06.29
Thu
 ファンタジーオンアイスで羽生くんのファンサービスっぷりがいつにもまして凄かったのでなんだかいろいろうだうだと考えた。最初はただ嬉しくて圧倒されていただけだったが「僕はアスリートであってアイドルではない」と云っていた羽生くんが「ファンに応えようとするあまりがんばってファンサービスをしている」のはなんだか気の毒ではないかという気になってきたりしたわけである。あと、私はわりと考え方がカタい方なので「羽生くんがアマチュアアスリートであることを考えれば、いわゆるファンサービス的なことは最小限度にとどめておいた方がよいのではないか」などと考えたりもしたのである。しかしこのブログに寄せていただいたコメントを読ませていただいたりしてまた考えも変わってきたりしたのであった。まあそのあたりのうだうだを書いておこうかと。コメントくださった皆さまありがとうございます。
 要するに、私はキャパが小さい人間なので、羽生くんのファンサービスに圧倒されすぎて受け止めきれない部分があって、だから「羽生くんそこまでしなくてもいいのに」的な方向に考えが最初行ったのだろうなと思う。また、自分が引っ込み思案な性格、なおかつサービス精神に乏しい性質なもので「ファンサービスって大変そう」みたいな感覚になってしまうのである。
 しかし考えてみれば、羽生くんは「目立つの大好き、注目浴びるの大好き」な人であった。そして(多分)もともとサービス精神が旺盛な人であった。それにアマチュアアスリートであるとはいえ、アイスショーという興業の場に出ている以上は「お客様」に対してできる限りのサービス精神を見せるというのはそれはそれで好ましいことではあるのだった。特にファンタジーオンアイスでは羽生くんはほぼ座長的な位置にあるとも云えるので、みんなを代表してできるかぎりのファンサービスを、というところもあるだろう。
 それに競技としてのフィギュアスケートはアマチュアのものであるとはいえ、性質上「見られてなんぼ」であり、そういう意味からもショーでお客様の心をつかんでおくというのはすごく大事なことではあるのだった。そして今ファンサービスをふんだんにすることで人気を確保しさらに高めることができれば、プロになってからの地位安泰にもつながるというメリットもあるのだった。
 もちろん、羽生くんがそういう「実利的」なことだけを考えてファンサービスをしているとは思わない。むしろ、心からファンに感謝の意を伝えたい、気持ちにできるだけ応えたい、ということがほぼ実質であろう。
 ただ、新潟の千秋楽のスピーチにあった「スケート自体を好きでいて」このあたりが結局羽生くんにとっては大事なことかもしれない、というのは感じた。スケートという競技が発展し、競技環境が整ってゆくためにはスケートを好きで支えてくれるファンの存在が不可欠なわけである。自分のある種芸能人的な人気でも、それを入口にスケート自体に興味を持ってくれる人が増える可能性は多々あるわけで、そのためなら自分の人気をいい意味で利用しようというような感覚はあるかもしれない。
 なんにしても、羽生くんのファンサービスは、しかるべきTPOで行われるものであれば、羽生くん自身もおそらく楽しんでやっているし、ファンも嬉しいわけで、お互いのポジティヴなエネルギー交歓になっているかと思うので、まあ喜んで素直に受け取っておいていいのかな、とようやく何日か経ってから思った次第である。
 私は心配性でもあるので、羽生くんがおそらくエゴサーチをして、ファンの反応などを見てそれをファンサービスに反映させているということについても「それはお互いは楽しいからいいけれど、ネットを介した相互交流っていうのは下手するとたこつぼ的に変な方向にエスカレートすることもあるし、それにそういう当事者どうしのノリというのはそれ以外の人からは奇異に見えて敬遠されたりしかねないから大丈夫かな」などとも思ったりしたのだが、賢い羽生くんは多分そのへんのさじ加減もわきまえているだろうし。
 もちろん、羽生くんがファンサービスを実際にどんな思いでやっているかは本人しか本当のことはわからない。ただ、羽生くんは、ファンサービスにまつわるすべての経験をポジティヴな方向で受け止めていくようにするだろうとは思う。

 そういうわけで今後も羽生くんからのファンサービスは喜んでおいしくいただこうと思う。ただ、やっぱり羽生くんがアマチュアアスリートである限りは、そういう面に期待「しすぎて」はいけないな、とも思う。
 あと、なんだかんだ云っても、究極のファンサービスは「羽生くん自身がめざしている、いい演技を見せてくれること」だと思うのだ。それは、羽生くん自身も一番望んでいることのはず。

 で、こちらから羽生くんに何が返せるか、ということになるとそれはやはり応援ということに尽きるわけで。しかしその応援も「現地にたくさん行ける人はすごいなあ」とか「情報収集力発信力のある人はすごいなあ」とか自分よりも行動力などのあるファンの方々をついついうらやましいと思ってしまったりするのだが、しかしまあ応援にかけられるエネルギーや時間やお金などは人それぞれの事情によるのだからそれぞれでいいんだよね、と思い直したりする。たくさん行動するのも応援、心の中で思っているだけでも応援。言葉や行動に出さないことは人からは認識はしてもらえないかもしれないけれど、世界は人が認識できることだけでできてるわけじゃないよなあ、と、なんだか「認識合戦」みたいな世の中にちょっと疲れている内向人間は思うのだった。

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 今朝、夢の中でテレビをつけたら羽生くんがSEIMEIをやっていた。ただ、黒子みたいな衣装の人たちがたくさん一緒に出ていて、その人たちがどうやら陰陽師羽生くんに祓われる悪霊みたいな役で、その人たちをなぎ払うような動作をしながら羽生くんがステップしていった。多分これは最近雑誌で「氷艶」のヴィジュアルを見たことが影響しているのだろうと思う。そんな羽生くんもすごくカッコよかったので、いずれショーなどでそういう演出があってもいいなあ、と思ったのだった。


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06.25
Sun
 昨日の関西圏でのファンタジーオンアイス地上波はいろいろと楽しい番組だったようだが、私のツボに入ったのは、バラード第一番について、これから頑張っていいプログラムにしたい、という趣旨の発言の流れの中で「曲自体に喜んでいただけるような」という言葉が出たことであった。
 もちろん羽生くん本人に確認しないかぎり、どういう意図でそういう言葉が出てきたのかはわからないが、私としては「バラ1擬人化、もしくは少なくともバラ1に『喜ぶ』という心の働きがあるキャラ化」と即座に解釈したわけである。で、ちょっと前の記事などでバラ1を擬人化した喩えを出した私としてはちょっとにんまりだったわけである。
 私は以前の記事では便宜上女性に喩えたが、羽生くんの心の中でのバラ1は女性なのか男性なのか、性別などは関係しない生命体なのかはよくわからない。とりあえず「喜んでいただけるような」という言葉づかいから、なんだか私は羽生くんがバラ1の前にひざまづいているような絵を思い浮かべてしまった。バラ1は多分、気位が高くて繊細で情熱的なお方であらせられるのではないかと思う。
 なんにしても、羽生くんがもし本当にバラ1という曲に人格のようなものを感じて、それに対して「喜んでいただけるような」と願っているのならそれは素敵な感覚だな、と。うん、音楽って生きものだと思う。フィギュアスケートの競技用に編集され録音された音源だとてやはり生きものには違いないと思うのだ。もしその音楽の心にかなう演技ができれば、音楽の側からも一つ一つの音を、演技に寄り添わせてくれる、そんなものだと思う。
 いい演技とは、つまるところ、音楽とスケーターとの愛の交歓である。スケーターが音楽を愛し、音楽自身にとって音楽冥利に尽きると感じられるほどの演技をすることができれば、音楽の側もその愛に応える。それは現実の恋愛のように、いやひょっとするとそれ以上に官能的、陶酔的なことなのではないか。すでに羽生くんはその域に達している演技をいくつか我々に見せてくれていると思うが、これからさらに濃密な愛の交歓が観られるのではないかと期待してしまう。

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 と、かなり耽美的な気分になりつつこの記事を頭の中で構想していたら、プルシェンコ様のインスタグラムから、インパクトのある写真が飛んできて耽美的な気分はどこへやらふっとんでしまったのだが。
 前から時々「羽生くんがどれだけ優美な演技をしているときも、スケート靴の中は五本指ソックス」ということをふっと思い出したりしていたのだが、今後はそれに「羽生くんがどれだけ優美な演技をしているときも、ズボンの中の太ももはバキバキ」というのが加わるんだな。


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06.23
Fri
 少し前の話になるが、講談社の「チーム・ブライアン」公式ツイートに、読者からの質問にオーサー氏が答える企画で下記のようなものが掲載された。
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〈質問〉 羽生君を一言で表現すると?(Sabrina Hさん)
〈オーサーコーチより〉 「考えをうちに秘めている」です!これが彼を表わすのに一番ぴったりな言葉だと思います。それから、「passionate(熱心な、情熱的な、アツい)」というのも思い浮かびますね。
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 「考えをうちに秘めている」の元の英語がわかれば、もう少しニュアンスがつかめる可能性があるのだが、いずれにしても、この質問の答えは羽生くんが内向型の性格であることを如実にあらわしているんじゃないだろうかと思った。
 羽生くんが内向型ではないかという推測は以前の記事(こちらとかこちら)でもしている。ざっくりと外向と内向の概念について繰り返しておくと、一般的には社交性があるかどうかといったイメージで捉えられがちだが、本来は「精神エネルギーが外の世界に向いているか、自分の内部に向いているか」ということである。また、外向と内向のあいだはくっきり分かれるものではなくグラデーションしているし、外向的な人も時に内向的になったり、その逆もある。
 なんにしても、羽生くんは、極端ではないかもしれないがやはり本来的な意味で云うところの内向なんだろうな、と改めて思ったわけである。内向の人は自分の中でいろいろと考えをめぐらせるが、それを簡単に口にはしない。もっとも羽生くんの場合、インタヴューなどではかなり饒舌に自分の考えを披露することもあるが、それも気軽にオープンにやっているというよりは「自分の中でいろいろと考えてきていることの一端をお話ししています」という印象が強い。かなり言語化能力にめぐまれているから饒舌な印象を与えもするが、ただなめらかに喋っているというよりは言葉をかなり慎重に選んでいる気がする。
 オーサー氏とのあいだでは、これに言葉の壁が加わるのでますます「考えをうちに秘めている」という印象が強くなるのではないだろうかとも思った。羽生くんの英語能力が上がってきても、なかなか言葉の壁というのは越えがたいものがありそうな気がする。というか英語の能力が上がってくるとなおさらに、母語である日本語と同じように言いたいことのニュアンスなどを正確に伝えるのは難しい、という実感は増すかもしれない。羽生くんのように日本語の能力が高い場合はことさらにそういうふうに感じても不思議ではない。
 内向型の人も、親しい人相手であるとか、自分の得意分野に関してはかなりおしゃべりになったりすることもあるし、羽生くんもそういう面を時々見せるが、オーサー氏とでは、一番大事なスケートに関わることでも、なかなか饒舌にやりとりをするのは難しいだろうな、と思う。もっともそのあたりのことはちゃんとオーサー氏も汲んでいると思うし、その上でなお「考えをうちに秘めている」印象なのだろうと思うが。そういえばオーサー氏は以前羽生くんをフクロウに喩えたこともあったかと思う。フクロウというのは闇の中からじっと獲物に目をこらして狙いを定めて飛びかかる感じ、それは羽生くんがじっと考えをめぐらして、それから決然と行動する、というような感じをあらわしているのかな、と思った。
 情熱的な、というのも羽生くんの内向性に根ざす気がする。内向型は自分の中に絶対的な価値観というかこだわりというかそういうものを築きがちで、それに関しては驚くほどの情熱を持っていたりする。自分の中で決めたことに関しては、外野が多少ああだこうだ云ったくらいでは動じない。羽生くんの持つ熱さはそういう強さ、云い換えれば自他共に認めるところの頑固さを持った熱さだと思う。

 羽生くんの凄いところは、どちらかというと対人関係が苦手とされる内向でありながら、ファンサービス的な言動も、特に最近、上手に出来てしまうところである。おそらくそれは羽生くんのHSPとしての(HSPについてはこちらの記事をどうぞ)、人の気持ちに対する敏感さから来ているのではないかと思う。もともと持っていた敏感さが、フィギュアスケート選手として多くの人にその言動がさらされる経験、自分の言動がどのように人に受けとられるのかを(エゴサーチなどによっても)見る経験を積むことによって、自分に対して求められている言動、人を喜ばせる言動を選ぶ力に磨きをかけた、というふうに私は見ている。私も内向のHSPだが、仮に人が自分に求めている言動を読み取れたとしても、それをそのままやるのは内向性の照れが邪魔をするところがある。だが羽生くんはそこが出来てしまう。尾木ママのブログ(2017年6月21日付、22日付の記事)に描写された羽生くんの人たらしっぷりなど、私は感動というよりむしろ戦慄した。こんな言動までできるようになるほど、人に対して応えようとする経験を積んできた、ある意味積まざるを得なかったのかと。私など何回生まれ変わってもこのレベルのあざとさ(褒め言葉)に到達できる気がしない。

 とはいえ、羽生くんが内向であることもHSPであることも私の推測であることを改めてお断りしておく。どうにもこうにも、誰かに興味を持つと性格を知りたい、分析したいと思ってしまう性質なのである。私は物理的に羽生くんを追っかけるストーカーにはならないが、こうやって本人の知らないところで本人の性格をあれこれ勝手に分析するのも別のタイプのストーカーではなかろうか、とちょっと頭を抱えていたりする。

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 と、少し前のネタで記事を書いているうちに、五輪代表選考基準が決まったとか、全日本が武蔵野の森総合スポーツプラザとかいうところになったとか、羽生くんの今季初戦が9月20日からのオータムクラシックだとか、いろいろ情報が入ってきて、こっちはまだファンタジーオンアイスの余韻も消化しきってないのになんだか気分的にあたふた。そうかもうシーズンの切り替えまであと10日もないのだな。


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06.19
Mon
 ファンタジーオンアイスが終わってしまった。なんだか今回は羽生くんのファンサービスっぷりの凄まじさが印象に残る。特に新潟の楽日は凄かったようで、観に行かれた方うらやましい。私も行ければ千秋楽がいいなとは思っていて、昨年は千秋楽に行けたが羽生くんいないし、今年は場所とスケジュールを考えるとちょっと、というところだったので。来年の千秋楽はいつどこでだろう。行けるといいな。
 なんとなく下記のような替え歌ができた。元歌は山下達郎さんの「LOVELAND, ISLAND」(ラブランド、アイランド)。とても好きな曲。ファンタジーオンアイスを観た感覚が、この歌の感覚に似ているところがあるので。「夢の後辿る様に/気が付くと/見えなくなってた」ってあるけれど、本当に羽生くんを観たという実感はそんな感じ。印象があざやかなのにはかない。「あなたの瞳を向けて」というところもあるけれど、やっぱり羽生くんがフィナーレで周回してて自分の近くを通ると「こっち見てーっ」って思うんだよな。
 「LOVELAND, ISLAND」を初めて聴いた頃(1980年代前半)思ったのはサビのところでI love youというフレーズが繰り返されるけれど、日本人でこんなに明るくのびやかに堂々と、というか臆面もなく(!)、I love youって歌えちゃうのって珍しいんじゃないかな、ということだった。で、替え歌の中だけでも臆面もなく羽生くんへの愛を歌ってみたいと思ったわけだ。

Loverink, Icerink(ラブリンク アイスリンク)

Oh, Loverink
目くるめく初夏の午後
誰もがリンクに集まってた
ときめくFantasy on Iceの
オープニング 響き渡る中から
燃える様なステップに
身を任せ
現れた人は

Oh, Loverink
細身のシルエットが
リンクにゆらめきはじければ
突然長い羽生砂漠が
束の間オアシスに変わる

Oh, Icerink
きっとあの人のせい
あなたの瞳を向けて

Oh, Loverink, Oh, Icerink
I love Yuzu, I love Yuzu
Oh, Loverink, Oh, Icerink
I love Yuzu

夢の後辿る様に
気が付くと
見えなくなってた

Oh, Loverink
ふいに現れ消えたあの人
ファンサービスの鬼さ

ファンへの愛はこんなにあると
Oh, Loverink
教えに来たんだ

Oh, Loverink, Oh, Icerink
I love Yuzu, I love Yuzu
Oh, Loverink, Oh, Icerink
I love Yuzu
Oh, Loverink, Oh, Icerink
I love Yuzu, I love Yuzu
Oh, Loverink, Oh, Icerink
I love Yuzu

 ちなみに「Oh, Loverink/ふいに現れ消えたあの人/ファンサービスの鬼さ/ファンへの愛はこんなにあると/Oh, Loverink/教えに来たんだ」のところは「Oh, Loverink/ふいに現れ消えたあの人/プル様のガチオタさ/プルへの愛はこんなにあると/Oh, Loverink/教えに来たんだ」というヴァージョンも考えた。

 それにしても今回、羽生くんのファンサービスが凄まじかったのは、昨年出演できなかったのがすごく残念だったというのもあるだろうし、Let’s go crazyの煽りなどをきっかけに自分の言動がファンを喜ばす力を改めて自覚したというのもあるだろう。もちろん、もともとファンへの感謝の気持ち、ファンサービス精神が強い人ではあるが。あと私が思ったのは、今回のファンタジーオンアイスでは羽生くんはコラボなしの1プログラムだけだから、その分オープニングやフィナーレではファンサービスをふんだんに張り切ろうと思ったかもしれないということである。演じる1プログラムも「アイスショー」という興業の性質を考えるならば、本来ならば完成度重視、エンタテイメント度重視で行かなくてはならないところである。そこを試合プログラムでやらせてもらって、しかも試合と同等のジャンプ難度でやらせてもらうことで完成度の面はある程度犠牲にならざるを得ない、そういう状況に対してもひょっとしたら申し訳ないと思っていた部分もあるのかもしれない。もっとも、今の羽生くんの人気と実力、五輪前という状況、ファンの思い入れ、そういったものを総合すると「五輪シーズンの試合プログラムを仕上げてゆく過程」でも商品価値が実際みごとに成立してしまっているわけだが。それはなんだか凄いことではある。

 どうでもいい話だが、今日羽生くんが新潟でバラード一番を演技している映像を観ながら「ここでプー耳(もしくは猫耳)つけて演技してたらすごくシュールで笑えるよね……」とかくだらないことを考えてしまった。

*******

 8月に横浜でスケート教室やるとか、西川でまたキャンペーンがとかいう情報も入ってきてるが、これからしばらくまた羽生砂漠になるのだろう。私はまだ整理し終わっていない録画を整理したり、このブログのネタを考えたりしながらなんとかしのぎたいと思っているが、さて。


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06.15
Thu
 アイスリンク仙台が改修されて「三井不動産SPORTS LINK CITY FUN-TE!」という施設の一部になるとか。荒川さんも羽生くんもコメントを寄せている。改修してより充実した施設になって、スケートの発展につながるといいなと思う。
 というわけで喜ぶべきことではあるのだろうけれど、一度アイスリンク仙台を見学した身としては「ああ、あそこが変わっちゃうのねえ」とちょっとさびしい気もある。
 アイスリンク仙台に行ったのは2014年6月である。仕事で運良く仙台行きが入って、その出張中の空き時間を利用して行った。仙台に行ったのはそれが二度目、しかも一度目は曾祖母の葬儀で連れて行かれた二歳の時だから記憶がなく、実質初めての仙台のようなもの。そんな出張の空き時間を、青葉城とかの王道観光地ではなく、アイスリンク仙台に当てた私。だって羽生くんが長い時間を過ごした大事な場所に行ってみたかったんだもの。
 ついでに、羽生くんの出身校である七北田小学校、中学校のあたりも歩いてみた。写真は中学校にあった横断幕。
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 七北田というのは、以前「私と東北」という記事にも書いたが、曾祖母がかつて里子に出されていた土地らしくて、その縁で、戦時中仙台に疎開していたうちの母やその兄弟が食糧をもらいに行ったりしたところでもあるらしい。当時は母曰く「ものすごい田舎」だったそうなのだが、もちろん今は全然変わっていて、普通の郊外の住宅地という感じであった。
 さて、アイスリンク仙台の写真をいくつか。見学料を払わなければならないのかなと思ったら、受付のお姉さんが「短時間見るだけならタダでいいですよ」とのことだった。「写真撮ってもいいですか」と聞いたら「中で滑っている人の顔がわかるような写真でなければ」ということだった。平日の午前中ということもあって、中で滑っている人は二、三人程度だったと思う。
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 アイスリンク仙台の中にいるときは「ああここで羽生くんが……」といった感動を新たにするというよりは、なんだかただぼーっと見てきて、ぼーっと写真を撮ってきたという感じだった。こないだのアイスショーといい、どうもここぞというときの「実感力」みたいなのが弱い私。
 そして、アイスリンク仙台のそばにある、多分羽生くんも入ったことがあるだろうお寿司屋さんでお昼をいただいた。
 これは、地下鉄の泉中央駅近くに貼ってあったポスター。色あせてるけど。
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 あと、仙台市街地にある「仙台なびっく」というところにあった、羽生くんのサイン入り等身大パネル。
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 このとき、なびっくの受付のお兄さんが「一緒に撮ってあげますよ」とすすめてくれたので、パネルとツーショットの写真も実はあるのだがそれをここにさらすのはさすがにやめておく。


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06.13
Tue
 このインタヴューは充実していて面白かった。三季目のバラード第一番の理由が、戦略的な面というよりは、羽生くんのバラード第一番に対する思い、という面から語られているところが一番興味深かった。
 以前「羽生結弦選手「バラード第一番」讃」という記事を書いたとき、バラード第一番を女性に見立てて、羽生くんが最初は口説くのに手こずっていたが口説き方を大胆に変えることで墜とした、という変な喩えをしたのだが、その喩えの延長線上で云うと「オレ結構好みの幅は広いし実際いろんな子とつきあってきてるけど、なんだかんだ云って根は一途だから、バラ1ともう一度っていう気持ちが強くて。やっぱりバラ1のこと長く付き合った分よく知ってるし、他の子とつきあったからこそバラ1の新しい魅力ももっと見つけられると思うし、これまでの自分の経験全てをかけてバラ1をこれまでよりもっと深く愛せると思うんだ」ということなんだ(違うけど)と思ったわけである。だから、羽生くんに深く長く愛されたいと思う人は、バラ1みたいな雰囲気をめざすといいと思うよ(何云ってんだかわからなくなってきた)。
 「スルメプロ」という云い方があるけれど、普通は観る人の視点から使われる言葉である。でも、バラード第一番は、羽生くんにとって、演技する側にとっての「スルメプロ」なんだろう。
 何にしても「僕は多分いろんなものに手を伸ばしてそれをつかんで、離して、というのがダメなんです。「コレ」って決めたらその道をバンッと突き進む方がいろんなことを考えられるし、いろんな自分を出せると思うんです」というあたり、人間のタイプとして「集中型」なんだなあ、ということがよく出ていて面白いなと思った。いろいろなことに手を出して拡散的に経験値を上げてゆくタイプの人もいるけれど、羽生くんは集中して一つのことに取り組むことによって、そこから波及的に世界を広げてゆきたいタイプなんだな、と。不器用と云えば不器用なのか。レベルとかが全然違う話で恐縮だけれど、私もたとえばどんどん新しい本をたくさん読むよりは、気に入った本を再読再々読するようなところが多々ある人間なので、気持ちとしては何となくわかるような。
 あと「昨シーズンのフリー(と羽生くんは云っているが正確にはまだシーズン終わってないから今シーズンのフリーだよね)は感情を作りきらずに自分の思うがままに流れるようにをコンセプトにしていて、世界選手権でこれがしたかったんだ!という演技ができたのでこれならもっといいバラード第一番ができると思った」といったことを述べているくだりも興味深い。Hope & Legacyとバラード第一番には、ストーリーやキャラクターなどの明確なものがないという共通点がある。そもそもHope & Legacyが「ストーリー、キャラクターのないピアノ曲であるバラード第一番」と「和の自然と関連が深いSEIMEI」の二つのプログラムから学んだものを流れ込ませたものだったと思うので、そこから得たものがふたたび「バラード第一番」に環流する、という感じだろうか。ストーリー、キャラクターのない曲での羽生くんの演技を推奨してきた身としては、そういう思いを持った羽生くんがバラード第一番をこれからどう熟成させてゆくか、とても楽しみである。

 とはいえ、同じプログラムの三季目というのはやはり戦略的には賛否が分かれるところだろうし、そのプログラムについての羽生くん自身の思いがどうあれ、結局は「五輪で勝てたかどうか」で評価が決まってしまうというシビアな状況に変わりはないのであった。羽生くんにしても「金がほしい金が!金くれ!」の思いは強烈にあるに決まっているので、そのへんと、プログラムとしてのバラード第一番の熟し具合とがさてどのように融合してゆくのか。

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 ところで私は福岡住みの地上波オンリー族なので、ファンタジーオンアイス神戸の放送はBS朝日も関西圏の地上波も観られないのであった。BSの方を録画を人に頼んでいるのでそれが届くのを待っている。しかし二年前は、関西圏の地上波が放送したファンタジーオンアイス番組を、後日福岡のKBC放送が流してくれたので、またそういうことがないかと期待してもいる。やればできる子KBCよろしく。

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 ここのところお風呂の鼻歌が毎晩CAT’S EYEである。若い頃覚えたのでフルコーラス歌える。しかしCAT’S EYEって羽生くんが生まれるより十年くらいは前の作品だし、その当時の私は今の羽生くんより若かったなあ、となんか遠い目になる。
 北条司さんの絵って綺麗だなあ、と当時印象的だった。CAT’S EYEは全部ではないが読んだ。アニメも全部ではないが観た。北条司さんが羽生くんを描いたらどんなふうになるかもちょっと知りたい。

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 私はファンタジーオンアイス神戸を一公演生で観たのだが、それにもかかわらずなのか、それからだからこそなおさらなのか、今週末新潟公演に行く方がうらやましい……(ほぼ廃人)。


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06.11
Sun
 まあ生で羽生くんを観るとガン観していたはずでも記憶が飛ぶ病にかかっているので、まともなレポは無理だが、書ける範囲のことを書くのでそれでもよろしければどうぞ。
 ちなみに、開場の13時より少し過ぎたくらいに会場に着いたのだが、グッズやプログラムは思ったより並ばなくて買えた。今回初めてTシャツを買った。女性用のものもあったのだけれど、女性用は襟ぐりが広めで形もシェイプしてある感じで、それよりは私は普通の形のTシャツとして着たかったのでメンズのSを買った。で、買った後から思ったのだが、女性用のを買うより、男性用のを買った方がより羽生くんとの「おそろい感」は強かったりしないか?羽生くんが着ているのはメンズのSかMだろうけれどどっちか知りたいなあなんて思ったり。ご近所着とか散歩着とかとして活用する予定。プログラムは初日に買った方々が評価していたのを知っていたけれど、私も買ってよかったと思った。羽生くんのインタヴューが充実している。これについては後日改めて書こうと思っている。羽生くんのパネルかなんかと写真撮影できるコーナーが大行列してたらしいが私はそっちには並ばず。
 席はロングサイド、西側(向こう正面)四列目ショートサイド寄りだった。ショートサイドがいいなあと思っていたけれど惜しかった。でもまあショートサイド近くということでわりとジャンプが目の前で多かった感じ。

 ファンタジーオンアイス、去年の羽生くんが出なかったときにも、ショーとしての見応えはさすがだなあと思ったけれど、やはり私が世界一観たいスケーターは羽生くんなので。去年やはり出られなかったプルシェンコ様も出演で、本当にゴージャスでファビュラスでマーベラスな出演陣だなあと。
 で、その上さらに、以前のこちらの記事で「杏里さんがゲストなら羽生くんでCAT’S EYE観たい、来生三姉妹にも負けないデリシャスバディを見せつけて欲しい」てなことを書いた私としては、この望みがほぼ実現してとーてーもー嬉しい。まあ羽生くん単独でCAT’S EYEはないだろうけれど、オープニングならあり得るよなあと思っていたら本当にあった。でも一生懸命観ていたはずなのにやっぱり細部のレポートが全然できない。羽生くんがロンダードをやっていたことと、羽生くんが客席に向けてずーっと指を指しながら滑っていったところがあったのは多分確かだと思うけれど。なんかCAT’S EYEあっというまに終わってしまった印象だった。あと五分くらいやってくれてもよかった(無茶云うな)。
 あ、CAT’S EYEより前、全体のオープニングの時に、出演者が次々紹介されて出てくるのだけれど、やっぱり羽生くんが最後に出てきたとき会場がものすごい盛り上がりだった。ただ、4Tが2Tに抜けた?と思うので本人は悔しかったみたいだけれど。

 日本人現役選手とヴァシリエフスくん、バルデさんとエアリアルが1プロずつ、それ以外は2プロずつ、という構成だったかと。以下順番とかはごっちゃでざっくりと。スタオベ結構たくさんして忙しかった。
 日本のジュニア女子たち、それぞれにがんばってた。真凛ちゃんはやっぱりあの歳にしては見せ方、引きつけ方とかうまいなあと思う。ヴァシリエフスくん元気にがんばってた。織田くんは柔らかい滑りがやっぱり魅力的で、コラボ(藤澤ノリマサさんとのコラボで愛の挨拶をアレンジした曲)とそうでないのと一曲ずつあったけれど、どちらもよかった。鈴木明子さんもコラボとそうでないのと1曲ずつで、どちらもやはりさすがだなあと思ったけれど、新婚さんということもあって杏里さん(ピアノ木下航志さん)の「SUMMER CANDLES」のコラボがより印象的だったかな。バルデさんマイクロジャクソンメドレーでダンサブルでバク転もありの楽しい演技。アクロバットの二人はサーカスで云うところのピエロの役割だと思うんだけれど、そこをうまくこなして、毎回やっぱりうならせてくれる。エアリアルは、これまではわりと優雅で神秘的な印象があったんだけれど今回はわりとロックっぽい感じで迫力があった。ポゴリラヤちゃんは、存在感にすごく華があるなあと。コラボでない方の一瞬の変身のあざやかさに息を呑んだ。パパダキス&シゼロン組は本当に絵になる美しさ。それにしても前から思っていたのだがシゼロンくんが羽生くんと同い年、パパダキスさんは年下って本当なのか。宇野くん「冬」すでにかなり完成された雰囲気でよかった。国別対抗戦で観たときも思ったけれど、宇野くんて「ちっちゃい子」ってイメージがどうしても前からあるんだけれど、生で演技しているところを観るとイメージよりずっと大きく見える。舞依ちゃんタイスの瞑想曲で、やっぱり軽やかさがいいなあと。安藤美姫さん、コラボの方の曲が杏里さんの「悲しみがとまらない」女性の感情をわりと出すタイプの曲って似合うなあと改めて。荒川さん、杏里さんコラボの「オリビアを聞きながら」で珍しく転倒があったけれど大丈夫だっただろうか。もう一曲、タンゴだったと思うけれどすごくカッコよかった。フェルナンデスくん、特にコラボでない方、海賊(パイレーツ・オブ・カリビアン?)だったのだけれど、キャラクターになりきるのが大好きっていうのがよく出てた。ジョニー・ウィアーさんはまったくカラーの違う2プログラム、なんだか妖艶な曲と、木下航志さんとのコラボでのアメージング・グレイスで、そしてどちらもやはりIt’s Johnny’s Worldだった。今回バトルさんがなんだか印象的だった。木下航志さんとのコラボと、そうでないのと2プログラム、どちらもなんだかすごくカッコよくて表現力も感じて好きだった。ランビエル様はコラボなしの2プログラム、こちらもランビ様らしい表現力、カッコよさを堪能できた。そして皇帝プルシェンコ様、伝説のセッボンが一部のトリだったけれど客席乱入もありで大盛り上がり。対して二部のプログラムは3.11に捧げるものということで黒の衣装で重厚なプログラム。何なのこの振り幅。

 さて羽生くんのバラード第一番だが、ありていに云ってジャンプは不調だった。綺麗に決まったのは3Aだけ、4Loは確か両手をつき、4Tは転倒してコンビネーションをつけられなかった。でも、他の部分では羽生くんならではの空気感をまとったバラード第一番を味わうことが出来た。私は試合であれショーであれバラード第一番をこれまで現地で観たことがなかったので観られてよかった。このプログラムは羽生くんの数あるプログラムの中でもスピンの美しさは筆頭に位置するのではないだろうか。あと、これはちょっと記憶に自信がないのだが、後半のステップの中のツイズルの時の手の動きがこれまでと変わっていたような気がする。
 アンコールのLet’s go crazyの後半はノリノリ。投げキスとズサーと会場の歓声、悲鳴。

 フィナーレでは4Tを決めていた羽生くん。最後のジャンプ大会には参加していなかったけれど。最後の挨拶の内容は覚えている範囲で下記のようなことがあったかと。言葉の正確な詳細はもちろん覚えていない。
・私事ですがショートプログラムマジですみませんでした。試合の時にはちゃんとできるようにがんばります。
・私事ですがその2、尊敬しているプルシェンコさんにまさか自分の二の腕を指してもらえるとは思ってなかったです(これ私はリアルタイムでは意味がわからなかったのだが、どうやらフィナーレの後で記念撮影などしているときにプルシェンコ様とセッボンのポーズで写っていたりしたらしくて、そのときにそういうことがあったらしい)。
・今日は時間が早いので帰る方も多いと思いますが、暗いところから急に明るいところに出ると、僕らもそうですがまぶしいので気をつけてください。
・来年神戸でまたやらせてもらえるかどうかは主催者の方しか知らないですが、またここでやりたいです。
 「私事ですが」そして「プル様ガチオタ」というのはエゴサで得た自分がどういうふうに云われているかというのを絶対意識してるよなあ。
 そして最後に「ありがとうございました、って云うので、聞かせてください」と云って、マイクなしで「ありがとうございましたーっっっ」って叫んで、みんなが「ありがとうございましたーっっっ」って返す、という流れだったと思う。

 まあ私にとっては、詳細に記憶に刻むというのは無理だから、とにかく羽生くんを現地で観る、羽生くんが実在していることを実感しに行く、そんな感じだった。そして今回は四月に国別対抗戦に行ったときより席が前の方だったこともあって、羽生くんという人が確かに実在している、その躍動する肉体が目の前にある、という実感はより強く得られたような気がする。
 フィナーレでの出演者の周回のとき、羽生くんはさっきトリで演じたばかりということもあって汗をかいていて、その汗に濡れた首筋が一度すごく光って見えたのが印象に残っている。もちろん汗が照明を反射したのには違いないのだが、なんだか首筋そのものが発光しているかのように感じてしまったのだった。

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06.09
Fri
 明日私はファンタジーオンアイス神戸を観に行くはずで、ちゃんと持って行くものも準備したし、というか今これを書いている瞬間も神戸ではshow goes onのはずなのだが、なんだかまだ実感がなくてぼんやりしている。多分、本気でどきどきわくわくすると日常生活に支障が出るから脳みそが勝手にリミッターかけてるんじゃないかと思う。
 で、そんなぼんやりとした精神状態で思う神戸という街のあれこれについて書いてみたい。神戸は好きな街なのだ。このブログでも以前名前を出した稲垣足穂氏の作品が私は大好きなのだが、稲垣氏の一部の作品群は神戸の街が背景になっている。トアロードなんて私はなんだか名前だけでときめいてしまうのだ。Wikipediaによると、トアロードという名前が最初に文献に出てくるのは稲垣氏の文章らしいし。トアロードのトアとはいったい何か、諸説あるということも謎めいていてなんだかいい。稲垣氏の描く幻想の世界にふさわしいではないか。
 そんな神戸に、私は阪神淡路大震災より前に、仕事の長期出張で三か月ほど滞在したことがある。稲垣氏の描いたあの街にいるんだ、と、なんだか嬉しかった。もちろん稲垣氏が描いた頃とは街の風貌は全く変わっているには違いないのだけれど。
 滞在中、休日には仕事の先輩方と一緒に遊びに行ったりしたこともあったけれど、一人で散策したことも何度かあって、むしろその方が印象に残っている。トアウェストと呼ばれるあたりの雑貨屋さんめぐりなどしていた。名前を覚えているのはONE WAYというポストカードがメインの店と、シュビドゥビという雑貨屋さんの二軒だけだが、その二軒はどうやら今も健在らしくて嬉しい。私は子どもの頃から今まで、それほど熱心にというわけではないがポストカードを集めていて、ONE WAYには本当にたくさんのポストカードがあって見ていて楽しかったし、気に入ったものをいくらか買った。シュビドゥビでは確か、煙草を吸わないくせにフランス製の硝子の灰皿のシンプルなデザインが気に入って買ったり、ペンギンの形をした塩胡椒入れを買ったりしたのだったと思う。それらは今でも私の部屋にある。灰皿には他の雑貨を入れて飾ってある。塩胡椒入れには塩胡椒を入れたことはなく置物として置いてある。今回の神戸行きは諸事情でコンパクトな日帰りなのだが、できれば一泊くらいして、そのあたりをまた歩いてみたかった。
 神戸は、羽生くんが東日本大震災後、初めてふたたび人の前で演技をした場所でもある。そして、私にとっても、明日、神戸の思い出に「羽生くんをアイスショーで観た場所」というのが追加されるのが嬉しい。私の頭の中の、幻想と追憶が入り交じる神戸のイメージに、羽生くんはよく似合うと勝手に思っている。


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06.05
Mon
 昨日夜遅く出張から帰って、寝る前にちょっとだけ羽生くん情報をチェックしとくかね、と思ってネットにアクセスしたら羽生くんがまた弓弦羽神社に参拝して絵馬を奉納したという話が。で、その絵馬に書かれた内容を知って目が点になった。「私が少しでも導きの光となれますように」のところで。
 私はあんまりまっすぐな心の持ち主じゃないので、この言葉に即感動するというよりは「ちょっと待て、これ字面だけ見たら『中二病的自我肥大のポエム』と思われてもしょうがないぞ!」と思ったのだった。いやもちろん、羽生くんの中にはそれなりの文脈があってこの言葉のチョイスにたどり着いたには違いない。しかししかし、世の中には羽生くんの文脈なんて知ったこっちゃない人々もたくさんいるわけで、そういう人から見ると「イタいヤツ」にもなりかねない言葉を選んじゃったなあ、と、なんだか心配になったのだった。
 とはいえ、羽生くんがそういう可能性も何も考えずに書くほどうかつな人だとも思えないので、それなりの覚悟(?)を持って書いたのだろうと思う。にしても、羽生くんの中でどのような文脈でこの言葉にたどり着いたのかがはっきりとはわからないもどかしさがある。まあ、絵馬に願い事の文脈をえんえんと書く人はいないし、そのスペースもないけれども。誰を、どういうふうに導きたいと感じたのだろうか。あえて「導き」という言葉を持ってきたのはなぜか。導きというのは重たいことだ。導く相手に対して自分の全人格をかけなければならないことだ。その若さで導きの光となれるようにという願いを書くに至ったその心の経緯とはどんなものだったのか。
 同じ絵馬の前半が「全力で試合に臨めますように」だし、前半との脈絡はあるのかないのかも気になる。前半がスケートのことなので、後半も「フィギュアスケート界を少しでも先導できる立場になれれば」ととることもできるし、それはそれでしっくりするが、それだけのことなのかどうか。テレビ取材のカメラも同行していたらしいということなので、そのあたりの真意の一端だけでも後日明かされたりしないだろうか。私は推測好きだが、この件に関しては推測して推測が間違ってたら嫌だな、と思うので。

 羽生くんが参拝したのは神社だが、導きの光という言葉にはどちらかというとキリスト教的なイメージを個人的には感じる。私事ですがキリスト教の影響の強い環境下で育ったので、私自身はクリスチャンではないものの、宗教観というとどうしてもキリスト教的なイメージになってしまいがちなのである。で、導き、という言葉からすぐ連想したのは、賛美歌(1954年版と云われるものの)213番であった。迷える人々を導くものとしての「主」を、羊を導く牧者に喩えた聖書の詩篇23篇がもとになっていると思われる歌詞。「みどりのまきばにわれらをふさしめ いこいのみぎわにわれらをみちびく」で始まる。本当は全文引用したいのだが著作権の問題とかがどうなのかわからないのでよしておく。クリスチャンにはならなかったものの、一部の賛美歌はメロディーや歌詞の美しさが好きで今でも覚えている。この213番もその一つ。
 フィギュアスケートの音楽に賛美歌が使われることはおそらくないだろうが、羽生くんが滑ったら似合いそうな賛美歌というのも、この213番を含めいくつかありそうだ、と思ったりもした。

 羽生くん個人の具体的な宗教観はもちろん知らないし、立ち入る気もないが、絵馬に書かれた言葉などを見ても、人智を超えた領域への敬い、畏れは持っているのだろうな、という気がする。
 私個人は特定の宗教に拠って立たない主義だが、宗教というもの、あるいは人智を超えた領域といった概念を軽んじる気もない。また、宗教を持たなくとも「祈り」というのは可能なものだと思っている。羽生くんの祈りが届きますように、と、祈っておこうと思う。

 しかしまあ、絵馬に書いた言葉一つで、こうやって一ファンのブログにいろいろ書かれてしまうというのもなんだか気の毒だなあ、と書いておいてなんなんだが思う。
 あと「羽生くんとポエム」というテーマもいずれ書きたいと思っているのだが、羽生くんは存在だけですでにファンの心にポエムを発生させてしまう性質があるので、ご本人はあまり「甘い蜜」だの「導きの光」だのポエム的な語彙を発しない方がよろしいのではないかと、これは本当に個人的な嗜好の問題だが思っている。


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06.01
Thu
 三季目のバラード第一番、後半に4T3Tの連続ジャンプが入っている。あのタイミングは一番最初のバラード第一番で3Lz3Tが入ったのと同じ位置かと思う。そして羽生くんはかつてその3Lz3Tに悩まされていたわけだが、今回の幕張の映像を観る限り、3Lz3Tより難度が高いはずの4T3Tを、羽生くんは3Lz3Tよりなんだかずっと跳びやすそうに跳んでいる気がする。
 もちろんそれだけ以前と比べて羽生くんの技量が上がったということでもあるのだろうけれど、音楽とジャンプの相性みたいなものがあるのかな、となんとなく思った。
 3Lz3Tをあの位置で跳んでいてなかなかうまくゆかなかった時、私の印象として、あのへんの音楽は「おらおら跳べ跳べ」と圧をかけてくるようなイメージがあって、音楽に敏感な羽生くんはそこでなんとなく3Lzが詰まってしまうようなところがあるのかなあ、と感じていた。Lzっていうのは六種類のジャンプの中で唯一、助走で身体にかかる回転の方向とジャンプの方向が逆ということで、ある意味ジャンプの中では一番、流れで跳べない、云ってみれば圧で跳ぶタイプのジャンプのような感じがあって、で、音楽からの圧とジャンプそのものの圧とダブルの圧で苦しそうな感じになるのかなあ、と。その点、4Tの方は、四回転ではあってもジャンプの構造が素直なだけに、Lzと比べると流れで跳べるのかな、圧をかけてくるような音楽でも、ジャンプの流れとうまく重ねて、圧を推進力に変えるような感じで跳べるのかな、などと思ったのである。
 もちろん素人がイメージで考えることだからとてつもなく見当外れなことを云っている可能性も多々あるのだが。しかしまあ何にしても、あの位置に連続ジャンプはよく似合うと思うし、今後も4T3Tが綺麗に決まるといいなと思う。あと、ここのところすっかり4Tに対する信頼感が増している感じがあるけれど、リスフランさんの方は大丈夫だろうか?もちろんそのあたりは本人も周囲もものすごく気をつけているところだとは思うけれども。

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 私事ですが出張先の東京のホテルでこれを書いている。夕食を羽田空港で食べて、デザート的にずんだシェイクを買った。ずんだシェイクを飲むのはもう何度目かになるけれど枝豆のやさしい味がしてやっぱりおいしい。


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