05.29
Sun
せんだいへ行きたしと思へども
せんだいはあまりに遠し
せめては「週末仙台」を眺めて
きままなる思いをはせてみん。

 「週末仙台」の郵送分一次募集でありがたく当選して受け取ったはいいが、仙台に行きたいと思っても、そうおいそれとは行けない。約二年前幸運にも仕事がらみで行くことができたが、プライヴェイトで気軽に行ける状況では残念ながらない。でもいつかまた行きたいという気持ちは本当なので「週末仙台」を眺めてあれこれと思い描いたりしてみている。仕事で行ったときはそんなにいろいろ見て回ったりできなかったし。その割になぜかアイスリンク仙台にはしっかり行っているのだが。アイスリンク仙台に行くことにしていた時間帯にもあとから仕事を入れられそうになって、ちょっとだだをこねて仕事を外してもらったりしたのだが。
 「週末仙台」で羽生くんの次に私のハートを撃ち抜いたのは「せり鍋」である。これはぜひ食べてみたい。せりと、鴨または鶏の鍋ということのようだが、私はせりも大好きだし、鶏や鴨も好きだ。それらをとりあわせた鍋がうまくないわけがない。しかしうちの周辺でも道ばたでせりが摘めるところはあるにはあるし、それはそれなりにうまいのだが、しかしせり鍋の写真で見るような、根っこまでしっかり食べられるような太いせりは残念ながらこのあたりでは手に入りそうもない。ネットでちょっと調べてみると、シーズンに入ればせり鍋セットの通販もあるようだが、それを取り寄せてみるかどうか……でもいつかは仙台で食べたいものである。
 あと、羽生くんも家族でよく遊びに行ったとして触れている定義山(「仙台週末旅パーフェクトプラン」のページにもある)も前から気になるスポットなのである。というのは、私は堺雅人さんのファンでもあるのだが、堺さんが映画「ゴールデンスランバー」のロケで仙台に滞在したときのエピソードとしてここの「定義とうふ店」のあぶらあげが美味しかったということを述べていたので。この店には確か羽生くんのサインもあるはずでもあり。
 「仙台駅で最後までお土産探し!」のページにある仙台麩、これは近所の店で今年の三月東北応援フェアみたいな感じで置いてあったので(メーカーは違うかもしれないけれど)買って食べてみた。美味しかった。
 ずんだ餅は大好き。前に仙台に行ったときは現地でも食べたし、買って帰った。羽田空港でもずんだ餅は入手できるので、仕事で東京に行ったときに買って帰ったりもする。しかし羽生くんの好きなずんだ餅の店ってどこだろう。
 他にも「週末仙台」に載っている場所やものはいろいろみんな魅力的。そういえば青葉城趾とか瑞鳳殿とかそういう王道の場所もまだ行ってない。青葉城趾は行こうとしたけれどそのとき天気が悪くて断念したし瑞鳳殿はスケジュール的に余裕がなかった。博物館、天文台、文学館も興味ある。
 いろいろなところを巡るあいまに掲載されているようなカフェに寄ったりもしてみたい。しかし私はカフェインが比較的苦手な体質で、コーヒーや紅茶を気兼ねなく飲むことができないのが残念。お酒もまったく飲めなくはないがあまり得意ではないので、日本酒のページも眺めるだけ。
 とにかく今度行くことができたら、七北田公園と五色沼には行こう。国際センターは実は仕事で行ったのだが、そのときはまだ地下鉄は開通してなかったので国際センター駅にも寄ってみたい。
 「週末仙台」とは直接関係ないが「殿、利息でござる!」の舞台である吉岡にも足を伸ばしている羽生くんファンがそれなりにいるとか。私もそちらにも行ってみたいなあと思う。

 前に「私と東北」という記事でも触れたように、私は仙台にゆかりがあり、住んだこともなければ行ったことも二度しかない(しかも一度は二歳のときだから記憶なし)のに勝手に親近感を募らせている。母方の叔父が調べたところによると、先祖は伊達政宗に仕えた刀鍛冶につながるらしいとかいうことで、私の先祖が伊達重村さんや、羽生くんの先祖の方などとどこかですれ違っていたりしてもおかしくないのだなあ、などと思ってみたり。

 もし羽生くんと一緒に「週末仙台」できるなら。
 とりとめなくいっしょにお散歩しておしゃべりできたらなと思う。それで、散歩の途中休憩でずんだ餅を一緒に食べられたらいいな。ご飯も御一緒できるようであれば、そして羽生くんがせり鍋が嫌いでなければ、一緒にせり鍋つつけたらいいな。
 まあ実際問題として私は人見知りで緊張しいなので、羽生くんと会えますということになっても、あがってしまってろくにしゃべれもしないだろうし、というかその前に緊張の余り体調を崩したりして機会をふいにするということも大いにありそうである。いやそもそもそんな機会くるわけないのだが。
 でも想像は自由だから。

 「週末仙台」の郵送分二次募集もかなりの応募が集まっているとか。まだ手にしていなくて本当に欲しい人のところに行き渡りますように。

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05.27
Fri
 もともと興味の幅があまり広い方ではない。が、何かや誰かにはまるとそこを中心に興味が波及することもある。好きな人がインタヴューで述べていた本を読んでみるとかそういった感じで。ただ何でもかんでも波及するわけではない。羽生くんのファンだが別にイアフォンにもゲームにもけん玉にも今のところ食指は動いていない。
 指田フミヤさんに関しては、もちろん羽生くんとショーナンバー「花になれ」でコラボしてそれ以降親交があるということで、羽生くんが「僕の心に一番近い、そういうアーティストの方」と述べていたりで、どういう方なんだろう、という興味は漠然とあったのである。で、どういうタイミングだったか忘れたが、羽生くん応援ソングであるという「documentary.」が収録された四曲入りシングル「hello-EP」を聴いてみたのだった。それでその「documentary.」もすごく好きなのだが「スパム」という曲がすごく気に入ってしまった。「花になれ」とはまったく方向性の違う、ある意味ダークでアグレッシヴな曲。それで他の曲も聴いて(ちなみにファーストアルバム「しろくろ」の歌詞カードに載っている謝辞には羽生くんの名前もある)、さらに2014年11月に福岡でのライヴに行って、そのライヴパフォーマンスもすごくいい、と思った(この福岡のライヴは、あの羽生くんの衝突事故があった中国杯の当日だった。私はライヴ帰りに携帯でニュースをチェックしてびっくりしたのだった)。
 そのときに買ったツアーパンフには、指田さんのロングインタヴューが掲載されていた。それを読むと、指田さんがかなり凄絶な心のヒストリーを生き抜いてきた方であることがわかる。おそらくツアーパンフだからこそ語った内容であるので、ここでその詳細については書かないが。作品とアーティストの実際とは分けて捉えた方がいいと私は思っている方だが、その履歴を知ったことで「花になれ」がそれまでと違った聞こえ方をするようになったのも事実である。こういう方が、羽生くんとどういう心の交流を持っているんだろう、というところにもさらに興味は湧いたが、そこはお二人の間のことなのでもちろん知るよしもない。ただ、私としては勝手に「さっしー、ゆづをよろしくお願いいたします」という気分になっている。

 昨日、福岡Drum Be-1で行われた指田フミヤライヴ「指田フミヤ LIVE TOUR2016 果実~弾き語り360°~」に行ってきた。

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 ネタバレは控えて欲しい旨の公式ツイートがあるので詳細は語らないが、やっぱりとてもいいライヴだった。指田さんの声は、歌詞の内容どうこうということを超えて(いや、歌詞がどうでもいいというわけではないのだが)、声の持つ表情というか、感触というか、それ自体がとても心地よい。耳で聴いているというより、ダイレクトに意識全体に響いてくる感じ。そして意識から無意識へとすうっと浸透してゆく感じ。ピアノも凄い。中途半端にピアノをかじった人間としては、ああいうふうに弾けるというのがうらやましい。もちろんそれだけ練習など積んでこられたのだろうけれど。
 客層は、おそらく羽生くんファンとのベン図のかぶりが大きいのだろうな、という雰囲気だった。羽生くんにゆかりの深い例の曲ではあちらこちらからすすり泣きの声が。涙腺のかたい私としては、そういうときにナチュラルに泣ける人がうらやましい。

 下の画像は、会場限定販売のミュージックカード三曲分と、その三曲を全部買うともらえるサイン入りポストカード。

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 指田フミヤさんオフィシャルサイトはこちら

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 羽生くんは引き続きトロントで加療中で、帰国のメド立たずの報が入っている。どんなことを考えどんな日々を過ごしているのかわからないが、その状況なりにやれることをがんばっていることと思う。くれぐれもしっかり治してくれることを祈る。

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05.23
Mon
 そもそも私が決定的に羽生くんに墜ちたのはニースロミオの演技で、基本的に「演技をしている羽生くんが好き」というスタンスはそれ以来変化はない。けれど、羽生くんという人は本当にいろいろな面を持つ人で、私が惹かれてやまない理由の一つにはその「少年性」というものが否定しがたくある。
 少年、という概念が昔から好きである。昔々、まだ腐女子という言葉もBLという言葉もなかった頃、私は級友の影響で、BLを読み書きする腐女子であった(その後BL関係とは特に積極的にかかわりを持たなくなって久しいが、BL的発想が理解できる、というのは一つの財産ではあると思っている)。そしてその頃に読んだのが中島梓氏の『美少年学入門』であった。このあたりで私は「少年」という概念に憧れを抱くようになったのだと記憶する(中島梓氏が別筆名、栗本薫で書いた『真夜中の天使』『翼あるもの』なども愛読した)。その後、稲垣足穂氏の著作に出てくる少年のあれこれにも多大な影響を受けたと思う。さらに大人になってから読んだ白洲正子氏の『両性具有の美』も私にとっては印象的な著作である。
 他にもいろいろ影響を受けていると思うが、とにかくそういったあれこれから私の中の「少年」という概念は熟成されていったのだった。ただ、それがあまりにもある意味美化されたものであることは自分で自覚していた。私の中にある「少年」とはどこまでもイメージ、イデアであり、それを現実の少年に投影できる日などこないだろうと。
 でも、羽生くんを見たとき、ああ、こんな少年がいるんだ、と私は衝撃を受けたのだった。私の中にある「少年」のイデアを投影できる少年が実在した、と。
 実を云うと、確かに決定的に羽生くんに惚れたのはニースなのだが、それより少し前、11-12シーズンの途中には「少年」としての羽生くんに着目していた。私はアマチュアとして詩歌創作をしているが、過去の作品をふりかえると、羽生くんの少年性から発想を得たものがその頃からすでにできはじめているのである。そういえば詩歌創作仲間の方で、やはり羽生くんが好きな方がいるのだが、その方と『両性具有の美』は羽生くんとつながりますよね、という話で盛り上がった記憶もある。実際、羽生くんファンの方で『両性具有の美』を読んだ方なら、結びつけずにいる方が難しいのではないだろうか。
 たとえば『両性具有の美』に収録されている「菊花の契り」という文章の中に以下のような記述がある。
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十三、四から二十歳(はたち)前の男の子には、誰が見ても人間ばなれのした美しさがある。それがわずか四、五年、長くて六、七年で消えてしまうところに物の哀れが感じられ、ツバメの趣味なんかまったく持ち合わせていない私でさえ、何か放っとけないような気持ちになる。シモヌ・ド・ボヴォワールは「人は女に生れるのではない、女に成るのだ」といったが、男は男に成るまでの間に、この世のものとも思われぬ玄妙幽艶な一時期がある。
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 その年頃の少年であれば誰にでもこの記述が当てはまるとは私は思わない。が、羽生くんは当てはまると断言してもよいであろう。「この世のものとも思われぬ玄妙幽艶な一時期」をこの目で目撃できていることが嬉しい。そしてこの記述では「十三、四から二十歳(はたち)前」となっているが、羽生くんは現在二十一歳にしてまだこのような少年性を十分に保っていると私は感じる。もちろん少年よりは青年という年齢ではあるし、成長していないというわけではないのだが、それなりの変化はありつつも、依然として少年としての輝きを維持してもいる。少年性というのはその本質はまさしくうつろうはかなさにあるのだが、その「うつろうはかなさ」を「たもち続ける」というアクロバティックなことを、涼しい顔でやってのけているのが羽生くんの凄いところである。そしてまだ当分、その少年性は失われそうもない。あやういはかなさをたなびかせながら、羽生くんの存在性を切なく彩ってくれ続けそうである。
 もし中島梓氏が、稲垣足穂氏が、白洲正子氏が羽生くんを見ていたら、どんな感想を持っただろう。何か言及しただろうか。そんなことを思ってみたりもしている。

 少年性を保っている羽生くんであるが、ときどき少年というよりは子どものようにあどけない感じにさえ見えてしまうこともある。画像はこないだのグランプリファイナルショート後の画面撮り。こういうしょうもない字幕をつけてしまいたくなったので。

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 うちは田園地帯のそばで、この時期、水路には螢が出る。毎年楽しんでいる。近年は「この舞う螢と羽生くんという取り合わせを見てみたい」などと思いながら。それこそあやういはかなさの感じられる美しい情景ではないか、と脳内で勝手にうっとりする。

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05.21
Sat
 スピリチュアル系の話というのは、興味としてはある程度あるのだが、でもうのみにはしないというか、いかにもスピリチュアルスピリチュアルした雰囲気はやっぱり苦手というか。でも時に話として面白いと思うことに出くわすこともあって、今日はちょっとそういう話である。そういう系が苦手な方、逆にそういう系をしっかり信じておられる方はスルー推奨かもです。

 数日前、ネット上某所で「羽生くんはスターピープルなのでは」的な記述に行き当たったのである。スターピープルとはなんぞや、と思ってネットで検索していくつかのサイトを見てみた。どうやらその手の話で本などいろいろ出しているドリーン・バーチューさんという人がいて、その人の書いたものによると、スターピープルというのは、地球以外の星から地球をよくするために、地球人の身体で転生してきた人のことらしい(単数形ではスターパーソンだが、面倒くさいのでこの記事ではスターピープルで統一する。ドリーンさんによると、他にも地球上には、天使の生まれ変わりや、元素霊(妖精など)の生まれ変わりや、賢者(魔法使いや魔女など)の生まれ変わりといった「アースエンジェル(地上の天使)」がそれなりにいるらしくて、スターピープルもそのアースエンジェルの一種らしい。これらの複合型とかもいろいろいるらしい)。
 スターピープルである人の特徴などをいくつかのサイトで見ていると、まあ羽生くんが当てはまると云いたくなる気持ちもわかるというか、スターピープルという概念の妥当性はさておき、スターピープルの特徴とされるものに当てはまる人っていうのはそれなりにいるよなあ、と思った(ここでそれらの特徴等について述べてると長くなるし、うまくまとめきれるかどうかもわからないので、興味のある方はググるなりなんなりしてくださいませ)。
 というか、私自身がある程度当てはまるのである。こわいほど当てはまっているというレベルではないが、私がもうちょっとこういう話に乗りやすいたちだったら「ああ、私はスターピープルなんだ!」と思ったかもしれないくらいには当てはまる。
 羽生くんなんてなんかいろいろな意味で「規格外」の人だから、よく「宇宙人」なんて云われてもいる人だから、私も以前「羽生結弦くんの超越性」という記事で、此の世離れしたものを感じるというようなことを書いたけれど「実は地球以外の星から来たんです」っていうのはまあ設定としてははまるよなあ、と。
 とはいえ。うーん、私はスターピープルの特徴とされるものをそれなりに持ってはいるけれど、別に「スターピープルです」ということにしなくても「地球人の中で、気質やなんかがちょっとマイノリティの方」ということで十分なんじゃないかなあ、と思っている。というか、仮にスターピープルという概念に妥当性があるとしても、私自身が本当にそうかどうかというのを確定する手段はおそらくないわけだし、もっと云えば、スターピープルであってもなくてもどうでもいいわさ、とも思う。なんにせよ、地球人の身体を持って生まれてきていることには相違ないんだし地球人として生きてゆくわ、と。それに確かに私は「地球をよくしたい」とは思うけれども、そして私はある意味永遠の中二病だと自分のことを思っている人だったりもするけれども、だからといって「他の星から地球をよくするために来た」と、そこまで中二病的に自分を買いかぶれないなあ、という感じ。
 羽生くんも、たしかにスターピープルという概念は似合うけど、でも地球人の身体を持って生まれてるし、なんだかんだ云って、本当は異星人でした、というよりは「異星人的だけれど地球人」という方が面白くないか?面白いかどうかで決めることでもないかもしれないが。

 以下は私個人の話がメインなんでお気が向かれた方のみどうぞ。
 スターピープルについて、ある意味ちょっと笑ってしまったのがドリーンさんの公式サイトにある下記の記述。

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彼らの惑星では、家庭生活、出産、繁殖、セックスに関する習慣が地球と異なるので、多くのスターピープルは、いわゆる地球でいう「結婚」をしたり、子供を持つことはありません。

アメリカ人が抱くロマンチックで典型的な恋愛像は、しっくりこないと感じています。それは自分たちのライフスタイルではないからです。また、家庭生活は、現世での自分の使命と決めているライトワーク(訳注:スピリチュアルな方法で人や地球を助けること)の障害になりかねないことも知っています。
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 私はもちろんスターピープルを自称する気はないのだが、ここを読んでちょっと「スターピープル」という概念が使えると便利だなあと思ったのだった。私は、恋愛、結婚等に関しては「若い頃若干試行錯誤→めんどうくさくなった→基本的に自分には向いてないと結論」という経緯を辿っている。子どもも、そもそも積極的にほしいと思ったことがなかったが、ある程度の年齢からは完全に、自分には子育てとか無理と思うようになった。そんな私に、たまに誰かが「恋愛(結婚)しないの」「すればいいのに」と云うことがあるのだが、そんなときに「私、スターピープルなんで、地球の男に興味ないんです」とちょっと云ってみたい。いやもちろん云わないけれど。
 で、さらに笑ってしまったのが、上記に続く以下の記述。

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ただ、スターピープルの女性は、同じ星群から来たソウルメイトである、ずっと年下の男性と恋に落ちることがよくあります。
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 ははあ。なるほど。私と羽生くんとは同じ星群から来たソウルメイトなんだ。だから、私はずっと年下の羽生くんにこんなに惹かれるんだ。
 とか中二病的に妄想するのは、ちょっと楽しい。



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05.19
Thu
・殿にお仕えしたい老若男女がお城につめかける。
・殿にお仕えしている人たちのあいだで「誰が殿のおぼえが一番めでたいか」「誰が一番殿に尽くしているか」などでよく喧嘩になる。
・殿は毎日おいしい玉子かけご飯を食べるのをことのほか楽しみにしているので、鶏番の地位が意外と高い。
・領民から、規定の年貢以上に「殿へ」と名指しで貢ぎ物が集まる。なぜか黄色い熊のぬいぐるみが多く含まれている。殿は余剰の貢ぎ物を、慈善事業に回す。めでたしめでたし。
・他国の姫たちがやたらと「父上、羽生藩とのよしみを結ぶために、私を羽生の殿に嫁がせてください!」と云いだす。
・当然、側室希望者も殺到。
・殿の似顔絵が浮世絵として刷られて、ものすごく売れる。
・殿の似顔絵付き紙挟みをおまけとして商売を始める店が出てくる。おまけ目当てで商品買う人多数。
・藩の名所に殿がたたずむ様子を描いた絵を添えた案内本が全国で評判となる。藩への旅行者も増え、藩の財政がうるおう。余剰分は慈善事業に回される。めでたしめでたし。
・殿は舞の名手。
・なぜか冬に氷の張った池の上で舞うという演出を考案、それがひときわ美しいと評判になる。ものすごい数の見物人が集まる。興業として成立するレベルになったため、藩の財政はますますうるおい、余剰分は慈善事業に回される。めでたしめでたし。
・殿が舞い終えると、多くの見物人が池に向かって花や黄色い熊のぬいぐるみを投げ込む。お小姓たちが集めて殿のもとにもってゆく。
・舞の技が高度になりすぎて、ときどき怪我をするが、家臣が止めてもきかない。
・舞と違ってまず公に披露することはないが、歌をうたうのも好き。舞を舞う前によく「集中を高めるため」に歌っている。
・ある日、殿が池で舞う練習をしているときに、地震が起こる。藩の被害を救うために殿は、自分の舞をさらに極めて藩に尽くすしかないと思い定め「無頼庵翁佐阿」という師匠のもとに(長くなるので以下略)。

 何書いているのかだんだんわからなくなってきた。
 映画で演じた伊達重村さんが藩主を継いだのは15歳のとき。羽生くんのシニアデビューと同じ歳だなあなんてことをぼんやり思ってみる。

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 キシリトールクリアファイルはなんなくセブンイレブンでフラゲコンプリート。今回コンプリートのハードルがとても下がったのはなぜだろう。前回の「ファミマにはこれがあって、ミニストップにはこれがあって、サンクスにはこれがあって」という具合で最低三店舗は回らないとコンプリートできない方式は不評だったのだろうか。
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 そして今日、郵送分に応募していた「週末仙台」が届いた。ばんざい。ばんざい。ばんざい。仙台市ありがとう。すぐには無理だけどいつかきっと行きたいと思う。webでほぼ同じものが見られるとはいっても、やはり私はアナログ人間なので紙媒体が好きなのだ。しかし本当に無料でもらっていいのか心配になるくらい結構しっかりした冊子だ。羽生くん以外のところも楽しみたいと思う。
 今回冊子を手にとって写真を眺めて気づいたこと。羽生くんの腕の血管の浮き出し方がなんかいい感じ。
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05.17
Tue
 ネタばれというほどのことはない方向で行ってみる。
 昨日「殿、利息でござる!」を観てきた。平日の夕方、しかも多くの人はまだ仕事が終わっていないだろう時間帯だったので比較的空いていたが、ネットニュースなど見ると5月14日・15日のランキングで興行収入第二位とのことで何よりである。
 さて、もちろん羽生結弦くん目当てで観に行った。しかし羽生くんの演技が上手かったかどうかなどは私はコメントできない。やはりどうしてもひいき目で観てしまうからだ。というか、学芸会に出る我が子に対する親の気持ちになっていたのかもしれない。「うちの結弦、よくがんばってる」みたいな。まあ子どもを持ったことがないから本当にそういう気持ちがわかるかと云えばわからないかもしれないのだが。
 正直なところ、たとえば地球の裏側あたりの、日本の俳優とかフィギュアスケートとかには一切関心も知識もない人をつかまえてこの映画をみせて、その上で「殿様の演技は大丈夫でしたか、違和感なかったですか」と確かめたい。
 ただ、好きなアーティストが出ているからという理由で映画を観に行って、でもそのアーティストの演技に「……」となってしまった経験もある私だが、羽生くんに関してはそうはならなかったので、おそらく合格点なんじゃないか、とは云える。羽生くんの出演シーンは大事なシーンで、ここで羽生くんの演技が棒だったらぶちこわしなのだが、少なくともそういう「棒」感は免れていたと思う。
 とりあえず、羽生くんの短い出演シーンのあいだ、私は緊張しつつも幸せであった。羽生くんは、存在感がクラシックなところもあり、一般家庭のお生まれのはずなのだが妙なやんごとなき感もあるので、一般庶民が仰ぎ見る存在としての「殿」にはもともとはまり役だと思う。加えて、羽生くんはメディアに映るあり方を観ていても「自分がどういうふうな言動をすることがこの場で求められているのか」ということに対してすごく感覚が鋭いのではないかと感じるので、その感覚の鋭さが「今回お殿様を演じるにあたって自分はどういうふうにふるまうべきか」ということにも発揮されたのではないかと思う。
 あと、羽生くんの声はいいなあ、ということもあらためて印象的だった。
 映画全体としてもよかった。以前の記事でも述べたように堺雅人さんのファンでもある私だが、その堺さんが出演した「ジャージの二人」「ジェネラル・ルージュの凱旋」「ゴールデンスランバー」の監督の中村義洋監督が今回の監督、堺さんが主演した「武士の家計簿」の原作を書いており、堺さんのお友達でもある磯田道史氏が今回の原作、ということで、私としては堺さんつながりということで親近感、そして妙な安心感があった(堺さんと羽生くんが紅白の審査員席で並んだときにそのへんの話をしてたらいいのにと思うが、その時点でまだ羽生くんの出演の話は伏せられていたから、してないだろうなあ)。
 そこそこ笑わせてくれつつも、泣ける展開、といっても私は全然泣いてないのだが、それは私が涙腺のかたい性質だからで、おそらく多くの人が泣けるだろう要素を多々含んだ映画であった。みんなのためにいろいろなことをがまんしてがんばる、みたいな無私の精神の美しさ。ただ、この手の美しさには気をつけないと、へんな方向の滅私奉公とか「ぜいたくは敵だ」的な強制感にもつながりかねないので注意が必要ではあるが。そういう意味でも、この映画で描かれた「つつしみ」は大事なことだな、と思う。善行をしたからといって偉ぶらない、他の人にそれを押しつけない。以前、お金持ちの関係者が多そうなとある建物の壁に、寄付をした人の名前が刻んであって、それも金額の大きい人ほど前の方に大きい字で刻んであって、みたいなのを見てげんなりした私は、この映画に出てきた「つつしみ」はとてもいいなあと思った。もちろんそんなにいさぎよくつつしみきれないのも人間というもので、そのあたりのかわいらしさ?も描かれていて面白かった。
 出演者の皆様はいずれ劣らぬ好演。話のテンポもよく、心地よく観られた。
 しかし、羽生くんの映画出演が本当にこの「殿、利息でござる!」でよかった。たとえばこれがホラー映画だったら、ホラー苦手な私はちょっと遠慮せざるを得なかったかもしれない。また、息をもつがせぬスリリングな展開続き、みたいなスピードやアクションなどを売りにしたタイプの映画も、観ているととても疲れてしまって苦手なのである。だから、話に山あり谷ありではあっても、全体として穏やかなトーンの映画で本当によかった。

 松田龍平くんが仙台藩の役人のやなやつ役で出ていた。松田くんのデビュー作「御法度」を映画館で観た私としては、ああ、あの子がもうこんな貫禄のある役をするようになって、とちょっと感慨深いような。あと、そのとき松田くんが演じた新選組隊士、前髪の惣三郎を羽生くんが演じるのもちょっと観てみたい、と思った。

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05.13
Fri
 以前、羽生くんのホロスコープを調べてみた。とはいえ私は占星術のプロではないし、当然、他にとっくにやってらっしゃる方もいるので、そういったサイト等の情報や占星術の本を参考にさせていただきつつ結果について一昨年書いてみたものを加筆修正して掲載する。
 ちなみに、私は星占いに関しては、当たるとか当たらないとか、信じるとか信じないとかではなく、星占いという存在やその体系を面白がって 現実に当てはめてみるとどうなるか、当たっているとしてどういう感じか、というのを楽しむというスタンスである。素人にしては詳しい方かな、くらいのレベル。
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 羽生くんの出生時、各星がどこに入っていたかは、下記のようになる。

パーソナルプラネット
太陽 射手
月 水瓶
水星 射手
金星 蠍
火星 獅子

ソーシャルプラネット
木星 蠍
土星 魚
天王星 山羊
海王星 山羊
冥王星 蠍

 出生時刻がわからないので完全なホロスコープは作れないのだが、各星の作るアスペクト(角度)はだいたいわかるので、それについてアストロロギアというフリーソフトを使って占いの結果を出してみた(出生時刻は仮に昼の12:00とした)。その中から、羽生くんのパーソナルプラネットに関わるアスペクトで、特徴的に強いものが四つ出ていたので下記に列挙する。

火星と冥王星が非常に強いスクェア (オーブ 0.00)
 極限的なエネルギーの持ち主だが、陰性であまりにも鋭角的。健康を犠牲にしてまで不眠不休・徹夜で研究にうちこんだりする。表だって他人と争うことは必ずしも多くないが、かっとなると前後の見境がなくなり、殺人さえ犯しかねない。
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火星と木星が非常に強いスクェア (オーブ 0.87)
 高慢で好戦的。プライドが高く、負けず嫌い。かっとなりやすい。そのエネルギーを、単に他人を感心させるためではなく、建設的な方向に生かせれば吉
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月と水星が非常に強いセクスタイル (オーブ 0.31)
 感受性と表現力が調和。生き生きとした鋭敏な感性を持ち、いろいろなことに興味を持つ。自分の気持ちを、柔軟に、魅力的な表現で、言い表すことができる。知的で魅力あふれる、きらきらした人。
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
金星と土星が非常に強いトライン (オーブ 0.53)
 抑制のきいた控え目な性格。礼儀正しい。内面の美しさと外面の美しさが調和し、押しつけがましさがない。愛情は冷静。燃え上がるような激しい感情は持たないが、控え目な優しさと、永続する深く誠実な愛情を抱く。美に関する分野でも、堅実な向上が期待できる。

 まずとにかく火星。スポーツをやるためには闘争心や行動力を見る火星が重要。
 で、その火星にまず冥王星からのスクエアということで、冥王星は破壊と再建とか、極限とか、そういうことをあらわす星で、とにかくエネルギーが強い。しかも蠍座という冥王星の支配星座にいるだけに、そのパワーはさらに強まっているかと。スクエアというのは凶角といわれるけれど、エネルギーの強いアスペクトで、意志の強い人にはかえって成功への踏み台となる、と云われている。羽生くんがスケートにひたすら打ち込む、演技の最後に倒れ込むほどになるという感じは、このへんから来ているかも。
 殺人さえ犯しかねないとはおだやかならぬ表現だが、確かに羽生くんのエネルギーというのはなんていうかものすごく鋭角的な感じがする。スケートという、火星のエネルギーを注ぎ込むものがあって、よかったと思う。ただ、健康を犠牲にしてまで云々、というところもある程度当てはまっているというか、わりと怪我をおして、ということが多いのも事実だし。中国杯の衝突の直後もあの状態で演技したりとか。今リスフラン関節靱帯を痛めてるのも、昨秋の「血のにずむ」練習などと無関係ではないと思うし。
 ちなみにこの火星は獅子座だから、華やかなパフォーマンス的なものは向いてるということ。フィギュアスケーターでよかった!
 さらに木星からもスクエアのアスペクトが来ている。「好戦的、負けず嫌い」って……たしかに。でも建設的な方向に生かせれば吉とあるから「震災復興につながれば」という思いがあるのは、いいことかもしれない。
 なんにせよ、この火星に対して強いスクエアが二つもある(しかもスクエアを作っている冥王星と木星は合)のは、スケートに打ち込むエネルギーが莫大で、逆境に強い、ということをよくあらわしているかも。
 で、冥王星も木星もソーシャルプラネットだから、社会、時代が羽生くんの火星の力の発動を望んでいた、ともとれる。
 しかも火星のある獅子座も、冥王星と木星のある蠍座も定着宮だから、頑固だぞ、粘り強いぞ、こりゃ。出生時刻がわからないからこの火星が第何室にあるのか不明だが、これが第一室(おおまかに云って本人の個性をあらわす)だとしたら大笑いだ。

 で、いささか穏やかでない感じの火星へのアスペクト二つとはうってかわって下の二つのアスペクトの好感度よ。セクスタイルもトラインも吉角だし。
 月と水星のセクスタイルの内容なんて本人そのまんまだ!とはいえ、出生時刻によってはこのセクスタイルは成立しなくなるのだが、内容を見る限り、成立してるんじゃないかなあ、と思いたくなる。
 火星の「スケート馬鹿」と対照的に、ここではいろいろなことに興味を持つと書かれているが、確かに、イヤフォンオタだったりゲームオタだったりけん玉にはまっていたりとか、興味の幅もある程度あると云えばある。いろいろなことを考えて紡いでゆきたい、といった発言もあったし、いろいろなことを吸収したい意欲は強い感じがする。で、この月は水瓶座だから、独創的なところもあり、また人類愛的な要素も強い。彼が震災のことに言及するというのはこのあたりの影響かも。
 さらにコミュニケーションをあらわす水星が射手座だから、深遠な知性に裏打ちされた表現力があるということ。言語能力高いもんなあ、確かに。
 さらに金星と土星のトライン。「礼儀正しい」確かに。このトラインは「年長者ににかわいがられる」相でもあるらしくて、……確かにな、と年長者としては思うのだった。トラインは他人の援助からの幸運をあらわすらしいし。年長のスタッフ、ファンの支えに恵まれてるということだろう。美に対する分野でも堅実な向上ができるとのことだが、これは羽生くんのスケートの表現力がきっと堅実にのびてゆくということかと。

 で、上二つのアスペクトの激しい、鋭角的な感じと、下二つのアスペクトの、人当たりの魅力的な感じとのギャップで、いかれてしまう人が多いんだろう、と。

 さて、アスペクトの話からちょっと離れて、本人がおおまかにどういうタイプかを見ると、本質をあらわす太陽は射手座、感情、感受性といったものをあらわす月は水瓶座ということで、射手座は冒険者、水瓶座は独創的な自由人という感じで、知性があって魅力的だけれどなかなかとらえがたい人、という感じかな。射手座は出生地から遠く離れた場所、外国に関連する星座だから、練習拠点をトロントに移したのは正解だったかも。
 だからどういう人が相手に向くか、ということになると、射手座の冒険心、水瓶座の独創性、人類愛的なところに、共鳴できたり一緒に行動できたりする人で、でもどっちの面から見ても決して束縛はしないタイプの人ということになるかなという気がする。
 ただ、恋愛をあらわす金星が定着宮の蠍座に入っていて、その金星が堅実性の土星からトラインのアスペクトを持っているので、いったん恋人を定めたら、上のアスペクトの説明から云ってもその人に対しては結構誠実で堅実かも。

 あと、ホロスコープ全体をざっと見渡した場合、本質の太陽は火の星座で、他の星は、水の星座が多め。そのあたりも単純ではない彼の魅力をあらわしているかも。

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 しかし出生時刻がわかればもっといろいろ面白いのに。アセンダント(上昇宮)がわかるし、どの星座がホロスコープのどの部屋に該当するのかもわかるから、もっと具体的にいろいろ占えるのに。誰か羽生くんの出生時刻教えてください。ってそんな個人情報そのへんに漏れてたらたいへんだけれど。

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 最近ひょんなことで、ネットで行き当たったのだが、去年の10月頃、ファーストガンダム等のキャラクターデザインをした安彦良和氏が「羽生結弦くんを見てビックリ!どう見てもこれ二次元のキャラだろありえねえよって思ったら三次元だった!!抱きしめちゃいたい!!!」と云ったとか。ううむ。抱きしめなくてもいいから羽生くんを描いてみてほしい、と、かつてファーストガンダムにハマり、安彦氏の絵を真似してキャラを描いてみたりしていた私は思うのだった。あのやわらかい線で描いた羽生くんはなかなか良さそうな気がする。
 私も絵を描くのは嫌いではないがそれほど得意ではない。得意だったら羽生くんの絵をじゃんじゃん描いていただろうな、という気がする。でも、絵を描くというのは何らかの形で羽生くんを抽象化するということで、それは羽生くんの魅力をよりデフォルメした形であらわせるということでもあるかもしれないが……しかしなんだか逆に、羽生くんという人は抽象化するのがもったいない、という気もしてしまう。

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 「週末仙台」は今週末あたりには福岡で配布があるのではと首を長くして待っていて、そろそろ首が羽生くんくらいの長さになりそうだが(嘘)、今のところそういう動きはない。残念。
 キシリトールでまたクリアファイルキャンペーンだとか。すでにフラゲされている方々もあるとか。私も一応コンプリートを狙っているが、経験上、私の近所でものすごい勢いでなくなって入手困難だった、ということがこれまでないので、まあ焦らなくても大丈夫かな。ただ、ガムは前回のキャンペーンの時のをまだ消化しきってないのだが。
 明日はいよいよ「殿、利息でござる!」公開。楽しみ。

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 「五月の風をゼリーにして」と云い残したのは詩人の立原道造氏だが、もし本当に五月の風をゼリーにできたなら、羽生くんに食べてほしい、と他愛もないことを思ったりする今日この頃。


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05.11
Wed
 原曲はプリンセス・プリンセスの「DIAMONDS」。現地で羽生くんを観ることにハマったファンの心理をテーマに。

「羽生結弦」

冷たい空気に全身防備で
見下ろすアイスリンク
好きな選手見てるだけ 悪いことしてないよ
銀のブレードでリンク跳び回る
素敵演技にくぎづけ
テレビ越しではわからない 迫力見たい
曲がかかる瞬間の 胸の鼓動焼きつけろ
それは素敵なコレクション もっともっと並べたい
金がなくても暇がなくても呆れられても やめられない

羽生結弦だね AH AH いくつかの場面
AH AH うまく言えないけれど 宝物だよ
あの時感じた AH AH 予感は本物
AH 今 私を動かしている そんな気持ち

幾つもプレガに 会員登録
チケ取りも慣れたけど
抽選結果見るときには いつも震える
落選メールに 打ちのめされても
まだ死ぬわけにいかない
欲張りなのは生まれつき シーズンはこれから
定価譲渡掲示板 ねらうチケをつかまえろ
ダフ屋なんかじゃ買わない 定価以上じゃ買わない
宿をとって 飛行機とって 休みをとって さあ出発

羽生結弦だね AH AH いくつかの場面
AH AH うまく言えないけれど 宝物だよ
あの時感じた AH AH 予感は本物
AH 今 私を動かしている そんな気持ち

結弦を知らない AH AH 昔に戻って
AH AH やり直したいなんて 思うわけない
あの時感じた AH AH 気持ちは本物
AH 今 私を動かすのは 羽生結弦

 一番最初に思い浮かんだのは、最後の「私を動かすのは 羽生結弦」のところだった。これは私にとってはまさしく実感である。というのは、私はちょっとばかりグダグダな時期があって、羽生くんにハマる前の数年間「泊まりがけでどこかに行く元気とかないし」という状態だった。でもニースのロミジュリ羽生くんをテレビで観て虜になって「この子を今、生で観ないと後悔する!」と思い、プリンスアイスワールド東京公演のチケットをとり、数年ぶりに外泊つきの外出をしたのである。それ以降、羽生くんがらみで何度か遠征したし、仕事も年に二度程度出張があるものを引き受けて、今に至る。まあそれでももともとものすごく元気な人ではないのだが、一時期のぐだぐだ状態からの回復が羽生くんをきっかけに加速したことは確かである。そういう点で、羽生くんには感謝している。
 もっともっと体力気力があって、もっともっとお金も稼げていたら、もっともっと現地で観られるのになあ、とも正直思っているが、今の自分なりに行けるだけ行っているだけでもありがたいのである。
 歌詞に「あの時感じた AH AH 予感は本物」「あの時感じた AH AH 気持ちは本物」とあるが、私にとっての「あの時」はもちろんニースロミオの羽生くんを観たときである。
 チケットの定価掲示板は一度だけ利用したことがある。地元福岡にグランプリファイナルが来ると決まって、せっかくならショート、フリー、エキシビション全部観ようと思ったのだが、フリーだけどうしてもチケットがそろわなかった。けれど、高橋くんの欠場が決まった後に定価掲示板に「譲」が出始めて、そのうち一件と無事にやりとりができて、譲ってもらうことができたのである。

 原曲で「ブラウン管じゃわからない」となっているところは「ああ、そのまんまでいいや」と最初思っていたのだが、考えてみれば今テレビはブラウン管のものはほぼなくなっている。それで「テレビ越しではわからない」に変えた。時代だなあ。

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05.07
Sat
 GW中に博多駅ビルの9Fでやっている「アートアクアリウム展」を観に行った。さまざまな形や仕掛けの水槽の中に金魚がたくさん泳いでいて、金魚も含めてアートとして楽しめる展示である。アマチュアで詩歌活動を行っている私は、その印象について書こうとして「人がその美を蕩尽するためだけにつくられた命である金魚」みたいなフレーズを考えた。そこで「蕩尽」という言葉が、本当に自分のあらわしたいニュアンスにはまる言葉なのかどうか確認しようと思って、ネットで検索してみた。あれこれ見ているうちに「蕩尽」はバタイユの著作中にある言葉の訳語としても使われているということがわかった。そういえば昔バタイユについては聞きかじったことがあるなあ、と思いながら関連するページを開けてみたりしていると、バタイユのこんな言葉が目に飛び込んできた。
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有用性を超えた彼岸こそ至高性の領域である。
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 おおっ、と思った。有用性の有無というのは私も常々気になっていたテーマなので。要するに、いろいろなものごとは役に立つとかお金になるとか将来のためになるとか「○○のために」という有用性の文脈の中にある。しかし、そういう「○○のために」ではなく、そのときそのことをそのままに味わうことこそが至高性である、ということらしい。
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至高であるということは、現在という時を、その現在という時以外にはなにものも目指すことなしに享受することである。
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 以下とにかく今回ネットでいくつか読みかじったことと、昔聞いた話の記憶とで、生かじりでバタイユがらみのことを語る。生かじりなので的外れな点もあるかもしれないが、あくまで個人として思ったことということでご容赦願いたい。とりとめもない話だが。
 特に現代社会では有用性がとても幅をきかせている。でも本来至高性は人間誰もが求めているものであるということらしい。
 で、思ったのだがフィギュアスケートというのは本質的には「有用性の彼岸にある」ものではないか?もちろん、実際の社会の中では競技や興業として成立しているし、それによってお金が動くし、それをやる人もそれによって人気やお金を得たりしているわけではある。しかしそもそもフィギュアスケートというもの自体は、氷の上で回転ジャンプしたり踊ったり、それをすることが「何になるの?」と云われたらそれまでのものではないか。まあそういう意味ではいろいろなスポーツが有用性の彼岸にあるわけだが、たとえばスピードスケートならまだ「氷の上をいかに早く移動するか」という有用性と結び付けられる要素がないでもない。でもフィギュアスケートは、あらゆるスポーツの中でももっとも有用性との結びつきが遠い類に入るのではないだろうか。つまりフィギュアスケートというのはそのもの自体は「至高性」の領域にあるとみなすことも可能である。
 そのフィギュアスケートをやっている人たちの中でも、とりわけ羽生くんはその「至高性」を純粋な形で体現している人物だという気がする。「だから、何?」と云われれば終わりであるフィギュアスケートというものの、とことん高みを極めようとしているという点において。
 もちろん、羽生くんはとても負けず嫌いで金メダルが欲しい人だというのも確かである。でもそれはおそらく金メダルそのものが目的というよりは「フィギュアスケートの至高性をもっとも極めた人」であることを求めているという印象がある。金メダルはその結果に付随するものに過ぎない。羽生くんはおそらく、フィギュアスケートを演じている自分、そのときのことをそのままに、ただ享受する、その演じている「現在」をこそ味わい尽くすことが本来的には一番好きなことなのではないか、と勝手に想像してみる。リンクという「祝祭的」な空間において、フィギュアスケートというものの中へと自分を「蕩尽」する、その感覚をこそ愛してやまないのだと。より純粋で濃厚な「蕩尽」を達成すること=フィギュアスケートの高みを極めることなのだと。
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至高者は一種の戯れ=賭なのだ。
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 ともバタイユは書いているらしいが、羽生くんはフィギュアスケートという形で戯れ、賭を誰よりも一心不乱に追求している至高者と云えるのではないか。
 それで金メダルがもらえるとか人気がでるとかお金が稼げるとか震災復興のためになるとかその他もろもろいろいろありはするだろうが、あくまでそれは副次的な結果に過ぎない。リンクで人の注目を集めるのが好きとも云っているがそれは俗な意味での「人気者になりたい」ということではなく、多くの人の注目が集まることはその空間の祝祭的な性質がより強まるということではないか。
 私は以前「羽生結弦くんの超越性」という記事を書いた。そこで羽生くんは此の世離れした超越性の持ち主だと感じる、ということを書いたのだが、おそらくそれは羽生くんが「有用性の彼岸、至高性の領域にいる」と感じられることと無縁ではない。
 あと、羽生くんが比較的最近「その時その場でしかできない演技を大切にする」というようなことを述べているが、それは「至高性」の本質をつかんだ認識であるとも云える。
 さらに云えば、羽生くんはとてもストイックな印象を与える(本人はそんなにスケートだけの人じゃないですよとも云ってはいるが)という点も、至高性を感じさせる要素となっていると思う。食べることには興味がない、ファッションにも興味がない、レジャーなどにも外出しない、お酒は体質的に飲めないらしい、女は……不明だが少なくとも羽生くんがやたらと女好きというのはちょっと考えづらい。イヤフォンには執着があるようだがそれは音楽という「今、このとき」を享受する至高性領域につながることのような気がするし。

 いちファンとしても、たとえばちまちま稼いだ金を羽生くんを観に行くために(遠征費も含めて)散財することは云ってみれば「蕩尽」的な要素があると感じる。そして上にも書いたようにフィギュアスケートの会場というのは祝祭的空間であるとも感じる。
 そして羽生くんという至高領域の人が、その至高性を存分に発揮している、自らを祝祭空間の中で濃密に蕩尽している、それをおすそわけしてもらって私も至高性を垣間見ている、だからこそ私は羽生くんに惹かれてやまないのだろう。そして、ファンとして応援することで、現地観戦するときは特に、その祝祭空間の祝祭性を高めることに寄与できる、その喜びというのは確かにあると思う。
 そして私は羽生くんの演技は情感がどうとかより感覚的に心地よいのだという話も以前書いたが、それは「○○だから感動した」とかよりもっと手前に「羽生くんの演技であるというそのこと自体がただ好き」という「今このときをそのまま享受する」感ということでもあるのだと思う。

 ちなみに、このブログも有用性というのは原則度外視して書いている。読んでくださる方に最新の情報などを提供できるほどまめではないし、ファン心理として共感しやすいような記述を提供しているとか、すごく面白いことを書いているとかでもないと思う。ただただ私は書きたいと思ったことを書いて、それでひょっとして楽しんでくださる方がいらっしゃれば嬉しい、という感じである。アマチュアとして詩歌をやっていると書いたが、そっちの方でも、たとえば共感や感動を誘うとか、面白がってもらえるとか、慰めや励ましになるとか、気づきをもたらすとか、そういう有用性とは関係なく、ただ作品それとして存在するようなものを書きたいという意識が強い。だから「有用性にしばられない何か」ということについてはひょっとしたら人より少し敏感かもしれない。

 ところで冒頭に書いたアートアクアリウム展だが、基本的に和のテイストで統一されていて、会場の中に何着か綺麗な着物を掛けてあるところがあった。そういうのを見るとまたしても「ああ、羽生くんに着せてみたい」と反射的に思ってしまった。きちんと着せ付けるのではなく、いたずらに羽織らせてみた、という感じで。
 あと、金魚、というのは観賞用に人がつくりあげたもので、水槽の中でしか生きられないものだが、フィギュアスケートというのも氷の上でだけ存在する、人がつくりあげた美、というところは何か似ているかもしれない、などと思ったりもしてみた。



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05.05
Thu
 ジャンプとしてスコアが認定されるジャンプが6種類あることは、ある程度以上フィギュアスケートに興味のある人なら知っていることかと思う。その中で唯一アクセルジャンプのみが前向き踏み切りであることも解説などで触れられることが多いのでわりと知られていることかと思う。
 素朴に考えて、ジャンプって前向きに跳ぶ方が自然じゃないか?と漠然と思っていたのだが、その疑問は『フィギュアの時間です』(朝日コミックス)でも触れられていたので、ああ、やっぱり同じことを考える方っていらしたんだなあと思った。実際、アクセルジャンプが他のジャンプより若干歴史が古く、やはり最初は人は前向きに跳ぼうとしたのだなあ、ということである。
 で、本当に素人だからよくわからないのだが、なぜそれから今に至るまで、アクセルジャンプは唯一の前向き踏み切りジャンプなのだろう。前向きで他の跳び方っていうのはあり得ないのだろうか。さらに云えば、後ろ向きジャンプ5種類はいずれも20世紀の初め頃にできたようだが、後ろ向きジャンプも5種類以上はできないのだろうか。
 要するにジャンプ大好き羽生くんが7種類目のジャンプを開発してそれに「Hanyu」と名前がついたりしたら嬉しいなあとかいう安直な発想でそんな疑問が浮かんでしまったわけだが。
 「羽生結弦くんのシットツイズル愛好会」という記事のときにも書いたのだが、羽生くんはそうやって自分の名前をフィギュアスケートの技名として残したいという願望はないのだろうか。新しいジャンプを創るとまでは云わなくても、何かの技で。正式名称でなくても、クリムキンイーグルやリッポンルッツのように俗称でもいい、みんなが「ハニュウ○○」と呼ぶような何かができたらいいのに。ときどき思うのだが羽生くんが演技の最後のあたりにする、かがんで頭の上にブレードをのっけて回るスピン、あの「了の字スピン」とか呼ばれるらしいスピン、あれ他にやってる人いるだろうか、いなければあれが「ハニュウスピン」ってことでよくないか。脱線するが、あれが「了の字」スピンというのは形を見ればなるほどそうだが、私はあれを「忍の字スピン」と呼びたくなってしまうのだ。苦しそうな姿勢を耐え「忍」んでいるように見えるということも含めて、あれを見ていると「忍という字は心(脳天)に刃(ブレード)を乗せて」というフレーズが頭に浮かんでしまうからである。

 まあ、羽生くんに新技名を期待するより前に、私が現存する6種類のジャンプをもっとちゃんと見分けられるようになれよ、っていう話もあるのだが。ジャンプ以外の技についてもまだまだちゃんと知らないことがたくさんたくさんあるのだが。

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 先日友人とカラオケに行ったら通された部屋の名前。いや、羽生くんと何の関係もないことはわかっている。でもちょっと嬉しい。

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