02.27
Tue
 だって「怪我が思うようによくならないから痛み止めを飲んで痛みを止めて練習して五輪に出ることにした」ってかなりそれ無茶な話ではないか。痛み止めを飲まなければ練習もできないほどの怪我、痛み止めを飲んで練習したり試合に出たりするということは治すということをあきらめるということだと本人も云っていたではないか。どこがどう傷んでいるかもわからないくらいの状態だそうじゃないか。望んでいた五輪の金メダルをとれたのはよかったけれど、そのためのフィジカルな犠牲はどれほどの大きさになっているのか。真面目に心配である。
 治療に専念させてあげたいなあと思う。ただ、そうすると世界選手権は回避ということになるのだろうし、そうすると枠取りが……という話にはなるんだろうけれど。本人や周囲がどういう判断をするか見守りたい。アイスショーだって無理しなくていいと個人的には思っている。
 ただ、きっと羽生くんの身体はいろんなところがかなり傷んでいて、治療をほどこしても、練習したり試合やショーに出たりするためには、だましだまし……みたいな状況にしかならないのではないかと推測している。それでも、羽生くん自身は出られるだけはできるだけ出たいと望みそうだけれど。
 なんにしても、どうかどうか、今後できるだけよい状況になりますように。そうなるための条件が整いますように。

 そこまでして出たかった、勝ちたかった五輪ってなんだろう、というのはやはり考えてしまう。この問題の抽象的な考え方についてはちょっと前に記事にしたが、現実問題としては、羽生くんは金メダルというものが実際にどれだけ力を持つかというのを体感しているから、というのもあるんだろうなと思う。自身が金メダルを取る前にも、荒川さんが金メダルを取ったことで閉鎖されていたリンクが復活したという経験をしているから、金メダルというものの実効力をそのときすでに実感していたに違いない。そして自身がソチで金メダルをとったことでどれだけ人やお金やものが動くのか……ということもずっしりと体感したに違いない。そして連覇の金メダルをとればどういうことになるか……ということにも十分考えが及んでいるに違いない。そして自分の持つ金メダルの力をできるだけいい方に働かせられれば、という望みも持っているに違いない。自分の今までもこれからも懸けた五輪だったというのはそういう意味合いが含まれている気がする。


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02.25
Sun
 今日のエキシビションでのNotte Stellataを堪能した。
 思えば四年前ソチ五輪でのエキシビションはWhite Legendなわけでふたたび五輪の地で白鳥を演じたことになる。以前も書いたと思うが、White Legendは傷ついた若鳥が希望を得て飛びたつまでのイメージ、Notte Stellataはその若鳥が成熟し包容力をつけてふたたび戻ってきたというイメージだと思う。
 今日の白鳥はもの柔らかな印象が特に強かったように思う。ふたたびこうやって五輪のエキシビションで、それも大トリとして舞う立場になれたことの喜び、そしてその場につれてきてくれたこれまでのすべてへの感謝、そして世界のあらゆるものへの慈しみ、そういうものに溢れているように感じられた。ツイズル、レイバックイナバウアー、スピン、ハイドロブレーディング、ディレイドアクセル、トリプルアクセル、それ以外でもすべての要素、すべての動きが美しくなめらかでしなやかで、そして神秘的だった。この神秘性、幻想性は羽生くんだからこそ出せる雰囲気だと思う。
 羽生くんと白鳥という組み合わせのあれこれは以前だいぶ記事に書いたので(こちらとかこちら)ここでは繰り返さないが、羽生くんが白鳥というテーマと巡り会えて本当によかったと思う。

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 にしてもまだ録画の整理などまだ残っているし、競技の方での演技についてももうちょっと振り返って記事を書きたいと思っているのだが、いつになるやら。
 まあ、何にしても今は羽生くんが夢を叶えたこと、無事に五輪を終えたことに感謝して、余韻に浸っていたい気分である。



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02.21
Wed
 多分私は今虚脱状態なのだ。だって、ソチ五輪以降の四年間、羽生くんの山あり谷ありをずっと見てきて、それでもとにかく「平昌五輪で連覇できれば」という思いがずっとあったわけで、で、それが達成されて終わってしまったからだ。でもここのところわりと忙しめだったりして虚脱感に浸ることもできない。というか録画類(といっても羽生くんの関わる全てを録ることは最初からあきらめているのでごく一部だが)もまだ観られていないし、情報も追い切れていない。そんな中で漠然と考えたことを書いてみようと思う。
 羽生くんはとにかく五輪で勝ちたかったのだ。いつだって勝ちたい人だけれどとりわけ今回の五輪で勝ちたかったのだ。右足の状態だってそんなによくはなく痛み止めを飲むことが必要なくらいだったようだし、4Lzも4Loも回避することになった。でもそれでもできる限りの最大限を発揮してとにかく「勝ちに行った」のだ。そして実際に勝った。五輪で勝つという幸せを得るためにいろいろなものを捨ててきたという。そこまでして掴みたかった五輪の勝利。
 そこまで思わせる「五輪」ってなんなんだろうな、と思わず考えてしまったのだった。
 「五輪は特別」とよく云われる。何が特別なんだろう。四年に一度しかない、そして五輪というと普段はテレビに映ることのないような競技もたくさん中継されたりするし、メディアでの扱いも普段よりぐんと大きくなる。そういう「特別」感って何から来るのだろう。
 五輪は「スポーツの祭典」とか「平和の祭典」とも云われる(私は何にでもわりと理想主義的な考え方をする方なので、五輪があまり商業的にとか政治的にとかならずに、できるだけ純粋に平和とスポーツの祭典であってほしいなと思う)。この祭典という言葉に五輪の特別感がこもっている感じもする。そう、五輪は単なる大規模なスポーツの大会にとどまらない「お祭り」なのだ。聖火なんてものもあったりして、セレモニー感がある。多分、個人差はあるだろうけれど人間の本性にはどこか「お祭り」に掻き立てられるものがあって、だから「五輪」も特別に感じられるんだろうなあ、と思う。
 私は以前「羽生結弦選手に勝手に「至高性」を見てしまう」という記事を書いた。バタイユを生かじりした影響で書いた記事で、フィギュアスケート会場というある種祝祭的な空間の中で、羽生くんが自分自身を濃厚に蕩尽する、そこに至高性が見えるというような話。今回、五輪という、云ってみれば最高に祝祭性の高い時空の中で、羽生くんは、怪我をおしてとかいろいろなものを捨ててとかいわゆるさまざまな犠牲を払って自らを蕩尽した。祝祭の供物として己を捧げたとさえ云えるのかもしれない。その代わりに世界の他の誰にもできないような至高性を体現し、自らもえもいわれぬ至福を味わったのではないか、根源的にはそれが欲しくて羽生くんはあんなにも五輪での勝利を求めたのではないか。その経験の象徴として金メダルというものが手元に残るのだ。
 そして羽生くんの演技を観て、勝利の瞬間を観た人々も、羽生くんの姿を通してその至高性の一端を垣間見た、と云えるのだと思う。もちろん、そういった至高性を垣間見られる場は他のスポーツだったり芸術だったりなどなど世の中に他にもあるわけだが、私にとってとりわけそれが尖鋭的に感じられるのが羽生くんの演技、羽生くんのあり方なのである。


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02.17
Sat
 本当に、本当に、本当におめでとうございます!

 前回ソチ五輪で金メダルを取った、その瞬間から始まった「連覇」への四年間の道のり。
 そこへかかってくる期待ないしはプレッシャー。そして見舞われた数々のアクシデント。そんな日々の結果が、たった二分五十秒と四分半の演技で評価されてしまう残酷さ。でもそれを全部引き受けて、目標としてきたことを成し遂げた。すごいことだ。

 NHK杯練習での怪我以降は、その怪我の詳しい状況が全然情報として流れなかったこともあり、私としては「五輪に出られればそれだけでも上等なのか」という思いになったりもしたが、羽生くんが会場入りして、公式練習の様子や記者会見の様子で日に日に「羽生結弦らしさ」を強く感じられるようになってきたので「やってくれそう」という思いがだんだん強くなってきていた。自分の身体とスケートを信じるという羽生くんをただ信じればいいのだと。

 まだそれほど映像を観返せてないのだが、ショートでは「完璧さ」を、フリーでは「強さ」を感じる演技だったと思う。

 とにかく今はただ喜びでいっぱい。あらためて、心から、おめでとうございます!そして、ありがとうございます!


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02.11
Sun
 無事入国したようで何より。
 久しぶりにほぼリアルタイムで動く姿を観たし「どの選手よりも一番勝ちたいという気持ちが強くある」「どの選手よりもピークまで持って行ける伸びしろがたくさんある選手の一人だと思ってる」と羽生くんらしい強気な言葉も聞けてよかった。
 にしても「ジャンプ構成は現地で調整して決める」「構成の選択肢はたくさんある」って、まあ実際そうだからそう云っているだけなんだろうけれど、これ羽生くんと戦う相手陣営としては不気味というかやりづらいだろうなあ。
 現地でよい調整ができて、その時点で最良の選択肢をとることができますように。

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 私事ですが16日の男子ショートプログラム、せっかく時差のない五輪なのに、仕事でどうしてもリアルタイムで観られない。実は以前は休みを取ろうともくろんでいたのだが、この秋からのばたばたで休みを使い果たしてしまって残ってないのだ。そして仮にとれる休みが残っていたとしても、よりによってその日「ちょっと休みづらいなあ」というような予定が立て込んでしまって。あいまにネットで結果をチェックできるかどうかも厳しいかもだし、帰りも遅くなるかも。うう。悲しい。というわけで多分次にこのブログを書くときは、17日のフリーが終わって結果が出た後だろう。

 羽生くんが、試合によい状態で臨めて、思い描いてきた理想の演技ができますように。そしてそれにふさわしい結果がついてきますように。


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02.09
Fri
・NHKスペシャルで「強気な発言をするなと云われているが」という趣旨の羽生くんの発言があったのが気になった。誰から云われているのだろう?でも強気な発言をあえてしてそこに追いつくように自分を高めてゆく、というのは羽生くんのメソッドの一つだから強気な発言を無理に封じる必要はないよなあ、と思う。もちろん強気の程度にもよるけれど。
・NHKスペシャルで、プログラム構成を書いているときの横顔のアップがいいな、と思った。
・NHKスペシャルで「他の選手のことを自分が気にするより、むしろ他の選手が自分がどうするか気にしてるんじゃないか、その斜め上を行きたい」という趣旨の発言はカッコいいなと思った。これぞナンバーワンにしかできない発言ではないか。それにしてもNHKスペシャルには改めて羽生くんの「攻める姿勢、負けず嫌い」を痛感させられた。前にも書いたが泳いでいないと死ぬ回遊魚みたいに、何かに挑んでいないと生きている気がしないのだろうな。私は自分にそういうところが全然ないのでびっくりしつつ憧れるのである。
・NHKスペシャルに出てきた直筆の手紙、一番印象的だった文言は「自分の身体とスケートを信じ」だった。究極的にはそこなんだよなあ。どれだけ応援やサポートがあっても、最後のところでは羽生くんの身体ひとつ、その身体が生み出すスケート次第、なのだ。それを「信じる」という羽生くんを信じよう。
・an・anは情報的には目新しいところは特になかったような。ただ、スケート誌じゃない一般誌としては羽生くんについての記事、写真共に充実していたと思う。
・AERAの表紙でついにあの蜷川実花氏が羽生くんを撮ったということでえらい騒ぎになっている。私ももちろん画像を見てノックアウトされた。蜷川実花氏の『蜷川妄想劇場』という写真集を持っている。男性の俳優やタレントさん16人を撮ったもので、私の好きな堺雅人さんも含まれていたので買ったのだが、他の方のページもそれぞれにタイトル通り妄想を膨らませてくれる要素があって良かった。だから漠然と「いつか蜷川さんが羽生くんを撮ったらどんな感じかなあ」と思っていた。今回のAERAの表紙は期待にたがわぬ出来栄えである。GOE3、PCS10.00を連打したい気分である。で、今回の羽生くんは青い花を敷き詰めた上に横たわっている。青い花というと『青い花』というノヴァーリスの小説を連想するのだが、といっても読んでないので漠然と知っているだけだが青い花とは世界大百科事典第2版によるとこの小説をきっかけに「ロマン主義文学の根本理念である<無限なるものへの憧憬>を象徴する語となった」らしい。無限なるものへの憧憬、まさにフィギュアスケートという奥深いものを極めようとする羽生くんにふさわしいではないか。そういえばバラード第一番の作曲者ショパンはロマン主義の作曲家とされているではないか。ところで私はこのAERAを入手できるのだろうか。ネット書店では軒並み売り切れのようだし、さて書店でなんとかなるか。

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 平昌五輪いよいよ団体戦が始まった。宇野くんぶっちぎりトップということもあり今日は日本は三位発進だが、まあ普通に考えてトータルでは日本はメダルは厳しいのではないかと思う。という私の予想がくつがえるようなことがあったら嬉しいが。


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02.07
Wed
 実感がわかなくて困っている。羽生くんが連覇をかけた五輪が近づいているというのに。今日はNHKスペシャルもあったしan・anも買ったのに(余裕がないので感想は今は書かない)いよいよだという実感がわいてこない。これは多分、そういう実感がわいてしまうと、どきどきして緊張して日常生活に支障を来すから、無意識のうちに自分で実感がわかないようにシャットアウトしているんだろうと思う今日この頃。

 何はともあれ団体戦と4Lzを回避することにした羽生くんが最高の演技をすることを願って、オーサー氏の云うようにもちろん羽生くんのことをunderestimateなどせずに見守るのだ。


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02.03
Sat
 本題に入る前に、今朝「羽生結弦選手団体戦回避」という報が入ってきたことについて。私は以前記事にも書いたように「そもそも団体戦いらねえ、やるなら個人戦の後にやりやがれ」の人なので、羽生くんが団体戦を気にしてピーキングなど調整しなくてすむようになってほっとしている。その一方、羽生くんが万全な状態ならば団体戦のメンバーに当然欲しいだろうから、やっぱり怪我の影響でそこまで持ってくる余裕まではなかったということかなあとちょっと複雑。

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 最近更新されたマイレピ(会員限定)の「表現について」は印象的だった。羽生くん自身も自認しているように、音楽に対する感受性がものすごく豊か……それは耳が鋭敏で音や音色を敏感に感じとる感覚力の強さでもあるだろうし、音楽があらわしているものを掴み取る直観力の強さでもあるだろう、と感じたのだった。そしてその両方の力で、音楽の核にあるものと「コネクト」する力がものすごくあるんだろうな、と。音楽の核にあるもの……それはテーマとかメッセージとかと云い換えてもいいのかもしれないが、単にそれだけではくくりきれないもの。作曲した人に「この曲のテーマはなんですか、表現したかったことはなんですか」と質問をすれば、ある程度は言葉で答えてくれるかもしれないが、でも決して100%言葉にしきれないはず……100%言葉にできるようなものだったらそもそも音楽にする必要はないのだから。そんな、言葉ではあらわしきれない「何か」としか云いようのない「何か」と羽生くんはコネクトする力がずば抜けているのではないかと思う。
 そして羽生くんはそうやってコネクトした「何か」を、その持てるスケート技術、ジャンプ、スピン、ステップ等々全てを尽くしてあらわそうとするのだ。
 私が、羽生結弦というスケーターの演技を特別に好きだ、と感じる理由の大きなものはここにあるのではないかという気がする。音楽の核にあるものとつながり、そしてそれを体現する力。それを見ている側に波及させる力。
 もちろん、個々の演技においてそれが常に完全な形で実現できているとは限らないわけだが、しかしそれでも羽生くんの演技のベースには音楽との深いつながりがあるのは確かだろう。そしてそのことに対する自覚や洞察も近年どんどん深まっているのではないかと思う(野村萬斎さんや松田華音さんとの対談もこういった面で糧になっているだろう)。
 そして音楽に対する感受性がそのように強いからこそ、羽生くんにとって「自分が納得できる、好きでいられる曲」を選ぶことの重要性というのはとても高いのだろう。その見地から見ると、今季の「三季目のバラード第一番」「二季目のSEIMEI」という選択はあらためてなるほどと思う。

 「それにすべての感情は言葉にできるわけではありません。氷上は自分の言葉にならない感情も含めて「表現しきれる場所」だと思います」という羽生くんの言葉に羨ましさというか、もう嫉妬に近いものすら感じる。私は、言葉にならないものを表現したいという欲求は強いのに、非常に「言葉」に頼っている比重が大きく身体性が稀薄な人間なので「言葉にならない感情を身体で表現できる」ということに対してやまない憧れがあるのである。


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