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07.31
Sun
 暑中お見舞い申し上げます。
 羽生くんは暑いの苦手なようなことをどこかで云っていた気がする。でも私は夏が好きなので「夏と羽生くん(と私)」というのを勝手に妄想してみる。しかしここ何年も、羽生くんは日本の夏をじっくり味わったりしてないんだよなあ。
・浴衣が似合うことは過去のドリームオンアイスのアフターパーティーの写真など見ても折り紙付きなので、やっぱり浴衣着て夏祭りの露店とかひやかしてほしい。あんまり大きなお祭りじゃなくてちょっとひなびたくらいのがいい。狐のお面とか水ヨーヨーが似合いそう。
・花火大会を見るなら、人混みじゃなくて、遠くてもいいから、人がいないような穴場的高台とかから。
・手持ち花火をするのもいいと思う。いろんな花火ではしゃいだ後で、最後は昔ながらの小さい線香花火でしめる。
・毎朝咲く朝顔の数を数えてほしい。朝顔の色は青。前の日の夕方に、翌朝開きそうなつぼみに紙で作った円錐形の帽子をかぶせておいて、朝になってそれをとると花が目の前で開く、っていうのをやってよろこんでほしい(子どもか)。
・かき氷を食べに行こう。仙台にはずんだかき氷というのがあるらしいし。
・そうめんで外せない薬味はなんだろう。知りたいなあ。
・私は虫は苦手な方なのだが、羽黒蜻蛉を見るとなんだか嬉しい。夏にはうちの庭で見ることもある。あの黒い姿といい、他の蜻蛉とちがってひらひら飛ぶ感じといい、なんか神秘的でいい感じなのだ。近年は羽黒蜻蛉を見ると羽生くんの練習着姿を連想する。というわけで羽生くんと羽黒蜻蛉という構図を見てみたい。
・昼下がりには籐椅子でうとうとまどろんでほしい。
・夕暮れ時には窓にもたれて夕映えを眺めてほしい。ひぐらしの声が聞こえてくる。
・夜は、星とか星座とかに興味あるかなあ。主な星と星座ならガイドできるんだけどな。羽生くんの生まれ星座の射手座も夏の星座だし。で、流れ星が見えたりしてはしゃいだりする。
 暑い夏でも羽生くんのいる情景(あくまで妄想だが)はなんだか涼しげな気がするなあ。
 来月帰国するとかいう情報もあるけれど、きっといろいろお仕事で忙しいのだろうと思う。少しでも日本の夏らしいこと味わってくれたらいいけれど。

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 昨日のキリトルTVはいろいろよかった。羽生くんはカナダに「留学」したわけじゃないよね?とツッコんでしまったけれど。あのソチ五輪のエキシ練習での王子っぷりは、前にも見たことある映像だけれど今回あらためてまた感心してしまった。
 浅田舞さんが「フィギュアスケートの選手はジャンプの時はジャンプに集中してて音楽聞いていない」って云ってたけれど、羽生くんは確実にジャンプの時も聞いていると思うのだがどうだろう。以前、記事にも書いたけれど、音楽を聞いているいないの問題以前に、音感が良すぎて音楽を遮断できないタイプで、ジャンプの場合も音楽と合わせないと気持ち悪いのだと思うけれど。いずれにせよ、あれだけジャンプと音楽をシンクロさせることができるのはすごいことだというのは多分間違いないのだけれど。


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07.29
Fri
 羽生くんの新プログラムの確定的な情報はまだだが、ショートプログラムは「Hello, I love you」っぽい感じとかいう話は出ていて、まあ大まかにロック系と思っていいのだろうか。とすると衣装はどうなるのか。私としては、基本的な形は練習着かと見まがうくらいシンプルな黒、でもなんだかシュールな感じで穴が開いている(もちろん競技用衣装としてのルールに抵触しない範囲で)といったのをお願いしたいとか勝手に思っている。フリーについてはプログラムが全くわからないので何とも云いようがないが、ショートがロック系ならば、フリーは耽美ロマンティック系衣装がいいなあなんて思ってみたり。またジョニー・ウィアー氏デザインだったりしてもいいんじゃないか、とか。

 羽生くんの歴代衣装はいろいろあるが、私が特に好きなのは登場順にあげてゆくと悲愴、旧ロミジュリ、新ロミジュリ、タイムトラベラー水色姫、SEIMEIかな。
 羽生くんの凄いところはなんてったって、お花だのヒラヒラだのフリフリだののある耽美ロマンティック系衣装を平気で着こなすところだと思う。そういうのって好みが分かれやすいところだと思うが、私は「他の人はちょっとやそっとじゃ着こなせないんだし、着られるうちはがんがん着とけ!」と思っている。「花になれ」(最初間違えて「花は咲く」って書いてました。すみません。修正7/30)の天女を思わせるようなお花つきの着物っぽい衣装とか、羽生くん以外の男子が着たら多分まずギャグにしかならない。新ロミジュリの、あの色とりどりのキラキラと大きなレースのフリルも難易度高い。私はあの衣装の腰周り、黒から白へのグラデーションのところにキラキラでレースのような模様がついているところが特に好き。ジョニー・ウィアーさん素敵な衣装デザインしてくれてありがとう(そういえばツィゴイネルワイゼンの衣装もジョニーさんだが、ジョニーさんは羽生くんの身体を斜め線で取り巻くのが好きなのだな。ダムパリはジョニーさんデザインではないけれど明らかにジョニーさんリスペクトのデザインかと)。
 しかしなんといっても、タイムトラベラー水色姫が「羽生くんしか着られない衣装」の今のところの最高峰じゃないだろうか。あのお花たっぷりドレープたっぷり感、綺麗な色合い。あれを着こなせるかどうかということになると、たいていの女子もひるむのではないか。しかもそんなフェミニンな衣装を、少女のごとき可憐さはかなさを漂わせつつも実際はあくまで男子であるところの羽生くんが着ることで、女子では決して出せないえもいわれぬ複雑な魅力がそこに生まれるのである。羽生くんのあやうい両性具有の美を味わうのにはこの上ない衣装と云えよう。
 それにしても、羽生くんは衣装の打ち合わせの時など担当者とどういうふうにやりとりをするんだろうか。その現場を知りたい。特に水色姫のときなどどういう会話があったんだろうか。「夢のような、ロマンティックな仕上がりにしましょう」「お花をたっぷりつけて、ドレープもたっぷり寄せて」「普通こういうデザインは女子にするんですけどね、でも羽生さんは特別だから」「羽生さんだからこそ着られるデザインにしたいんですよ」って担当者がものすごく前のめりになっていたんじゃないかとか思ってしまう。羽生くんも「そういう服が似合ってしまう自分」がわりと気に入ってるような気がする。多分。そのへん聞いてみたいなあ。「こういう、女子でも着られないかもしれないようなデザインがものすごく似合ってしまうことについて、ご自分ではどう思ってますか?」

 しかしエキシやショーでなく試合の衣装に限ってみると、ヒラヒラフリフリはあったけれど、お花つきはまだない。試合の衣装にお花つきを投入してもいいんじゃないだろうか。それも思い切ってお花まみれで。鈴木明子さんのオペラ座の怪人の衣装の一つが、淡い色のお花で上半身部分が埋め尽くされているのだったけれど、あのくらいの感じで、羽生くんも上半身全体をお花で埋め尽くしても問題なく似合うんじゃないだろうか。
 その一方で、羽生くんの練習着姿もとても好きな私は、黒でシンプルで、ただただ羽生くんの身体の線がひたすら際立つような衣装というのも見てみたいのだ。

 なんにしても、新シーズンの衣装が楽しみだ。どんなのがくるだろう。羽生くんは着こなせる衣装のテイストが幅広い方だとは思うが、すごくラテン、ないしは南方系な感じとか、チャン氏が着ているような休日のお父さん系とかではないことを祈る。多分ないとは思うけれど。

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 アイスジュエルズの羽生くんシーズンフォトブックが発売になって店によっては完売してたりするらしいが、私の手元に来るのは来週以降になるようだ。まあ腐るもんじゃないからじっくり待つが、中身がいいらしいので早く見たいのも正直なところ。

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 プーさんモチーフのエンゲージリングマリッジリングが発売という話が。もし私が羽生くんと婚約とか結婚とかできるとしても、リングがこれだったら本気で断るぞ、としなくていい心配をする。かわいいとは思うけれど趣味じゃないんで。


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07.25
Mon
 ジョニー・ウィアーさんについては、なれなれしいかもしれないけれど「ジョニー」と書くのがいちばんしっくり来るので以下ジョニーで。
 とりたてて云うほどジョニーのファンというわけではない。が、やっぱりスケーターとしての個性はすごいと思うし、バンクーバーオリンピックで、観客のブーイングをなだめた姿も印象的であった。そして、一冊目の『蒼い炎』を読んで、羽生くんがリスペクトするスケーターの一人であることを知ってより関心が深まった。その後、アイスショーで何度か演技を観たが、やはり独特の表現力はさすがだな、と思う。
 「ほぼ日」サイトでの対談も印象的だった。また、最近のワールドフィギュアスケート「アイスショーの世界」に掲載されたインタビューも印象的だった。そういうところから感じたのは、ジョニーは、自分が自分であることを、真の意味で大切にしている、誇りを持っている人なんだな、ということである。でも、多分、そういうふうなところにたどり着くまでは、きっと人よりもとてもたくさんのことを感じたり思ったり考えたりして、それはほとんど戦いのような凄絶さであったのではないか、と思ったりもする。ジョニーの個性は多くの人にすんなりと受け入れられるものとは(残念ながら)云いがたいから。でもとにかくジョニーは自分で自分を受け容れ、そして自分を好きな人も嫌いな人も区別しない、人からの評価には自分のあり方は左右されない、といったことを云っている。その強さはなんだか凄いな、と思う。山口洋子さんが美輪明宏さんのことを書いた文章の中で、手元にないのでうろ覚えで書くが「美輪さんは女の格好をしている。美輪さんは男が好きだ。でもその美輪さんが男の中の男であって悪かろうはずがない」といったことを述べている。なんだかそれと同じような感じをジョニーに感じる。
 羽生くんがジョニーをリスペクトしてるのは、アーティスティックなスケーターとしての面が大きいのだろうけれど、ジョニーの人柄もきっと大きく関係しているのだろう。またその人柄あってこそのジョニーの表現力なのだろうと思う。ジョニーは自我もとても強いけれど、ショースケーターとして人を自分の表現で楽しませるためにその自我を解放することを知っている。
 ジョニーの方も羽生くんのことをとても気に入ってくれているらしいのが嬉しい。またジョニーが羽生くんのコスチュームをデザインしてくれたらいいのにな。

 ジョニーと、一度握手をしたことがある。2012年夏、福岡のパピオアイスアリーナで、ジョニーのデモンストレーションが見られる募集がかかっていて、仕事帰りに行ける時間、場所だったので応募したら当たったのだ。デモンストレーションというのは、ジョニーがパピオのスケート教室に通う子どもたちを指導する様子を見る、というもので、ジョニー自身のまとまった演技はなかったのだが、その指導の中でもジョニーの動きの美しさはやっぱり際立っていた。ちょっとだけジョニーの挨拶もあった(通訳は安藤美姫さんだった)。ここに呼んでもらって嬉しい、子どもたちはみんな素晴らしい、自分を表現するということをしてほしい、というような内容だったかと思う。そしてそのデモンストレーションが終わってはけてゆくときに、ジョニーが近くを通ったので、握手してもらったのである。ジョニーは「アリガトウ」と云いながら握手してくれた。温かすぎない温かい手だった。


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07.23
Sat
 糸井重里氏の『ぼくの好きなコロッケ』に下記のような言葉が載っている。
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人間というものは、「一喜一憂」したいのです。
「一喜一憂」が、好きなのです。
いつだって「一喜一憂」がしたくて、
「一喜一憂」を探しているのです。
「一喜一憂」をたくさんさせてくれる状況のことを、
「おもしろい」と言うのであります。
なぜ、若い女性が「不良っぽい」男性に惹かれるのか。
「一喜一憂」させてくれるからです。
おもしろいと言われる映画も、
おもしろかったぁと言いつつ帰る野球の試合も、
「どうなるかわからない場面」の質量が満足感でしょう。
つまり、それは「一喜一憂」の回数ではありませんか。
実力とは、「一喜一憂」しない確実性。
人気とは、「一喜一憂」させるスリル。
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 確かになあ、と思う。「喜喜喜喜喜喜喜」では最初はよくても飽きるだろうし「憂憂憂憂憂憂憂」では心身がもたない。喜と憂が混じり合ってこそいろいろなことが面白い。
 で、羽生くんという人は『蒼い炎Ⅱ-飛翔編-』を読んでもあらためて感じるけれど、まさしく一喜一憂ワンダーランドみたいな人だな、と。上記引用の最後に「人気とは、「一喜一憂」させるスリル。」とあるけれど、羽生くんの人気の源は本人の能力や魅力だけじゃなく、こういうところにもあるわけだ。もっとも、確実性としてはそれほどないかもしれないけれど、羽生くんは実力もあるわけで。だから「一喜一憂」の「喜」の振り幅がすごく大きいわけで、それがまた人気に拍車をかけていると思う。
 とはいえ、私たちを夢中にさせるその一喜一憂は羽生くんにとっては別に好きでやっているわけではなく、ただ一生懸命スケートを人生をかけてやっていたらそうなってしまったということなわけで、そういう意味では「ワンダーランド」なんて云ってしまうと申し訳ないという気持ちもあるのだが。いや、本当に運命の神様的に羽生くんの人生のシナリオを書いている存在がどこかにいるのなら「少年漫画の読み過ぎだろう!」とツッコみたくなるくらいだが。「憂」の部分を少し手加減してくれてもいいんじゃないか?と。そういえばだいぶ前に出た『スケオタあるある』という本で(申し訳ないが立ち読みしかしていないのだが)羽生ファンは「勝っても負けても何かにつけて心配している」みたいな書かれ方をしていたかと思う。たしかに私にも「羽生ファン道とは、心配することと見つけたり」みたいに思っている部分もある。そうやって心配する「憂」の部分はないにこしたことはないのかもしれないが「心配」と感じた分だけ思い入れは深くなってしまうところってあるんだろうな。
 なんにせよ「一喜一憂」のてんこ盛りみたいな羽生くん。羽生くんは『蒼い炎Ⅱ-飛翔編-』でファンに向けて「共に走り続けます」というメッセージを出しているけれど、ファンの方としても「一喜一憂にとことんつきあうぜ!」という覚悟でいくのが正解ということか。もちろん「憂」がないといいなあということを祈りはするけれども。

 ところで上記引用に
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なぜ、若い女性が「不良っぽい」男性に惹かれるのか。
「一喜一憂」させてくれるからです。
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 とある。私は若い女性ではないし、羽生くんも不良っぽい男性ではない。しかし羽生くんは、私を若い女性であるかのような気持ちにさせてしまう「ワルイオトコ」ではあるかもしれない。

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 「殿、利息でござる!」のDVDやブルーレイの予約が始まっている。私はKHB限定発売の「殿様版」を予約した。しかしその存在を知る前に初回限定版も予約してしまっていた。殿様版にはブルーレイがないのと、殿様版のみの特典映像以外の特典の異同がわからないので、初回限定版の方をキャンセルするかどうかなどこれからゆっくり考える。こういうところでも私を揺さぶってくれる羽生結弦という男。

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 今、CSで羽生くんの特集番組やってる頃らしい。観られる方うらやましいなあ。これもある意味一喜一憂のうちか。なんてことを思いながら首から西川のクールタオルをぶらさげてこれを書いているのであった。


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07.21
Thu
 『蒼い炎Ⅱ』で印象的だったところの一つが、最後近くにあった下記の部分。
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『自分の幸せって、スケートの中にある』とか『スケートしか幸せじゃない』というところまで考えていた時があったんです。1月初め、足は痛いし、身に覚えのない報道が出たりして人間不信みたいになっていたので、ショーで滑れることがすごく幸せだったんですね。スケートって自分の意志だけでできる、そこには誰も介入できないから。
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 私は以前「羽生結弦選手 絶対孤独領域の輝き」という記事を書いて、羽生くんがスケートを愛するゆえんは「自分の力を純粋に発揮することができ、その結果も純粋に自分に返ってくる、その手応え」にあるのではなかろうかといったことを述べたのだがあながち的外れではなかったかもしれない。「氷の外では、自分の思惑以外のこともいろいろ絡んで、いろいろなことの結果が普通は自分の力だけではないところで動いてゆく(今の羽生くんのようにとても有名な人気者になってしまった身ではなおさらだろう)」とも書いたがこれを書いたときに私も一月の報道のことが頭にあった。『スケートしか幸せじゃない』と感じる状態はつらかっただろう。けれど逆に見れば『何があってもスケートができればその時は幸せ』ではあるのだろう。
 フィギュアスケートは「羽生結弦選手に勝手に至高性を見てしまう」という記事でもちょっと触れたけれど、氷の上でジャンプしたり回ったり踊ったり、そもそもそれが「何になるの?」というものである。でもそういうことを始めた人がいて、それを競技や興業として磨き上げてきたたくさんの人たちがいて今日のフィギュアスケートがある。そのことに、そして羽生結弦という才能がフィギュアスケートにめぐりあったことに、あらためて感謝したい、と思った。それはもちろん私たちが羽生くんの演技を観られる、という幸せのためでもあるけれど、羽生くんがスケートをすることで感じる幸せのためにも。
 羽生くんは「今が一番楽しいかもしれない、スケート」とも述べている。羽生くんが云うように、本当にいろいろな個性のある選手がいて、みんなでしのぎを削り合ってみんなで実力を伸ばしている。本当に見ていてわくわくする状況だなあと思う。もちろん過去にもフィギュアスケートのシーンにはたくさんのわくわくがあったと思う。けれどやっぱり羽生くんのファンになってから、他の選手の個性などもよりよく見えてくるようになって、私も前より今の方が楽しめるようになっている。それに羽生くんが楽しんでスケートをやっていると思うと私も嬉しい。そして羽生くんもこれからの自分を楽しみにしているようだけれど、私も楽しみだ。羽生くんにもあらためて感謝したい。

 私たちファンは、羽生くんに近づいた気持ちになりたくて、もちろんテレビや現地で応援するし、本や雑誌や関連商品を買ったり、キャンペーンに駆け回ったり、聖地巡礼をしたり、あるいはおそろいのアイテムを調べて買ったりする。しかしある意味、一番羽生くんと「おそろい」になれるのは「スケートをする」ことだなあ、というのはだいぶ前から思っている。といっても、私は運動神経に見放されたタイプの人間だし、この歳になって転んでどこかいためたりしたらダメージがでかいし、ということでその道は実質閉ざされているのが残念ではある。

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 二つ前の記事で、西川のクールタオルクリアファイルキャンペーンはおそらく見送るという話を書いたのだが、ジュンク堂福岡店で『蒼い炎Ⅱ』発売記念のパネル展示をやっているという情報を知って、それを見に行ってついでにキャンペーン店舗にも寄れるなあ、とやっぱり思い立って17日に行ってきた。パネル展示は思ったよりこじんまりとした印象だったけれど(撮影不可だったので画像はない)本に載っていない写真が見られてよかった。
 クールタオルキャンペーンのクリアファイル二枚。
IMG_2858.jpg

 光に透かすと雪の結晶模様がいい感じに浮かびあがる。
IMG_2860.jpg
IMG_2863.jpg

 噂には聞いていたけれど西川のクリアファイルは質が高いなあ。本当は1~5も欲しいのだけれど6と7を手に入れたことでよしとする。

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 今日は『蒼い炎Ⅱ』発売記念トークイベントに行かれた方のレポートを読んでいいなあと思ったり『アイスジュエルズ特別編集 羽生結弦SEASON PHOTOBOOK2015-2016』を某ネットストアで予約しようとここ何日か待っていて、出てたのでクリックしたらもう予約受付終了になっていたり、羽生くんの新SPがノリのいい感じで衣装も今までにない感じとかいうことでわくわくしたり。


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07.17
Sun
 『蒼い炎Ⅱ』には表現をめぐっての興味深い発言がいろいろとあった。なんだか嬉しいな、と思ったのは、最後のあたりで羽生くんがこんなことを云っているところ。
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 昔から振付の意味というのを考えてはいたんですけど、でもその意味というのをあまり押しつける感じではなくなったなと思います。
 (中略)『これはこう見てほしい』というのが昔から自分にはすごくあったんですよ。(中略)僕らって360度見られるから『どの方向から見たら自分が伝えたいことが伝わるのかな』『でもジャッジサイドだけに向ければいいわけでもないし』というのを考えながらやった結果、もう『みんな自由に受け取って』(笑)と考えるようになった。自分の中にはある程度、『こういう意味を持ってやる』という芯があるんですよ。だけどそれを見た人がどういう背景を見てどういう心境になるかというのは、人それぞれの経験から導かれるわけだから、それはそれだと認められるきっかけになりました。
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 僕はスケートにすごく気持ちを入れこむタイプだし、気持ちを入れるのも大事だけど、それを押しつけがましいものにするんじゃなくて、受け取る側にはどう思ってもらってもかまわない、と。
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 これ、表現に携わる人にとってはある意味永遠のテーマみたいなところだと思うのである。そりゃ、表現をするからには「これをこういうふうに受け取って欲しい」というのは普通はあるわけで。特に若いうちとか、あるいは表現活動を始めて間もない頃とかは、自分が思った通りをできるだけそのまま伝えたい、と思ってしまいがちなものだと思う。全然違った風に解釈されたりすると落ち込んだりして。でも、受け取る側も、それぞれの経験や心情といった背景を持っているわけで、どんなものに接しても、みんながみんなまったく同じように感じる、そこからまったく同じものを受け取るってことはあり得ないわけである。
 私もアマチュアとしてそれなりに長く詩歌創作をやってきて、いつからか「自分のあらわしたいものをできるだけうまくあらわして作品として呈示する、でも自分の描いたイメージ通りじゃなくても、読んだ人がその人なりの何かをそこから感じてくれたり、イメージを展開してくれたら嬉しい」という考え方をするようになった(「その人なりの経験や心情によっては、私の作品をそもそも受け付けないということも多々あるだろう。それはそれでいい」とも)。だから、羽生くんがそれと同じようなことを云っているのが、やっていることや次元は全然違うにしても、なんだか嬉しく感じるのである。
 そういえば以前「能とフィギュアスケートと羽生結弦選手」という記事で、ミヒャエル・エンデ氏の能についての次の言葉を引用した。
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 “ほのかな暗示”という、この演劇形式の基本要素は、観客の知性と感受性と創造的な想像力とを、当然としてあてにしている。こうして能は観客に最高の敬意を表するのだ。
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 「あらわしたい方向はあるけれど、好きに受け取ってもらっていい」というのは「観客の知性と感受性と創造的な想像力とをあてにして、観客に最高の敬意を表する」ことともつながってくると思う。上記記事で能とフィギュアスケートは抽象的、象徴的表現だという共通性があるのではということを述べてもいる。そのような表現を行う際に「観客にゆだねる」という意識があることは、演技からある種の押しつけがましさを抜き、洗練を加えるのではないかと思う。
 もっとも、一生懸命自分の伝えたいことをできるだけそのままに伝えようとする表現にもそれはそれなりの味があると思う。けれど羽生くんはそこを通過して、洗練の境地に踏み込みつつあるということではないかと思う。それが世界選手権のエキシビション『天と地のレクイエム』にあらわれていたのではないだろうか。

 ランビエル氏とウィアー氏とバトル氏の違いについて述べていたところもとても面白かった。特に私は先日ファンタジーオンアイスでこの三氏の演技を観てきたばかりだったのでなおさら興味深かった。「ウィアー氏は音楽の後ろにいる、ランビエル氏は前にいる、バトル氏はぴたっと平行している」という表現はなるほどなあ、と思った。音楽を引き立てるウィアー氏、音楽を従えるランビ氏、音楽と一緒に滑るバトル氏、ということだろうか。ついでに云うと、ランビ氏とはタイプが違うけれど、プルシェンコ氏も明らかに音楽の前にいる、音楽を従えるタイプだと思う。でなければ「ベスト・オブ・プルシェンコ」なんていう大胆なプログラムはできないだろう(このテーマに関しても、詩歌をやっている身としては「言葉の後ろにいるタイプ」「言葉の前に出るタイプ」「言葉とぴたっと平行するタイプ」ってあるな、とか考えたりして面白かったのだがここは詩歌について語る場ではないので省く)。
 羽生くん自身はどのタイプということを決めてはいないようだが「曲を引き立たせる動きは苦手」つまりウィアー氏タイプではないという自覚はあるということか。確かに羽生くんはどちらかというと「自分」を出してしまうタイプ、少なくとも音楽の後ろにいるタイプではないと思う(「憑依型と自力型」という記事で述べたこととも関係してくるかもしれない)。でもわりと、プログラムによって自分と音楽との位置関係が変わるタイプと云えるかもしれない。エキシビションナンバーのいくつか、たとえば「花になれ」とか「花は咲く」とか「天と地のレクイエム」とかのように、現実の羽生くん自身の気持ちを乗せやすいタイプの曲だと、音楽と羽生くんとの密接度が特に高くなっていると思う。でもバトル氏のように「ぴたっと平行している」というよりは、それらの曲の場合は「音楽と絡み合っている」という感じを私はイメージする。その点「バラ1」はバトル氏のプログラムだったこともあってわりと「ぴたっと平行」イメージかもしれない。ただ、試合プログラムの時は、羽生くん自身が、表現したい人としての羽生くんではなく、競技者としての羽生くんが思いっきり前に出てしまうことがあるけれど。バラ1の最後が鬼神顔だったり、SEIMEIの途中でガッツポーズしたり。まあご愛敬だが。その点パリ散は、羽生くんが云うように、音楽と羽生くんにちょっと距離がある、羽生くんのやっていることに音楽がついてくる、つまり羽生くんが音楽の前にいる感じで、しかも曲調などから云って羽生くんが競技者としてのドヤ感を出しまくってもプログラムのイメージを損なわないという、そういう意味でも名プログラムだったと云えるかも。バトル氏がそこまで考えて曲選び、振付をしたのかどうかはわからないけれど。あ、そういう意味では旧ロミジュリも、羽生くんの自我がはみ出てもOKタイプの名プログラムだったかも。

 なんにせよ、こんなふうに表現のことを考えている羽生くんが、これからどんなプログラムをどんな風に見せてくれるかと思うと、すごく楽しみだ。

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 バスクリン公式ツイートによると、画像が出回った「Mr.きき湯」は仮制作のもので、コラじゃなくてきちんとしたものを作る予定とのことでほっとした。しかし「Mr.きき湯」のコンセプトはそのままなのだろうか。若干の不安は残る。

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 オーサーコーチのインスタグラムに羽生くんが練習している姿が。嬉しい。


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07.15
Fri
 『蒼い炎Ⅱ』はまあとにかく怪我だの病気だの体調不良だのの話が多いこと。それを読んでいて結構辛いとか、それでも頑張る羽生くんすごいとか、今後はくれぐれも気をつけて欲しいとか思ってしまう気持ちも当然あり、でも手術で縫合した糸が出てきたからって自分で切っちゃいかんやろとか、安静にしてるべき期間に練習再開しちゃいかんやろとかいうツッコミを入れたくなってしまう気持ちもあり、というようなところは多分多くの人と共通している感想だと思う。なのでそのへんは詳しく述べない。
 で、私は「根性論が嫌いで、なおかつ心配性」な人間である。そんな私としてはこの『蒼い炎Ⅱ』には但し書きをつけたくなってしまうのだ。

 「よい子は真似をしないでください」

 羽生くんは、怪我だの病気だのを、隠せるならば隠して頑張ってしまうし、それを云い訳にしない。それは確かにカッコいいことなのだが、しかししかし。本来は「怪我や体調不良を押して無理に頑張る」なんてことは、人間しない方がいいに決まってる。たとえばあの中国杯の衝突事故の後に演技をしたのだって、是か非かで云えば、私は是とはやはり云えないのだ。いくら脳震盪の可能性が否定されたところで、あれだけダメージを受けた身体で演技して、悪い転び方をしてさらにダメージを増したり、本当に頭を打って脳震盪になったりしたらどうする。現に五回も転倒したし。あそこで演技したからこそグランプリファイナルにもつながって、というのはあくまで結果オーライだったという話であって、やっぱりあれは危険きわまりないことだったと思う。ただ、そこで出て演技してしまったことに対して「ああ、それが『羽生結弦』だよな」と思ったのは確かだし、またその姿にいわくいいがたい美を感じたことも否定しない。けれどやはり、一般論的に考えると、あの行動は肯定しがたいし、根性美談的にしてもいけないと思うのだ。
 根性だの努力だのそういったこと自体を否定する気はない。羽生くんの並外れた根性だの努力だのが羽生くんの今を作っているのも確かである。だが、だからといって他の人がそういうところにへんに憧れて真似するのは危ないと思う。基本的に、怪我だの体調不良などは隠さずに、休むべき時はきちんと休むべきなのである。さらに云えば、根性論の大好きな指導者などが「怪我や体調不良があっても少々のことでは頑張ってしまう羽生くん」を引き合いに出して、むやみやたらと根性だの努力だのを押しつけた教育指導などをしないといいな、などと私は心配してしまうわけだ(教育指導の場だけじゃなくて、職場などでもあり得る問題である。なんか長時間労働してる方が偉いみたいな風潮とか。やだやだ)。
 人は頑張るべき時、頑張れる力をつける必要はあると思う。それはむやみやたらと根性論を押しつけることでではなく、どうやったら能力が上がるのか、どうやったら効果が出るのか、どうやったら目標に近づけるのか、といったことを合理的に考えて個々人に合わせて工夫する、という方向でなされるべきだと思う。おそらく普段のクリケットクラブでの羽生くんの練習も、どういう方法をどのくらいの分量やるか、ということをコーチ陣がきちんと合理的に考えて組んでいるのだと思う(ただ本人の性格と、目指すところが高すぎるせいで「血のにずむような」オーヴァーワークになりがちな面はあるかもしれないけれど)。羽生くん自身も、練習ノートをつけたりして、いろいろと考えてコーチ陣とすりあわせて練習をしているようだし。見習うならそういうところだなあ、と思う。
 なんてことを心配してしまうのはもちろん私が根性なしの人種だからであるが。

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 「豪華フィギュアスケーター達と行くハワイツアー」みたいなのが10月にあるらしい。もちろん羽生くんの参加は時期的に云ってもあり得ないが、もし羽生くんと行くツアーというのがあったら、というのを反射的に考えてしまった。しかしハワイは似合わない(と、行ったことないくせに思った)。羽生くんと行きたいとすれば、やはり「羽生結弦と行く週末仙台ツアー」だなあ。ずんだ餅食べたり、定義山であぶらあげ食べたりしたい。アイスリンク仙台で、ツアー参加者限定の羽生くんのプログラムを見せてもらえるとか。で、夜はホテルで、過去の演技映像鑑賞を交えての羽生くんトークショーとか。しかしそんなツアーの募集ってとんでもない倍率になるだろうなあ。お金や体力のこと考えなければ「クリケットクラブでの練習風景観覧つきトロントツアー」とかもいいなあ。まあとにかく妄想はタダということで。

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 東京西川がまた新手のクリアファイルを繰り出してきたらしい。前の分も手を出していない私は今回もおそらく見送る。欲しいってば欲しいけれど、やっぱりそのために不要不急のしかもそれなりの値段するものを買うのは正直苦しい。あと対象店舗まで行くのも正直面倒でもある。手に入らないとなると、西川がクリアファイルに通し番号をつけてコレクターアイテム臭を出しているのがうっすら腹が立つ。くっ。

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  バスクリンのMr.きき湯ってどういうことだ。あの格好をした羽生くんがおうちのお風呂訪問とかしてくれて、その人に合った入浴剤とかをコーディネートしてくれるとか。そんなわけないが。しかしあの写真はコラということで間違いないのだろうか。どうせコラにするならそういう方向性ではなく(以下略)。

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 町田樹氏がプリンスアイスワールドで研究のための調査アンケートやるそうで。どんな内容の調査なのか知りたい。アイスショー参加者と云わず、ネットを利用してひろく調査を行ってくれないだろうか。協力するのに。




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07.11
Mon
 『蒼い炎Ⅱ-飛翔編-』は写真もいい。表紙の写真とか、扉の、口元に手を当てている写真とかは「人間で、こんなにも『美しい』と感じさせる存在がいるというのは許されていいのだろうか」などと思ってしまう。この「水色姫」とも呼ばれる衣装は羽生くんの衣装の中でもっともフェミニン度が高いと云えるもので、羽生くんの両性具有的な美が際立っている。こんな衣装、こんな表情、こんな雰囲気が似合う二十一歳男子が他におるかは。この優美可憐な見かけで「性格は気が強い。むちゃくちゃ強い。半端なく強い(by宇都宮直子氏)」だとは、この写真を見ただけの人は思うものかは。
 裏表紙に、こっちが恥ずかしくなってしまうような笑顔の写真を持ってくるのは『蒼い炎』シリーズのお約束なんだろうか。
 あと、羽生くんとベッド、という組み合わせはやはり撮ってみたくなるものなんだろうな。そうだろうな。
 しかし前回の『蒼い炎』のときも思ったが、子どもの頃からの写真を順に見ていくと、14、5歳あたりから急に色っぽくなったのがわかる。なんというか文学的に「少年の色気」だよなあ、と感心する。
 26ページに、あのニース世界選手権の時、フリー演技直前のどアップの写真が載っているが、これ、私がファンになった最初期に雑誌で見て息を呑んだ写真の一つで、今回ここに収録されているのがすごく嬉しい。場面を考えると羽生くん的には集中した臨戦態勢のはずなのだが、それでいて不思議な、消え入りそうなはかなさ。これは羽生くんのこれまで撮られた全写真の中でも屈指の傑作と私は勝手に思っている。
 おなじようにどアップで今回おおっ、と思ったのが、166ページの、別府でのインタビュー時の写真。少し前に私は「羽生結弦くんの顔についての私的考察」という記事を書いて、そこで「羽生くんの顔は造作だけを冷静に見た場合極めつきの美形というほどではないと思う」という話を書いたのだが、しかしこの写真を見ると、羽生くんの顔のパーツの完成度はやっぱり高いな、と思う。切れ長の目、すっとしていて主張しすぎない鼻、優美な形の唇。この写真の顔の角度や表情とあいまって、羽生くんが羽生くんであるからこその美が純粋な形で捉えられていると思う。
 他にも試合の時の写真、ショーの時の写真、オフショット、どれもみんないいけれど、私としてはTogether on Iceの写真が比較的多く入っていたのが嬉しい。このショーはやっぱり特別なショーだったと思うし、でも私は行けなかったので。そして最後の287ページを優しげな雰囲気の「天と地のレクイエム」でしめているのも、本の内容と呼応していていいな、と思った。とにかくいろいろな写真を堪能できた。撮影された浅倉恵子様ありがとうございます。

 四年前に羽生くんの本のタイトルが『蒼い炎』と知ったときに反射的に心の中で「ベタだ!」と叫んでしまった。詩的で美しく羽生くんによく似合っているが、詩的で美しく羽生くんによく似合いすぎているからこそなんだかちょっとこそばゆいというか。このタイトルは編集者さんが表紙の写真を見て考えついたとのことなのでいいのだが、もし本人が「『蒼い炎』とかどうっすかね?」とか云っていたのなら私はぶっとばしたくなると思う。今回の「飛翔編」というサブタイトルも編集さんだろうなあ。であることを祈る。羽生くんが「「飛翔編」とかどうっすかね?」とか云っていたのならやっぱりぶっとばしたくなると思う(町田樹くんならなぜか許せる)。この「飛翔編」というサブタイトルで私は『火の鳥』(手塚治虫氏の)を連想したと前に書いたが、なんにせよこのサブタイトルで「王道少年漫画感」が増したことは間違いないだろう。『蒼い炎Ⅲ』のサブタイトルはなんだろう。「超越編」とかだろうか。


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07.09
Sat
 残念ながら眠っていて羽生結弦くんの出てくる夢というのはほとんど見ない。が、先日、宇宙ステーションに大西卓哉さんが向かったというニュースを見ていて、以前見た夢を思い出した。2013年の年末頃である。某SNSの日記にその話を書いていたのを加筆修正して以下に記載。
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 羽生結弦くんが短期間だけど、宇宙ステーションに乗り込むミッションが決まったとかいうことらしかった。で、なぜか私はその見送りの場に(ロケット発射の場じゃなくて、そこへと向かう空港ぐらいの感じ)関係者であるかのようにいたのである。「いってらっしゃい」か「がんばってください」か云って握手もした。羽生くんは手袋をしていた。多分練習のときにしているアイスリンク仙台の黒い手袋と推察。着てるのも黒い練習着だったと思う。
 つーか、羽生くんが宇宙ステーションでのミッションって何。と、目が覚めてからぼんやりした頭で考えた。
 多分、地上400kmから、羽生くんのオーラ(という言葉も近年すっかり安くなったからあまり使いたくないのだが)を、地球上にまんべんなく散布して、それで世界中を平和にしようという壮大なミッションなんだ。そうだ、そうに違いない。
 ……でも無重力状態に長くいると、筋力とか落ちるから現役終わってからにしてほしいものだ。って真面目に考える必要ないのだが。
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 もちろん夢といいその後の意味づけといい荒唐無稽である。しかし、羽生くんにはなんというか独特の尊い清らかさみたいなものを感じるのは事実で、それが世界の浄化に使えないかなあなんてことをついつい考えてみたくなるのだ。いろんなレベルで「なんだかなあ」ということが多い世界だから。そういえば「羽生結弦くん「陰陽師」妄想」という記事を以前に書いて、そこでも羽生くんが実は陰陽師で、フィギュアスケートと陰陽師の技を合体していてそれで世界を浄化している、というような妄想をしたことを述べている。
 ただ、その記事でも述べたように、私個人としては日々や社会や世界のあれこれで「なんだかなあ……」な心を、羽生くんの存在で浄化してもらって過ごしている面というのは多々ある。

 先日『蒼い炎Ⅱ-飛翔編-』を入手してまず一気読みした。そのあとの読後感というのがまた何ともいいがたいものであった。感動と云えば感動なのだけれど、なんというか、心全体がじーんと響いている感じ。記載されている話が2012年世界選手権からということで、つまりは私が決定的に羽生くんに墜ちたその時点からということで、ファンになってからの日々を一気に濃密に再体験したとも云えるわけである。その余韻がじーんと沁みわたる感じであった。あの本には、羽生くんの怪我だの病気だの、辛いことの話がとても多いけれど、にもかかわらず読後感は一種の幸福感であった。なんというか、羽生結弦という類稀な人物の純粋さのエッセンスを、あくまで擬似的に間接的にではあるものの味わうことができたような感覚。私はその読後感の中に漂っていたいと思った。それが日常の雑事の中に紛れていってしまうのが惜しいと思った。
 とはいえ、やはり生活というものがあるので、実際はその読後感の中に漂いつづけるというわけにはいかなかったわけだけれども。でも、その読後感を経験したことで、その感覚を時々よみがえらせてみることで、やはり私の心の浄化にはなるだろうと感じている。
 上記の夢を思い出して、そうそう、私が宇宙ステーションから散布したかったのはこの読後感みたいなものだったんだよ、と思った次第である。
 その後また今度は少しずつ読み返し中。内容についての具体的な感想もぼつりぼつりと書こうかなと思っている。

 宇宙ステーションはこちらのページでチェックして、ときどき見ている。明るい星が夜空をゆっくりと横切ってゆくように見えるのが面白い。

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 「羽生結弦2016-2017 フィギュアスケートシーズンカレンダー」なるものが壁掛けと卓上と両方で発売らしい。「シーズンカレンダー」という名前といい、説明書きに「2016-2017シーズンの大会スケジュールを掲載 グランプリシリーズはもちろん、主要国際大会、国内競技会の日程もチェックできる」とあることといい、これは普通の年区切りのカレンダーではなく、10月はじまりとかのカレンダーということと考えていいのだろうか。とりあえず能登さん写真ということもありポチってしまったが。ここのところ毎年発売されている普通の年区切りのカレンダーは別に出るのだろうか出ないのだろうか。状況によっては貼る場所、置く場所に頭を悩ませなくてはならないかもしれない。ううむ。



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07.07
Thu
※一応ネタバレ注意。

※この記事は昨日、編集途上で誤って一度投稿してしまい、それを削除する前にブログ検索「皆声」に拾われてしまったので、削除した記事への「皆声」リンクから来てくださった皆様にはご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。

 『蒼い炎Ⅱ-飛翔編-』が、昨日ようやく私の手元にやってきた。某ネットストアでだいぶ早くに予約していたのに入手が発売日よりだいぶ遅れたのでなんだかなあ、だったのだが、ポストカードがついていたので許してやる。正確には「出版社としては購入者のおまけ用ポストカードとして作ったわけではなく、販促用のポストカード大のPOPとして作ったものを、一部書店がおまけとして流用したらしい」ということらしい。ラッキーであった。
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 一応すでに読破している。いろいろと感想はあるのだがおいおい書いてゆきたい。
 今日はとりあえず、ポストカードにもある「皆さんが私をきっかけにつながっていただけたらと思っています」について。なんかそういうまっすぐな言葉を見ると、私のような屈折した心情の持ち主は「つながれって云われても……どこの皆さんと……?」と戸惑ってしまうのである(ついでに云うと「共に走り続けます」も「気持ちは嬉しいけど、私は走るのしんどいので、歩かせてもらいます」とか思ったりしてしまう)。なんかたとえば「羽生くんを応援する人どうしつながりあいましょう!」みたいなのってちょっと苦手感があるのである。いや、好きな対象が共通している人どうしつながりあうのはとても楽しいことだし素敵なことだというのを知らないわけではない。しかし積極的につながりを求めてゆくみたいなことが出来ない性分である。だからこのブログもこんな感じなんである。自分の書きたいことを書いて、読んでくださる方がいらしたら嬉しいけど、でもそれでみんなで交流しましょう、みたいな方向には行かない感じ。そういう方向の皆さんを否定するわけではなく、単に私がそういうの向いてないという話。
 ただ、エピローグに下記のような記述がある。
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 人が思いを伝えようとする時には、インターネットだったり電話や手紙など、何か道具が必要です。例えば僕という人間を道具として、僕という人間を通して、皆さんが自分の気持ちを伝えるきっかけになればいいな、と。僕というネットワークを使って、いろいろな気持ちを発信してほしいと思っています。
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 このブログの一番最初の記事にも書いたように、私は表現したがりの人間である。「何を」表現したいのかということはつきつめてゆくと自分にもわからない。ただ、私の表現したい何かを触発して何らかの形にしてくれるきっかけとして、羽生くんという存在はとても大きい。アマチュア詩歌人として、羽生くんのことあるいは羽生くんから連想したイメージなどで相当書かせてもらってきた。このブログも、もちろん「羽生くんのことが語りたくて始めた」のだが、羽生くんのことを語ることによって、私の中にある表現したい「何か」が形になっているというのも確かである。つまりは「羽生くんというネットワークを使って、気持ちを発信している」ということではあるのである。
 そして、直接的な交流でなくても、私の詩歌作品を読んでくださる方であったり、このブログを読んでくださる皆様とは、ゆるーい意味で、つながっていると云ってもあながち間違いではないのだろうと思っている。というわけでこの場を借りてお礼を述べさせていただく。このブログを読んでくださる皆様、どうもありがとうございます。
 しかし何らかの発信や交流のきっかけ、媒体物としての羽生結弦くんの優秀さよ。ネット上にあふれているファンの方のいろいろな発信を見ていつも思う。これだけいろいろな面から何かを語ったり表現したりすることのできる存在というのはなかなかいないのではないか。あと、羽生くんが自分がそういう存在ということを自覚していてそれを表明できるっていうのもなんだかすごいことだ。

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 七夕である。私のエア短冊には「羽生結弦くんの健康と幸福と活躍」「世界平和」と書いてある。



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