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01.31
Tue
 羽生くんをあらわすのに天使だの妖精だの阿修羅だの、いろいろこの世のものならぬものの喩えが使われるが「天女」というのもその一つであろう。たとえば「花になれ」などは淡い色の着物風の衣装と相まって、天女の舞を彷彿とさせる。「SEIMEI」のスローパートなどにも和風の衣装の雰囲気と相まって、天女の舞を思わせる部分がある。羽生くんの動きにつれて、領巾(ひれ:ひらひらする細長い布)が見えそうな。あと、衣装がことさら和風でなくても「花は咲く」「Final Time Traveller」それから今季の「Hope & Legacy」などにもいくぶん天女味を感じる。そういう演技を観ると、僧正遍昭が五節(ごせち)の舞姫を天女になぞらえて詠んだという、百人一首の有名な歌をもじりたくなる。

 天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 結弦の姿 しばしとどめむ

 さて、このブログでも触れたことのある白洲正子氏の『両性具有の美』に「天女の舞」という文章が収録されている。その中で白洲氏は、世阿弥が能における天女の舞について書いた内容を引用している。それをさらに一部引用する。
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天女の舞(中略)五体に心力を入満して、舞を舞ひ、舞に舞はれ、浅深をあらはし、花鳥の春風に飛随するが如く(以下略)
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 そして白洲氏はこう述べる。
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「五体に心力を入満して、舞を舞ひ、舞に舞はれ、浅深をあらはし、花鳥の春風に飛随するが如く」、すべてを忘れて無心に舞うというのは素晴らしいことで、真に体験した人でなくてはこのような言葉は吐けないと思う。
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 天女系の羽生くんの演技は「舞を舞ひ、舞に舞はれ、浅深をあらはし、花鳥の春風に飛随するが如く」という雰囲気をまさに感じる。また、それらのプログラムの場合、曲や歌詞などに羽生くん自身が思い入れをしやすいものが多いからだろう「五体に心力を入満して」というのも感じられる気がする。さすがに、羽生くんの場合はジャンプなどもあるし「すべてを忘れて無心に舞う」というのはなかなか難しいかもしれないが、そういう境地を思わせるような軽やかさがある。
 そういうわけで、羽生くんが本当は天女で、羽衣伝説みたいに何らかの事情があって地上にとどめられて、その何らかの事情のために地上で舞(としてのフィギュアスケート)を見せているのだったりして……などという妄想もふくらむのである。
 で、羽衣伝説についてちょっとネットで見てみたらWikipediaのページにこんな記述があった。
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なお天女はしばしば白鳥と同一視されており、白鳥処女説話(Swan maiden)系の類型といえる(白鳥処女説話は異類婚姻譚の類型のひとつ。日本のみならず、広くアジアや世界全体に見うけられる)。
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 そういえば。以前書いた記事で、河合隼雄氏が『ユング心理学入門』の中で「いわゆる「白鳥の乙女(swan maiden)」のお話は全世界に分布しており」と述べていたことに触れた。ちなみに「白鳥処女説話」とはgoo辞書によると下記のようなものである。
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はくちょうしょじょ‐せつわ【白鳥処女説話】
白鳥が処女に化して地上に降り、人間の男に衣を取られて結婚するという筋の説話。特に女性の処女性を白鳥で象徴する。類型は世界的に分布し、日本の羽衣 (はごろも) 伝説や昔話「鶴女房 (つるにょうぼう) 」もその例。羽衣説話。
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 なるほど。白鳥処女説話は、日本では羽衣伝説や鶴女房という形になっているのか。云うまでもなく羽生くんは白鳥とも縁が深い。あと「白鳥の湖」を和風にアレンジした曲で演技した「White Legend」については「白鳥よりもむしろ鶴」といった感想を持った人もかなりいたようで、鶴女房のイメージとも重なる。白鳥処女説話を、洋の東西を問わず、しかも男性であるにもかかわらずみごとに体現してしまう羽生くん。
 ところで世界各地にある神話や伝説に見られるキャラクターやストーリーが地域が離れていても共通していたり似通っていたりするのは、ユング心理学によると人類の「普遍的無意識(集合的無意識ともいう)」を反映しているかららしい。羽生くんに多くの人が惹きつけられるのは、そういう神話や伝説などのイメージを体現できるから、云い換えれば普遍的無意識からのイメージを投影しやすいからなのかもしれない。ユング心理学については人によって評価や好みが分かれるから断定はしないけれども、羽生くんのあの抗しがたい魅力が、個人の領域を超えた普遍的な深層心理の層に根ざすとするとなんだかとても納得はしてしまうのである。

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 欧州選手権ではメドベジェワちゃんが、あえてジャンプの跳びすぎをしたにもかかわらずフリーと総合で世界新記録を出しての優勝、フェルナンデスくんが五連覇。どちらもすごいこと。おめでとうございます。


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01.27
Fri
 占いには科学的根拠はないわけで、私は以前このブログで星占いの記事も書いたし占いとかそういうものは面白いと思って興味を持って調べたりはするんだけれど、それを現実に当てはめるかどうかということになると距離を置く。当たったとか当たらないとか楽しむ程度にとどめたいと。それは血液型性格診断についても同様で、科学的根拠はないとされているので、面白いとは思うけれどもあんまりこだわるのはどうかなと思っている。ちょっとした話題として楽しむくらいはいいと思うけれど、血液型がどうだからこうだ、みたいな決めつけはあまりよろしくないんじゃないかみたいな。特に、特定の血液型をバッシングするのはどうなんだ的な。
 という私は、どうやら世間的にはもっともバッシングされやすいB型なのである。幸い、私個人はB型ということで否定されたり攻撃されたりといった目にはこれといって遭ってないけれど、何かの仕事の求人に「B型お断り」と書いてあるのがあったとかそういう話は聞いたことがある。私自身が血液型にさしてこだわりはないとしても、やはり自分の血液型がけなされるのはあまり嬉しくはない。
 しかしあるとき「フィギュアスケートファン」誌をぱらぱらとめくっていて気づいた。選手のプロフィール欄を眺めていると、あれ、B型多いな、と。
 近年の日本のトップクラスの選手の中で、下記の選手すべてB型だ。
 小塚崇彦
 村上大介
 羽生結弦
 宇野昌磨
 浅田真央
 宮原知子
 日本人の中でB型が約20%しかいないことを考えると、トップクラスの選手中に占めるこのB型の多さは異例と云えるだろう。偶然にしてもやっぱり嬉しいのは嬉しい。もちろん羽生くんと一緒なのが特に嬉しい(さらに云えば、B型にもBBとBOがいるわけだが、羽生くんが「家族四人皆血液型が違う」と云っていたことから推定して羽生くんがBOであることは確定、私もBOなので、そこまで一緒である)。これだけの事実があれば、どこかの誰かがB型をどれだけけなしても、胸はって生きていけるな。

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 今欧州選手権男子ショートプログラム真っ最中かなと思う。ライストでまで追う余裕はないのだが、まあフェルナンデスくん五連覇なんだろうなあ。コリヤダくんがどこまで来るか、コフトゥンくんは真価を発揮できるか。


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01.23
Mon
 全米選手権のネイサン・チェン選手は凄い。点数は国内選手権だからあくまで参考程度に見るとしても、四種五クワドをクリーンに跳べる力を持ってることはしっかり示してきた。まだGOEやPCSも伸ばせると思うので今後が楽しみ。インタヴューなどを読んだ印象でもなかなか切れ者感があるし手強いぞと。
 宇野くんが4ループ入れてくる可能性もあるということだし、ボーヤン・ジンくんも負けてはいられないところだろう。そしてもちろん我らが羽生結弦氏も大量に燃料を投下された感じで今ごろめらめらしているのではないかと。
 ソチ前に羽生くんが、オールラウンダーの王者チャン氏を、技術点を伸ばすことで一気に追い上げたように、今はオールラウンダーの王者羽生くんを、若手が技術点を伸ばすことで一気に追い上げてきている。歴史は繰り返す。ただ、前回と違うのは、おそらく前回はチャン氏にとっては「羽生くんの成長が思ったより早かった」のだと思うのだけれど、羽生くんは下から若手がすごい勢いで自分を追い上げてくる可能性というのを十分に考えていたと思う。だから、今季に意地でも4ループは入れておきたかったのだと思う。現時点でも、互いにノーミス、あるいはミスの数が同じくらいであれば総合力で羽生くんが勝てるのではないかと思うが、羽生くんの性格的に、GOEやPCSの高さを武器にして総合力では勝てても、ジャンプ構成が見劣りする、というのはやはり嫌なんじゃないかなあ、と思う。今季このあとの試合がどういう展開を見せるか。それを受けて五輪シーズンの来季、誰がどんな戦略をとってくるか……。
 いずれにせよ、強力ジャンパーたちがまず四大陸選手権にはこのままだとそろうはずだ。四大陸としては近年にないゴージャスな戦いを観られそうで楽しみだ。4サルコウ跳べるようになったチャン氏も来るし。かつてクワドエルフとして名をはせたレイノルズくんも来るし。ジャンプ合戦が熱いことになりそうだけれど、そこに名だたる表現派のブラウンくんが加わっているのも嬉しい。リッポンくんが骨折で全米を欠場したのは残念だったけれど。
 そして世界選手権ではフェルナンデスくんもここに加わってくるし。それぞれがどんな戦いをするのか。わくわくどきどき。下手すれば胃が痛くなりそう。
 どなたさまもくれぐれもステイヘルシーで。

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 羽生くんの振付ドキュメント番組が観たいとか云っていたら「フィギペディア」でボーン氏との振付シーンが少し流れたようで。「流れ星を見るようなイメージ」とか指示しているところが出ていたけれど、ああいうふうにHope & Legacyの全体にいろいろなイメージが詰まっているのだろうなあ。
 「流れ星を見るようなイメージ」で昨年夏の24時間テレビを思い出した。オープニングの「愛は勝つ」で、羽生くんたちが映ったところの歌詞が「夜空に流星を見つけるたびに願いをたくしぼくらはやってきた」だったなあ。
 しかし羽生くんと流星群など見たりすると、のどかに願い事をするというよりは、なんかむきになって人より多くの流星を見つけようとしたりしそうだ、とか妄想する。

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 昨夜の情熱大陸は『殿、利息でござる!』原作の磯田道史さんだった。磯田さんは私の好きな堺雅人さんの主演映画『武士の家計簿』の原作者でもあり、堺さんとはお友達でもある。というわけで観てみた。磯田さん、なかなかぶっとんだ変人っぷりで面白い。興味あることについてはマシンガントーカーだ。羽生くんを連想した。
 さらに、番組の最初の方で、磯田さんがシャツにサイズ表示の「M」のシールを貼ったまま着ているのが指摘されていた。そういえば羽生くんもサイズ「M」のシールを貼ったままのパーカー着て写真撮られてしまったことがあった。何かに秀でてる人というのは、自分の関心が向かない領域についてはそういううっかりさんなことってありがちかもしれない。

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 昨日はアタック25でいきなり「Let’s go crazy」が流れてきたのでなんだ、と思ったら「この曲は羽生結弦選手がショートプログラムで使用しているLet’s go crazyです。歌っているのは映画『パープルレイン』などで有名な歌手です。誰でしょう」という感じの問題だった。羽生くんのことをよく知らなくても『パープルレイン』がわかれば答えられる問題ではあるが、そういうふうに問題の題材になってるっていうことがなんだか嬉しい。


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01.21
Sat
 HSPとは、ご存じの方もいらっしゃるだろうがHighly Sensitive Personの略である。訳すと「とても敏感な人」ということである。エレイン・アーロン博士が提唱した概念である。私はこの概念を数年前に知ったが、たとえばこれが学術的にどのくらい妥当と認められているかは正確には知らない。しかし近年、アーロン博士自身のものをはじめとして、HSPに関する複数の著作物が出ている(日本人が書いたものもあるし、外国の人が書いたものの邦訳もある)という状況を見ると、この概念に妥当性を見いだす人はそれなりにいるのだと思う。ちなみに私が読んだのはアーロン博士自身の著書の邦訳『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』(SB文庫)のみである。
 HSPは人より何かと敏感だという「生まれつき」の特質を持っている人のことである。5、6人に1人程度いるらしい。だからそんなにものすごく珍しい特性というわけではない。けれど全体からすると少数派には違いない。つまり、世の中のものごとはどちらかというと非HSPを基準に動いているので、往々にしてHSPの人は生きづらさを抱えていることが多い。ご自身がHSPかどうか知りたい方はアーロン博士のサイト(日本語版)に自己診断テストがあるので目安にはなるだろう。念のため断っておくが異常とかではない。人口のある程度のパーセンテージは自然とそういう性質を持っているということだ。人間以外の動物にも一定の割合で「より敏感な個体」が見られるらしい。
 さて私はこの自己診断テストの項目ほとんど全部が当てはまるというずぶずぶのHSPである。というと「私は繊細でデリケートな人なの」と主張しているようでむずがゆいのだが、これらの項目にほとんど当てはまるというのが事実だからしょうがない。というか、HSPという概念について、ネットで調べたり本を読んだりすると、おそろしいくらいに思い当たることがありすぎ、自分がHSPだとすると腑に落ちることがありすぎたのである。だから、世界でHSPのことがあまり認識されていないとしても、私自身としてはこの概念に妥当性があると感じざるを得ない。そしてこの概念を知ったことでかなり楽になったのも事実である。というのも、長らく「どうも私はいろんな局面で人より敏感な気がするけれど、そんなふうに思ってしまうこと自体が自意識過剰では……(ぐるぐる)」というのと「どうも私は敏感すぎるせいで何かと疲れやすくて弱っちいけれど、それは修行が足りないんだろうな。でも下手に修行するとさらにへたるだけになりそうだし……(ぐるぐる)」というのと二種類のスパイラルをずっと抱え続けてきたわけである。それが「そうか本当に私は人より敏感だったのか」「修行が足りないとかじゃなくて敏感さは仕様だったのか」ということでそのスパイラルが解除されたのである。もちろん、だからといって敏感さから来る生きづらさそのものが消えるわけではないが「この敏感さをなんとかしなければ」よりは「敏感さは生まれ持った仕様。だったらそれを抱えてどうするか考えよう」の方がずっと楽である。
 というわけで、HSPだけれど自分がHSPだと気づいていない方がいらしたら、ひょっとしたら私みたいにいくぶん楽になる可能性があるので、ネットや本で詳しく知ることをおすすめする。HSPでない方にとってはHSPという概念そのものがつかみづらいかもしれないし「HSPって扱いづらそう」とか思われるかもしれないし、場合によっては「HSPっていう概念そのものが弱い人の言い訳、自己憐憫ではないのか」と思われるかもしれないが、HSPの人は一般に「弱い」とされてしまうような特性を生まれつき抱えながらも、一生懸命生きてるのでひとつよろしく。
 まあHSPは敏感なので、驚きやすかったり怖がりやすかったり傷つきやすかったりしがちだけれど、いろいろなことに気づきやすく慎重なので、危険やミスの回避といったことが得意ということでお役立ちな面もある。また、人の気持ちを読むことに長けている場合も多いし、小さなことでも嬉しさや楽しさを見いだせたりもする。ものごとに対する感動も人一倍深かったりするらしい。だからといって、ことさらにHSPの長所を鼻にかける必要はないが、というか鼻にかけるほど図太くなれる人は多分HSPにはいないのだが、自分がHSPであることを自分の中にお守りのように認識しておくのはそれなりにいいことだと思っている。
 ちなみに一口にHSPといっても、どんなことにどの程度敏感かは人によってさまざまである。また、概して内向的な人が多いが、外向的なHSPもいる。敏感さをよく表出するタイプの人もいれば、あまり表出しないタイプの人もいる。

 という具合に前置きが長くなったが、HSPの私から見て、羽生くんもHSPの可能性ってあるな、と感じるわけである。羽生くんの言動をトータルで見て、やはり人並み以上の感受性の鋭敏さというのはあるんじゃないかと。音に対して極めて敏感なのはまず間違いないところだし。あと、私服もおしゃれよりは楽さ、着心地を優先しているという感じなのも。私自身も楽でないとイヤだし、着心地、感触のよしあしが気になるので(といっても、見た目でおしゃれじゃないとイヤだという方向に敏感なHSPもおそらくいると思うのでいちがいには云えないが)。外出をしたがらないというのも、余計な刺激を避けるHSPらしさのあらわれの可能性がある(ただしHSPの中にも刺激追求型の人もいる)。それから、ちょっと前に田中くんが云ってた「急にテンションがあがる」感じとか。HSPの人は敏感なので、ちょっとしたことでぽーんとテンションのスイッチが入ったりするのである。「マシンガントーク」というのも、何かで興が乗ってテンションのスイッチが入ってしまったら止まらない、ということのあらわれのような気がする。私も相手がいて状況が許せばマシンガントーカーになれる人である。このブログもマシンガントーク代わりに書いているようなところもある。それから比較的最近、オーサーコーチが「ユヅルはゲート前の馬みたいなときがあるので」みたいなことを云っていたかと思うが、敏感でともすれば昂奮しやすいHSPは、昂奮してしまうとなかなかコントロールが効きづらくなる(自分の中からの刺激に対していっぱいいっぱいになってしまうみたいな)ところがあるので、時にそういう状態になっているということかもしれないと思った。多分他にも、羽生くんの言動のエピソードをいろいろ拾ってゆくと、HSPっぽい感じのことはたくさん出てきそうな気がする。
 で、HSPだとしたら、その感覚の鋭敏さが、スケートにも生きているんじゃないかと思う。感受性の豊かさが表現につながる、という部分はもちろんのこと、技術的な面でも。おそらく羽生くんは自分の身体の状態をモニタリングする神経も人一倍敏感なので、スケートしながら、自分の状態をきめ細かく把握して、それによってきめ細かいコントロールも可能になり、それで難しい技術なども習得できるのではないか、と。そして、たとえばジャンプなどを成功したときの快感も人一倍強いという可能性もある。だから「ジャンプ厨」と云われるほどのめり込むのではないか。あと、参考になる人がそばにいると伸びるとか、誰かの真似をするとすぐにジャンプが跳べたことがあった、というようなエピソードも、観察力が鋭いことを反映している気がする(HSPの特徴の一つとして、特に教えられなくても人のを見ていてできるようになったりすることが多い、といったこともあるらしい)。
 そういえば以前、イチローさんと松井さんの違いについての記事を上げて、羽生くんはイチローさんタイプだという話をしたが、これについてもイチローさんがHSPで松井さんが非HSPだとするとわりと腑に落ちる話ではある。ちなみに、「情熱大陸900回記念 羽生結弦選手の回」の記事も、羽生くんがHSPである可能性をかなり意識して書いたものである。
 もちろん、私の立場で羽生くんがHSPであると断言はできない。それを判断できるのは本人か、かなり親しい人、あるいは本人をよく観察したその道の専門家に限られるであろう。でも上記に書いたようなことで「HSPであっても不思議じゃないよね?」くらいのことは云えるかなと思っている。で、もし羽生くんがHSPだったら、HSPみんなの希望の星だよな、とも思う。

 あと、これもあくまで私個人が漠然と思うことに過ぎないが、羽生くんファンというのも、平均よりもHSP比率が高い可能性があるような気がする。羽生くんのファンは、このブログの一番最初の記事にも書いたように「表現したがり」の人が多い感じがするし「表現したがり」の人がHSPである確率は高いような気がするので。


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01.19
Thu
 といっても今回は羽生くんが云っている「観客とのコネクト」ではなくて、別の面で「つなぐ、つながる」という話。
 最近のフィギュアスケートLife vol.8やWORLD FIGURE SKATING 76に記載されていた羽生くんの発言で印象的だった部分。自分は氷の上で練習する時間は短いけれど、という話を受けて。
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何よりも研究に費やす時間とか、ぼくの特徴である他の勉強だとかいろいろな理論。今は本当に恵まれた時代だからテレビとかでいろんな方のインタビューが聞けるし、いろんなアスリートの特集で勉強するところがたくさんあるんですね。だからそういったことをスケートに反映できるっていうのが、いちばんぼくが持ってる武器というか。
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 羽生くんは他の分野のアスリートと会う機会などでも、積極的にいろんなことを吸収しようとしている様子が見えるし、記者会見などで受ける質問などからも考えるきっかけをもらえるような発言もしていたかと思うし、萬斎さんのように他ジャンルの人からもいろいろと学ぶところを見いだしている。そういう直接的な場だけでなく、テレビなどからもそうやって情報を得て取り入れているんだなあ、というのがこの発言でわかる。多分大学で学んだことなどもどんどんスケートに結びつけているのだろう。そんなにスケートのことばかり考えてるわけじゃないというようなことも云っていたけれど、おそらく無意識のうちに日々の生活の中で、いろんなことを「スケートに活かすには」という視点で自然に見ているような状態になっているのではと思う。
 以前「ストッパー外しの名手、羽生結弦選手」という記事でも引用した『海馬』(池谷裕二・糸井重里著、新潮文庫)という本には「三十歳以降の脳ははたらき方が違ってくる。ものごとのあいだのつながりを発見する能力は、三十歳を超えて飛躍的に伸びる」というような話が出てくる。子どもの頃から二十代くらいまでにかけては、いろいろ知識などを吸収して脳のインフラを整備する時期、三十代からはその整備したインフラを使って、ものごとのつながりなどを見つけて、いろんなことを解釈したり考察したりする能力がのびるということらしい。つまり、三十代からは云ってみれば大人の頭の使い方になるというようなことだろうか。
 上記の羽生くんの発言など見ていると、22歳にしてすでにこの大人の頭の使い方がかなりできてきているのだろうな、という感じがする。取り入れたさまざまな情報を、スケートに反映するべく「コネクト」することができているということで、やっぱり羽生くんは年の割に大人びた賢さがあるんだな、と。あと、直接自分のスケートに反映するということじゃなくても、たとえば震災のことであるとか、それに対して自分がどういう働きができるかということとか、いろいろなものごとをきちんと「コネクト」して考えている印象は以前からある。なんだか、私自身は22歳頃ってどんな頭の使い方をしていたっけ?と明確に思い出すことすらできないので、羽生くんはすごいなあ、と改めて思う。それをすでに自分の武器とまで自覚できる状態であることも含めて。
 やっぱりそれは、子どもの頃から「スケートの高みを極める」という目的意識が明確でいろいろなことをそれに向けて焦点を合わせる、というようなことができていたからなんだろうな、と思う。それと同時に、いわゆる専門バカにはなりたくない、という意識も明確にあったんだろうなという気がする。震災以降は、震災に対して自分が役に立てるようになりたいという意識が加わったこともあるだろうけれど、広い視野の中に自分を置いて、いろいろなものごとの「コネクト」を意識してゆくことができる能力というのが確実についている感じがする。おそらく、それは競技としてのフィギュアスケートを退いた後も、別の形できっと活きてくる。

 いろいろなことをコネクトして、それを何らかの結果に結びつけることが、羽生くんが最近云っていた「結ぶ!」ということなんだろう。とりあえず今は、四大陸選手権と世界選手権でどんなふうに結ばれるか、楽しみに待っている。

 ところでいろいろなことを学んでいる羽生くん、大学の方はこの春で卒業するのだろうか。卒論は書いたのだろうか。可能ならば卒論を読んでみたいものだが。

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 宇野くんも後期後半に4ループを入れてくる可能性があるとか。チェンくんの脅威はもちろんだし、グランプリファイナル進出を逃したジンくんも立て直してくるだろうし、四回転宇宙大戦争はますます凄い様相を呈してきそう。羽生くんも気を引き締めながらもわくわくしてそう。皆がよいコンディションで試合を迎えられて、実力を発揮できますように。

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 ガーナクリアファイルはコンプリートした。いつもは通勤時はすいてる各駅停車に乗るのだが、混んでる快速に乗ることで余分の時間を少し作って、その時間を使ってちょっとだけ遠回りして寄ったマックスバリュのアイス売り場でゲット。何か所でもいつでもいろいろな店を回る元気がある、あるいはいろいろなお店に「今キャンペーンやってますか、まだファイルありますか」という電話をかけまくる元気があるとかだともうちょっと簡単にコンプリートできたのだろうが、そうではないので今回はやや苦戦した方。でも、こうやって自分の行けるとき、行ける店、行き方などを考えて行ってみたりする過程も楽しいといえば楽しいのである。


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01.15
Sun
 羽生くんが今季特徴的に使っている言葉として「コネクト」がある。観客とつながりあうことを意識しているということのようだ。確かに、特にグランプリファイナルでは、ショートプログラムでロックスターのように観客を煽り、フリーで観客をやわらかく包み込もうとするような雰囲気があった。以前から観客を巻き込むのはうまいと云われていたけれど、本人もこれまで以上にそういったことに意識を向けるようになったのだな、と。ただ、競技としてのフィギュアスケートはアマチュアのものなので、プロの演技と違って云ってみればスケートがちゃんとできていれば観客とコネクトしようがしまいが、極端な話どうでもいいってばいいはずなのである。でも、羽生くんとしては、表現面での深化ということをつきつめてゆくと、やはりコネクトという意識が必要になるというところへたどり着いたのだろうと思う。曲をそれらしく表現するとかだけではなく、観客をきちんと意識することでより磨きをかけ、深みを持たせられると。萬斎さんとの対談の「場をまとうことができれば観客は喜ぶ」というようなところからきっとつながっている意識の流れだと思う。
 その点、フィギュアスケートLife vol.8やWORLD FIGURE SKATING 76によると「観客側でスポーツやコンサートでコネクトした経験は」という問いに対して「行ったことないのでわからない」と答えているのがなんというか残念である。紅白の審査員席にはいたけれど、あれはそういうコネクトの経験としては確かにあまり参考にはならないかもしれない。羽生くんはやっぱりスケート中心の生活をしてきたから、ライヴなどに行くのはなかなか難しかったかもしれない。でも、バンプでもワンオクでも他のアーティストでもいい、自分の行きたいと思うライヴに行って、観客側でコネクトをするという経験をぜひ味わってほしいなあと思う。好きなアーティストのライヴなら、おそらく羽生くんがこれまで経験したことのない感覚をきっと味わえて、感受性を揺さぶられると思うし(なんかすっごくノリノリになっているところとか目に見えるようだ)、その経験はきっと、スケートで演技をするときに観客とコネクトする感覚をもっとぐっと立体化させてくれると思うのだが。
 でも実際問題としてはスケジュール的にはなかなか厳しいのだろうと思う。あと、ライヴ会場で羽生くんだと気づかれずに自由に楽しむ、っていうのも今となってはなかなか難しいことなのかもしれない。

 以前日本男子ファンブック2014Cutting Edgeで羽生くんが、最近よく聞いているSEIKAI NO OWARIの「yume」という曲から影響を受けてるかも、という話をしていた。私はセカオワがわりと好きなので、これはちょっと嬉しかった。

 さて、私は次いつ羽生くんと会場でコネクトできるのだろうか。四大陸と世界選手権は私は無理なので、国別に羽生くんが出れば可能性はあるのだがどうなるか。テレビの前からだって意識はコネクトできるけれど、やはり会場でコネクトしたい。生の羽生くんにはかなりご無沙汰だし。

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 ガーナのクリアファイル、昨日外出する用事があったので、ちょっとだけがんばってついでにイオンを二軒ほど回ってみた。一軒目はなくて、二軒目で三種類中二種類(ビールマンとバレエジャンプの)を入手。さてあと一種類なんとかなるだろうか。

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 朝日ビッグスポーツ賞で「グランプリファイナル五連覇をめざす宣言」をしたようで、それは目標を口にすることで自分の意識に働きかけるというメソッド、つまりは「言霊」の力を信頼するということだろう。それにしてもそうやって目標を公言する度胸がやっぱりすごいなあと思うけれど。

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 『チーム・ブライアン』の二冊目が出るとか。これも楽しみだ。


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01.11
Wed
 昨年末に、地上波でやっていた「奇跡のレッスン」シェイ=リーン・ボーン氏が日本の子どもたちにレッスンをしているところを取材した番組の後編だけ観た。ボーン氏のさまざまな働きかけで、子どもたちが「表現」というものに向けて開かれてゆくさまがなかなか面白かった。
 羽生くんにリアルで関われる立場の人というのはある意味みなうらやましいが、振付師というのは特にうらやましいような気が前からしていた。この番組を観てますますそう思った。振付師というのは羽生くんとダイレクトに一緒に作品を作れるのだから。
 振付師とスケーターの関わりというのは、振付師の性質とスケーターの性質によって「振付師のいうとおりにスケーターがこなすだけ」から「かなり対等な協同作業」までいろいろあるだろうと思う。概ね、スケーターの能力や自主性や創造性が高いほど、振付は一方的なものではなく協同作業の色が濃くなるだろう。だから、羽生くんと振付師さんとの振付現場は、協同作業的な色彩が強いのだろうと思われる。ボーン氏はWorld Figure Skating Extraで、羽生くんとかなり濃密なコミュニケーションをとったような話をしていたし。
 羽生くんみたいなスケーターに振付をするというのはとてもわくわくする作業なんじゃないかなと勝手に想像している。どちらかというと表現に照れがあるタイプが多いと思われる日本人の中で、羽生くんは子どもの頃から表現も好きで、表現のレッスン的なことにも臆せず取り組むタイプだったようだし。そんなふうに表現好きで、感受性も豊かで、自分からもアイディアを出す創造性があって、そしてもちろんもともとのスケーターとしての能力が優れていて、と、こんな人と一緒に一つのプログラムという作品を作り出すのが面白くないわけがない。もちろん、ボーン氏だけじゃなく、バトル氏にしてもウィルソン氏にしても同様。バトル氏も羽生くんから出るアイディアなどを楽しんでいるふしがある。ウィルソン氏については、ここのところ羽生くんのプログラム担当から外れていて「僕が振り付けしてた頃のユヅルには体力がなかった」とかぼやいてたらエキシを担当することになったので、ここぞとばかり振付師魂を「Notte Stellata」にたたき込んだのではないかなどと思ってしまう。羽生くんがみごとな演技を見せるとき、それはまさに振付師冥利に尽きるというやつではないだろうか。
 もちろん、振付師という仕事自体が感受性と創造性に優れていなければできないことで、だから羽生くんと振付師さんとの場というのは、才能と実力がある人どうしの交感の場でもある。そういう人どうしの交感というのは、たとえば以前の野村萬斎さんと羽生くんとの対談もそうだったけれど、はたから見ていてもとてもわくわくするものだ。きっと本人たちどうしは、それ以上に心地よい刺激を受け合っているのだろうけれど。
 だから、羽生くんの振付現場ってどんな感じなのか観てみたい。ドキュメント番組とかできたらいいのに。でも振付現場というのは「企業秘密」という要素が大きいだろうし、それにカメラなどが入ると作業の集中の妨げになりそうだから実現はしないだろうけれど。

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 羽生くんの献血CMを録画して、やはりPCではなくテレビで観ると、冒頭の真剣な表情も最後の笑顔もさらに魅力的だな、などと思う。私も羽生くんに「大丈夫だよ」と云われたい。何が大丈夫なんだかよくわからないけれど、何でもいいから私の何かを羽生くんに「大丈夫だよ」と肯定してもらいたい。
 いや、CMの趣旨はそういうことじゃなくて「献血してください、献血について知って、広めてください」ってことなのはわかってる。献血できない我が身がうらめしい。まあ献血でなくても、何か寄付とか、できる範囲でできるだけのことを、と意識してはいるけれど。
 で、このCMの優等生的羽生くんもいいが「Let’s go crazy」的なワルい羽生くんが「献血で命をコネクトしようぜ!Love in Action!」とか決めるCMもあっていいんじゃないかとちょっとくだらないことを考えた。

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 ボールドのマイレピ限定動画も楽しめた。ボールドに「ちゃん」づけするあたり、言霊があるという羽生くん、多分すべてのものに魂が宿っているというアニミズム的な感覚の持ち主なんだろうな。併せて掲載されてたインタヴューも、私もあまり外出しないタイプで仕事がなければ洗濯物は部屋着だけ、という状況になりがちのでなんだか勝手に共感した。しかし「練習着は大体ローテンションで」って変だ。テンションの低い練習着って。羽生くんのミスなのかマイレピ側のミスなのかわからないけれど。「ローテーション」の間違いだよね?と細かいところを気にする。練習着の羽生くんを見るこちらはもちろんローテンションなわけがない。

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 ガーナクリアファイルは未入手。今回はコンビニなしで概ねイオン系ということのようで、そうなると私はちょっと普段の生活圏に手軽に行けるところがないのだ。でも昨日、仕事で某所のイオンの近くまで行く用事ができたので、ラッキーと思ってついでに寄ってみたらクリアファイルの影も形もなく「キャンペーンの予定はあるんですけれどまだクリアファイル届いてないんですよ。14日にはくるらしいんですけど」との店員さんの弁。店舗や地域によって開始時期にばらつきがあるということか。まあ以前のスーパー系ガーナクリアファイルも、結局開始日から若干経ってからイオン以外のところで発見したし、可能性のありそうなところをチェックしつつ様子を見よう。そういえばキシリトールメモクリップも六種類中五種類ゲットという中途半端なところで止まっている。

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 今日でこのブログを始めてちょうど一年。始めた当初漠然と考えていたより高い更新頻度でやってきている。羽生くんって(私にとって)ものすごくネタ提供力がある人なんだなあ、と実感。
 今後も、生活ペースなどによっては更新頻度が変化する可能性はあるかもしれないが、ぼちぼち続けて行けたらと思う。これまでご来訪くださった皆様ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


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01.09
Mon
 昨夜のスポーツLIFE HERO’Sで羽生くんの最近の姿が観られてよかった。カナダへ戻る前の忙しい合間ではあったのだろうが、フジテレビに、そしてフジテレビを通じてファンの皆に、ある意味義理を果たしたということだろうか。
 撮す角度によっては羽生くんの喉仏って本当によく目立つなとか、黒い長袖Tシャツから出ている手が本当にきれいだなとかそういう雑念(?)を交えつつ観る。手の皮膚をつまんでいたりして、ああいうインタヴューって羽生くんでもやっぱり緊張してるんだなあ、などと思った。
 いろいろと「らしい」言葉を発していたけれど、初詣などでお願いするのも大事だけど、実行するのは僕でしかない、というのはあらためて自覚力の強さみたいなものを感じさせられた。私も以前、たとえ関係者やファンの応援をどんなに心強く感じていても、それを力に変えるのは羽生くんがリンクの上でたった一人で、自分の心身一つでやってのけるしかないということを書いた。それは神様などからの助けにしても同様であろう。それを最初から頼りにするよりは、自分が頑張っていてこそ助けの力を受け取れる、すなわち「天は自ら助くる者を助く(Heaven helps those who help themselves.)」という意識を持って臨んでいるということではないだろうか。
 あと、一年は短いようだけれど365日あるし、時間にしたらもっとあるし、その一つ一つの時間を大切にしてゆけたらという趣旨の発言もあったが、なんだか「申し訳ありません……」という気分になってしまう。別に羽生くんのように五輪連覇などという目標があるわけではないにせよ、ついだらだらと時間を過ごしてしまうことも多いので。
 五輪の枠取りについて「自分が一位になれば大丈夫」といったとのことだが、その手の強気発言にはなんだかにやりとしてしまう。そんな羽生くんに天の加護あらんことを!

 同じ番組に体操の白井くんも出ていた。羽生くんと白井くんには何か通じるものがある気がする。優れたアスリートであり、ともに「四回ひねる」五輪金メダリストであることはもちろんだが、白井くんの発言内容なども羽生くんを彷彿とさせるものがある。それから、なんとなく育ちが良さそうな感じ(裕福な家で育ったという意味ではなく、きちんと育ったという意味で)も似ているなあ、と。この二人、たしか以前テレビ朝日ビッグスポーツ賞の授賞式で一緒になって楽しそうに話をしていたが、しっかり対談などしても結構面白い話が聞けそうな気がする。どこか企画してくれないだろうか。もちろん二人に負担のかからない時期に。


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01.05
Thu
 Numberのフィギュアスケート特集はいろいろ面白かった。その中で、本田武史さん×伊藤みどりさん×ミッツ・マングローブさんの座談会の下記のミッツさん発言。
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ミッツ でも、個性的といったら、やっぱり羽生くんがダントツなんじゃないですか。技術や見た目、プレゼンテーション能力も含めて、一番個性的。実は王道だと思われているけど、王道の人ではないような気がするんですよね。盤石の王者としてどっしり構えている羽生くんに個性的な人たちが挑んでいるような構図に見えるけど、実は一番個性的な人が、今、絶対的な王者なんですよ。
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 うわーうまいこと云うな、と思った。確かにそうなんだ。ミッツさんが思うところの「王道の王者」はチャン氏とかプルシェンコ様とかランビエール様といった「これぞ男子! っていう感じの、周りを撥ねつけるようなオーラがある選手」ということで、そう云われてみればなるほどそれらの選手の方が王道感ある。いや、競技としてのフィギュアスケートを純粋に見た場合「ジャンプはできるだけ高難度構成にして、スピンステップもしっかりレベルをとるだけでなく、すべての要素でGOEを稼いでPCSも稼ぎます」という全方位型の羽生くんは王道中の王道のはずだ。なのになぜ王道感がないのか。それはつまるところ、羽生くんの持つ存在感が「これぞ男子! っていう感じの、周りを撥ねつけるような」ではない、ってことになる。羽生くんだって、今季のショートプログラムなどはマニッシュな魅力にあふれているけれど、しかししかし、その一方でフリーやエキシビションは「撥ねつける」どころかむしろ「周りをやさしく包み込みます」という感じだ。というか、今季のフリーやエキシに関しては、羽生くん以外の男子選手が演じたら多分ギャグにしかならない。あれだけの女性的な、けれど女性そのものではない美しさを出せる男子はちょっといないだろう。あ、ウィアー氏がいるけれどもいくぶん雰囲気が違う。いずれにせよ、その際立つ女性性が羽生くんの存在感を「個性的」なものにしていることは間違いないだろう。あと、女性的一辺倒ならまだある意味わかりやすいが、ショートプログラムでマニッシュな魅力を見せるあたりの振り幅の広さ。羽生くんの振り幅の広さがプログラム上で一番明確にあらわれているのは今季じゃないだろうか。「他の人にはちょっとないような女性性」と「他の人にはちょっとないような振り幅」がミッツさんの云うところの「個性的」の濃厚な要素なのだと思う。個性的というか、存在感がなんだかマニアックなのではと感じる。

 こういう云い方をするとなんだか申し訳ないけれど、私に好かれている時点で多分羽生くんの存在感はマニアックなところがある、ということだと思ってしまう。私はどうも「王道」に行かない志向性の持ち主なのである。自慢じゃないがオタク気質でもある。広く浅くではなく、あきらかに狭く深く、というタイプで、好きな対象には結構ハマるが、その一方で世間で流行っていたり人気だったりするような対象について平気で知らなかったりする。むしろあんまり「流行っている」と聞くとかえって興味がなくなるというひねくれたところもある。そんな私がこれまで強烈にハマった有名人は羽生くんで四人目だ。残り三人は、はまった履歴順に、佐野元春、hyde(L’Arc-en-Ciel)、堺雅人である(三人とも今も継続してファンである)。サザンオールスターズじゃなくて佐野元春、B’zじゃなくてラルク、福山雅治じゃなくて堺雅人である。王道ど真ん中ストライク人気ナンバーワンコースからはちょっと外れた、ややマニアックなところを歩んできた感が自分でもひしひしとする。2004年大河「新選組!」で堺雅人さんに惚れてから、そりゃ「堺さんが大河の主役したらいいな」と思ったが本当にそうなったときには「本当に私の好みのタイプに大河の主役させていいんですか?(おどおど)」みたいな気分もちょっとあった。
 そういう意味で、私に好かれているマニアックな存在感を帯びた羽生くんが、少なくとも現役選手の日本男子の中で人気ナンバーワンという現状に対して「本当にいいんですか?(おどおど)」みたいなところも実はちょっとある。というか、ソチ五輪より前は「私に好かれたということは、羽生くんが人気ナンバーワンまっしぐらということにはならないのかもしれないな」などと失礼なことを思ってもいた。本当にごめんなさい。

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 今回のNumberでは「スケートのどんなところにそれほど惹かれるのか」という問いに対して羽生くんが返したという答えも印象的だった。
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非日常的、非現実的というところから始まったんです。やっぱり陸上では考えられない体の使い方、風の受け方、ジャンプの跳び方など。難しいことに挑戦して達成したときに自分も喜べるし、みんなも喜んでくれる。氷の上はありのままの自分でいられる場所。特別だと思います。
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 水を得た魚、氷を得た羽生。私が以前書いた「羽生結弦選手 絶対孤独領域の輝き」という記事の内容とも、ちょっとつながるかもしれない。


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01.01
Sun
 あけましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 よい年でありますように。
 羽生くんが健康で、思い描く演技を存分にできますように。

 個人的には、昨年結局一度も羽生くんを生で観られなかったので、今年は少なくとも一度は観られるといいなと思っている。

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 ここのところ『夕陽妄語』(加藤周一著、全三巻、ちくま文庫)を読んでいるのだが、二巻にあった下記の記述でちょっとはっとしたわけである。
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つまるところ美しさとは、対象の性質ではなく、対象と見る人との意識との間に成りたつ相互作用の性質によって決まるものだからである。
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 羽生くんは美しい。ということをついつい決まった事実のように捉えがちになるファン心理であるが、そうではないのだ。というか、この世の中に何一つとして「誰がどう見ても絶対に美しい」対象など存在しないのである。
 たとえば、地域や時代が違えば美意識も異なる。「スレンダーな女性って美しいですよね」(by羽生結弦氏)というのは現代日本においてはわりと支配的な価値観であるかもしれない。しかし確か平安時代はふくよかなのが美とされたという風に習った記憶がある。それ以外にも、たとえば、私なんかは雪景色というとついついロマンティックで美しいというイメージで捉えがちだが、北海道在住の友人によると「それどころじゃない」のである。つまり、美意識というものは文化や環境などによって大きく左右される。『夕陽妄語』二巻の別の箇所には「富士山とマッターホルンのどちらが美しいか。その答は、山の形の分析からは出て来ない。異なる歴史的文化の高山に対する態度のちがいが、またそれだけが、高山の美学的性質を決定し、それぞれがそれぞれのし方で美しいのである。美的経験こそは、人を文化多元主義の方へ導くだろう。」という記述もある。
 のみならず。人はそれぞれの文化や環境によって美意識に影響を受けるだけではもちろんない。個々人によって、もって生まれた性質も異なるし、生まれてから経てきた経験も異なる。つまり、世の中の人誰一人として、全く同じ美意識を持っている人はいないことになる。同じ対象を見ても、それを美とするかどうかは人によって異なるわけである。
 もちろん、その社会や文化の中で、比較的多くの人が「美しい」とみなす対象というのは存在するだろうし、そういった対象について私たちはふだん共通認識もしくはそれに近いものとして「美しい」という表現を使うわけである。そういったものに共通する性質が、その社会や文化の中では美の基準というようなことになってゆくのかもしれない。だがしかしそれは、それから外れたものが美ではない、ということを意味しない。極端な話、世界にたった一人しかそれを美とする人がいない対象であっても、そのたった一人の人が「美」と感じたという事実は誰にも邪魔することはできない。また、多くの人が美と感じる対象を、たった一人が「美と感じない」場合も同様である。つまるところ美とは、文化や環境に影響をされつつも、究極的にはあくまで個人的体験なのだ。
 羽生くんにしても、比較的多くの人が美とする対象であるということは云えるだろう。そして多くの人の感じ方に通じ合う要素があるから、それについてたとえばファンどうしで交流したりできる。ただ、多くの人が美を感じるということが、羽生くんの美の絶対性を保証するわけではない。世の中には羽生くんを美としない人もたくさんいるだろうし、それ以前にそもそも関心がないという人もたくさんいるのである。それはその人それぞれのもって生まれたものとそれまでの経験によって培われた美意識の違いによるのであるから当然といえば当然のことなのである。
 ただ、私は、私という個人が、もって生まれた性質と、これまでの経験とで、羽生くんに関心を持ち「美」と感じる美意識を培っていたことを感謝したい、と思うのである。そしてその美の感じ方は、他の方にも共感していただけるところもあるかと思う(だから、ブログを書いたりしている)のだが、互いの感じ方がどれほど似通っていても、同じ人間ではない以上、まったく同じ感じ方をしているということはないはずなのだ。私が羽生くんに「美」を感じる、そのことは私一人だけのオリジナルな体験なのだ。そしてそれは、他の人がどう思おうと、絶対不可侵なことである。なんという贅沢なことであろうか。
 もちろん、互いの感じ方の似通っているところについて共感してつながりあうというのも価値あることである。たくさんの人が同じ思いであると感じることは嬉しいことでもある。ただ、それに寄りかかりすぎずに、美とは対象と個人の精神との相互作用によって成りたつものであるということを意識しておきたい。羽生くんが「自分の演技を観て何を感じるかは人それぞれに自由」と述べているように。

 というわけで、今後も「私はこう感じたり、思ったり、考えたりした」ということをぼつりぼつりと綴ってゆくかと思うので、共感したり、しなかったり、自由に読んでいただければ幸いである。


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