08.31
Wed
 今年もチョコ開きに羽生くんは登場した。なんかこのチョコ開きって見ているこっちがもぞもぞ落ち着かなくなる感がある。扉をオープンすると羽生くんがターンしながら出てきてポーズとるとか、下の名前で呼び合うとか、なんとも気恥ずかしいものが。「真っ赤って、ときめき。」ねえ。真っ赤であろうとなかろうと羽生くんがときめき源であることには変わりないのだが。
 しかし女子三人が羽生くんを「結弦くん」と呼んでいたのはちょっとうらやましかった。もし万一本人に会える日が来るとしたら呼んでみたい呼び方は「結弦くん」なので。多分私は度胸がないので「羽生くん」呼びしかできないだろうけど。
 「スレンダーな女性は美しい」発言に、BMI18.5を余裕で下回る私は心中でガッツポーズした。まあ、羽生くんの云う「スレンダーな女性」にはおそらく「母親と同世代の」は含まれてないんだろうけど。それに私は腹筋がシックスパックなわけではないし、それは無理だし、無理でなくてもそうなりたいとは思わないし、仮にシックスパックになったところで私に対しては羽生くんは「見てみたい」とは云わないだろうけど。
 そして、羽生くんやっぱり海はあまり得意ではなくて猫が好きなのか。確かに海水浴してる羽生くんというのは、想像しづらいし、似合わない。あまり人がいないシーズンオフの海辺を散歩するとかならまだしもありだと思うが、真夏の海でがんがん泳ぎまくる羽生くんとか、熱い砂浜を駆け回る羽生くんとか、オイル塗ってこんがり焼いちゃう羽生くんとか、そんなもんいらんわ。ひっつかんで振り回して海の彼方にぶん投げるわ(羽生くんの夏は海より高原の避暑地が似合うと思う。それもあまりメジャーじゃない、俗化してない避暑地。とか云う私自身高原の避暑地などに縁がないのでそういうのってどこにあるのか知らないが)。それに対して猫と戯れているところは容易に想像できるし、もし見られるものなら見てみたい。そういえばマイレピのリクエストにも「猫と戯れろ」系が多かったような記憶が。私も海水浴関係は苦手で猫は好きなのでおそろいだ。ちょっと嬉しい。
 それにしても、でかいクラッカーをぶっ放したことについて「鬱憤をこめて」と云っていたのが気になる。
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うっ‐ぷん【鬱憤】
外へ出さないで心の中に抑えている怒りや恨み。また、そういう気持ちが積もること。「―を晴らす」
(goo辞書より)
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 ……いったいどんな怒りや恨みを抑えているのだ羽生くんよ。
 まあ、本人の心中はもちろんわかるわけもないが、もし私が羽生くんの立場だったらあんなことやこんなことやでそりゃあ鬱憤も溜まるよなあ、という気はする。好きなイヤフォンで好きな音楽を聴きまくったりゲームをしたりお風呂で歌ったりで解消できるだろうか。今回クラッカーをぶっ放したことで雲散霧消するような鬱憤だったらよいのだけれど。
 でも、どんな鬱憤があるにせよ、それを晴らす一番強力な方法はきっと「スケートでいい演技をすること」なんじゃないかな、という気がする。そういう、気の晴れる機会がこれからたくさんあるといいな。

 今季のショートプログラムについて羽生くんは、ジェフリー・バトル氏とアイディアを出し合って作った、音の拾い方やポーズ、ジャンプの入り方や降りた後の流れなどを見て欲しい、と云っていた。バトル氏とのタッグはこれまでの二つのプログラムが両方ともすごく良かったし、実績も出しているしで、今季も本当に楽しみだ。フリーの方の情報オープンはいつ頃になるのか。今季はB級大会はスキップしてグランプリシリーズが初戦になるのか。
 いずれにしても本格的な試合シーズンまでもうあと少し。健康で、充実した練習が積めるよう祈ろう。

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 「『24時間テレビ』の羽生結弦のスケートを、あえて「感情」抜きで観てみると…」の記事は興味深かった。ここまできっちりとテクニック的なことに着目して書いてもらえると、羽生くんがほめてもらえてるという嬉しさもあるし、スケオタ未満の存在としては勉強にもなるし。同じ方が以前にも羽生くんのことをテクニックに焦点を当ててほめてくれる記事(「フィギュアオタが見る、羽生結弦と「メディアを変えるアイドルパワー」の関係性」)を書いていてくれたようだ。


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08.27
Sat
 何はともあれ無事に済んでほっとした。羽生くんが24時間テレビで観られるというのは嬉しいけれど、なんだか毎年「大丈夫か?」と思いながら観ている気がする。今年は怪我の影響で滑ってない時期が長かっただろうし、アイスショーにも出てないし久しぶりの演技がいきなり生放送ってどうなんだ、と。二年前も生で滑ったがそのときも時間が押したりしてウォームアップが難しかった面もあったみたいだし。去年はその点ショーの部分は録画だったからちょっとほっとしたのだが、また今年はショーの部分生ってことで、いいのかな?と。いや大丈夫だから引き受けてるんだろうと思いつつも心配性な私。
 それにしてもこれで24時間テレビ三回目。このまま24時間テレビ羽生くん出演が晩夏の風物詩と化すのか。来年は五輪イヤーだから控えるとかあるのか。
 24時間テレビ自体に賛否両論あるというようなことは何となく知っているし、私自身実のところ、二年前羽生くんが出るというので初めて観た次第で、まあなんていうか、趣旨は理解するけれど正直あまり積極的には観たくはないというか。一昨年も去年もそして今年も、悪いけれど実質羽生くんのところしか観ていない。けれどまあ、羽生くんとしては、番組の評判はどうあれ、自分の存在が、被災地を忘れさせない、励ますことにつながるのならという思いの部分ではぶれずに引き受けているのだろうと、そこのところは受けとめたいと思っている。

 アイスショーの部分だけをリアルタイムで観たのだが、番組の開始から録画は一応しておいたので、出演前に羽生くんがちょこちょこ写ったのも後から観た。「愛は勝つ」を振り付きで歌ってた羽生くんはほんと可愛いなあ。くまモンと一緒にインタビューに答えている練習着姿も素敵だった。
 くまモンと共演ということでいったいどんな演目を?と思っていたのだが「星に願いを」だったな。かわいらしい、元気が出るような曲でよかったと思う。羽生くんのイナバウアーが美しい。さすがにこの部分はあらかじめ録画しておいたようだ。いろいろな意味で生だとちょっと大変だったろうから。
 そして羽生くんの生アイスショーは懐かしのホワイト・レジェンド(花になれとレクイエムは昨年やったし、花は咲くはNHKだし、とするとそれ以外で震災に何かしらゆかりのある曲というとホワイト・レジェンドかなあ、とは事前にうっすら思った)。しかしホワイト・レジェンドって15歳の時から演じている曲なのに衣装は問題なく入るのだなあ、というところも感心したりして。それとも手直しとかしてるんだろうか。
 ああ、羽生くんの演技はやっぱり美しいなあ、と思った。全体に流れるような典雅な感じ。3F(だと思う)の着地はちょっと乱れたけれど3Aは見事だったし。シットツイズル愛好会会員としてはシットツイズルを堪能できたのも嬉しかった。そして最後に羽を広げたような姿勢で終わるところ、祈りを感じさせるような静かな感じ。
 ナレーションいらないとかワイプいらないとか思うけれどまあ番組の性質上仕方あるまい。とにかく今は、羽生くんが本当に氷上で滑れる状態になっていることが確認できたことと、その演技が美しかったことの余韻に浸ろうと思う。


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08.23
Tue
 しゅわしゅわしゅわしゅわ……。
 と、私の渇いた心に久しぶりの羽生くんがしみていった。昨日はギネス認定証授与式の映像と、24時間テレビに出演するとの情報が一気にやってきて「リオ五輪も終わっちゃったなあ」というため息を押し流していった。
 映像で確認できた最新羽生くんは、変わらずの透明感、妙にクラシックな高貴感を湛え、実に麗しかった。そつなくかつ向上心に満ちたコメントっぷりも変わらず。安定の羽生結弦クオリティ。そして怪我から順調に回復しつつあるということでほっとした。
 ショートは「すごくテンポの速い、かっこいいような曲で滑ろうと思っている。楽しみにしていただきたい」フリーについては「まだ発表できません、ごめんなさい」とのこと。焦らしやがってこのやろう。
 しかし24時間TVは熊本の子どもたちやくまモンとの共演ということだが、くまモンと共演って、どんなプログラムになるのだろう。想像がつかない。既存のプログラムのどれかなのか、それとも見たことないものがくるのか。まさかくまモン体操ではなかろう。くまモンはいろいろなダンスを踊れるらしいという心強い情報もあるが、氷上は大丈夫なのだろうか。
 何にせよ、羽生くんの支援の志が活かされて、なおかつ、羽生くんの負担がなるべく少ないような形であるといいのだが。
 ちなみに「羽生くんが24時間テレビでくまモンと共演するらしいよ」と云ったら「プーさんが怒るんじゃない?」と云ったのはうちの母である。

 昨日のギネス認定証授与式についてはネットニュースもたくさん出たが、そのうちの一部には羽生くんの今季の目標についてとりあげているものもあった。たとえばこちら。一部を引用する。
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 五輪プレシーズンとなる今季の目標は「ピークの持っていきかた」だ。「五輪は僕たちの最大の目標。2月に行われるので、そこに合わせた調整を今季からやっていきたい」。12月にあるGPファイナルでいい演技をし、3、4月にある世界選手権で銀メダルに終わることがここ2シーズン続いていた悔しさもある。「調整がうまくいかないことが多くなっているので、それが今季1番やるべきこと」と話した。
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 この目標が達成されるといいなと思う。グランプリファイナル四連覇はしたいかもしれないし、羽生くんはどの試合でも全力で行きたい人だということは知っているけれども、でもやっぱりシーズン全体を見据えた大きな意味でのピーキングはとても大事だと思うので。
 ということは、今季は二月の四大陸選手権に出場濃厚と考えていいだろうか。会場が平昌ではないものの韓国だし、時期的にも場所的にも来季の五輪の感触をつかむにはいい機会だと思う。それに四大陸のタイトルはまだ持っていないし。獲っちゃえ。

 何にせよこれから先のシーズンが羽生くんにとって順調で充実したものであることをあらためて祈っておこう。


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08.21
Sun
 羽生くんが「戦友」と呼ぶくまのプーさん。好きな理由は「顔が安定しているから」。たしかにプーさんはあまり表情とかが変化するイメージがない。いつでもなごめる雰囲気だ(以前の「羽生結弦くんの顔についての私的考察」という記事で、羽生くんは自分の顔が安定しないからプーさんに自分にないものを求めているのではということをちょっと書いた)。
 ファンになった当初、羽生くんが試合時には必ずプーさんのティッシュケースを連れ歩いていると知ったときはちょっとした衝撃を受けた。というのは、私の頭の中では「男子ってのはある程度の年齢になると、可愛いキャラクターグッズとかは持ちたがらないようになるもの」という感覚があったから。しかし羽生くんに限らず、今どきの男子はあまりそういうことに抵抗がなくなってきているのかもしれない。つまり、私の男子観が古典的に過ぎるのかもしれないのだが。
 さて、なぜ羽生くんがプーさんを連れ歩くのか、については多くの方が「ライナスの毛布」だと指摘しているかと思う。お気に入りの品を身につける、そばに置くことが精神安定剤になるというやつだ。ご本尊のライナスが毛布に対して持っているほど強烈な依存心ではないにしても、羽生くんにとってのプーさんはおそらく確かにライナスの毛布的な、精神安定剤としての要素はあるのだろう。そういえば、ライナスというキャラと羽生くんにはちょっと通じるものを感じる。ライナスは、大人顔負けの哲学的なことを語ったりする、頭の良さが特徴のキャラだが、一方で例の毛布を手放せないというとても未熟な面を持っている。羽生くんもスケートをめぐるあれこれについて、あるいは震災などについてしっかりしたコメントを語る、年以上に大人びたところがある一方で、時に本当に子どものようなあどけない顔を見せたりもする。

 羽生くんが持っているティッシュケースもそうだが、多くの人がくまのプーさんというと思い浮かべるのはディズニーアニメに描かれたキャラクターの絵ではないかと思う。けれど私は、原作にE.H.シェパード氏がつけた挿絵、いわゆるクラシック・プーの方が好きである。線も色もアニメよりやわらかい。そしてシェパード氏の挿絵のクリストファー・ロビンは、髪型などの雰囲気がちょっと子どもの頃つまりキノコ頭時代の羽生くんっぽい(クリストファー・ロビンは、女の子を望んでいた親によって女の子のような格好をさせられていたという話もある)。
 とかなんとか云いつつ、実はプーさんの原作をずっとちゃんと読んだことがなかった(アニメもちゃんと観たことないけれど)。家に『くまのプーさん/プー横丁にたった家』(岩波書店)はずっとあったが、子どもの頃ちょっとかじり読みしたくらいでなぜかそれっきりになっていたのである。それで、昨日思い立って全部を通読してみた。全体として面白いのだけれど、特にラストが印象に残った(以下ネタバレあり)。
 成長してゆくクリストファー・ロビンは、プーさんたちから離れてゆく自分を自覚して、「森の中の魔法の場所」にプーさんとおもむき、プーさんに時々ここに来てほしい、自分のことをずっと忘れないでほしいと頼む。プーさんはそれを受け入れる。特に印象的だったのは、クリストファー・ロビンが、だんだん成長してゆく自分を「一番していたいのは何もしないこと」「でも、もう何もしないでなんかいられなくなった」というような表現をするところである。
 そうか、子どもっていうのは、特に幼い子どもっていうのは「何もしないでいられる」存在なんだな、とあらためて思った。何もせずにぼんやりしていたり、ただ他愛もなく遊んでいたりすることが許される存在。クリストファー・ロビンにとってのプーさんは「何もせずにいられる時間」の象徴なのだろう。
 羽生くんは、わりと幼い頃からスケートをしていたし、早くから才能を見いだされて山田先生や都築先生に厳しく教えられていたりもした。だから、ひょっとしたら、子どもらしく何もしないでいられたような時間は、他の子たちより少なかったかもしれない。だからかえって、子どもらしさを他の人よりも、余計に長く持ち続け、子どもらしさの象徴であるようなプーさんを抱え続けているのかもしれない。もちろんこれは私が勝手に思ってみたに過ぎないことをお断りしておく。

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 今日のアタック25で「次の三人の出身高校は。羽生結弦、宮里藍、ダルビッシュ有」という問題が出た。もし私が回答者席に坐っていたら「羽生結弦」の名前が出た瞬間に回答ボタンをぶんなぐるのに、と思った。

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 羽生くんの国際ファングループのフェイスブックによると、どうやら羽生くんは元気そうで怪我もよくなったようで「ショートはロックで生意気な感じ、フリーは美しく力強い感じ」ということらしい。早く具体的なことが知りたいが。
 羽生くんはエゴサーチをする人らしいから、ファンが羽生砂漠にあえいでいる様子を知っているかもしれない。それで「そうかお前らそんなにオレが恋しいか」とSな微笑みを浮かべていてほしいとか思ってしまう今日この頃。


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08.19
Fri
 以前の「羽生結弦選手のファンになるともれなく一喜一憂がついてきます。」という記事に続いて、また糸井重里氏の『ぼくの好きなコロッケ』からの引用。少し長いけど。
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例えば、大きな刃物を持っていたり、例えば、銃器のようなものを持っていたら、それを持っているというだけで、その過剰な力を意識して、人の心は安定を欠くのではないでしょうか。ぼくも、名刀と言われるような刀剣を、「持ってご覧なさい」と渡されたことがありますが、ただ刃物がそこにあるというだけでない、「胸騒ぎ」のようなものを感じました。▼刀剣も銃器も、人が自然には持っていない過剰な力です。その過剰さが見えやすいので、力を意識できます。でも、どんどんものをつくり出す工場だって、すごい分量の水を堰き止めているダムだって、鉄道だって自動車だって、みんな過剰な力です。犯罪的に口が達者とか、とてつもなく美しいとか、何兆円みたいな大きなお金だとか、インターネットみたいなすごいシステムだとかも、みんな過剰な力で、それは、すべて、刀剣や銃器が持っているのとおなじ、心の安定を損ねるような「胸騒ぎ」を抱えています。▼力というのは、必ず、とてもおもしろくて危うい。そういう「過剰さ」を感じながら扱わないと、いけないんだよなぁと、思うのであります。
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 この文章を読んで思うに、有名人なんていうのは、みんなどこか何かが「過剰」な人たちである。で、有名人のファンになるということは、そういう過剰な存在を心に持つということで、それは心の安定を損ねるような胸騒ぎである、というのは感覚的によくわかる気がする。
 そして、我らが羽生結弦くんは、数多の有名人の中でもその「過剰」っぷりが際立っているのではないかと思うのだ。まずなんといってもフィギュアスケーターとしての実力と実績が凄いという過剰さが中心だけれど、それに伴う経歴がいちいちドラマティックという過剰さ、さらには容姿がたいへんに美しいという過剰さも伴っている(細かくいえば他にも頭の良さという過剰さとか、あざと可愛さという過剰さとか、いろいろある)尖鋭的な過剰さの塊といってもいい存在である。
 ファンとしてそんな羽生くんという存在を心に持つ人々が心の安定を欠くのも無理からぬことである。「一喜一憂」の件ともあいまって、羽生くんファンは胸騒ぎの日々を送ることから逃れられない運命にある。私も結局その胸騒ぎをなんとかしたくてこのブログを書くことでその一部なりとも昇華しようとしている感じだ。でもこの胸騒ぎが楽しいというのも確かだけれど。本当に「とてもおもしろくて危うい」のだ、羽生くんは。
 しかしそういう過剰な力を持ちまくっている「羽生結弦」を保持している本人はきっとすごくたいへんなのだろうなあと思う。自分が羽生結弦である、ということはきっと、ファンのそれとは比べものにならないくらいの胸騒ぎの日々であろう。もっともそういう過剰な自分とつきあう面白さというのも、多分他の人にはわからないくらい強烈にあるのだろうという気もするけれど。

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 そんな胸騒ぎ製造機の羽生くんは今いったいどこでどうしているのやら。新プログラムはどうなっているのやら。すでに帰国しているという噂もあったりするけれど。今年は公開練習はないのか。24HTVは出ないのか。チョコびらきとやらには出てくるのか。便りがないのはよい便りというけれど、便りがないならないなりにやはり胸騒ぎである。
 そういえば集英社から羽生くんの2016-17シーズンカレンダーが出るらしいが、毎年おなじみのハゴロモからも、羽生くんの2017年カレンダーが出るらしい。カレンダーも過剰。



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08.15
Mon
 暑いし羽生砂漠は果てしなく広いしで、ちょっとばかりうわごとを云う。「羽生結弦学」という学問を創始したい。そしてその第一号研究者になって、研究調査のためということで羽生くん本人にインタヴューしたり、練習などを見学させてもらったり、試合に同行したりしたい。
 「羽生結弦学」が成立したとして、その入門講義をたとえば大学の教養課程で15コマでするとしたら、内容の概略は下記のような感じか。

1. イントロダクション
2. フィギュアスケート史概観およびその中での羽生結弦の位置づけ
3. 羽生結弦の経歴1 ソチ五輪まで
4. 羽生結弦の経歴2 ソチ五輪後
5. 羽生結弦の歴代演技プログラム概観
6. 羽生結弦のフィギュアスケート演技の特徴1 主として技術の側面から
7. 羽生結弦のフィギュアスケート演技の特徴2 主として表現の側面から
8. フィギュアスケート競技者としての羽生結弦のメンタリティ
9. 羽生結弦をめぐる人々
10. 羽生結弦のパーソナリティ、趣味嗜好等
11. 羽生結弦の魅力分析
12. 羽生結弦ファンの特徴と心理
13. 出版物や関連商品などに見る羽生結弦のもたらす社会的影響
14. 羽生結弦と震災
15. 復習とまとめ

 個人的には「耽美的観点から見た羽生結弦」とかも入れておきたいがうわごとと云えど一応遠慮しておこう。12コマめ「羽生結弦ファンの特徴と心理」あたりは、その気になれば今どきはweb経由でひろくファンにアンケートをしてデータを集めることができるんじゃないだろうか。14コマめ「羽生結弦と震災」は、もし本当にこういう科目ができたとしたら羽生くん本人は絶対に触れてほしいところじゃないかと思うので入れている。
 教養課程の講義だけではなく、羽生結弦学科の専門課程もできたとしたら、そこでは『蒼い炎』『蒼い炎Ⅱ-飛翔編-』『羽生結弦語録』『羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016』の輪講や、上記入門講義の各コマの内容をさらに詳しく扱う専門科目を用意する。羽生結弦学のゼミでは、ゼミ旅行で試合観戦やショー観賞を行う。学部を卒業すれば羽生結弦に関して一通り詳しくなるのはもちろん、フィギュアスケート全般に対しても基礎知識が身につき、プロトコルがしっかり読めるようになる。
 さらに極めたい人に対して大学院の修士課程、博士課程も開講したい。
 つまり極めた度合いに応じて、羽生結弦学学士、羽生結弦学修士、羽生結弦学博士、という学位が取れるようになれればいいなと思っている。

 ってそんな学科開設させてくれる大学があるわけないのだが。それに私は実際問題として研究者になって研究したり講義したりするタフさはないし。でもまあうわごとは云うだけタダだから。それにそれだけ羽生くんが多角的にいろいろ見られる魅力ある存在ってことではあるし。
 「ニース世界選手権は絶対に試験に出るらしいぞ」とか学生がキャンパスで情報交換している、そんな情景を想像するとちょっと楽しい。
 「羽生結弦学科卒業って就職あるんですか」「羽生結弦学って役に立つんですか」というような問いかけに対しては「就職につながるとか役に立つとかとは関係なく、知ること、学ぶことこそが楽しいということを羽生結弦学を通して知ってほしい。その楽しさを知ることこそが結局全てに通じるのだ」とか云って煙に巻くことにしよう。



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08.13
Sat
 一つ前の記事で身体性ということについて触れたが、それに関連して考えていることがある。たとえば、私が行っているような言葉での表現というのは、書いているそばから自分の目の前にその書いた内容が見える。つまり自分の表現の結果を自分で直接確かめながら進めて行くことができるのである。加えて、人前に出すより前に、時間さえ許せばいくらでも推敲することが可能である。
 しかしその点、たとえば演劇とかダンスとかの表現領域では、自分がやっている表現がどんなふうに人目に映っているのかというのを、やりながら同時に確認することができない。確認できるとすれば映像に撮っておいて後から見る、という方法しかないだろう。加えて、そういう表現の場合は、いったん人前に出てしまったら一発勝負だ。「あ、今のところちょっと失敗したから戻ってやり直し」とかはできないのである。そういう意味で、ダイレクトに身体を使う表現の覚悟、みたいなものは凄いなあと思っているのである。
 そういう意味ではフィギュアスケートも同様である。自分の身体を動かした結果、それが実際に思うようにジャッジや観客から美しく見えているか、ということは自分の目で直接確認しながら進めて行くことはできないし、いったん演技が始まってしまったら「あ、今のポーズちょっと決まらなかった気がするからやりなおし」ということもできない。
 ということは、フィギュアスケーターたちは、演技をしながら、自分の身体がどんなふうに見えているのかを察知する能力を熟達させて、それでもって自分の身体をできるだけうまくコントロールするしかないわけである。そういう身体に対する造形感覚みたいなものがしっかり培われれば培われるほど、おそらく一つ一つの動きが綺麗に決まった、見栄えのいい演技になるのだろう。
 ファンになった当初から、羽生くんはこの身体に対する造形感覚みたいなものが凄く鋭いのではないか、と感じていた。演技の中で、羽生くんの身体はなんて美しい線、かたち、動きを作るのだろう、と。もちろん羽生くんのスタイルがもともと並外れて美しい、ということも関係しているだろう。けれどそれでも、やはり造形感覚が優れていなければ、あんなふうに「決まって」見えないと思う。それにスタイルがいいというのも有利に働くとばかりは限らないわけで、どこかで宮本賢二氏が云っていたかと思うが、手足が長いというのはそれだけ注意しないと人並み以上にだらしなく見えやすいということらしい。つまり、羽生くんはそういったスタイルの良さの不利もしっかりクリアしてきているということなのである。
 『蒼い炎』一冊目でも、自分がジャンプするときのフォームが自分で3Dで見えるというような話があったし『蒼い炎Ⅱ-飛翔編-』ではイメージの客観視が他の人より強い、ということを述べている。演技とかプログラムの研究の時もその客観視を使う、と。ああやはりそうなんだな、と思った。つまり、自分が演技しながら直接には確認できないはずの「自分がどう見えるか」を、羽生くんはイメージで見る能力が優れているのだ。
 もちろん、羽生くんがそうやって客観視するというイメージが正確かどうかというのは、羽生くんの脳みそからそのイメージを取りだして検証することができない限りはわからない。けれどかなり正確なのは間違いないだろう。だからこそ、あれだけ精密な身体のコントロールができ、それはジャンプなどの成功率の技術面にも、表現としての身体の美しさにもつながっているのだろう。
 そうやって、客観視をする力、それを生かして自分の演技をコントロールし、美しくする力はどのように培われてきたのだろう。もちろん、演技を録画して、その映像を繰り返し見る、というような経験の積み重ねというのが重要なのだと思う。ダンスやバレエなどを習うこともそういう力をつけるのに役立つだろう(バレエはわからないが、ダンスを習っている映像は以前あったかと)。しかし羽生くんの場合はもともと本能的に、直感的にどうやれば美しく、あるいはカッコよく見えるかというのを探り当てる力を持っているという気がするのだ。そしてまた持ち前の「演技をして人の注目を一身に集めることが好き」という気質も「どうやったら人の目を引きつけられるか」という意識につながり、それが「自分はどう見えているのか」をできるだけ正確にイメージする能力を磨き上げてきた面もあるだろう。そしてこれもまた持ち前の感受性の鋭さで(たとえば野村萬斎さんとの対談などから)いろいろなことを吸収して、それが身体造形感覚に洗練を加えてきた面も多々あるだろう。
 いずれにせよ、あくまで素人が直感的に感じることで、ファンとしての贔屓目も入っている面もあるかもしれないが、羽生くんの身体造形感覚というのは数多のスケーターの中でも抜きんでたものがあるような気がしている。そしてきっと、さらに磨きをかけた演技を、これから見せてくれるだろう。楽しみに待ちたい。

 それにしても、この文章にしても、書きながらああでもないこうでもないと書きかえながらじたばたしてしまう身としては、やはり身体一発勝負の表現をしている人はすごいなあ、と改めて感心せずにはおれないのだった。


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08.11
Thu
 一つ前の記事「私がなにゆえに羽生結弦選手に憧れてやまないのか1:夢追い人編」で、私が羽生くんに憧れるのは自分にないものを持っているからで、そのうちの大きい一つが「夢」だということを述べた。そしてもう一つ、私が持っていない大きいものとして「身体性」ということがあると思っている。
 身体性という言葉は定義を真面目に考えるといろいろ難しいらしいのだが、ここでは「ものごとに身体が関わっている感じ」くらいに漠然とした意味で使っている。
 私は基本的に身体性が稀薄な人間である。だいたいにおいて身体を使うこと全般があまり得意ではない。たとえばスポーツは苦手で体育の成績は常に低空飛行だったし、ものを作ったりするのもあまり上手い方ではない。手先が不器用で字も下手だ。で、仕事にしても、ほぼPCでいろいろやるようなことをしている。つまり、私の身体性がどうであろうとあまり結果には関係しないような仕事をしているわけだ。このブログにしたって、私がヴィルトゥオーゾのごとき華麗なる指さばきで入力していようと、たどたどしい一本指打法で入力していようと、読んでいる方にはわからないし、関係ないことである。アマチュアとして作っている詩歌にしても、作るときは手書きで書くことにしているのだが、人前に出す時はネット上であれ紙媒体であれ活字になっているので、私がどういうふうに手を動かしたかというような身体性の痕跡は残らない。同じ表現活動でも、たとえば絵や彫刻ならばその人がどのように手(でない場合もあるが)を動かしたのかという痕跡がそのまま作品として残る。音楽ならば、その人が歌った、あるいは楽器を演奏したという身体の動きがそのまま作品に直結する。演劇やダンスなどだと身体が表現に直結していることは云うまでもない。けれど文学は文字さえ残れば(書き文字ごと作品にする一部の人を除いて)それを書いたときのその人の身体の動きがどうだったのか、ということは残す必要がないものである。そういう意味においては、表現活動の中ではもっとも身体性が稀薄と云えるだろう(ついでに云うと、私の場合作品の内容自体もあまり身体性が感じられないタイプのものを書いている)。
 そこへゆくと、フィギュアスケートは、第一義的には表現活動というよりスポーツであるが、表現という要素が濃厚に含まれる。そしてその表現は(音楽に入っているヴォーカルを除けば)言語を使わず究極的に直接的に身体を使って行われる。そういう意味では、表現という地平で私のやっていることと羽生くんのやっていることは、本当に対極的だなあと思うのである。まあそもそもレベルとか次元とか違うけれども。
 しかも、以前「集中するということは……」という記事にも書いたように、フィギュアスケートというのはつるつる滑る氷の上でブレードをつけて滑るという、非常にコントロールが難しい状態の中で、非常に精密にコントロールをしなければ美しい演技にはならないものである。羽生くんはその「精密な身体のコントロールをして美しい演技を達成している」という点で世界のトップに位置している人である。まさしく身体性の極みにいるのだ。もちろん本番で美しい演技を達成するためには日々練習を積んでいるわけで、その練習も身体性そのものであることは云うまでもない。日々の生活でも羽生くんは私と違って濃密に身体性を生きている。そういう点で羽生くんは私にとってとても眩しい存在である。

 しかしフィギュアスケートのための身体を作り、それを維持するのはたいへんなのだなあ、と「フィギュアスケートと身体。自分の身体を自由に動かすために必要なこと。」というCIRCUSの記事を読んであらためてため息をついた。

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 リオ五輪で内村航平選手が体操の個人総合二連覇を達成した。内村選手も身体を精密にコントロールして美しい演技を達成している人である。平昌五輪では、今回の内村選手のように二連覇を達成している羽生くんの姿が見られるといいな。そういえば次の冬の五輪で「連覇」の可能性がある日本人って羽生くんだけなんだな。
 他の競技でも、五輪には自らの身体性をフルに発揮している人がたくさん集まっている。私は自分でスポーツをするのは苦手だが、身体能力が優れた人がその能力を発揮している姿を観るのは好きだ。睡眠時間を削って熱心に観ているというほどのことはないのだが、やはり五輪というのは特別なわくわく感がある。


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08.09
Tue
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なんであこがれるんだろう
それはたぶんあいつが
おれのもっていないものを
もっているからだ

なんで
ひかれるのか
それはあいつが
おれのもってるものと
同じものをもっているからだ
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 というのは大島弓子さんの漫画『パスカルの群れ』に出てくる言葉だ。少年が別の少年を好きになった気持ちをこんなふうに述べる。しかし同性異性関係なく誰かを好きになった場合、相手に「あこがれる」のは相手が自分の持っていないものを持っているからであり「ひかれる」のは相手が自分と同じものを持っているからだ、というのは普遍の真理であろう。
 羽生くんへのファン心理ということで考えた場合「ひかれる」部分すなわち私と羽生くんの共通性、というところも、たとえば私の場合だと分野や次元はまったく違えど「表現」にたずさわっているところなど、一応なくはないのである。しかしファン心理の大部分を「あこがれる」が占めていると云えるだろう。私が持っていないもので羽生くんが持っているものはたくさんたくさんある。
 その中でも、私がこうも羽生くんに憧れる理由、というので一つ大きいのではないかと思っているのが「夢」ということである。
 私は夢がない人間である。いや、空想妄想レベルの夢なら見るのが結構得意だが、しかし自慢にはならないが、実際問題として、自分が何になりたいとか、何をなしとげたいとか、そういう夢は具体的に持ったためしがない。子どもの頃は「何になりたいか」という質問をされても「これ」というものが思いつかなかった気がする。職業という意味でなくてもたとえば「お嫁さん」というのも考えたことがなかった。ただ覚えているのは、引っ込み思案な私は、小学校にあがる前「学校なんか行きたくないけれどどうやらイヤでも中学校までは行かなければならないことになっているらしい。だったら中学校卒業したらそれ以上学校には行かずにずっと家にいよう」と思っていたことである。実際は高校以降も行ったわけだが、成長しても、特に夢らしい夢というのを持った記憶がない。何かを書くことは人よりちょっとばかり好きだったかもしれないが、それで身を立てよう、身を立てられる、と具体的に考えたり、その道を模索するようなことはなかった。今も結局のところ「穏やかに地味に暮らせればいいなあ」という感じである。
 そんな低エネルギー人間の私にとって、夢らしい夢がちゃんとあって、その夢を叶えるために突き進み、さらには実際に叶えたりしている人はとても眩しい存在に見えるのだった。羽生くんは、そんな人たちのなかでも究極的、尖鋭的な存在と云っていいだろう。子どもの頃から五輪金メダルを目指しており、それに向かって邁進し続けた。そして五輪金メダルの夢はみごとに叶え、のみならず、自らの理想とするフィギュアスケートの体現ということをひたむきに追求し続け、世界最高点を更新してなおかつ、飽くなき追求を続けている。そして五輪二連覇という夢も追い続けている。それも幾多の困難を乗り越えつつ、だ。
 その夢を追い、叶える過程を、物語のように、いや物語よりも鮮やかに見せてくれている。私はその姿に、自分がまともに見ることがなかった夢というものを思わず託してしまうのだろう。こんなへなへなな人間が、羽生くんに勝手に夢を託したりして本当にごめんなさい、といううしろめたい気持ちもありつつも。
 それにしても、以前もちょっと違う面から「羽生結弦選手のエネルギーの原点が知りたい」という記事を書いたけれど、そんなふうに夢を見るエネルギー、夢を追うエネルギーってどこから湧いてくるのだろう。低エネルギーの人間にとっては本当に不思議なことなのである。

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 1994年生まれは羽生くんも含めて逸材が多いと云われている。リオ五輪水泳400メートル個人メドレーでその1994年組の萩野くん金メダル、瀬戸くん銅メダル。羽生くんにも励みになってるかな。日本男子体操団体の金メダルも嬉しい。内村くんにも白井くんにも羽生くんに通じる何かを感じる。羽生くんに通じる何かと云えば五輪じゃないけれどイチローさんもメジャーリーグ通算3000本安打だ。みんな凄い夢追い人だなあ。


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08.05
Fri
 今回もIce Jewelsさんよいものを届けてくれてありがとう、という感じである。ただいくつかのページにある「Tronto, Canada」の表記のうち50ページだけ「Tronto, Canad」になってるよ惜しいねえ、と細かいところにツッコむ性分なのをお許しください。
 さてさて、羽生くんはフィギュアスケーターであるからして、本来は動いているところを観るのが一番正しい(?)観賞の仕方なのだと思うが、しかしこうやって瞬間瞬間を写真で切り取ったのもやはり見とれてしまう。フォトジェニックとは羽生くんのためにある言葉だなあ、なんて思ってしまう。カバーを外したらあらわれるモノクロレクイエムなんてうっとり。どの写真もいいが特に気に入ったのをあげてゆくと16-17ページのANAジャージうつむき加減の、21ページ下段の練習中の目つきが鋭いの、37ページ上段SEIMEIハイドロの、同じく37ページ下段SEIMEI弓を引いたようなポーズの、56ページ赤UAの、68ページ氷のしぶきがあがってるレクイエムの、79ページハロラブタンクトップの、84-85ページタイムトラベラ水色姫、といったところかな。
 最後に今シーズンのプロトコルを収録してあるのも嬉しい。いつか(たとえば羽生くんが現役引退した少し後くらいに)羽生くんのいろいろなあれこれを記載した羽生結弦バイブルみたいなものが出たらいいのに、それに羽生くんの全試合のプロトコルも収録してあったらいいのに、なんてことをこっそり妄想している私としては、ナイス!という感じであった。

 で、今回この本で、羽生くん本人にももちろん見とれたのだが、それ以外であらためて見とれたのがSEIMEI衣装の美しさだった。クリーム色と緑で、優美な植物のような刺繍がほどこされているが、手刺繍だろうか機械刺繍だろうか。金色のビーズや、金色の葉っぱの形をしたスパンコールのようなものがついているけれどそれはやっぱり手縫いで付けるんだろうなあ。私は刺繍にはまった時期があるのだが、もし羽生くんの衣装の刺繍ができたりしたら嬉しくて死ぬかも、などと妄想してみる。
 たくさんのファンが一針ずつ刺した千人針衣装みたいのがあったら……それはちょっと怖いか。



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