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10.31
Tue
 エッジと云えばスケート靴の刃のこと、より正確に云えばスケート靴の下についている金属部分がブレードで、そのブレードのへりの、直接氷と接する部分がエッジである。つまりは、スケート選手がいろいろと身体をコントロールする、そのコントロールを氷に伝えるのはすべてエッジを通してということで、エッジというのは当然スケート選手にとってとても大事なものなのは云うまでもない。
 ところでこのエッジ(edge)という言葉、何やらいろいろと羽生くんのイメージと結びつく言葉だなあと漠然と思っていた。で、こないだ辞書で見てみた。たとえばgoo辞書はこちら。エッジというと、刃とか切っ先、あるいはふちとかへりとかそういうものを思い浮かべる人が多いのではないかと思うが、それ以外にもいろいろな意味が。
 上記goo辞書だと一つめの語義の中に「 (時代・状態の)境目」が含まれているが、これなんかすごく羽生くんっぽい。なんというか、羽生くん自体が、フィギュアスケートという競技の境界線つまりedgeそのものを形作り続けている感じではないか。極端に云えば、フィギュアスケートを通して人類のedgeをじわじわと広げているのが羽生くんである。そういえば以前「フィギュアスケート日本男子ファンブック」のサブタイトル(?)は「Cutting Edge」だったが「Cutting Edge」とは「最先端」の意味であるらしい。これもまさしく羽生くんぽい言葉である。
 次に「(がけ・水のある所などの)縁ふち,へり,きわ(brink,verge);((比喩的)) (…の)瀬戸際,危機((of ...))」とあるが、これもなんだかいつも限界ぎりぎりのところに挑む羽生くんのイメージとつながる。
 五番目には「(刃物の)刃;(刃の)鋭利さ,切れ味のよさ(sharpness)」という意味も出てくる。これは羽生くんの演技にあるシャープさや、羽生くんの頭の切れを連想させるところがある。
 その次には「(言葉・議論・欲望などの)鋭さ,痛烈さ,強さ,激しさ」とある。羽生くんの「勝ちたい」とか「新しいジャンプを跳びたい」とか「いい演技をしたい」とかいうもろもろの欲望の強さ、激しさもまたedgeという言葉を使うのもふさわしいかもしれない。
 八番目には「((特に米)) (…に対する)優位,優勢,強み」と出てくる。羽生くんはその実力でフィギュアスケート界でedgeを持っている、という云い方もできるのかもしれない。
 あと熟語でon (the) edgeというのも羽生くんっぽい。二つ意味があって、一つめは「〈人が〉過敏な,極度に感じやすい;いらいらした,神経質な;緊張した,興奮した,ぴりぴりした」これはわりと、特に試合前の羽生くんの感じを表しているかもしれない。そして二つめは「しきりに(…)したがって,(…しようと)じりじりして((to do))」である。新しいジャンプを跳びたくてしょうがない羽生くんの感じなどにも使える表現なのかもしれない。
 なんにしても、edgeという言葉の全体的なイメージに、きわどさ、鋭さ、あやうさ、といったものが感じられて、それは羽生くんのイメージととてもつながりあう感じがするのだった。羽生くんはスケート靴のedgeを操ってきわどくあやうい軌跡を描きながら、自らもきらめくedgeとなってフィギュアスケートの一時代を鋭く切り開いてゆく、そんなイメージ。羽生くんはとてもedgeな人なのだ。
 とか勝手に思ってみたのだが、私は英語勘があるわけではないので全然見当外れのことを云っていたらごめんなさい。

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 スケートカナダの映像もまだほとんど観ていないのだが、宇野くんは安定してある程度以上のスコアを出せるところが強みだなあ、と思う。無良くんが最下位に沈んだのは残念。それにしても日本男子の五輪枠のうち二つは、よほどのことがないかぎり羽生くんと宇野くんだろうというのはほぼ意見が一致するところかと思うが、三枠目は本当に混沌としてきたなあと思う。私は特に三枠目は誰がいいと思う、という意見や誰だと思う、という予測は特に今のところないのだが、やっぱり山本草太くんが万全ならなあ、という気持ちはある。


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10.25
Wed
 まだまったく落ち着いて映像を観返せたりしてないのだが、とりあえず現時点で思ったことなどをちょこまかと。しかし「GPシリーズ初戦で勝てない」というのはもはやこの時期の風物詩と化しつつあるのか、と可愛くないファンは思うのだった。

・わかっていたことではあるけれど、やっぱり羽生くんは骨の髄までアスリート気質なんだな、と。ショートもフリーも過去プログラムというのは「表現を洗練して完成度を上げたい」というのもあるとしても、むしろ「過去プロをやることで新ジャンプへの挑戦がしやすくなる」という方が強かったんだなあ、と。「新しいおもちゃを手にした子どもみたいにジャンプに夢中」とオーサー氏に表現された羽生くん、やっぱりどーうしても「4Lzという新しいおもちゃ」が欲しかったんだな、と。挑戦していないとダメ、というのは泳いでいないと死ぬ回遊魚みたいな感じなのか、とか。とはいえ、欲張りな羽生くんはもちろん表現面での洗練だの完成度だのを捨てたわけではないと思うし、今回も別に表現面がダメだったというわけではないので、そのへんの高度な融合を今後に期待したいと思う。あと、4Lzを入れることについてフィジカル的な負担がどうなのかとかいうことは別として、ファン心理としては「これで3A二本が可能になるなあ」というのはむしろ安心感が増した気が。ただ最後のジャンプの後はすぐスピンが詰まっていて、そこまででコンボ券を捨てていてもそこで回収するのは難しそう、というのだけがちょっと残念。しかし4Loにしても4Lzにしてもオーサー氏が「無理して新しいジャンプに取り組む必要はないんじゃない?」羽生くんが「いや、新しいジャンプやりたいです」というのがパターンだが、結局オーサー氏が一度は慎重な姿勢を示すことで、羽生くんの意志をより強固にし「自分の選んだことだから」という意識をより強く持たせることにつながり、結果的にその挑戦を後押ししているということじゃないかという気がしてきた。
・ショートの衣装、やっぱり私は14-15シーズンヴァージョンの最後あたりのが一番好きだが、今回の新衣装、袖と脇に金色の三角がなくなった分、前のよりは好きだ。衿の金色の飾りの感じも、ノーブル感が増していいと思う。
・フリーの衣装はやはり軽くなったということで何より。上衣の衿のところについているアクアマリンみたいな色のストーンが綺麗。
・羽生くんのジャージの脱ぎ方がエロいというのが話題になったが、私はそのシーンをテレビ放送時には見落としていたかぼーっとしていたかで気づいてなかった。あとで観て、なるほどエロい、本人は無意識だろうからなおさらエロい、などと思ったが。ただ、放送当時には、その少し後にあったこの表情にゾクゾクした。画面撮りなので画像は綺麗ではないが。それにしても最近清冽な色気が絶賛増量中だな、と思う。
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・ショートプログラムでツイズルの後に片手を前に出す動作がなんかいいな、と思った。
・ショートプログラム後のインタヴューで、羽生くんの視線が右の方をめっちゃ見ているのが気になった。普通だと、ちゃんとインタヴュアーの方を向いて答えなければ、と羽生くんの性格なら思っていそうなので、よほど気になるものが右の方にあったのか。たとえば自分の演技のリプレイ映像とか?
・Notte Stellataは何度観てもいい。今回は特に完成度も高かったような。あと、集合写真時に羽生くんを持ち上げてくれたホタレックさんありがとう。
・四回転ジャンプはみんな友だち、という発言を聞いて、なぜか「悪そうな奴はだいたい友だち」というフレーズが頭をよぎった私。しかしやっぱり「いい質でないと試合に投入したくない」というプライドはさすがだな、と。加点とれるかどうかわからないけれどぎりぎり跳べるかも、みたいな状態では入れたくないんだな、と。そのこだわりは好きだ。現に今回の4Lzも根性降りではあったけれど加点を引き出すだけの質を持っていたし。
・そして平昌五輪後の現役続行示唆、4Aへの意欲明言。うん、そうだろうな、という気がしてた。特に自信を持ってそう思っていたわけではないけれど、平昌を終わったからってやめる理由が見当たらないなあ、と。羽生くんの能力自体が限界に達した感じはしないし、そうなるとあれだけ挑戦好きの人がそうそうたやすく競技から離れられないのでは、と思うし。そして4Aというのはやはりすさまじく魅力的なおもちゃには違いない。そして、今高難度四回転をがしがし跳んでいる若手でもそう簡単に手が出せそうにないおもちゃでもある。さらに、ルールが変わることで、プログラムの時間が短縮され、ジャンプの本数が減る。ということはジャンプ一本あたりにかけられるエネルギーは単純計算で多くなりそうだ。これは4A挑戦を後押しする条件とも云えるのではないだろうか。あとはフィジカル面にくれぐれも気をつけてさえくれれば。

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 ところで、もちろんチェンくんに勝てなかったのは残念だが、それはそれとして、私は今季のチェンくんのプログラムがわりと好きである。ショート、フリーともに全然王道感とはかけはなれたところにある感じとか、衣装がとてもシンプルなところとか。「羽生くんにしか着こなせない感満載の衣装」ももちろん好きだが、シンプルなのも好きな私としては、今回のチェンくん並みにシンプルな衣装で羽生くんに演じてもらいたいという夢想もあるのである。


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10.21
Sat
 いつも勝ちたい、いつもノーミスしたい羽生くんとしては悔しい結果だと思う。それに「GP初戦は鬼門」とか云われているのをくつがえしたい気持ちもあったかも。でも何はともあれ4Lzに挑んだ、そして成功したのは何よりだったと思う。ただあまりにも「根性降り」だったもので「右膝ーっっっ」とか叫びたい気持ちになったけれど。あと、ショート、フリー共にLoがはまらなかったのはやはり右膝の違和感があったことからの調整不足だろうか。
 何にせよ、今後に向けてはいい糧になる試合だったと思う。それと、フリーで一位を取れたことも自信につながるのではないだろうか。
 また後日もうちょっと感想など書けたらと思っている。まだ報道などもあまりチェックしていないが今日は取り急ぎ。


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10.17
Tue
 ばたばたしてるのだが、ばたばたしてるなりのテンションみたいなものがあって、今日はわりと動けたので一日でコンプリートしたクリアファイル。
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 報道ステーションも印象的だったし、ピアニストの松田華音さんとの対談もすごくよくて「ブログに感想いっぱい書きたい!(じたばた)」となっている。けど、書くだけの時間とエネルギーを捻出できるのはまだちょっと先かも。うう。

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 田中刑事くんのロステレコム杯欠場残念。羽生くんも残念がってるだろうなあ。早く回復しますように。



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10.15
Sun
 なんかばたばたしてるが、またクリアファイルミッションがあるらしいとか『王者のメソッド』文庫化だとか仙台でポスター展があるらしいとか情報は一応追っている。あと、長久保コーチがご家庭の事情でチームを離れたというのでびっくりしたり、グレイシー・ゴールド選手も拒食症がらみでお休みということで胸が痛かったり、ジュニアグランプリの女子シングルでファイナル進出、紀平梨花ちゃん以外はロシア勢ばかりということでひえーとなったり。
 で、長久保コーチじゃないが、私もどうやら家庭の事情というやつで、NHK杯もグランプリファイナルも全日本も現地に行くのは無理っぽい。というかそもそもチケットとれるのかという話もあるのだが、そういうことになりそうな気がしていたので、実はあまり積極的にチケット獲りにエントリーしてなかった。おそるおそる入れていた分も無事(?)外れた。でもまあ、現地に行かなきゃ応援できないということではないし、羽生くんは現地に行けるわけではない大勢の人の気持ちもちゃんと受けとめてくれているのはわかっているので。
 さて気づけばロステレコム杯まであとちょっと。その頃もまだばたばたしている可能性が高そうで、せめてテレビ放送はオンタイムで観られたらと思っているが。
 とりあえず今日のところは生存報告みたいなところでこれでひとまず。ああ、書きたいネタはあるのになあ……。


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10.09
Mon
 トロントのメディアデー以降の各社の雑誌が「うちの雑誌の羽生くんの写真いいだろう!(えっへん)」「うちの雑誌の羽生くんの独自取材記事いいだろう!(えっへん)」という感じで次々出てきている。最近出たフィギュアスケートLifeとSportivaはどちらも写真も充実していたが、独自取材の部分が結構表現面に触れていて面白い。Hope & Legacyは「自分を無にした」「沖縄の古民家みたいにすべてを受け入れる」ということで、それであらわした自然、風景を「キャラ立ちしている」SEIMEIに取り込んで、キャラと風景の両方をあらわしたいという。叙景であり叙事でもある作品にしたいということか。もともと初演の時から、私にとってはわりと安倍晴明というキャラと、和の森羅万象というものが両立して見えていたプログラムだった。ただ、Hope & Legacyを経験したことで、自然、風景といったものをあらわすのに「自分を無にする」感覚がよりしっかりとつかめたことで、SEIMEIの表現が今回さらに彫り深くなってゆくのだろうという気がする。「キャラクターを打ち出す」叙事と「自分を無にする」叙景のより高度な融合。簡単ではなさそうだが、ただ、安倍晴明というキャラクターがもともとそういった自然の神秘のようなものに深くかかわるキャラクターであること、羽生くんが安倍晴明というキャラクターに親和性を感じており、また自身も自然を感じたりするのが好きだと云っていること、そういったことからきっと、本人が云うように「いろんなことを学んできただけのことはある」という表現を、なしとげてくれるだろう。
 完全に憑依型の人の場合のことはよくわからないが、そうでない場合、表現はやっぱり基本的に「自我」があるからこそ何かを感じる、それを表現したいわけで、ただ、結果としてそれを表現にするときには、自我を濾過しないといけないわけである。自我がベタベタに貼りついたままの表現はただのうっとうしいものになりがちだから。どの程度濾過しないといけないかは表現する題材などによっても違ってくるが、おそらく自我が非常に強いタイプと思われる羽生くんは、「濾過」ということをHope & Legacyを通じてこれまでで一番徹底して行うことを経験したのではないかと思う。ある意味、SEIMEIでは、ちょっと人間離れしたところのある安倍晴明というキャラクター自体が、羽生くんの自我をほどよく濾過する媒体としても働くかもしれない。

 Sprotivaの方にあった「音の取り方」についての話も興味深かった。すべての音を取ればいいというものではない、メリハリをつけないと、という話は、萬斎さんとの対談にあった緩急、序破急の極意といったところと密接につながっているのだろう。

 にしても、ここで触れなかったバラード第一番などについての部分も含めて、羽生くんの表現をめぐる話は本当に面白い。云ってみれば、今季の表現には昨季までの経験が活きるんですよ、というのは羽生くんだけでなく他の選手にとってもまあある意味当たり前のことなのだろうが、それをすごく立体的に言葉にしてくれるので読み手としてはとても楽しい。
 そんなわけで、羽生くんの言葉を追っていると、表現について上記に述べたようなことなどをついついごちゃごちゃと考えてしまうのだが、ただ実際に演技を観るときには、とりあえずは何も考えずにただ無心に味わいたいものだと思う。というかだいたい、試合の時はどきどきしていて、あとになって「表現としてもすごかった」ってなったりするのだが。

 ところでLifeの方に「平安貴族が歌を詠んでいますという場合に背景としてたとえば障子や畳が浮かぶ」という話が出てきて、私は「平安時代に障子ってあったっけ?」と引っかかってしまい、ネットで調べたら、今障子と云われて一般的に発想するような、格子の枠に和紙を貼ったようなタイプのものは云ってみれば狭義の障子で、障子という言葉はもともと何かを遮るものの総称であるらしい。つまり平安時代といって連想するような御簾だの几帳だのも、障子に含まれるということらしい。羽生くんのおかげで一つ賢くなった。あと、畳は平安時代にはあったけれど、部屋一面に敷き詰めるのではなく、板床の上に部分的に置いて使っていたらしい。

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 オータムクラシック直前くらいには届いていたのだが今ごろ貼ってみる。YUZU Airwaysのチケット。この機長は乱気流にも突っ込むけれど、絶景も見せてくれるのでフライトを存分に楽しませてもらおうと思っている。
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 と、ここまで書いて、さらにジャパンオープンとかカーニバルオンアイスとかについても少し触れようとか思っていたところ、ちょっと忙しくなってきまして。しばらく更新頻度が下がったり、とりあえず的な短い記事しか書けなかったり、コメント返信が遅くなったりするかもしれません。ご了承いただけますと幸いです。書きたいことはいろいろあるのでできるだけ書こうとは思っていますが。


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10.05
Thu
 アイスダンスの村元リード組が五輪枠を獲得したのはめでたい。ただ、それで日本が団体戦の出場権をほぼ確定したというのはめでたい……のか?
 いや、もちろん、日本のフィギュア陣がそれだけの実力があるのだよ、という意味ではめでたい。しかしソチ五輪の時から、どうしても団体戦というものの存在と、そのスケジュールについてはすっきりしない気持ちが消えないのだ。
 団体戦には個人戦にはない種類の面白さがあるというのは確かだ。それから、団体戦というものがあることについて、選手たち本人は本音のところではよいと思っているのか悪いと思っているのか知らない。ただ、いちフィギュアスケートファンとしてどうしても「なんだかなあ」と思ってしまうところがあるのである。
 ソチ五輪の時に一番引っかかったのは団体戦が個人戦より先にあることである。そして残念ながら平昌でもそれは変わりないようだ。フィギュアスケートみたいにピーキングがデリケートな競技で、短い間に団体戦と個人戦を連続して戦う選手がいる一方で、個人戦にだけ焦点を当てればいい選手がいる、というのはなんだか不公平な気がする。
 もっとも、団体戦に出ることの影響がすべてマイナスとも限らない。たとえば、ソチで羽生くんは団体戦ショートに出たことで、個人戦のショートプログラムはひょっとしたら「慣れ」のアドバンテージがあったかもしれない。とはいえ、フリーが不本意な出来だったのは団体戦からの連戦での「疲れ」もあった可能性も否定できない気がする。
 なんにしても、団体戦の影響がメリットであれデメリットであれ、それがある選手とない選手がいるというのは、個人戦にとって不公平だという感じがぬぐえない。四種目の、ある程度以上実力のある選手をそろえられる国が限られることから考えても、フィギュアスケートのメインはやはり個人戦だと思うので。
 団体戦をやるならば、せめて個人戦より後ろに持ってきたらいいのにと思う。そして、団体戦にエントリーする選手は試合の直前発表にすればいいのではと思うのだ。一応、各チーム内では誰がショートで誰がフリーという決定は事前にしておく必要はあると思うが、個人戦の成績やその時の疲れ具合などによっては起用する選手を替える余地を残しておく。そうすると「ここの国は誰を出してくるだろう」みたいなわくわくも直前まで楽しめていいんじゃないかと思うのだが。選手も「個人戦の勢いを活かしてそのまま行くぞ」とか「個人戦の雪辱をはらすぞ」とかのモチベーションが作りやすい気がするし。
 そもそも、個人競技色の強いフィギュアスケートで、それらを組み合わせて団体戦をやることに正直なところあんまり意義を感じない。五輪だけでなく、国別対抗戦も、観られる試合の数が増えるという意味ではありがたい面もあるし個人戦と違ったタイプの盛り上がりという楽しみもあるし実際私も観に行ったけれど、競技としての存在意義という点に関して云えば、うーん、なのである。五輪のように個人戦と立て続けではないものの、シーズンの山を越えて疲れ切っただろう時期にくるものでもあるし。
 というか、団体戦というなら、文字通り団体で、シンクロナイズドスケーティング的なもので戦ったらどうだろうか。そういう競技がもっとメジャーになれば、スケート界自体の層も厚くなりそうな気がするし。個人戦には向かないけれど、他の人とアンサンブルで滑るのはわりと得意、というようなタイプの選手だっていそうな気がするし。

 ま、団体戦、あるならあるでそれなりに応援もするし楽しんで観戦もすると思うけれど、それはそれとして個人的に思っていることを書いてみた次第。

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 先週末の王様のブランチで、結婚したいアスリートアンケートの一位が羽生くんということだったようだが、その類のアンケート結果を聞くたび思う。羽生くんと結婚してもおかしくない年齢でファンになって目をきらきらさせて「羽生くんと結婚したい」とか純粋に思ってみたかった。今の私は残念ながら「羽生くん大好きだけれど仮に年齢とかが釣り合うとしても結婚したいかっていうとちょっとな……いろいろな意味で面倒くさそうだから」という純粋さのない奴になりさがってしまっているのだった。


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10.03
Tue
 福岡では約一週間遅れで9月30日(土)に放送された「神様に選ばれた試合」の羽生くん部分について、若干の感想を。

◯SEIMEIの新衣装
 初めて比較的いい映像で新衣装を見た。白い生地に白い地模様があるのが綺麗だ。全体に前の衣装よりやや透け感がある感じもいい。以前の記事のコメント欄に「白の下に古代紫が透ける感じなどどうか」みたいなことを書いたのだが、わりと近い線行ってるかも。透け感はさほど強くないし、紫も古代紫ではないけれど。あと、襟元と袖口の緑が、前のSEIMEIではわりと黄緑系だったのが、今度は深緑系になって、私は今回の方が好きである。ただ、ウェストの金色がより強調されたのは、私は前の方が好きかな。
 身頃や袖に、キラキラで模様がついている。前回のものより模様が局在化され、より模様の存在が目立ちやすくなった感じ。悪くはないが、白地に白の地模様というのをもっとはっきりさせて(つまり生地をより薄めにして地模様がよりはっきり出るようにする)、逆にキラキラ模様はなしですっきりさせた方が好みかな……と思ってしまうが……しかし私の好みで行ってしまうとシンプルなのが好きなあまり、フィギュアスケートの衣装としては「ただの地味」になりかねないので今のくらいでちょうどいいのかも。

◯自分の演技を観ているときの羽生くんの手
 2015年GPFの自分の演技映像を観ながら、振りをなぞるように羽生くんは手を動かしていた。その手の優美な動きに思わず見とれた。

◯ゾーンに入らなくても
 羽生くんの話の中で一番興味深かったのは、2015年NHK杯は無我夢中だったが、GPFは冷静にコントロールしている状態だったということ。ゾーンに入らなくてもこれだけできるのだ、という自信になった、ということ。
 それは非常に大きな収穫だと思う。なぜならゾーンは狙って入れるものではないから。ゾーンは「入れたらラッキー」というようなものであろう。ゾーンを期待して練習を積むわけにはいかない。あくまで、できるだけしっかりと自分をコントロールする、という意識のもとで練習しておくしかない。そしてその状態でも、記録と記憶に残る会心の演技ができたという実績があることは、練習を積む大きな支えになっただろう。
 安藤花恵さんという方が演劇俳優の熟達化について研究されていて、以前ちょっとかじる程度に話を聞いたことがあるのだが、役者は役の感情に入り込む「役の視点」と観客からどう見えているかという「観客の視点」そして芝居の次の段取りなどを冷静に考える「俳優の視点」の三つを持っているものらしい。神がかり的になって演技をする人、神がかり的に演技をする場合、というのも存在するかも知れないが、通常はそうではなく、三つの視点を同時並行させながら演技をしているのであろう(このあたり「憑依型と自力型」という記事に書いたことともつながってくる。また、俳優の熟達については来月話を聞く機会がある予定なので、そこで何か面白いことが聞けたらまた書こうと思う)。おそらくフィギュアスケートにおいても「どのような内容を表現するか」という視点と「観客やジャッジにはどう見えているか」という視点、そして「次に自分は何をするのか」という視点の三つを上手に同時に使いながら演技するということが大事なのだろう。いわゆるゾーンに入れば、意識しなくともこの三つが自然と融合するのかもしれないが、現実問題としてはこの三つの視点のバランスを上手にとって冷静に自分をコントロールできるのがベストなのだろう。そして羽生くんは基本的に、そのバランスをとることに長けているのではないかという気がする。観客やジャッジにどう見えるかということはもちろん常に意識していることは言葉の端々からうかがえる(観客の視点)。自分が次に何をするのか、場合によってはどう予定構成を変更するのか、それによってザヤらないか、などの冷静な視点もいつも保っている。たとえばこの2015GPFでも「ステップでレベル4をとらなければ」というような冷静な段取り計算をしている(俳優の視点)。さらにこの2015GPFではそれらと同時に「世界観にも入り込んでいた」という(役の視点)。三つの視点の共存、コントロールがとりわけうまくいった試合だったということなのだろう。
 今後も、羽生くんがうまくゾーンに入れる幸運がやってきたらいいなとも思うが、そうでなくても、羽生くんらしいコントロールがうまく効いた演技がたくさんできますように、と願っている。


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