に仮託して、その人の夢が叶ったら自分の夢が叶ったかのように喜ぶって虫が良すぎないか?と。そして、私がせいぜいまがりなりにも意欲的になれるのは何かを書くことくらいなのだが、その書くことについてはさんざん羽生くんをネタにさせてもらって、わかったような口を利いたりして、なんだか本当に羽生くんを「いいように利用している」ような気がしてしまったりするわけである。
 それで、先日「今だけ一般公開」されたマイレピの記事(第25回)を読んで、うなってしまった。
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本当に応援っていうのは力に変わっているし、それに対して「ありがとう」って言いたいんですけど、それ以上に、みなさんの力が僕という媒体を通して結果として表れたっていうことは、みなさんにも「おめでとう」ということを伝えたいなって思います。
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 羽生くんは、ファンのみんなの「媒体」として自分のことを捉えていて、そしてその「媒体」である自分を通してひとつの結果が出たことで、応援してくれる人に「おめでとう」と伝えたいと思ってくれているのか……。なんだかこの部分に、羽生くんが、私みたいに情けない人間が勝手に夢を託していたり羽生くんについて勝手に語っていたりすることについても「承知の上です」と広い心で思ってくれているような感じを持ってしまった。だから、羽生くんが自分を媒体として感じてくれて「おめでとう」と伝えたいという気持ちを持っていることに対して「ありがとう」とあらためて思う。

 応援が力に変わるというふうに思ってくれていることについても「ありがとう」と思う。羽生くんが、応援を力と感じてくれて、その力が羽生くんを五輪の表彰台のてっぺんに連れてゆくことに貢献できたのなら、本当に嬉しいこと。「今だけ一般公開」されたマイレピの第24回で、下記のように述べていることも印象的だ。
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表彰台に上がったときが、「一番、今が自由だ」と感じた瞬間でした。結果が全てのスポーツの世界の中で、今まで自分が頑張ってきたことが証明できたと思いました。自分が一位で、一番いい演技をして、何も語らなくても誰にも侵されない領域に自分は立っているんだという感覚でした。それを自分の中で「自由だ」と感じて、とても幸せな瞬間でした。
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 勝手に想像したのだが、このときの羽生くんの心象風景は、表彰台の上から世界の果てまで見はるかすような感覚、心地よい風が全身を吹き抜けてゆくような感覚で構成されているのではないか……。
 いずれにせよ、そういう「自由」を味わえる場所に立てたことに、応援が少しでも力になっているのだったら、本当に嬉しい。羽生くんがそれだけあざやかな「自由」を感じたということは、普段はそれなりに「自由でない状況」が多いことのあらわれでもあると思う。そこからの解放を、ひとときでも存分に味わってくれたのであれば……。

 私はこれからも羽生くんのファンであり続け、応援を続けるだろう。こんな人間がファンでごめんなさい、と時々心の中で謝りながらも。

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 グランプリシリーズがいよいよ始まった。地上波である程度チェックできるのでありがたい。スケートアメリカ、チェンくんがぶっちぎりの優勝だったのはさすがの底力というか。宮原知子ちゃん坂本花織ちゃん、二人ともショート、フリー両方すごくよかった!ワンツーフィニッシュおめでとう。本田真凛ちゃんはフリー残念だったけれど、足首に大事がないといいけれど。


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10.19
Fri
 キシリトールのクリアファイルキャンペーンに関しては「今回はもう、いいかな」という気分に正直なりかかっていた。というのも、数か月前から諸般の事情でほぼ在宅ワーカーとなっている私は、以前のように「出勤ついでに」という手段が使えなくなり、となるともともと面倒くさがりの出不精なので「まあクリアファイルを手に入れることがファンの証明ってわけでもあるまいし……」的なことも思ったりして、さらに今回、扱っているコンビニがデイリーヤマザキとポプラだったのも「もういいや」感に拍車をかけた。ちょっと調べてはみたものの、うちの近辺ではどちらも行くのがちょっと面倒な場所にしかなかったのである。ちなみに私はペーパードライバーで、高齢の父が免許を返上して車を廃車にしてからは、うちには車もない。私がちゃちゃっと車を運転するタイプだったらさっさと行動したかもしれないが。
 しかし仕事関係で昨日、博多駅に出る用事が出来た。博多駅付近ならデイリーヤマザキもポプラもあるのでは、と思い調べてみたら徒歩圏内に二軒ずつある。ならば行ってみようか、と思ったわけである。とはいえキャンペーン開始から二日後、残っている可能性は低いかな、と思ったのだが、ダメ元で行ってみようと。
 結果、デイリーヤマザキのうち一軒とポプラ二軒にはもうキャンペーンの表示すらなかった。そしてデイリーヤマザキのもう一軒、駅からやや離れた方に、二種類だけ残っていた。デイリーヤマザキ限定ではない、共通のデザイン三種類のうちの二種類である。とりあえずその二種類をゲット。
 それで私は思った。博多駅近辺はそりゃ人が多いからコンプリートするのは無理だろう。でも郊外都市であるうちの近辺のデイリーヤマザキやポプラなら、残っている可能性もあるのではないか?
 で、帰りがけに少し時間の余裕があったので思い切ってうちの比較的近辺のデイリーヤマザキとポプラに行ってみよう、と思った。博多駅からJRに乗っていつも使っている駅で降り、そこから自宅に帰るのとは別系統のバスに乗る。そして終点まで行く。その系統のバスで終点まで行くのは初めて。そこはバスの終点だけあって、住宅地がそこまでで終わる、という地点だった。そこから徒歩数分。めざすデイリーヤマザキは人家もまばらな地域の道路脇にあった。
IMG_5994.jpg
 こんな感じのところならデイリーヤマザキ限定ヴァージョンも含めて残っているのではあるまいか、と私は思った。だがしかし。ファイルの数自体はわりと残っていたが、限定ヴァージョンは一枚もなかった!
 しょうがないので、共通デザイン三種類のうち、博多駅付近のデイリーヤマザキでは手に出来なかった一種類のみをゲットして店を出る。そしてバス停に戻り、ぽつんとひとりでバスを待ちながら考えた。写真はバス停のベンチからの眺め。
IMG_5995.jpg
 こんな場所のデイリーヤマザキにすら限定ヴァージョンが残っていないとは、今回のキャンペーンは結構厳しいとは聞いていたが本当だな……。ポプラ行くか?しかしポプラ行くにはまた別系統のバスに乗り換えないといけないし、行ってポプラ限定ヴァージョンなかったらダメージでかいしな。それに日も暮れてきたし。今回は共通デザイン三種類を手に入れたことでよしとしよう。
IMG_6003.jpg
 というわけで今回は五種類中三種類のみのゲットにとどまった。しかしロッテのキャンペーンももう何回にもなるが、クリアファイルの出来としては今回が一番いいんじゃないかと思う。羽生くんはパーソナルカラーがサマータイプであることは以前の記事に書いたが、このブルーグリーンは羽生くんにとてもよく似合う色だし。
 それにまあ、出不精な私が、いつもは行かない場所にまで行って、ごく小さい旅気分を味わったような感覚だった。羽生くんのおかげである。

 しかし「クリアファイルを入れるファイル」をあるとき二冊買ったのだがもういっぱいになってしまっていてこの新たな三枚が入らない。羽生くんのだけでなく、好きなアーティストのやら美術展などで買ったのやら、人からもらったのやらでもったいなくて使えないのを入れてあるのだが、羽生くんものが一番多い。
 そしてまたガーナのクリアファイルキャンペーンも始まるという。今度は対象商品がアイスなのもハードルが高い。見送るかどうか考え中。


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10.15
Mon
 現在発売中の文藝春秋にオーサー氏をインタヴューした記事が載っている。全体的に興味深かったが最後のところが印象的だった。オーサー氏は羽生くんのことを「ステージ上で観客に自分の魂を与えてくれる、特別なエンターテイナーのよう」と形容している。
 そういえば新書館から出た書籍のタイトル(私は未入手だか入手予定)は『羽生結弦 魂のプログラム』である。それから、シェイ=リーン・ボーン氏がこないだ、Originの演技について、最後のポーズは「World of Spirits」にも手を伸ばしていることをあらわしていると述べていた。この「World of Spirits」は「魂の世界」と訳すことも可能である(オーサー氏のインタヴューに出てきた「魂」は原語はsoulだろうかspiritだろうか、気になる)。
 さて、私は「魂」という言葉は、下手に使うと大仰な印象も与えかねないし、あまり好ましくない根性論や精神論の類とも結びつきやすいし、あるいは怪しげな宗教やオカルト方面とも結びつきやすいということで、扱いが難しい、うかつに使えない言葉だなあと感じている。ゆえに、アマチュアとして詩歌を書いているが、そちらでも魂という言葉を使ったことはほとんどない。その、魂という言葉の難しさあやうさについて、またしても河合隼雄氏関連の著作からになるがちょっと引用したい。河合隼雄氏と柳田邦男氏の対話集『心の深みへ 「うつ社会」脱出のために』(新潮文庫)からである。
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柳田:(前略)私、このごろ「たましい」という言葉にものすごく魅力を感じているんです。われわれは戦後の科学主義とか物質的豊かさが進んでくる中で、「たましい」というものを忘れていた。戦前、精神主義がイデオロギー的に日本の国を支配して、そして精神というもののうさんくささにあまりにも警戒心が強くなったために、戦後は科学主義がのさばって、「たましい」とか心というものを怪しげな目で見るようになってしまった。だけど、いまこそ「たましい」というものを見なおさないと、ほんとうの意味での人間の豊かさというものが再建できないんじゃないかということをこのごろ痛切に思っていましてね。(中略)
河合:「たましい」というのは危険な言葉ですから、私はだいぶ長いあいだ言わずに黙っていたんです。(中略)しかし、だんだんそういうことを言えるようになってきました。脳は死んでも「たましい」はあるというようなことが徐々に理解されてきて、そういうものがあるんだったら、その根本に名前をつけていいじゃないかという格好で言ってきたんですね。(中略)
 ただ怖いのは、「たましい」の話を現実の戦争に勝つとか負けるとか、金が儲かるか儲からないかという次元にもっていく人がいることです。これは大失敗する。「たましい」の話は「たましい」の領域で話をしておかねばならないのに、「たましい」の話を他の世界へもっていくと、大和魂で戦争に勝つとか、ものすごくばかげたことをやるわけです。
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 こういうふうに難しい「魂」という言葉であるが、羽生くんという存在は、何か「魂」という言葉を使いたくなるようなところがあると感じる。オーサー氏の言葉にある「魂を与えてくれる」はやはり他の言葉だとぴったりしない。そして、羽生くんがそういう存在だと感じられるゆえに『魂のプログラム』という書籍のタイトルも、ちょっと大げさに感じないこともないが、まあつけたくなるのはわかるなあ、という気がする。ボーン氏も「World of Spirits」という表現を持ち出してきたのは羽生くんだからこそ、という面もあるだろう。そして、私は自分の詩歌に魂という言葉をほとんど使わないと述べたが、その数少ない例外が、以前の記事でも紹介させてもらった、羽生くんの名前を織り込んだこの五行歌である。

 羽撃きはトレモロ
 生の昂ぶりのままに像を
 結びゆく憧れを奏でる
 弦のきらめくわななき
 君の魂の

 ここはやっぱり「魂」でなければならないと思ってあえてそうした。魂という言葉に慎重な私に魂という言葉を使わせる羽生くん。もちろん、私の意図するところは、変に精神論などと結びついた魂ではなく、河合隼雄氏が「たましいのことはたましいの領域で」と述べているような、そういう本当に大切な意味での魂である(そういや以前「練習着好きの魂」「続・練習着好きの魂」という記事を書いたが、それはその時期に羽生くんを扱った「アスリートの魂」が放送されたのもあって、そのもじり(?)である)。
 なぜ羽生くんには「魂」という言葉を使いたくなってしまうようなところがあるのか。それはオーサー氏が「魂を与えてくれる」と表現したように、羽生くんの演技に羽生くんの「魂」があらわれている、とやはり感じられるからなのだろう。
 羽生くんには「負けじ魂」という言葉であらわされるような「根性」と結びつくような「魂」もあるけれども、なんというかそれ以上に、羽生くんの演技には、羽生くん自身の、純粋な意味での「魂」が込められているという感じがする。と書くだけでもなんだか大仰な気がして書くのをためらっている面もあるのだが、あえて書くと、羽生くんの演技には羽生くんの魂が純度高く込められていて、それは時と場合と人によっては、観る側の魂と共振を起こす、みたいなところがあるのだと思う。ボーン氏の云う「World of Spirits」で観る側とつながりあう、と表現してもいいかもしれない。
 何らかの表現活動に携わる人はおそらく皆、究極のところではそういう状態を求めているのではないかと思うし、表現を受け取る側もそういう状態を経験することを望んでいると思う。ただ、それを実現するのはそうたやすいことではなく、また表現する側と受け取る側の波長の相性なども影響すると思う。だから、羽生くんという「魂を与えてくれる」人を観ることが出来て、共振することが出来るということは、やはりある種奇跡的なところがある。ゆえに魂という言葉を使うのがふさわしいと感じられることがままあるのだろう。
 とはいえ、やはり私としてはこの言葉は濫用したくはなくて、これからも使うとしても抑制的に使うつもりではあるけれど。

 以前も書いたが私は若い頃から佐野元春氏のファンである。で、その佐野元春氏に「君が気高い孤独なら」という曲がある。羽生くんのファンになってから、この曲は何となく羽生くんに似合うのではないかと感じるようになった。そしてさっき気づいたのだが、この曲には「魂」という言葉が出てくる(歌詞の全体はこちら)。

 もしも君が気高い孤独なら
 その魂を空に広げて
 雲の切れ間に
 君のイナズマを
 遠く遠く解き放たってやれ

 私が感じるに、この歌詞の「魂」はきちんと余計な意味合いを含まない「魂」の意味で使われていて、しかも歌詞の中に自然になじんでいる。使うならこんなふうに魂という言葉を使えたらなあと思う。


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10.11
Thu
 羽生くん関係のあれこれがここのところいろいろあるが、今日「羽生結弦 オルゴールを初監修」というネットニュースの見出しを見たときは思わず脳内で「へ?」という声が出た。羽生くんが曲を監修したオルゴール発売だそうで。そうきたか。で、私が気づいた時点でもう予約分は売り切れになっていた。買おうと決めたわけじゃないのでいいのだが。
 ううむ。曲が羽生くん監修ということだから、その曲自体は聴きたい。聴きたいけれども正直、個人的にはオルゴールのデザインがあんまり好みじゃない。もっとこうシンプルにすっきりと……まあ私の好みのままにやると「それはシンプルを通り越して、地味」ということになりかねないのだが。それか、いっそのことスピンの体勢をとった羽生くん人形がくるくる回るようなデザインだったら、とかも思った。ドーナツのバラード第一番とビールマンのSEIMEIが選べますみたいな。
 ううむ。だから多分私はこのオルゴールは買わないのだが、曲は聴きたい。だから、羽生くんが監修したオルゴール曲を収録したCDを売ってくれないだろうか。バラード第一番とSEIMEI以外にも、羽生くんの歴代プログラム使用曲を軒並みオルゴールアレンジして収録したアルバム。売れると思うけどな。お休み前のリラックス用に、お子様のお昼寝どきに、雰囲気あるお店のBGMに、等々、いかがですか。

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 マイレピも更新されている。しかも今だけ一般公開と銘打たれている。
【今だけ一般公開中】第24回:今語る、平昌冬季オリンピック
【今だけ一般公開中】第25回:<羽生選手から読者の方々へ、4年間のありがとう>
 「今だけ」の今っていつまでなんだろう。まあ私は会員登録しているからいいけれど。これらについてもそのうち記事を書くかも。



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10.09
Tue
 一人の印象的なスケーターがリンクを去った。町田樹氏。
 現役時代も異彩を放つ存在だったし、プロスケーターとなってからも、独自の世界を切り開いてきた。まだまだ、スケーターとして見ていたかった気持ちもあるが、本人がそれなりに考え抜いて決めた今後のこともあるのだろう。スケーター人生、本当にお疲れさまでした。数々の名演技をありがとうございました。これからの道に幸がありますように。

 私が町田氏を生で初めて観たのは、2013年に福岡で行われたファンタジー・オン・アイスだった。ああ、この人は「表現者」なんだな、と実感したことをはっきり覚えている。
 そのシーズンからめきめきと頭角をあらわし、ソチ五輪代表をつかんだこと、ソチ五輪でショート11位から総合5位まで巻き返したこと、そしてソチ五輪後の世界選手権で羽生くんと死闘を繰りひろげてワンツーフィニッシュしたこと……なんだかつい最近のことのようにも感じる。
 そして私は2014年の全日本選手権フリーを現地観戦した。結果的に現役選手としての町田氏の最後の演技を観たことになる。
 現役引退してからは、生では演技を観ていないが、数々の個性的なプログラムを生み出して演じていることは知っていたし、映像でも若干観ていた。
 また、町田氏はその独特の思考、語り口でも知られる。哲学的だったり詩的だったりして、でも、それに見合うだけの演技の実力やセルフプロデュース力が伴っていたところが凄いと思う。
 好きなプログラムを一つ挙げるとしたら、私は「エデンの東」かな。

 プロスケーターとして最後の演技となった、ジャパンオープンでの「そこに音楽がある限り」カーニバル・オン・アイスでの「人間の条件」をテレビで観た。
 それぞれのプログラムに、町田氏の深い思いがあることが伝わってくる演技だった。そして、もう一つ感じたのは「町田氏はスケートがスケートであることをすごく大事にしているんだな」ということだった。
 スケートは、云うまでもなく「滑る」もの、氷上で滑るからこそ、陸上では不可能ななめらかな動きが可能になる。滑ることによるなめらかさの上に、美しいポーズや美しい動作を乗せることで、滑ることによってだけ得られる美を究極まで引き出そうとする演技だったと思う。

 フィギュアスケートがブームでなく文化であるようにと願っているとのこと、その願いが叶えられるように祈る。私も非力ではあるが一人の観客として心に留めておきたいと思う。

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 ジャパンオープン、カーニバル・オン・アイス、テレビでそれぞれに楽しんだ。しかしジャパンオープン、非公式試合だしシーズン序盤だし、まあ多くのスケーターがそれほど完成度の高い演技を見せられなくてもしょうがないか……と思いながら観ていたところにあのザギトワちゃんの完成度はいったい何なんだ。あと別の意味で凄いのが、現役引退してもうだいぶ経つのに、現役選手として十分やっていけそうな演技を見せ、さらにエンターテイメント性まで乗っけてきた織田信成氏。

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 そして現役復帰の髙橋大輔氏が近畿選手権三位で西日本選手権へ。西日本を突破して全日本へ駒を進めてくるか、選手としての演技をどこまで磨き上げてくるか、期待したい。


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10.05
Fri
 Originについては先日の記事で、普遍的な創世神話みたいなものを感じる、羽生くんの動きは世界を始まらせていろいろなものごとを産み出し変化させてゆくエネルギーのよう、という私の(といってもシェイ=リーン・ボーン氏のインタヴューに影響を大いに受けているが)主観的な印象を書いた。で、つけくわえるならば、そういう神話的なエネルギーには男性的な力も女性的な力もあると思うし羽生くんはその両方をあらわし得るけれど、Originの印象はどちらかというと男性的なものをより強く感じる。
 スタートのポーズ、両手が水平なのは、世界が始まる前の闇とか混沌がただ広がっているイメージかな、などと思う。そこから立ち上がる動き、両手を上げる力強さ、それから頭をぐっぐっとやる動きが印象的。世界の始源のエネルギーの動きという感じがする。4Lo、4Tと続くジャンプは、そのエネルギーの最初の大きな炸裂といった感じか。
 シットツイズルが入っているのが嬉しい。シットツイズル愛好家としてはもっと長く見られればもっと嬉しいのだが、まあ限られた時間の中では難しいだろうなあ。そして最初のスピンにレイバック姿勢が入っているのが嬉しい。
 ステップは全体的にもちろんしっかり音を捉えているのだけれど、特に途中でヴァイオリンの長めの音に合わせてイーグルでぐるっとやるところが心地よい。あと、ボーン氏のインタヴューの中でも触れられていた、ステップ終わりに身体をそらすところもすごく印象的。
 4Sからおよび4Tからのコンビネーションジャンプはいずれもうまくいかなかったけれど、それはまあ今後に期待することにして、その2Tになってしまったジャンプから後は全てコレオシークエンスなんじゃないかと思うような動きの多彩さが魅力的だと思う。いろいろな存在が次々と誕生して、それらが相互作用しながら変化してゆく様を描いているように感じる。
 イーグルから3A2Tを跳ぶのが凄い。もっともこの3A2Tは四回転からのコンビネーションジャンプがうまくいっていれば別のジャンプになるのかもしれないけれど、タケノコジャンプが好物な私としてはぜひセカンドジャンプタケノコをどこかに残して欲しい。そしてイナバウアーから間をおかずに3Aというのも凄い。その少し後にもシングルジャンプを跳ぶし、本当に密度の濃い構成だなと思う。ハイドロブレーディングももっと長ければと思うが難しいだろうなあ。
 最後のスピン二つの連続は、本当に豊穣になった世界の総仕上げみたいな感じ。そして締めのポーズもダイナミックで好き。これについてボーン氏が語ったことをモモ博士様のブログで読ませていただいたが、地と「World of Spirits」に両方手を伸ばしていることを表現したかったとか。私が先日の記事で「超越的な霊性と官能性の両方を感じる」的なことを書いたこととつながっているようでなんだか嬉しい。
 そして羽生結弦が世界を創り終えると、それを祝福してプーさんの雨が四方から降りそそぐのだった……。

 「秋によせて」について書いた前の記事で、私は「このプログラムに関しては鬼神やドヤ禁止でお願いしたい」と書いたが、Originの方は鬼神、ドヤありだと思う。というか、最後のポーズを決めた後にドヤる羽生くんがむしろ見たい。

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 いろいろとフィギュア界ではB級試合があちこちで行われていたりして、そういうのも追いたいんだけれど、日々のあれこれと羽生くんのことでいっぱいいっぱいで全然追えていない。もっと体力気力と時間が欲しいなあ。


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10.01
Mon
 「秋によせて」の演技は、秋という季節の愁い、懶(ものう)さをよくあらわしていると思う。羽生くんの全体的に伏せがちな視線や、上半身の使い方、手の動きのやわらかさがその雰囲気をよく表現しているのだと思う。しかし、懶い雰囲気を出そうと思って動きをやわらかくすると、下手するとだらしないだけの動きになってしまうと思うのだ。そこはやはり羽生くんの繊細な感性で、絶妙にコントロールしているのだと思う。そしてもちろん、足元のスケート技術が確かだからこそ、視線や手の動き、上半身の使い方などの表情がうまく生きてくるのだと思う。
 しかし考えてみれば、羽生くんはこのプログラムの最初から最後まで、スケートというとても激しい運動をしているのである。激しい運動をしながら、その動きを「懶げ」に見せるというのはかなり高等技術なんじゃないか、ということを思ってみたりした。四回転を跳んでも、ツイズルサンドの3Aを跳んでも、それが「懶い」流れを壊さないというのは不思議と云えば不思議である。私だったら激しい運動をしながら懶い雰囲気を出すという芸当はとてもじゃないが無理である。そもそも激しい運動自体が出来ないけれども。
 そのあたりは幼かった羽生くんがジョニー・ウィアー氏の演技の美しさに衝撃を受け、そこから学んだことがすごく生きているのかな、とあらためて思った。あと、羽生くん自身の持つ雰囲気も、そういう懶げではかなげなのが似合う(たとえ中身がギラギラの戦闘民族だとしても)というのも幸いしている。
 個人的に特に好きなところを挙げてゆこう。
 最初のあたりのイナバウアー、手の位置が雰囲気があって好き。
 4Sの少し後、イーグルでただ真横にすーっと滑ってゆくところ、秋という季節にふっとあらわれる虚無感のようなものをあらわしているみたいで好き。
 ツイズルサンド3A、凄いことやってるのに優美で好き。
 スピンの手の使い方はどのスピンもいいと思うが、特にキャメルスピン中の手の使い方の音ハメが好き。
 シットスピンの前、ピアノの音がきらきらする感じのところでそれに合わせてくるくる回るのが、身体からきらきらがこぼれるような感じで好き。
 ステップは全体にドラマティックで好き。ドラマティックなのに懶げという不思議な感じ。ハイドロブレーディングからすぐにジャンプするところなんて相当な運動量だと思うけれど、そういうのをスムーズにこなすところが好き。それから、ステップの後半で、両手と片足をふっと上げるような動きが好き。
 最後のスピンの中にレイバック姿勢が入っているところが好き。
 これからこのプログラムがますます洗練されていって、ますますその繊細な美しさを増してゆくのかと思うと楽しみでならない。ただ、ちょっとだけ心配なのが、羽生くんはなんせ中身が戦闘民族なので、まかり間違うとこのプログラムでも鬼神顔になったり、最後にドヤったりしないかな、ということである。まあ曲調的振付的ににしづらいとは思うが、このプログラムに関してはぜひ、最後の一音の余韻が消えるまでは、鬼神およびドヤ禁止でお願いしたい。
 いや、羽生くんだって中身がギラギラ戦闘民族100%じゃなくて、実際にこの「秋によせて」にあらわされているような繊細な感受性というのも十二分に持ち合わせているわけである。というかその、ギラギラ戦闘民族と繊細な感受性というのが同じ人間の中に共存しているところが羽生くんの何とも不思議で魅力的なところではあるのだなあ。

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 先行抽選販売で当たった羽生結弦展グッズのキャンバスアートが届いた。先行抽選販売は四種類の図柄のそれぞれ大小サイズがあって計八種類のうち、第五希望まで申し込めたのだが、私はこの図柄の小のみ一本釣りで当たった。この写真すごく好きなので嬉しい。
IMG_5974.jpg


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