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07.29
Sun
 10日ほど前に出たAERAの記事が印象に残った。羽生くんは実は練習時間が短い、云い換えれば効率的に練習をしているスケーターなのだということを改めてピックアップしてくれた記事である。
 「長時間やる」ということが美徳とされがちな日本のスポーツ界、のみならず日本社会のあり方にも羽生くんのあり方が一石を投じるといいなと私も思っている。
 ただ「やみくもに長時間やらずに効率よく短時間でやるようにしましょう」と云ってもぱっと実行に移すのはたいていの人には難しいのではないだろうか。「効率よく」やるためにはどうすればいいのか、ということになると、羽生くんがやってきたように「研究」をする必要が出てくると思う。羽生くんは「努力の正解を見つけるのが大切」ともかつて語っていたが、研究というのはその努力の正解を見つける過程なのだと思う。
 どういうふうに研究すればいいのか、ということに関しては、個々人によって置かれた状況や能力や特性が違うから、個々人が主体的に模索するしかないんだろうな、と思う。だからそういう、主体的に模索する力、というのをたとえば子どものうちに自然に身につけさせるような教育なり環境なりなんなりが大事なんだろうな、と漠然と思ったりする。
 ただ、先例というのはそういう際に参考になるものだと思うので、将来的に羽生くんが後進や、あるいは世の中の多くの人たちにアドヴァイスを送る立場になった時に、自分はどういうふうに研究して努力の正解を模索していたか、ということを具体的に語ってくれたらいいな、と思っている。今はまだ「企業秘密」という部分も多々あるだろうから難しいだろうけれど。
 あと、羽生くんはそうやって「研究」して考えたことを、実際に自分の身体で再現する力というのがとても優れているんだろうなと思う。でないと、いくら研究したところで短時間練習で効率よく結果を出すのは難しいと思うので。私はスポーツが全然ダメな人間なので、研究したことを自分の実際の身体の動きにどうやって結びつけるのか、といったことについては全く見当もつかない。何かコツなどがあるのか、言葉にするのが難しい要素も多々ありそうだが、もし出来ることならそのへんについてもいつか語ってもらえたらいいな、と思ってみたりした。羽生くんの優れたイメージトレーニング能力が関係していそうな気はするが、そのイメージトレーニングもどうやったら上手に効果的に出来るか、というのも何かコツなどあるかもしれないし。そういう話も大いに後進の参考になりそう。
 羽生くんは将来的に金メダルをめざす後進の役に立つようなことをしたいと云っていたと思うので、研究の仕方、そして研究と実践の結びつけ方についての経験、ノウハウをたくさん伝えてもらえたらなあ、なんて僭越ながら思ってしまった次第である。私がこんなところに書かなくても、羽生くんはとっくにそのつもりかもしれないけれど。


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07.23
Mon
 某ネットショップで予約していたのだが、豪雨災害の影響もあったりして発売日からいくぶん遅れて私の手元にやってきた。
 表紙カバーの色、これSEIMEIの袖口のリボン(?)の色にかなり近い色だなあ。そのカバーを外すとあらわれる、スホランを持った羽生くんがいい感じ(スホランのぬいぐるみがちょっと欲しい私)。
 今回もさまざまな羽生くんが見られて楽しい。しかしこうやって振り返ると、羽生くんって昨シーズンは五輪を含めて三試合しか出られなかったのか、ということをあらためて実感する。
 昨年の『2016-2017』の時に「それとない中間的な表情も魅力的、そういうのをもっと見たい」的なこと書いたんだけれど、そういう意味ですごく好きなのが22-23ページの写真(同じ意味で好きなのが、Ice Jewels特別編集の平昌五輪フォトブックの24-25ページ)。46-47ページも不思議な魅力がある。あと、小さいんだけれど9ページにある、かばんを持っている写真とか。
 Continues with Wingsの写真で、ツィゴイネルワイゼンや悲愴や旧ロミジュリの衣装を着ているのを見ると、やはりリアルタイムでそれらのプログラムを演じていた時より羽生くんは大人になったんだな、って感じる。もちろんそれでもまだ少年味はたっぷり残っているのだけれど、でも、あの頃と同じ衣装を着ると「あの頃と同じではない」っていうのが際立つな、とあらためて感じる。
 他にも、いろいろな写真の、いろいろなところが好きだが、今回の私の一押しは85ページである。練習着の皺好きとしてはたまらない写真である。照明の具合もあって、羽生くんの肉体のライン、その躍動感が際立っているところが素晴らしい。

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 昨日の朝「羽生結弦選手がテレビで今季のショートプログラムを実演で発表するのを観る」という夢を見た。なんだかアラビア風の曲だった。そして、前半は男性、後半は女性、という演出だった。どういうことかというと、ストレートロングヘアのかつらをつけていて、前半はその髪を帽子の中に隠していて、後半で帽子をとってロングヘアをあらわにするのである。
 多分、アラビア風の曲というのは、以前「シェヘラザードを真央さんがパンツスタイルでやったときのような衣装でやって欲しい」と考えたことを反映しているのだろうと思う。前半が男性、後半が女性という構成は、去年ファンタジーオンアイスでアンナ・ポゴリラヤ選手がそういった演出のプログラムをやったことに影響されていると思う。それともちろん羽生くん自身の両性具有性と。しかしそういう演出ってどう考えてもショートプログラムではなくてエキシやショー向けだという気がするが。
 実際の羽生くんの今季のプログラムがどんなのか早く知りたいという願望が見せた夢でもあると思う。羽生くんの今季初戦は九月のオータムクラシックであることが正式に決まった。曲がわかるのは多分もっと前だと思うが、プログラムの全貌が明らかになるまであと約二か月。わくわくしながら待ちたい。
 にしても、五輪二連覇しても、これまでのシーズンと同じようにチャレンジャーシリーズからきっちり試合を入れてくるんだなあ、と、羽生くんの「これまでと変わらないモード」がなんだか嬉しい。


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07.19
Thu
 あまりに早いご逝去、心からお悔やみ申し上げます。

 突然のニュースで本当に驚いているのだが、今季のグランプリシリーズのアサインにも名前があって、ああ、まだ現役がんばるんだな、って思っていたところだったのに。
 音楽との調和性の高い、端正なスケートが印象的だった。カザフスタンのスケートを引っ張ってゆく存在でもあった。
 日本人選手との交流もいろいろあったし、皆きっと衝撃を受けているだろう……。

 今はただ、静かに悼むのみ。


 
 
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07.17
Tue
 こないだ「ビートたけしのスポーツ大将」で「羽生くんは金メダルにこだわるあまりスケート靴から銀色の部分を排除しようとして黒のブレードにした」という話をやっていた。
 時々、金メダルのことを「いちばんきれいな色のメダル」「いちばんいい色のメダル」と表現するのを耳にする。それはもちろん「金メダルは優勝者のメダルだから」という価値を含んでの表現だとわかってはいるのだが、聞くたび私はなんだかもやっとするのであった。なぜかというと、私は、色としてはだんぜん金色より銀色が好きだからである。似合うのも金より銀だ。だから「いちばんいい色」「いちばんきれいな色」ではないとされ、羽生くんのブレードからも排除されてしまう銀色がふびんで仕方ないのであった。
 そういうふうに、金メダル大好きの羽生くんであるが、しかし、価値などを度外視して色だけを純粋に見た場合、羽生くんに似合うのは金より銀であると思われる。
 パーソナルカラーという概念がある。ご存じの方もいらっしゃると思うが、人は似合う色の系列で大まかに四つのグループに分けられるという話である。詳しいことを知りたい方は「パーソナルカラー」で検索すればいろいろ出てくると思うのでここではざっくりと。黄みを帯びた軽やかな色が似合う人が「スプリング」タイプ、青みを帯びたソフトな色が似合う人が「サマー」タイプ、黄みを帯びた深みのある色が似合う人が「オータム」タイプ、青みを帯びたはっきりした色(か、ものすごく淡い色)が似合う人が「ウィンター」タイプということだと私は理解している。
 羽生くんはサマーだろうなと思っていたが、羽生くんのパーソナルカラーについて考察したサイトなどはいくつかあるようで、それらを見るにやはりサマーであるようである。ただ、ウィンターの要素も入っているかな、と。だいたいにおいて、羽生くんの衣装の色は青みを帯びた系列のものが多いし(ピンクなど暖色系の場合も、たとえば黄みを帯びたサーモンピンク系ではなく、青みを帯びた桜色系やローズピンク系を使っている)、それもはっきりした色というよりはグラデーションなども使ってソフトな感じにしたものが多い。それがよく似合っているから基本はサマーでよいのではないかと思う。Let’s go crazyのラベンダー色なんてサマーの王道である。ただ、練習着の黒がとてもよく映えることから、黒が似合うとされるウィンターの要素も混じっているのではないかと思う。しかしウィンターそのものと判定するには、あまりくっきりした色とかコントラストの強いものなどは似合いにくそうなので(実際、コントラストの強い衣装といえば、あえて云えば一回しか着なかった赤ファントムくらいではないだろうか)、やはり基本サマーであろう(実は私も、自己判定だがウィンター混じりのサマーある。つまり羽生くんと似合う色の系統が似ているわけだ。ちょっと嬉しい。羽生くんは私服は黒が多いと云っていた気がするが私もわりとそうである。黒が似合うと云われたことも何度か。もっとも、日本人の場合、一番多いのはサマーらしいので、羽生くんと似合う色の系統が似ている人は結構たくさんいることになるのだが)。
 で、金と銀についての話に戻るのだが、黄み系の似合うスプリングとオータムは金色が、青み系の似合うサマーとウィンターは銀色が似合うわけである。つまり、順位とか価値とかを抜きにして色だけで純粋に考えると、羽生くんに似合うのは「金よりも銀」ということになるのである。
 とはいえ、似合う似合わないは基本的に肌映り、顔映りのよさによって決められるわけである。その点から云うと、金メダルは顔からわりと離れた衣服の上にかけられることしかおそらくないと思うので、金メダルに関しては「色的に似合わないよ」とまで気にする必要はまあないのだろうと思うが。
 しかし私としては、五輪二連覇をしたのだから、その記念として、金より産出量が少なく稀少な、そして銀色をしているプラチナで特別なメダルをつくってあげたいなあ、なんて思ってみたりもするのであった。お金ないから無理だけど。
 もっとも、羽生くんも何から何まで銀色を排除しようと思っているわけではないようで、たとえばNotte Stellataの衣装などは効果的に銀色が使われているし、よく似合っている。これが仮に金色だったらあの衣装の雰囲気は台無しである。やはり銀色だからこそ出せる雰囲気というのもあるのさ。


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07.13
Fri
 このブログを始めた時の一番最初の記事が「羽生結弦選手ファンとしての二つの心理」だった。その時に述べた二つの心理とは「リアルなアスリートでありリアルな人間である羽生くんを応援しリスペクトする心理」と「羽生くんの存在からいろいろと想像だの妄想だの広げてそれを表現する心理」だった。ここのところ、それと似ているけれどまたちょっと違った「二つの心理」が自分にはあるなあと思っているのでその話。
 一つは「自分と同じ人間として羽生くんを見たい気持ち」である。いや事実として同じ人間なのだが(のはずだが)、いろいろな意味でレベルだの次元だの格だの違いすぎるので、時として同じ人間だという事実を忘れそうになるのである。五輪二連覇とかしちゃう凄い人だし、国民栄誉賞とかいうものまでもらってしまった人だし。だけれどもそれでも、距離はいろいろな意味でものすごーく遠くても、地続きにいる人なのだと意識していたい気持ちがある。さまざまな凄さのある羽生くんだけれども、等身大の喜怒哀楽を持ち、赤い血が流れている、そしてとても「普通」な面もある人間男子なのだと。そして、そういう人間どうしという認識で、ファンとして妥当で可能な範囲でその心理を理解し、応援していきたいと。
 しかし。どうも私の中には羽生くんをとても「超越的」な存在として見たい気持ちも否定しがたくあるのである。羽生くんの超越性については記事を二本ばかり書いてしまったし(こちらこちら)、とにかく羽生くんの持つ雰囲気が人間離れしているところがあるので、此の世ならぬ存在ではないかと思ってみたくなる……ファンタジックな乙女心(なのか?)も抑えられないのである。
 この二つの心理を抱えているとどうなるか。この違いが顕著に出るのが「そう遠くない将来にあるかもしれない羽生くんの結婚の可能性」について考える時である。羽生くんを人間として見たい私は「望む人と幸せな家庭を築けるといいねえ」と思う。片や羽生くんを超越的な存在として見たい私は「そんな、結婚とか、地上の人間がするような『俗』なことなさらないでください!」と思う。
 どっちの気持ちも嘘じゃない。そして私もそれなりに大人になった(?)ので、矛盾する気持ちをそのまま抱えていてもいいのだというふうに思えるようになっている。むしろ、こういう両方の気持ちが味わえておトク、くらいの感覚になってきている気もする。
 「羽生結弦くんの全体性について」という記事にも書いたように、羽生くんにはいろいろな両極が感じられたりもして、だからファン心理もいろいろ複雑になって、そしてだからこそ羽生くんファンは楽しくてやめられないのさ、ということを改めて感じている今日この頃なのであった。


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07.09
Mon
 ふたたび豪雨お見舞い申し上げます。被災された皆様にできるだけ速やかに穏やかな日常が戻りますようお祈りしております。

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 ようやくこの週末、ファンタジーオンアイス関係の映像をテレビ画面でしっかりと観ることができた(神戸のBS放送分と静岡のGet Sports内で放送された分)。しかし本当にファンタジーオンアイスは出演者が豪華で眩暈がする。プルシェンコ様の存在感、プルシェンコジュニアの可愛さ、ランビエール様のカッコよさ、ジョニーの世界観、鈴木明子さんの表現力、織田くんのエンターテイナーっぷり、ヴァーチュー&モイヤー、カッペリーニ&ラノッテ、サフチェンコ&マッソそれぞれの個性と雰囲気、コストナーさんの美しさ、ポゴリラヤちゃんの華麗さ、等々、あげてゆけばきりがなくなってしまうのでよすが、それぞれにみんなすごいなあと思いながら観た。氷の上でスケートをするというだけでもかなり大変なことなのに、音楽に合わせて演じ、美しかったり楽しかったりする作品にするというのは大変なことだ。そんな作品の、それもレベルが高いものをふんだんに観られるアイスショー。今回特にプログラムとして気に入ったのは鈴木あっこちゃんの「風の神の歌」かな。
 コラボも楽しめた。プリンセスプリンセスの特にファンというわけではなかったけれど「Diamonds」はカラオケやお風呂で歌うレパートリーだし(そういや以前替え歌にもさせていただいたっけ)、「ジュリアン」も歌える。織田くんの「勝手にしやがれ」も往年のジュリーを思い出して楽しかったし。清塚さんのピアノとコラボしたカッペリーニ&ラノッテ、サフチェンコ&マッソも雰囲気がすごくあって素敵だった。

 アイスショーのオープニングやフィナーレはいつもお祭りらしいキラキラ感があって好きだ。そのキラキラ感の中でもひときわ羽生くんがキラキラして、キレキレの踊りを見せたり客席を煽ったりしているのを見るだけで幸福になってしまう。

 そういえばランビエール様とヴァシリエフスくんの師弟によるプログラムというのも今までに見なかった形で新鮮でよかった。羽生くんにもこういうのやってみて欲しいな、と思った。羽生くんなら相手は誰がいいだろう。ここはやはり羽生くんが憧れてやまないプルシェンコ様だろうか。存在感が火花を散らし合うような、それでいて融合し合うようなプログラムが観られそう。

 さて「春よ、来い」だが。
 まずあの衣装、とても美しくて素敵だ。夢のような淡いピンクがきれいだし、そして袖についている透明なひらひらが本当に天女めいた雰囲気を醸し出している(のだが、あの袖のひらひらを最初見たとき「海藻サラダにこういうの入ってるよね」とも思った)。
 演技は、なんというのだろう、優美なはかなさもあるのだけれど、その中に不思議な力強さがこもっている感じ。「春」を信じ、呼び寄せる心がその力強さのようなものにつながっているのか。この演技での羽生くんは春を呼ぶ祈り手のようでもあり、その祈りに応えて春をもたらす春の精のようでもある。
 「天と地のレクイエム」「Hope & Legacy」「Notte Stellata」といったあたりから少しずつエッセンスを継承しつつも、それらとはまた違うあらたな雰囲気を纏って、羽生くんにしか作れない世界を作り出していた。
 私は知っているユーミンの曲の中でこの「春よ、来い」はさほど好きな方ではないし、春という季節自体も、実のところ四つの季節のうちで一番苦手である(気候が安定しない上に、年度末年度始といった節目がやってきたりして精神的にも落ち着かないから)。しかしそういうことにかかわりなく、この「春よ、来い」というプログラムは心にしみこんできた。それは羽生くんが「単に季節の春ということだけではなく、人生のつらい時期などを乗り越えることも含めて」といったように「春」を高度に抽象化して演じていたためだろう。
 今回は特に、ピアノの音との融合感が凄かったと思う。清塚さんといろいろなことを話し合いながら公演ごとにプログラムを成長させていったそうだが、そういうことができるのも音楽の中に深く入り込み、萬斎さんの云うように「音を纏って」演技出来る羽生くんだからこそだろう。観ていて羽生くんの演技とピアノの旋律が一体に絡まり合うような感覚をおぼえた。ジャンプも、スピンも、地にくちづけて春のめざめをうながそうとするかのような低いハイドロブレーディングも、春という季節をいっぱいに体現したようなレイバックイナバウアーも、もちろんそれらをつなぐすべての要素も……。それは観ている側にとっても歓びだが、演じている羽生くん、ピアノを弾いている清塚さんにとってもおそらく至福の時間なのではあるまいか。

 「Notte Stellata」もそうだったが、この「春よ、来い」も私にとってはどうやら中毒性の高いプログラムのようだ。この週末、かなり何度も観た。それだけ引き込まれる演技だということだと思う。
 それで、私はContinues with Wingsの愛蔵版ブックで野村萬斎さんが述べていた「放出と吸引」の話を思い浮かべていた。
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(前略)外に向かっている自分の視線がだんだん内に入ってくるというか、外に出したものをもう一回自分のなかに入れていくと、観客と一体化するんですよね。放出と吸引というのを僕たちもやるのですけれど、その次元にまで自分を突き詰めることができれば、ある意味オートマティックに導かれて(極限の演技が)できるはずだ(後略)
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 「外に出したものをもう一回自分のなかに入れていく」「放出と吸引」というのは、私なりの解釈だが、何か演技をすることによって、観ている側の感情などに変化を与え、場の雰囲気なども変える(放出)、その変えた雰囲気まるごとをふたたび自分の側で感じとって受け入れる(吸引)、というようなことではないかと思っている。そして吸引したものが次の放出に影響を与えてゆく、というふうにサイクルが発生するということではないだろうか。そのサイクルが起こっていることを知らず知らずに感じるから、観客は演技に引き込まれるのだ。
 多分、技術が十分でなかったり、精神が未熟だったりなどする場合は、表現者はひたすら「放出」することしかできないと思うのだ。けれどそれだと一生懸命さは伝わっても一方通行感に終わってしまう可能性もある。しかし、ある程度以上の域に達した表現者は、放出だけでなく、吸引も行って、その絶え間ないサイクルを回すことができるのだろう。羽生くんは意識的にか無意識にかは別として、この「春よ、来い」ではそのサイクルをみごとに回していたように感じる。
 それはやはり羽生くんの並外れて高い感受性のなせるわざだと思うのだ。そういうスケーターの演技を観ることが出来て本当に幸せである。やはりできることなら現地で観たかったという思いはあるけれども。現地で観たならば、映像で観る以上にきっと夢幻的であったろう、と想像してみている。


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07.07
Sat
 豪雨お見舞い申し上げます。昨日は私の住んでいる地域も特別警報など出ておりましたがうちのあたりは全く無事でした。
 被害が少ないことを祈ります。

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 以前「妄想『羽生結弦公式ブック』」という記事を書いて、写真だのロングインタヴューだの対談だの記録類だのみっちりつまった本人公式本が出たらいいのに、みたいな話をした。最近それとは別に『羽生結弦全発言集』というのが出たらいいなあと思っている。『公式ブック』は写真だの図表だのも載せるけれど『全発言集』は基本的にひたすら文字ばかりの本。とにかく、なんらかの公の場で本人が発した言葉を全て網羅した本にしたいのである。各種会見はもちろん、テレビ局や雑誌からのインタヴュー、各種CMやキャンペーンなどに際しての発言、などなど、表だって行われた発言の全てをあますところなく収録するのだ。もちろん、野村萬斎さんや松田華音さんとの対談もしっかりと。そしてどの発言もどういうソースでどういう状況で発されたものかをきちんと併記しておく。「○○年○月○日△△試合後の●●局によるインタヴュー」「○○年○月○日刊行●●誌によるインタヴュー」とかいう感じで。そしてもちろん本人公認の本にしてもらう。
 あるいくつかの会見だけなら網羅したメディアはすでにあるわけだが、私の思う妄想本はとにかく「公にされた発言全て」を網羅したものである。一冊にまとめると分厚くなりすぎそうだからシーズンごとに分冊でもいいだろう。
 電子版も作って欲しい。そしてたとえば「○○という言葉が出てくる発言は」とかいうふうに検索できるような機能をつけるのだ。
 もっとも、本当にこれをやろうと思ったら、競合関係にある各種メディアの情報を統合しないといけないわけである。だから実質実現不可能だろうけれど。
 でも、そういう本が出来たらいいな、と思うくらい、羽生くんの発言というのは何かと魅力的で聞き応えがあって、こちらが学べることも多いのだ。『語録』もいいけれど、その発言がどういう文脈で出たものかより具体的にわかった方がより深く味わえたりもすると思うので、そういう意味で『全発言集』が欲しいと思ってしまうのだ。
 私はかつて「羽生砂漠の蜃気楼-「羽生結弦学」という学問を創始したい」という記事も書いたけれど、もし「羽生結弦学」という学問が創始されたなら、この『全発言集』は非常に貴重な資料価値があることになる。
 と、妄想はとどまるところを知らないのだが、仮に実現したらある程度は売れると思うのだが『羽生結弦全発言集』(本人公認)は。そして仮に実現したら、私は電子版も紙媒体版も両方入手して、電子版は、たとえばブログ記事を書く際に「あの発言いつのどの媒体だったっけ」みたいな調べ物に活用し、紙媒体版は枕元にでも置いて、毎晩寝る前に少しずつ読み進めるのだ。とりあえず、妄想だけでも、ちょっと楽しい。

 というか、いろんなメディアにいろんな発言があって、それを自力で全部把握するのが面倒だから網羅したものがあったらいいな、というものぐさが発想の原点なんだけれども。

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 七夕。今年もエア短冊に「羽生結弦くんの健康と幸福と活躍」「世界平和」と書いておこう。


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07.03
Tue
 一日遅れですが、あらためて、おめでとうございます。

 いや、しかし「そうきたか」とぶっとんだ。記念品辞退。私は「はたして羽生くんは記念品に何をもらうのかな?」と単純にわくわくしていたので「記念品を辞退」なんてことがあるなんてこれっぽっちも想像していなかった。実際に記念品を辞退したなんて人はこれまでいなかったらしいし。しかし記念品辞退の理由が「みなさまあっての賞で、自分という個人を表に出したくないから」ってなんだか凄すぎだ。無邪気に「○○が欲しいです」って云っちゃってもいいのよ、と私なんかは思うのだが、でもものすごく羽生くんらしいなあと思う。というか、今回の受賞に関しては、とにかく羽生くんの言葉の全てに、羽生くんという人間の出来すぎ具合がこれでもかこれでもかと詰まっている!
 ああ、やっぱりそういうことを云うんだなあ、と切なくなったのは「私生活も含めて後ろ指を指されないように云々」というあたり。賞をもらうこと自体は「みなさんのおかげ、自分の『個』は出さない」という姿勢なのに、賞に恥じないような人間にならねば、というところは『個』で引き受けてしまうのね、と。今までだって羽生くんは十分過ぎるほど模範になるような生き方をしてきたし、賞をもらったからってあらためて「普通ではいけないというけじめ」なんて考える必要ないのに、と思ってしまう。記念品をもらわないかわりに、私があげられるものなら「そういうけじめとかなんとかを一切考えずにのびのび過ごせる時空間を欲しい分だけ」を差し上げたいよ、と思ってしまった。まあ、そういう生真面目なところがあるからこそ、ここまでの人になれたんだろうけれど……。
 しかし何はともあれ、そういう私生活面も含めて、国民栄誉賞というものがどういうものか、それが自分や周囲の今後にどういう意味を持つかなどいろいろ深く考えて覚悟して受け取ったのだろう。だから、いちファンとしてはただその姿を見守り、なおいっそうの応援に励むのみ、とこちらもある意味覚悟を決めねばなるまい。この賞が羽生くんが望むように多くの人の励ましになり、羽生くん自身の行く手も照らすものになりますように。

 羽織袴姿も凜々しく。「仙台平の袴」については、以前こちらの記事の最後の方で少し触れたが、今回の羽生くんの袴は、仙台平の人間国宝の職人さんの方から着ていただきたいと申し出があったそうで。さすが羽生くんというか、確かに、私が仮に職人で、いいものを作っているという自負があったなら「自分の作ったものを羽生くんにぜひ使ってもらいたい」となるだろうなあ。


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07.01
Sun
 今日はスケオタ的にあけましておめでとうございますだなとぼんやり思っていたところに、飛び込んできたびっくりニュース。
 髙橋大輔氏現役復帰!
 まさかのまさかのという感じで。いやほんと驚いた。引退したときにやっぱり心残りがあったのと、競技にしかない緊張感とかそういうものが恋しくなったということのようで。四年ものブランクをどうカバーしていくかは簡単ではないだろうけれど、それは覚悟の上なんだろう。ルール改正があったことも影響しているのだろうか?
 何はともあれ、私は何だかわくわくしている。単純に、髙橋くんが再び「競技フィギュアスケート」の世界でどんなプログラムをどんなふうに見せてくれるのか、それがとても楽しみなのだ。

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 ファンタジーオンアイスが今日で千秋楽。天女羽生くんの映像をテレビ画面でしっかり観てから感想を書きたいと思いながら過ごしているのだが、諸般の事情でまだ神戸公演分の録画を頼んだディスクが届いていないのである。うずうず。


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