09.29
Fri
 オータムクラシックでショートが良かったのにフリーが崩れた理由については、もちろん本人もしっかり考察していると思うし、いろいろな方がすでに考察している。中庭さんが云うように右膝をかばった動きになったからという部分もあるだろうし、小塚さんが云うように前半のジャンプは本来四回転で準備していたものが三回転になるというのは難易度が下がっても身体の感覚が違うから難しいという部分もあるだろうし、織田さんが云うようにジャンプのリズムを一度外すと戻すのが難しいという部分もあるだろう。そもそもそれらは右膝の違和感のために直前に練習が積めなかったということに起因している。それでショートは何とかもちこたえてもフリーまできれいにやりおおせるのはちょっと難しいということもあっただろう。だから、右膝の状態さえよくなれば(そして他に不調などを隠しているのでなければ)本来の出来を取り戻せるだろうと思う。くれぐれもお大事に。
 むしろそれだけコンディションが万全ではない状況でもショートで世界最高点をたたき出せたのは、ショートは新構成を何度かショーで披露していたという慣れのアドヴァンテージもあったかもしれない、とも思った。それに比べてフリーの方は新構成はオータムクラシックが初披露であったから、慣れという面でも不利ではあっただろう。
 羽生くんは「慣れ」ということが比較的大きく影響するタイプかもしれないな、と何となく思った。「いろんなものをつかんで離してより、一つのことをずっとやる方が」みたいな発言がファンタジーオンアイスのパンフレットであったかと思うが、ジャンプ構成に慣れる、プログラムの曲に慣れる、そういったことが他の人より大きく影響するかもしれない。今回フリーで崩れたのも、右膝の影響で慣れないジャンプ構成だったというのはあるだろう(とはいえ、本人がちょっと「雑念」として考えたように4Loを跳びに行って膝を悪くしても困るので、ジャンプ構成を今回下げたのは致し方なかったと思うが)。慣れないジャンプ構成でも、たとえば本人が試合中にとっさに思いついた、リカバリのためのジャンプ構成変更というように、本人が自分で望んで攻める方向で変えるのであればまだしも比較的うまくゆきやすいが、今回のように、慣れない上に、自分の意志というより身体の状況のために不本意な形で守る方向で構成を変えるというのはなかなかつらいのだろう。
 私が以前の記事で推測したように、もし羽生くんがHSPであるとしたなら、慣れの影響というのが大きいというのは十分あり得ることだと思う。いろいろなことに敏感に反応して神経がすり減りやすいHSPは、往々にして変化が苦手である。私自身が典型的にそうであるから実感として分かるのだが、予定の変更だの慣れない状況だのは苦手だし、たとえば新しい何かにチャレンジするというような場合は、それ以外の面での不確定要素をなるべくつぶしておきたいのである。
 発達心理学の概念で「安全基地」というものがある。幼い子どもが主な養育者(多くの場合は母親)を、そこに戻れば安心だという「安全基地」として、少しずつ探検したりして外界への接触を広げてゆくというものである。この安全基地は、小さな子どもにとって重要なだけではなく、大人にも必要だと云われている。大人も、家族、友人、恋人や配偶者といった人を安全基地として感じることができれば、外界とのかかわりがよりうまくできるものらしい。あるいは、人でなくても、打ち込める仕事や趣味といったものが安全基地の役割を果たす場合もあるし、たとえば自分の中に頼れる考え方や価値観を持ったり、大切な思い出を思い出したりという形で、自分が自分の安全基地になるというようなことも可能である。安全基地は必ずしも単数の人や物事に限られる必要はなく複数持っていてもいいし、むしろその方が望ましい。
 外界への接触で疲れてしまいやすいHSPにとっては、それ以外の人よりもこの安全基地の重要度が高いかもしれないと思う。もし仮に、羽生くんがHSPであったとしたら特に、この特別な五輪シーズンに向けて、新たなジャンプ構成で挑むに当たって、より「安全基地」的なものを強固にしておくに越したことはないと思うのだ。もちろんHSPでなくても安全基地がしっかりある方が望ましいわけだが。
 羽生くんにずっと付き添っているお母様はもちろん安全基地としての役割を果たしているだろう。「顔が安定している」プーさんも心理的なよりどころとして安全基地っぽい役割を果たしているのだろう。クリケットクラブやそのスタッフも安全基地だろう。特に最近、オーサー氏への羽生くんのコミュニケーションの取り方が積極的になってきたというのは、クリケットの安全基地としての存在感が増しているということではないだろうか。そして「逃げたいことがあっても、心がつぶれそうになっても、スケートが好き、やっててよかったと思う」というわけで、スケートそのものがそういう意味では安全基地である。
 加えて「慣れた曲」というのも、羽生くんにとって安全基地めいた役割を果たしているのだろう、と今回なんとなく感じた。子どもが新しい世界を探検するのに、背後に養育者の存在を感じているのが大事なように、特別なシーズンに新しいジャンプ構成に挑むのに、背後を「慣れ親しんだ曲」が守ってくれている、という感覚はひょっとしたら羽生くんにとっては、一般に思われている以上に重要度が高いのかもしれない。
 だから、今回少々コンディションが十分でなくても、三季目でありショーですでに新構成を披露していたバラード第一番は結果を出せたのかもしれない。そして、SEIMEIも、コンディションさえよくなってくれば、きっと新構成に挑む羽生くんの背後をしっかりと守ってくれるだろう。

 「自分を応援するファンがいる」ということも、プレッシャーになるだけではなく、安全基地のような役割を果たせていたらいいな、ともちょっと夢想してみたりする。

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 ところで、羽生くんがフリーを終えた後「雑念が」と云ったのは「3Lz失敗したので4Lo跳んでしまおうか」といったことだったようだが、私は「雑念」という言葉を聞いたときまず「え、みんなから『また3Lzが散歩した』って云われてしまうとかそういう雑念?」と思ってしまったのであった。

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 山本草太くんが中部ブロック大会で試合復帰したとか。どうしているか気にはしていた。実のところ、彼がジュニアで活躍している頃は、彼が平昌の代表争いに食い込んでこないかなあと期待していたものだ。ちょっと状況的にそれは厳しそうだが、怪我明け、少しずつがんばってくれたらなと思う。


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09.27
Wed
 オータムクラシックやそれをめぐる報道に関して印象的なことはいくつかあるが、今日はこちらの記事にあった下記の記述を。
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集中力の弱さ、いい時悪い時の差が激しいのは、僕のスケート人生の中で永遠の課題。だからこそ、もっともっとガラスのピースを1つ1つ積み上げて、きれいなピラミッドにするんじゃなくて、粗くてもいいから頂点まで絶対にたどりつくという地力も必要。もろいからこそ、積み上がったときにすごくきれいなものになるというのも僕の特長。
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 これ読んで、羽生くん、自分のことよくわかってるなあと思った。「ガラスのピースを積み上げてきれいなピラミッドにする」ってまたまたポエム的表現が出てきたなとも思ったが。でも的確な表現だと思う。
 「粗くてもいいから頂点まで絶対にたどりつくという地力」が欲しいという気持ちはそりゃあるだろうな。オータムクラシックのショートとフリーで端的に明暗が分かれたように、羽生くんは「だいたいいつもノーミスかそれに近い形で安定した演技ができます」というタイプではない。だからこそいつも安定した強さを発揮していたプルシェンコ様は羽生くんにとって永遠のヒーローなのだろうし。
 で、競技者としての成績という意味では、それはもろさがなくて、安定して常に一定以上の実力を発揮できる方がいいだろう。しかしもし羽生くんがそういうタイプだったとしたら、演技のテイストは今と違ったものになっているだろうな、という気がする。
 競技者としての安定性は度外視して、いちスケーターとしての総合的な魅力のようなものに目を向けた場合、やっぱり羽生くんは「ガラスのピースを積み上げる」タイプだからこその輝きがある。もっと丈夫だったり積み上げやすかったりする素材のピースが羽生くんは欲しいのかもしれない。ガラスのピースは形によってはつるつるして積み上げにくかったりもするだろうし、取り落とせば砕けて、破片で血を流す可能性もある。でも、ガラスのピースにしかない美しさというものがある。そして、私は「ガラスのピース」に喩えられるような演技が出来る他のスケーターというのがちょっと思い浮かばないのだ。そして羽生くんも、そういうあやうさがあるからこその自分の演技のきわどい美しさ、ということを上記の発言を見る限りよくわかっていると思う。たとえば二季前に世界最高点を連発したときの各演技や、昨季の世界選手権フリー、そして今回のオータムクラシックのショート、そういうときは目もくらむように美しくピースが積み上がった芸術品が現前する。一方で、たとえば、昨季の四大陸フリーのように予定通りには積み上がらなかったけれどそれはそれでカッコいい形になった、というような場合もある。おそらく、羽生くんの性質が何かの原因でとても大きく変わるようなことがない限り、羽生くんのスケートはガラスのピースの積み上げであり続けるだろう。もろさ、はかなさと背中合わせのきわどい美をこれほど尖鋭的に築き上げるスケーターは他にいないと思っている。

 私はガラスというものが何となくずっと好きである(そういえば自分の五行歌集のタイトルも『硝子離宮』である)。おみやげやさんなどにありがちなガラス細工の類を、子どもの頃などはわりと買ってしまったりしていたし、ガラスのおはじきやビー玉も今さら遊ぶわけでもないのに後生大事に持っている。あと、あまりアクセサリー関係に力を入れる方ではないのだが、そんな中でも気に入っているもののいくつかはガラス製品だったりする。それで、羽生くんが自分のスケートをガラスのピースに喩えたのを知り、その比喩が全く的確だなあと思って「そりゃガラスの好きな私は羽生くんを好きになるのも道理だわ」と改めて思った次第である。
 こちらの記事でオーサーコーチが述べている下記のことも印象的だった。
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"When you see him on the ice, there's something special," Orser said. "There's something about his speed, his flow, his triple axels, even the quads. When you see him with other guys you can see the difference. It's hard to find the words, but there's something special about his freedom when he skates."
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 私は素人なりに、羽生くんにsomething specialを感じるからこそファンなのである。これを読んで、玄人中の玄人であり羽生くんを身近に見ているオーサー氏にとっても羽生くんのスケートにはsomething specialが感じられるのだなあとなんだか嬉しかった。
 オーサー氏がどのようなところでそれを感じているのかはもちろん具体的な実感としてはわからない。ただ、私にとっての羽生くんのsomething specialには「ガラスのピース」だからこそ、という面はあるな、と思う。
 それから、ガラスがなんとなく好きでかつてうっかり買ってしまったもののうちに、ガラスアート作品の写真を集めた文庫本サイズの本がある。それを見て、ガラスを扱うにもいろいろな技法があって、いろいろな人たちがそれぞれに個性的な作品を生み出しているのだな、ということがわかった。
 羽生くんのスケートも、ガラスのピースの積み上げであることは共通しているけれど、プログラムごとに、また一回の演技ごとに、それらのピースは色や形、質感にヴァリエーションを見せる。今後も、どんなガラスアートがあらわれるのか、楽しみに観てゆきたい。

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 2019年の国別対抗戦が福岡開催に決まったとか。私としては旅費をかけずに観られるチャンスなのでぜひ行きたい。羽生くんがその頃まで現役を続けていて出場するのか、そうだったとしてチケットを取れるのかという問題はあるけれど。でも仮に羽生くんの出場がないとしても、せっかくの地元なので、状況が許せば行こうと考えている。


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09.25
Mon
 フリーの結果は残念だったけれど、この時期に毒出しができてよかったと捉えておこうと思う。

 いやもちろんいろいろ思うことはあるし書きたい気持ちもあるんだけれど、書くとしてももうちょっと落ち着いてからにしようかと。なぜ落ち着いていないかというと羽生くんの結果にショックを受けてるからではなく、完全に私事ですが、実は昨日、趣味関係の会合のためかなり遠出の往復をしたのだが、朝、新幹線乗車駅に向かうべく自分が乗ったJRが不運な事故を起こしてしまって。もちろん私には事故に対して何の責任もないし、怪我なども全くなかったが、事故車両に乗り合わせたという事実は脆弱な精神の持ち主にとってはいろんな意味でしんどい。皆さまに、そして羽生くんにそういうことがありませんように。
 で、羽生くんは昨日の試合中に雑念に囚われていたと云うが、私も羽生くんが試合をしている時間帯、上記のようなわけで完全に雑念だらけであった。その頃私は予定よりかなり遅れて新幹線にようやく乗って、途中で合流するはずだった人たちや、行く先の人たちに「新幹線に乗れました。○時頃つきます」みたいな連絡をあわただしくしていたので。せめてちゃんと集中して応援の念だけでも送りたかったな。
 まあでも、行った先で、私が羽生くんファンだと知っている一部の人から「昨日のショートプログラムの羽生くん良かったですね」的なことを云ってもらえてそれは嬉しかったのだった。


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09.23
Sat
 なにー右膝に違和感ってやっぱり4Loの影響?今回は4Loを外して難度落とすって?まあそりゃあしょうがないわね大事なシーズンだからねー無理しないのが一番、ていうか、そういうときちゃんと抑えることができるようになったんだねーえらいえらい。ま、初戦だし試合勘をつかむくらいのつもりでやればいいよねー……とか思ってあまりなめらかでないライヴストリーミングを観てたら、あれ?なんかすごくいい感じかも?でも私の観ていたライストは最後の方で固まってしまったので、他で情報を拾ったら……112.72点で世界最高点更新!
 とりあえず動画で三回くらい演技を観返した状況でこれを書いている。
 美しい。なんというか、バラード第一番を演じているというより、もはや羽生くん自身がバラード第一番の化身となりつつあるのではないだろうか。
 スケートはなんだかんだ云って足元の動きが大事だというのはわかっているが、私は今回手の動きに目をとられた。顔芸という言葉はあるが、羽生くんの手の動きは手芸だなあ、と。手芸っていうと編み物だの刺繍だのパッチワークだのと同じ字面になってしまうが、手の動きが芸術的に美しいという意味での手芸ということで。というか、もちろん、スケートにとって大事な足元の動きがすべてなめらかに美しく遂行されているからこそ、その手芸の美しさが生きるわけで。バラード第一番はもともとスピン中の手の美しさには定評があるが、それにもさらに磨きがかかっていた気がするし、他のところの美しさも増していたように思う。4T3Tの3Tタケノコも手芸の美しさとして際立っていたのではないだろうか。
 とにかく、羽生結弦ここにあり、を見せつけた演技となったと云えるだろう。世界最高点更新おめでとうございます!

 そういえば衣装は変わってなかったけれど、これから変わるのだろうか。五輪のときに新衣装とかになるのだろうか。

 しかし肝心の明日、私は諸般の事情で朝から晩まで出かけていてライストもままならないし、明日朝早く起きるためには、今日の羽生くんの演技が報じられるだろう今夜のニュース類もあまり観ていられない。このオータムクラシックについてちゃんといろいろ認識できるのは残念ながら月曜日以降になりそうである。うむむ。


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09.19
Tue
 またフィギュアスケートマガジンプレシーズン号の記事について。羽生くんのインタヴュー部分を漠然と眺めていて気づいたのだが、時々「なんだろう」という言葉が出てくる。ざっくり数えてみたら、共同インタヴューとフィギュアスケートマガジンの個別インタヴューと合わせて二十回以上は出てくる。
 まんべんなく出てくるわけではなくて、しばらく出てこないこともあれば、一つの発言の中に何回も出てくることもある。よく出てくるところは、要するに、羽生くんが質問を受けてから、その答えを考え、組み立てながら話している度合いが強いところなのだろう。
 こんな記事があった。「「なんだろう」が口癖の人の心理や性格とは」この記事の最後のまとめの部分を下記に引用する。
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「なんだろう」が口癖の人の心理として、自分でもうまく表現できないことが分かっているが、しっかりと気持ちを伝えたいという心理が働いています。
そのためしっかりと考えて適切な言葉を選んで話をするので、言葉に重みと深みがあります。
「なんだろう」と悩んでから話す人は、自分の考えを的確に相手に伝えたいという気持ちが強い人なのかもしれません。
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 この内容はほぼ羽生くんに当てはまっているのではないかと思う。もっとも、羽生くんはもともと言語化能力が高いので、比較的言葉がすらすら出てくる方だが、質問によっては、それに対してぱっとうまい言葉が簡単には出てこない場合もある。でも「なんだろう」と自問し内省して、できるだけ的確な言葉を誠意を持って返そうとしているということだと思う。ぱっと思いつく間に合わせの言葉ではなく、可能な限りニュアンスまできちんと伝わる言葉で答えたいという思い。自分がどんなことをどんなふうに考えているかを、メディアに、そしてその向こうにいるファンや一般の人にできるだけきちんと伝えることはとても大切なこと、と羽生くんは考えているから。
 今回のインタヴューの中で、おそらくあらかじめ質問が出るだろうことが予想された、プログラムやその構成などの戦術面の質問に対する答えにはあまり「なんだろう」はない。「なんだろう」がわりと頻度高く出てくるのはもう少しある意味内面寄りの質問に対する答えだ。インタヴュー全体を通して、私にとって特に印象深かった二つの発言には、どちらも「なんだろう」が比較的多く出てくる。
 一つめは、少し長いが、プログラムの表現ということに大きく関わるこの発言。
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―昨シーズン、たとえばSPは非常にライブ感のある曲を使用していましたが、この1年間の経験は、今シーズンにどのように生きてきそうですか。
羽生 去年は割と自然をテーマにしたりだとか、希望であったりだとか、そういったものをすごく自分の中に取り入れようとしたりとか、また逆に、極端に言えばショートの方ではもうホントに…あの…なんだろう…フリーは…なんだろう…なんていうかな…背景みたいなもの…いわゆるその、何かに注目して見てもらいたいみたいな、抽象的なものを演じたわけじゃなくて、ホントにその、風であったり背景的なものを演じたのとは対象に、ショートではもろ…ある一種の…対象? シンガーであったり、私であったり、スケートであったり、そういったものにすごくフォーカスさせた演技になっていたので、そういった意味では今回、『バラード』をやるにも『SEIMEI』をやるにも、特に『SEIMEI』に関してはその…自分っていうキャラクターがすごく際立たせるような、まあタイトルもそうですし、プログラム自体そうなんですけれども、際立っているんだけれどもその背景まできちんと見えるような表現をしたいっていうのをすごく今、思えていて。またそれは、『ホープ&レガシー』で培ったものだし。で、『バラード』に関しては曲がきれいだからこそ、曲に1つひとつの…なんだろう、ピアノの1つひとつの音に重みがあるからこそ、それを表現しつつも1つひとつの音が自分に重なっていく、そういったことも演じきれるかなというふうに、昨年から学んだこととしては思っています。
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 この発言から、羽生くんが昨季のプログラムを通して何を得たか、それを今季のプログラムの表現にどう還元したいかということを誠実に考えていることが伝わってくる。「なんだろう」も出てくるし、全体にあまり断定的な表現がないのは、模索中であることを反映しているかもしれない。ただ、そのことに対して曖昧な考えしか持っていないというわけではなく、むしろ、表現という生ものの生ものらしさを殺さないために、自分の言葉によってイメージが限定的になることを回避しているという面もあるかもしれない。いずれにせよ、この発言で、新バラード第一番と新SEIMEIの表現の深化がなおいっそう楽しみになった。
 もう一つはこちら。
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―羽生選手のコメントの中に、よく「羽生結弦」という言葉が出てくるのですが、自分の理想とする羽生結弦とのギャップに苦しくなったりすることはあるのでしょうか。
羽生 もう、日々あります。日々あるだろうけど、別に…なんだろう、逃げる場所もないし、逆に言えば…なんだろう…スケートって「場所」は…なんだろう…逃げたいことを忘れることのできる場所でもあるので。そういった意味ではスケートに頼りっきりです。スケートがないと心がつぶれそうになることもあるし、まあ、いっぱいあったけど、この3年間(笑)。だから、そういった意味でも、やっぱスケート続けてよかったなあって…なんだろう…根源的に「スケート好きだなあ」って思うし、スケートやっててよかったなあって思います。
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 「羽生結弦くんの「自分力」」という記事でも述べたが、羽生くんには「こうありたい羽生結弦像」「こう期待されている羽生結弦像」というのが強烈にあるのだと思う。それと現実の自分とのギャップというのは、羽生くんの向上心が消えない限りなくなることはないわけで、向上心の強い羽生くんにとっては、そのギャップは時にとてもつらいものなのだろう。でも「つらい」ということだけにフォーカスせずに「なんだろう」と内省を繰り返しながら「でも自分にはスケートがある」「スケートが好きだからやってゆける」というところにフォーカスを移してゆく。これこそ「羽生結弦」らしさだなあ、と感じた。

 たしか羽生くんは、メディア対応の場も、質問をもらうことで考えるきっかけになったりするのでありがたいというような発言を以前していたかと思う。これからも各メディアの皆さんが、羽生くんにとって実りある「なんだろう」を生むような質問をしてくれるといいなと思っている。

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 チェンくんがアクセル以外の五種クワドを制覇したり、宇野くんが初戦から自己ベストのハイスコアを叩き出したりして、羽生くんはさぞかしめらめらしているのだろうなと思う今日この頃。グランプリシリーズ並みにメンバーが豪華な初戦オータムクラシックがいよいよ近づいてきた。どきどき。

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 羽生くんがあの世界記録を出したグランプリファイナルのことを語るという24日(日)放送予定の「神様に選ばれた試合」が福岡ではホークス関係の番組に押しやられて放送されない。そりゃ福岡で羽生くんに興味ある人口<ホークスに興味ある人口だろうけれど、ちょっと暴れたい気分になっていたが、どうやら遅れて30日(土)に放送してくれるようだ。よかった。やればできる子KBC、今後も頼みます。


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09.15
Fri
 フィギュアスケートマガジンプレシーズン号は、オーサー、ウィルソン、ボーン各氏のインタヴュー記事が充実しているのも嬉しかった。三名の、それぞれの羽生くんへの関わり方、羽生くんについて思っていることがわかったのも興味深かったが、共通して「ユヅルは大人になった」といったことを述べているのが印象的だった。そして、オーサー氏は「自分のところに積極的に話に来るようになった」、ボーン氏は「心を開いてくれる」といったことをかなり強調している。
 羽生くんがトロントに渡ってもう五年だ。その多くの時間を一緒に過ごして、羽生くんが成長し、オープンになってゆく過程を間近で見られるというのはいいなあ、と思った。
 「大人になった」と「オープンになった」はもちろん密接に関係しているのだろうと思う。大人になるにつれて、考え方も成熟し、またそれを伝える能力も(英語能力の上達ということも含めて)上がったため、コミュニケーションのとり方がうまくなり、結果、そのコミュニケーションも実りの多いものになってきたのだろう。そしてコミュニケーションが実ると嬉しいから、ますますコミュニケーションをとる、というような好循環が働いているのかもしれない。
 もともと、羽生くんはオープンであることを心がけているところはあった。『羽生結弦語録』に収録されている中でも私の好きな言葉として「いつも心を開いているんです。心を開いていなければ何も吸収できないしおもしろくない。心を開くことが成長の原動力」というのもあるし。しかしこの段階での羽生くんの心の開き方は、吸収する、インプットすることに重点がある感じがする。それが最近になって「自分からのアウトプット」ということにも積極性が出てきた、心の開き方のモードが一段階上にあがった、というような感じがしないでもない。
 それはコーチや振付師とのあいだで、自分の意見などをより積極的に打ち出してゆく、という形だけであらわれているわけではないと思う。昨季打ち出した「コネクト」にもそれを感じるし、この夏のファンタジーオンアイスでのファンサービスっぷりにも感じるし、フィギュアスケートマガジンの山口記者の記事にレポートされた「かまってちゃん」「こまったちゃん」ぶりなどにも感じる。真面目なコミュニケーションでも、エンタテイメント的にも、自分からのアウトプットをより積極的に打ち出すようになった印象。
 どうしてそうなったのだろうか。フィギュアスケートマガジンで羽生くんは「コーチ、振付師は『オープンになった』と言っているがその理由は」と問われて「慣れてきたというのはあるかも」「お互い議論し合って良い方向に持っていけるようになった」といったことを答えている。成長して、慣れて、経験を積むことで自然とアウトプットもするようになっていったということだろうか。
 そうかもしれないが、それだけだろうか。何かきっかけになるようなできごととか、認識の変化とかもあったのかもしれないなあ、ともちょっと考えてみたくなる。山口記者みたいに、内心では「どうしたのかなー、何があったのかなー、何が君をそうさせるのかなー」と尋ねている私である。

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 シニアB級試合の情報も流れてきて、ああいよいよシーズン始まったなあオータムクラシックも間近だなあなんて思っているところにマイレピ更新が。ボールドちゃん動画の安定の新妻っぷりもよいが、台に乗って洗濯機の回転をじっと見ているちびゆづを思わず想像してしまって顔がにこにこしてしまう。子どもってなんだかそうやって回転するものとか妙に好きだったりするよね……ということで思い出したのが「ほぼ日」サイトの「観たぞ、ソチオリンピック!」の2014年2月8日分の下の方「オリンピックのある風景。」に掲載されていた「初めてフィギュアを観た三歳の子が羽生くんの4回転とかスピンとかに大受けでゲラゲラ、そういえば正月にコマを回して見せたときも同じ反応だった」という趣旨の投稿。コマの回転を「楽しい」と感じる子どもにとってはたしかに羽生くんのジャンプやスピンはものすごく楽しそう。
 しかし海で波にもまれて縦に三回転したっていうのもすごい話である。ひょっとして海があまり得意ではないのはそのトラウマもあったりするのだろうか。


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09.13
Wed
 さて、ISUのルール変更案が出て、いろいろ意見も出ているようである。プルシェンコ様が激おこだという話も。高難度ジャンプの基礎点を下げるというのはそれらに挑む意欲を削ぎスポーツとしてのフィギュアスケートの進化を止めてしまうという見方もあると思うし、今のフィギュアスケートのジャンプ偏重化をとどめたいし選手の身体の負担を考えても今回のルール変更案は妥当という見方もあると思う。どっちが正しいとかというより、どういう見地に立つかで意見が異なるという状況かと。いずれにしても現行の得点システムが想定していた限度的なところまでフィギュアスケートが来てしまったのは事実だろうし、その状況をもたらした大きな要因は羽生結弦の台頭だろうというのはまあほぼ間違いないんだろうけれど。
 で、多分わりと多くの方が思っているのではないかと思うが、仮に羽生くんが現役続行してこのルール変更を経験しても、まあそれはそれで大丈夫なんじゃないかと。賢い羽生くんはルールをきっちりと研究して、自分はどのようにすればこのルール下で得点を稼げるかということをしっかりと考えて対策するに違いないから。さらに、多少点のつけ方が変わったにせよ「より難度が高い技を、より上手にこなせば、より高い点がつく」という大前提が崩れない限りは、自他共に認めるオールラウンダー羽生くんが不利になることはないだろうと。
 でもそれ以上に根本的なところで、羽生くんは大丈夫だろうなあ、という感じがする。点のつけ方が変わって、高難度ジャンプの得点に対するメリットが減ったとしても、だからといって羽生くんが高難度ジャンプへの意欲を失うとも思えないのである。
 ものごとをやる動機づけには外発的動機づけと内発的動機づけがあるとされている。外発的動機づけとはたとえば、ほめられたいからとか、報酬がもらえるからとか、あるいは叱られるのがイヤだからとか、そのものごと「以外」のことが動機になっているというものである。それに対して内発的動機づけは、そのものごとをやることそのものが楽しい、好き、そういう動機である。一般に内発的に動機づけられた方が長続きするとか成果も上がるとか云われている。また、外発的動機づけは一時的な効果はあるが、その動機がなくなる(たとえばほめてもらえなくなるとか、報酬がなくなるとか)と、そのものごとに取り組む意欲をなくしてしまうことがありがちである。また、内発的に取り組んでいたことに対して報酬を与えてしまうと、せっかくの内発的動機づけが外発的なものに変わってしまい、報酬がなくなるとやらなくなることがあるといったアンダーマイニング効果というものもある。とはいえ、外発的動機づけが必ずしもよくないわけではなく、最初は外発的に動機づけられてやっていたことでも、やっているうちに面白くなって内発的動機が生まれてくることもある。また、外発的動機づけと内発的動機づけがうまく両立している場合もある。
 羽生くんの場合は、みごとに外発的動機づけと内発的動機づけが両立しているのではないかと思う。金メダルをとりたいとか、記録を出したいとか、ファンの期待に応えたいとか、震災復興などに役立ちたいとか、そういうスケートそのものではない動機もたくさんたくさん持っている。でもなんといっても、羽生くんの芯にあるものは、スケートがとにかく好きで好きで仕方ない、という内発的な動機づけではないだろうか。以前にも引用した昨年末のNumber誌での下記の発言(「なぜスケートに惹かれるのか」という問いに対する答えである)などからそれがうかがえる。羽生くんはスケートをするということそのものを愛してやまないのだ。
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非日常的、非現実的というところから始まったんです。やっぱり陸上では考えられない体の使い方、風の受け方、ジャンプの跳び方など。難しいことに挑戦して達成したときに自分も喜べるし、みんなも喜んでくれる。氷の上はありのままの自分でいられる場所。特別だと思います。
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 また、先日のフィギュアスケートマガジンのウィルソンコーチのインタヴューを読んでも、スケートへの愛を自覚させることを意識的にしてくれているのが伝わってくる。それはきっと羽生くんの内発的動機づけを支えてくれているだろう。
 羽生くん自身にもルール変更に対する意見はあるだろう。ジャンプの基礎点が下がることで、外発的動機づけは若干影響を受けるかもしれない。でもそれが羽生くんがフィギュアスケートを極めたいという内発的動機の強さを削ぐことはないのではないだろうか。おそらく、羽生くんは、選手である以上与えられたルールでやるしかないという達観と共に、ルールというのはそのときの状況などで変化する恣意的なものであることは仕方のないこと、点数のつけ方はどうなろうとそれはそれとして、自分の求める、たとえば「美しい四回転ジャンプ」の絶対的価値はみじんも変わらない、というような達観も持っているのではないだろうか。羽生くんはルールが変わっても、現役を引退しても、スケートに関わっている限りはひたすらにその時々の自分のできる限りのフィギュアスケートのイデアを求め続けるだろう。
 スケオタ未満のフィギュアスケートファンとしての私は、このルール変更がフィギュアスケート界のこれからにとって是か非かなどはまだちょっと判断できないが、羽生結弦ファンの私としては「ルールがどうなっても、羽生くんが自分の思い描くフィギュアスケートのイデアを追求する姿が見られればそれでいいな」と思っている。

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 羽生くんの新SEIMEIにスパイラルが入っているとか。あまり長い時間ではないようだけれど。スパイラルというのも、あの姿勢をとって、しかもそのままなめらかに移動してゆくというのは陸上のダンスなどでは考えられないので、フィギュアスケートの醍醐味だと云えるだろう。The Final Time Travellerにも少しスパイラルがあった。かつて女子が行っていたスパイラルシークエンスくらい長いスパイラルを羽生くんがやっても見栄えがするのではないかと思ったりもするが、少なくとも競技プログラムでは無理だろう。でもいつか見てみたい。
 新SEIMEIで、SEIMEIの初披露の時にだけあったステップ中のバックのクロスロールが復活しないかなあという秘かな望みも抱いているのだが、さて。でもこの新SEIMEIがヴェールを脱ぐ時は私は諸般の事情でライストを観るわけにはいかなさそうである。残念。

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 写真はしばらく前に友人からもらったカフェインレスコーヒー。なぜかプーさんパッケージなのがちょっと嬉しい。私事ですがどちらかというとカフェインに弱い(HSPにありがち)のである。でもコーヒーや紅茶はわりと好きなので、近年カフェインレスの製品がいろいろ出てきたのを嬉しく思っている。
IMG_5116.jpg


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09.09
Sat
IMG_5118.jpg
 以前「羽生結弦くんの「自分力」」という記事でカメラマンの高須力さんのこと、高須さんが羽生くんについて述べていることについて触れたが、昨日、運良く近くまで行く用事があったのでキヤノンギャラリー福岡で開催中の「高須力 報道写真展 THE AMBIENCE OF SPORTS 2013-2017 情熱の欠片」に寄った。
 小さな規模での展示だったが、見応えがあった。いろいろなスポーツの中のある一瞬を、不思議な迫力で切り取った写真の数々。写真だから当然静止画なのだが、たとえば、水泳の写真に写る、跳ね上がる水の一瞬の輪郭が、動画以上に雄弁に臨場感を伝えてくるようなインパクトを持って目に入ってくる。もちろん、選手の身体、表情、そういったものが直接的にみごとに捉えられている写真も多い。でもそういった写真も含めて、一つ一つの瞬間が「情景」と呼ぶのにふさわしいような切り取られ方をしていると感じた。
 高須さんのコメントも掲示してあったのだがその内容も興味深かった。正確な言葉は記憶していないが「古いスポーツ誌を見ていたらピントが甘いものが採用されていることに気づいて、ブレがかえって効果的である場合もあることに気づいた、それで自分もシャッタースピードを意図的に遅くした」「友人から、すべてをキレイに撮りきっていないからこそ考えるきっかけを見る人に与えるというようなことを言われた」といった内容のことが含まれていたと思う(こちらの記事にそのあたりのコメントに該当する内容が出てくる)。このあたり、私がふだん表現について考えていることと重なる要素があり、印象深かった。何もかもをすべてあらわし切ってしまわないことで、かえってそこに味わいが生まれ、そして見る人が思いや考えをふくらませる余地が生まれる、といったようなこと。
 私がそこに展示されている写真たちを見て「情景」と呼ぶのがふさわしいような「物語性」といったものを感じたのは高須さんのそういうあり方と関係しているのだろう。

 写真にはどういう競技のどういう試合で撮ったものかというキャプションは添えてあったが、選手名を添えたものはない。この写真展は、記録としての写真というよりは、表現としての写真の要素が強く出ているものを選んだのだろうという印象。
 そして、そこにはやっぱり高須さんの、スポーツへの愛、アスリートへのリスペクトがあるからこそ、表現として臨場感あふれ、物語性を感じさせるような写真が撮れるのだろうと感じた。

 予想通り、羽生くんの写真はなかった。ただ、この写真展を見て、高須さんの撮った羽生くんの写真の中には、これまで雑誌などに掲載されていないもので、より「表現者としての高須色」が強く出ているものなどもひょっとしたらあったりするのではないだろうか、そういうものを集めた写真展などあったら見てみたい、などとも思ったのであった。


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09.07
Thu
 「フィギュアスケートマガジン」2017-2018プレシーズン号を買って、何か書こうと思ってだいぶ経ってしまった。毎号買っているわけではないけれど今回はなんだかきちんと読んでおきたい気がして買った。去年もプレシーズン号は買ったような。
 全文書き起こしてもらうと、他の要約された記事でよく触れられていた部分のニュアンスもよりわかりやすくて助かる。で、共通インタヴューの部分もいろいろと興味深かった一方で羽生くんの個別インタヴュー部分が印象的だったのでそれについて若干触れておこうかと。
 まず「コネクト」と「自分の中から出るもの」について。やっぱり羽生くんも「自分の内側から滲み出るもの」を自分の醍醐味だと認識しているのだな、と。昨季「コネクト」を意識したというのは経験として意味があったと思う。ただ、やっぱり羽生くんの場合はコネクトに重点を置くよりは、自分が「これがあらわしたい」と思ったものを出してゆく、それが結果的に観ている人を引き込んだり、包んだりする、という感覚で行くのが合っているということかな、と。もちろんそれは演目にもよるのであって、Let’s go crazyだと確かに「コネクト」を前面に打ち出す価値はあったと思うのだが。今季のバラード第一番やSEIMEIだと、まず自分らしさ、自分の中から出るものを大事にする、その上で、昨季「コネクト」を意識した経験で得た感覚をほのかに纏わせる、といった感じで行くのが正解かもしれない。
 次に「奇跡や偶然や必然」ということについてのコメント、それから「結果の数字や記憶に残る演技かどうかということ」についてのコメント、この二つは結局通底しているのではないかと感じた。結局、何が奇跡と呼ばれるようになるか、偶然あるいは必然と呼ばれるようになるか、そういうことはどれだけ練習で頑張ったかということが結果的に奇跡だの偶然だの必然だのに結びついてゆくのだという達観、どれだけ練習で頑張ってそして試合でどれだけやれたかが結果的に数字だの順位だの記憶に残る演技だのにつながるのだという達観。何かが奇跡と呼ばれたり偶然と呼ばれたり必然と呼ばれたり、数字がついたり順位がついたり記憶に残るという評価を受けたりというのは結局全部「後から」のこと、自分はただその「後から」あれこれする人々、一番直接的にはジャッジ、そしてファン、一般の人々にできるだけよい印象を残すことを願って一生懸命やるしかない、というある意味極めて醒めた認識。人事を尽くして天命を待つ、というのに似た境地だとは思うが、ただ天命に任せるというより、人事を尽くすことで天命と呼ばれるものにも働きかけ影響を与えることも可能、というような、さらに一歩前に出たような認識という気もする。「結果は天命だから自分でやるだけのことをやればそれで自分は納得できる」というところにはおさまらない、あくまで「結果が欲しい」という貪欲さがあるからこその達観だろう。

 オーサー、ウィルソン、ボーン各氏のインタヴューも興味深かったので、印象に残ったことなどを後日記事にできればと思っている。

 と、この記事をアップしようと思ったらフィギュアスケートマガジンの撮影秘話など載ったweb記事のアップが。記者さんとムダに(?)「コネクト」する羽生くんの小悪魔っぷりが面白い。ふふふ。


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09.05
Tue
 羽生くんが今季また演じることになったバラード第一番の作曲者、ショパン。私は漠然とショパンの作品が好きと思っているが、ショパンのいろいろな作品をじっくり聴き尽くしているわけではない。また、小学校から中学校にかけて数年間ピアノを習ってはいたけれど、ショパンのはるかはるか手前で私の技能は止まってしまっている(どうでもいいが小林麻美さんの『雨音はショパンの調べ』はカラオケのレパートリーである)。
 ショパンの生涯についても詳しいことは知らない。病弱で早く亡くなっていること、男装の女流作家ジョルジュ・サンドと恋愛関係にあった時期があること、故国ポーランドへの強い思いがあったことなどをなんとなく知っているくらいである。
 でも、多くのクラシックの作曲家の中で、誰が好きかということになるとやっぱり一番はショパンだなあという感じがしている。ピアノを習っていたこともあってか、楽器の音でピアノが一番好きだとやっぱり思うし、そのピアノの独奏曲を多く残して「ピアノの詩人」と呼ばれたショパンの作品は、その呼び名にふさわしく、繊細できらめくような叙情性があって惹かれるものがある。
 そしてそんなショパンと、羽生くんには通じるものがある。それはおそらく多くの方が思っていることではないだろうか。
 たとえば、多分何年か前に岩波の『図書』の青柳いづみこさんの連載で読んだのだったと思うが、ショパンはピアノを弾く力があまり強くなく、大きな音を出せなかったので、広い会場では演奏しなかったというような話がある。それはなんとなく、アスリートとしては線が細く、体力的に恵まれているとは云えない羽生くんと重なる。
 そして、ショパンがピアノ曲の新しい可能性を追求してそれまでになかったような表現を生み出したとされる点も、フィギュアスケートを新次元へと押し上げた羽生くんと重なるものを感じる。
 でも、一番重なるのは、その存在感のイメージみたいなものだと思う。シューマンがショパンの音楽を「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」と評したとのことだが、私はこれを知って、羽生くんが自分のことをアイスクリームに喩えるならばポッピングシャワーだと云ったのを思い起こした。たしか「外見は甘めだけれど口の中に入れたとたん暴れ出す」みたいなことではなかったかと。ショパンの音楽は、繊細だが、繊細なだけではなく、あふれる情熱を感じる。時には激情がほとばしる。バラード第一番はその「繊細と激情」の両方が端的にあらわれている作品だと見て良いのではないだろうか。Wikipediaの「バラード第一番」の項によると、ショパンの音楽を「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」と評した当のシューマンはバラード第一番が一番好きだったらしいし。羽生くんも見た目は華奢なイメージで、繊細なところも多分にありつつ、人並み外れた激情の持ち主である。そんな羽生くんがバラード第一番を演じる、しかも三季にわたって深めようとしている。そこまで深めたいと感じるプログラムになり得たというのも、羽生くんとショパンの本質的な親和性の高さゆえかもしれない。今季、氷上のヴィルトゥオーゾとして羽生くんがどんなバラード第一番を「奏でる」か、楽しみだ。

 ショパンが、羽生くんの演技についてどう思っているか聞くことができたらなあと思う。勝手な想像だが、私がショパンなら、叶うことならバラード第一番をフルで羽生くんに演じてもらいたいと夢想するだろう。まあ、約9分半もあるから実際問題としては無理だろうけれど。

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 ハゴロモさんの出すカレンダーに羽生くんのサインとコメントがついてくるとのこと。以前こちらの記事で「ハゴロモさんのカレンダーについてくる○○○○ってなんだ」というのを書いたとき候補の中に「コメント」と入れていたのだが本当になった。まあこの記事に書いたように、写真一枚ごとのコメントとかではないだろうけれど。いずれにせよ毎年買って実用にしているので今度も買う予定。


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