03.31
Thu
 美しい演技だった。羽生くんの演技にはやはり他の誰とも違う、独特の雰囲気がある。軽快で流れるようで柔らかいのにシャープさも兼ね備えている。作り出すすべての線、形、動きが感覚的に本当に心地よい。素人目から強いて云えば気になったのは4Tの着地がややスムーズさを欠いた(それもあくまで羽生くんにしては、の話だが)くらいで、素晴らしい演技だったと思う。プロトコル見るとステップがレベル3なのが惜しいと云えば惜しいのだが、そのステップもGOEは全員が3をつけている。プロトコル全体で見てもGOEは1が一つあるだけで他は全部2と3という壮観。4Sと3AでGOE満点をとれているのも目を引く。PCSも高い。特にPerformance/Executionが高いのは一つ一つの技の完成度の高さの反映なのだろう。
 最後のポーズを止め、そして吠えたのも印象的だった。今回は精神的にいろいろと大変だったようなことを云っていたので、その中でもこれだけやってやったぞ!見たか!というような気持ちだったのだろうか。精神的に大変というのもこちらではかりきれるものではないと思うが、やはり、今羽生くんは前人未踏の領域に踏み出している人であり、同じ状況になった人がこれまでにいない、誰のことも参考に出来ない、自分ですべてを認識しコントロールしなければならないということは大きいのだろうなと思う。自分の精神状態を認め、受け入れるようにしているというようなことを先頃から口にしているが、今回もその意識を強く持ってやってきたのだろう。精神状態には、練習の時のデニス・テン選手との絡みの一件も影響したかも知れないが、羽生くんの性格から考えると「それが影響したから自分の演技が損なわれた」というようなことには絶対にしたくないと強く思ったのではないかという気がする。何にせよ、最終グループの選手にややミスが目立つ中で、あらためてメンタルの強さも際立たせる結果になった。
 惜しいところでショートプログラムの最高点更新はならなかったが、フリーおよび総合の最高点更新はありえる。点数だけにこだわるわけではないが、期待して応援したい。
 ところで、六分間練習の時に背中のファスナーが開いていたのはなんだったのだろう。ファンサービスか。

 他の選手についてもざっくりと。ハビエル・フェルナンデス選手とパトリック・チャン選手はそれぞれ転倒がありつつもまとめてきたのはさすが。宇野昌磨選手はコンビネーションジャンプだけが惜しかったがいい位置につけた。ボーヤン・ジン選手もやや精彩を欠いたが僅差だ。デニス・テン選手はまだ本調子に戻っていないと見るべきなのだろう。ミーシャ・ジー選手情感溢れる演技でよかった。アダム・リッポン選手のいわゆるリッポンルッツはやはり美しい。ただアメリカ代表にジェイソン・ブラウン選手がいないのはちょっと残念ではある。マキシム・コフトゥン選手は3Tがザヤったのが痛かった。それにしてもハン・ヤン選手とナム・ニューエン選手がフリー進出を逃すとは。ニューエン選手はリアム・フィルス選手の辞退に伴ってのカナダ代表選出であるだけに辛いだろう。

 あさってのフリー。羽生くんをはじめとして、皆が力を出し切っていい演技が出来るように祈る。羽生くんはそうした中でこそ勝ちたいと思っているはずだから。

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03.29
Tue
 春である。実は春が四季の中で一番苦手だ。いや、春という季節の風情が嫌いなのではない。たとえば私は菫の花が大好きなので、この季節散歩すると、道のはたに菫が咲いているのを見て嬉しくなってしまう。羽生くんには菫が似合うと思う。最初に虜になった頃、菫の花を束にしてコサージュにしてつけてみたい、と17歳男子には普通思わないようなことを思ったものだ。それはさておき、菫が咲こうと桜が咲こうと、春というのは寒さから暑さへの移り変わりの季節であり、ゆえに気候は不安定であり、それに伴って心身も不安定になりやすい。そんな時期なのに年度末年度始だったりして、人や物事の動きなどあったりしがちだから、不安定に拍車がかかる。それで私は春が苦手なのである。
 だが、羽生くんのファンになってからというもの、この季節には、スケートシーズン最高峰の試合(五輪除く)「世界選手権」が来るということが重要事になった。おかげで、春という季節の不安定さをまぎらわすことができて助かっている。いや、世界選手権のために、精神の振れ幅はむしろ大きくなってしまっているという話もなくはないが、なんにしても、その中に一本「羽生くんを応援している」という芯を通せるのがありがたい。

 その世界選手権だが、羽生結弦選手中心でざっくりと展望などを。 まず羽生くんについては
 ①世界タイトル奪還できるか
 ②世界最高点再更新なるか
が注目点かと思われる。
 ③4Loを入れてくるか
というのもこないだまではあったのだが、ネット記事によると、入れてこないということなので。先日「羽生結弦選手のジャンプ讃」という記事で入れてくるような気がすると書いた私としてはちょっと残念。いや、私の予想が当たるとか当たらないかとかはどうでもいいのだが。まあ、ネット記事を読む限り、入れる気はあったようだし、できることを出し惜しみする人ではないので、今現在、試合で出せる最高のもの、というのは4Loを入れるという形ではないという判断をしたということだろう。
 そして、フリー後半の4T-3Tを4S-3Tにしてくるとネット記事にはあるのだが、某所で見た演技構成予定表だと4T-3Tは4S-2Tとなっていて、3A-2Tのところが3A-3Tになるとしてあったが、どちらなのか。練習で4S-3Tを跳んでいた情報があるので前者だろうが、どちらでもいい。両手上げつきの美麗2Tが見られるなら。
 なんにせよ、難易度を上げてきたというのが羽生くんらしい。
 さて上記①に関して云えば、やっぱりタイトルに一番近いのは羽生くんだと思う。そして②が達成できた場合は、もちろん①も達成だろう。その②が達成できるかどうかだが。ファンのくせにイヤなことを云うようだが、カナダに移ってから昨季までの三季はいずれもスコアがGPF>世界選手権なのが気になると云えばなる。今季はそのパターンを破れるか。
 何はともあれ「羽生くんが望む、今できる一番いい演技ができますように」とひたすら祈っている。それができれば、おのずと結果はついてくるはずなので。

 男子シングルの他の選手について云うと、実力の安定度から見て、やはりパトリック・チャン選手とハビエル・フェルナンデス選手が強いかなあと思う。ボーヤン・ジン選手がジャンプの難度の高さに加えて、どこまでGOEやPCSを伸ばしてくるかも見ものだ。宇野昌磨選手も実力を十二分に発揮すればかなりいいところまでいくはず。怪我で四大陸を欠場したデニス・テン選手も、実力としては凄いものがあるので回復具合次第だろうか。

 女子は、日本勢、ロシア勢、アメリカ勢を軸とした混戦かと思う。もちろん日本選手を応援しているけれど、みんな存分に実力を発揮して欲しい。

 ペアとダンスについてはあまり詳しくないので予想どうこうはないが、ダンスのパパダキス&シゼロン組好きなので頑張って欲しい。

 ああ、どきどきしてくる。久しぶりに試合の羽生くんを観るし、それにバラード第一番とSEIMEIは、試合プログラムとしては見納めだと思われるし。
 テレビ生中継がないのは残念だけれど、とにかく試合の時間帯は一生懸命ボストンへ応援の念を飛ばそう(観られそうならライストも試そう)。そしてテレビで、一生懸命味わい尽くそう。

*******

 「羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016」を今日の夕方ようやく入手した。これからじっくり楽しんで読みたいと思う。世界選手権が終わってから、感想記事を上げられたらいいなあと思っている。


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03.27
Sun
 前の記事「集中するということは……」で、フィギュアスケート(シングル)という競技は、氷の上でひとりぼっちで、タイムをとることも基本的にはできず、自分の身体を徹底的にコントロールし続けなくてはいけない、その意味では過酷な競技だということを書いた。試合の時、コーチや関係者、観客席のファンからの応援を心強く感じていたとしても、それを何らかの力に変換するのも自分の心身ひとつでやってのけなければならない。云ってみればリンクは絶対孤独領域だ。自分の心身の状態が、自分の演技の結果として容赦なく跳ね返ってくる。
 ただ、その孤独が、羽生結弦選手がスケートを好きなゆえんでもあるだろうと思う。
 先日のフレンズ+αで、羽生くんは「スケートが好きだから」氷の上が一番精神が安定するというようなことを云っていたかと思う。唯一、自分が思い通りできる場所というような云い方もしていたかと思う。以前「僕は陸上生物じゃないんだと思います」という発言もあったかと思う。氷上は、孤独で過酷な環境だが、だからこそ自分の力を純粋に発揮することができ、その結果も純粋に自分に返ってくる、その手応えを愛してやまないのではないだろうか。氷の外では、自分の思惑以外のこともいろいろ絡んで、いろいろなことの結果が普通は自分の力だけではないところで動いてゆく(今の羽生くんのようにとても有名な人気者になってしまった身ではなおさらだろう)。でも氷の上では、何か他のことの影響があろうとなかろうと、結果はすべて自分の身体を通してあらわれる。その感覚が氷の上でこそ羽生くんを一番いきいきと輝かせているのではないだろうか。
 目立ちたがりで、広いリンクを一人で滑って、みんなの注目を集めるのが好きといった趣旨の発言もある。羽生くんにはとても強い自我を感じるという話を以前「憑依型と自力型」という記事に書いた。でも、自我が強いといっても、羽生くんは決してその自我をどこでもここでも振り回しているわけではない。むしろ、いろいろなところで気づかい、配慮を見せる人である。ただ、氷の上でだけは存分に自我の強さを輝かせて、実力を純粋に発揮することで、人の注目を一身に自分に集めることができる。「俺を見ろ!」と。きっと氷上だけが、羽生くんの並外れて強い自我の解放区なのだ。
 自分が一番輝ける場所、自分が一番輝けるあり方を自分で知り尽くし、なおもより強い輝きを求めてゆく貪欲さを失わない。そういうところがフィギュアスケーター羽生結弦の限りない魅力の源泉であるのだろうと思う。
 いよいよ近づいてきた世界選手権。また、他の誰にも真似できない、磨き抜かれた輝きを放ってくれることを期待したい。

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 「王者のメソッド」どうやら私の手元に来るのは明日以降のようだ。他の人のレビューなどを読まないようにして楽しみに待っている。うずうず。




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03.25
Fri
 フィギュアスケートというのは本当に過酷な競技だと思う。リンクに出て行ったら(シングルの場合は)ひとりぼっちだ。いったん競技が始まったら、調子が悪くてもミスを重ねても、よほどの身体の不調が起こるか、靴紐が切れるなどのアクシデントが発生して演技続行不可能にならない限りは、止まることができない。タイムをとってコーチに指示を仰ぐ、なんていうことはできないのだ。
 いったん演技が始まったら、選手はショートなら2分50秒、フリーなら4分30秒、精密に自分の身体をコントロールし続け、予定された技をこなし続けなければならない。つるつる滑る氷の上で、滑るためのブレードをつけた靴を履くという、コントロールが非常に厳しい条件のもとで、だ。滑っているからそれなりの速度で身体が動いている中で、ジャンプならジャンプに向けて、スピード、軌道、タイミング、姿勢等々いろいろなことをきめ細かくコントロールしてゆく。そうしなければうまく跳べるはずがないわけである。もちろん練習を積むことによって、ある程度のことは自動的に出来る部分もあるのかもしれないが、それにしてもぼーっとしていて出来るわけはないのである。スピンだって、それなりにコントロールされた速度や姿勢などがあってこそ美しく回り続けられるものである。その他の技にしてもとにかく、身体を十分にコントロールするということが絶対に必要なわけである。誰もそれを助けてはくれない。全部自分でやるのである。試合のときはそれなりの緊張が加わると思うのだが、それでも自分の身体を精密にコントロールできなければ、ということはそのための集中を保てなければ、いい演技はできないのである。
 この「集中」というのがどういう状態なのだろうか、ということを時々考えてしまう。私はスポーツが苦手だし、普段の仕事もおおざっぱにいってデスクワーク系なので、それなりにたとえば仕事に集中すると云っても、そんなに厳しい身体のコントロールを求められるようなことはない。それに、ミスをしたところで、たいていのことは取り返しがきくのである。PC上で作った書類などであれば、消しゴム等の跡すら残さず綺麗に直すことができる。一度でうまくゆかなくても、時間さえ許せばいくらでも試行錯誤が可能だ。もちろんだからといってすべてをいい加減にしているわけではないが、スポーツ選手がミスをしないように集中する、その集中の厳しさはどんなものだろうというのはちょっと想像がつかないのだ。とりわけフィギュアスケートのように、ひとりぼっちで、そしてミスをすれば取り返しがつかずそれだけシビアに点数に反映され、しかも通常の陸上より身体のコントロールが難しい条件下で精密なコントロールをするだけの厳しい集中とはどんなものなのだろうと。
 羽生結弦選手は試合前に集中するためにいろいろなルーティンを持っているということはテレビなどでも取り上げられている。そういうことで集中を高める、研ぎ澄ます、ということをやっているというのはわかるのだが、その集中が高まった、研ぎ澄まされた状態というのは本人の実感としてどういうものなのだろう。特に、羽生くんは、演技構成の難度も高く、つなぎ等もたくさん入れているから、身体のコントロールに求められる精密さも人一倍厳しく、ということは集中も人一倍研ぎ澄まされたもののはずだ。特に、先頃の世界最高を連発したNHK杯とグランプリファイナルのときは、きっととても高度な集中が達成できていたのだろう。それはどういう境地なのだろう。
 私みたいなぼんやりとした人間にはきっとわかるはずもない境地なのだ。というか、もちろん厳密には、本人にならない限りわかりようもないことだ。
 けれどなんとなくイメージはしてしまう。研ぎ澄まされた集中とは、たとえば無色透明の、純度の高い水晶の結晶のようなものではないかと。澄み切って、そして細長くまっすぐ六角柱状に伸び、先が鋭く尖っているレーザー結晶。

 研ぎ澄まされた集中を作り、必要な時間それを維持するためにはそれを容れる心身の器も相応に鍛えられていなくてはならないわけで、とにかく羽生くんがそういうことを極めた場所にいる、ということだけはわかる。そういうところに辿り着けた、そしてさらに極めようとしている人であることをファンとして心からリスペクトする。
 世界選手権でもよい集中が得られるように祈る。

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 『羽生結弦 王者のメソッド』(文藝春秋)が本日発売。私は取り寄せているがまだ手にしていない。読むのを楽しみにしている。おそらくNumber誌での取材が軸となっているのだろうし、Number誌の記事は読み応えがあることが多かったので。
 最近、某SNSで書いた自分の過去の日記を読み返して、Number誌での羽生くんの言葉の中から印象的なものを引用していたのを見つけた。2012年11月の817号である。
 「俺はね、一流になりたいんです。格を身につけたいっていうのかな。(中略)無理に背伸びして表彰台に指の先がかかってる、っていうのじゃ嫌なんです。ちゃんとスケートの格を身につけて、自分の心の芯からトップになりたい。(後略)」
 当時17歳だったはず。21歳の今、この発言内容を実現していると云えるのではないか。そしてそれに満ち足りることなくさらに上を見ている。こういう上を見据える心持ちにも、先の尖った、無色透明の水晶の結晶のようなものを連想してしまうのだ。
 

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03.21
Mon
 先日、高橋大輔くんが、プロジェクションマッピングとのコラボ作品を滑っているのを日テレの番組で観た。美しかったし、アート作品の一つのあり方としてはありだと思う。
 ただ、偏屈な私は、いろいろ気になってしまったことがあったのも事実である。一つのアート作品としてせっかくなら全体をやはり見通したいから、カメラは真上からの俯瞰固定で見せてくれたらよかったのになあ、とか。あと、投影される映像の位置とタイミングを把握した上でそれを外さないように滑らなくちゃいけないというのは窮屈そうだなあ、と。あの絵を描かれた方もライヴペインティングをされる方みたいだから、たとえば、高橋くんが滑るのと同時に、その滑っている映像が映っているコンピュータ画面上で何らかの描画ツールを使ってライヴペインティングして、それを高橋くんが滑っているリンクに同時にプロジェクションマッピングできるような技術はないのかしら、そうやった方が、緻密ではないかもしれないけれど生き生きしたコラボ作品が作れるのじゃないかなあ、とか考えた。高橋くんには音楽に身を委ねて位置などのあまり細かいことは気にせず滑ってほしいなあという気がするので。そういう意味では、比較的緻密な、あらかじめプログラムされたもののプロジェクションマッピングは、たとえばシンクロナイズドスケーティングと相性がいいかもしれない。シンクロの人は、競技の性質から見て、位置やタイミングを合わせて滑ることには慣れているんじゃないかという気がするから。もっとも認知度の低いシンクロナイズドスケーティングとプロジェクションマッピングをコラボしようという企画は、実際問題としては出にくいかもしれないけれど。
 あと、ある意味もったいない気がしたのも事実である。高橋くんが滑るときは、やはりその滑りだけに集中して観たい気がするので。プロジェクションマッピングの映像はとても美しかったとは思うが、高橋くんの滑りはそれ自体としてイメージ喚起力がとても高いと思うから、プロジェクションマッピングまでしてしまうとちょっと過剰なご馳走のような感じがなきにしもあらず。まあこれは、私が「カツ丼を食べるよりトンカツと白ご飯を食べたい」という人だからかもしれない。「時を刻に変える リンクという舞台装置」という記事にフィギュアスケートのリンクは余白的なものという話を書いたが、私が結構余白が好きな人だからかもしれない。というか、脳内で自分のイメージでプロジェクションマッピングみたいなことをついついやってしまう性質だからかもしれない。

 私も含めて羽生結弦くんファンはそのファン心理を何らかの形で「表現」するのが好きな人が多いのではないかという話はこのブログの一番最初の記事に書いたが、つまりそれは、羽生くんファンは脳内でプロジェクションマッピング的なことをやるのが好きな人が多いということではないかと思っている。もちろん、羽生くんの滑りはもちろん、その存在性がイメージ喚起力が高いということとあいまって。

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 本田真凛ちゃんが世界ジュニア優勝、樋口新葉ちゃん3位、白岩優奈ちゃん4位、日本女子大活躍で何よりだ。男子も山本草太くん欠場は残念だったが2枠確保できてよかった。


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03.19
Sat
 羽生結弦選手のジャンプのすばらしさについてはたくさんの人がたくさんの機会にすでに述べていると思うが、繰り返しになっても私もやっぱりまた書きたいのであった。
 長らくフィギュアスケートを観てきて「ああ、表現がすごく素敵でも、ジャンプの前はどうしても助走動作が入るし、そこで表現の流れが途切れるんだよね。残念だけど、でもジャンプってものすごく大変なんだろうから仕方ないよね」と思っていた。「助走を感じさせずにジャンプに入って、ジャンプも表現の流れの一部みたいになればいいのに、でもきっと無理だよね」と。
 そんな私が羽生くんのジャンプを観て、どんなに嬉しかったか。特に最近になればなるほど。いかにも「助走」いかにも「準備動作」というのを感じさせない、流れの中のジャンプ。しかも音楽のタイミングともちゃんとシンクロしている。昨季の「オペラ座の怪人」の前半の4Tなんて、着地の瞬間にあの「じゃーん、じゃじゃじゃじゃじゃーん」が鳴り始めるという見事さだった。
 本人のインタビューなどでも以前からとにかくジャンプも表現の一部にしたい、という意志が強く表れていたし。いや、誰だってそうできるものならしたいと思っていると思うのだが、それはやっぱりなかなか難しいことなのだろう。でもその難しさに挑み、実際にジャンプを演技の中に溶け込ませている、なおかつさらにクオリティーを上げようとしている、そういうところがすごく好きだ。
 助走を感じさせないのと、音楽に合っているというだけではなく、ジャンプそのものの美しさという点でもうっとりしてしまう。テレビでも感じるが、特に現地に行くと、そのジャンプの軸の細さ、ジャンプの回転の速さ、というのをすごく実感できる。しゅるるるるっ、と、なんだか軸からシャープな銀の火花が飛ぶようなイメージ。本人も「軸に持って行くのが好き」と云っていたから軸の細さということはとても意識しているんだろうと思う。ちなみに私は現地で観た回数はそれほど多くないのだが、その中では比較的「3Aを近いところで観る」という幸運に恵まれている。
 そういうみごとなジャンプが跳べるというのはもちろん才能というのもあるだろうが、それだけの練習をやはり積んでいるのだろう。ただ、なんといってもやっぱりジャンプが好きなんだろうなあと思う。何かを達成したときには誰でも脳内から快楽物質みたいなものが出るのだと思うのだが、羽生くんがジャンプをうまく跳んだときに羽生くんの脳内で出る快楽物質は人一倍多いんじゃないだろうか、などと思ってしまう。「ジャンプ厨」などと云われてしまうあたり、そんなイメージが湧いてしまう。私は2013年のファンタジー・オン・アイス福岡公演の楽日フィナーレで、羽生くんが4T-3A-3A-3A-1Aを跳んだのを目の前で観たのだが、そのときに感じたのは「ああ、生まれて間もない子鹿かなにかが、自分の四つ足で動けるのが嬉しくてたまらなくて跳んだりはねたりしてるみたい。『俺、跳べるし!跳べるし!跳べるし!』って」だった。もちろん子鹿が跳んだりはねたりするのとスケートのジャンプの難易度は桁違いなのだろうが、そういうふうに感じてしまえるくらいなんだかとても「嬉しそう」に見えたのだった。
 そんな羽生くんのジャンプはどこまで行くだろう。4Aまで跳びたいと云っていたし、私も羽生くんの4Aというのをぜひ見てみたいと思う。現在地球上で一番3Aが得意なのは羽生くんで間違いないと思うので、現時点で4Aに一番近い存在だと思うし。
 ただ、まずは世界選手権で4Loを入れてくるか?というところでどきどきしている。私は入れてくるような気がしている。入れてくるとすればジャンプ構成の変更は如何に?もし今回は入れてこないにしても、世界初が好きな羽生くんに、試合で4Loを成功させる初の選手になってほしいなあと願っている。

 フィギュアスケート日本男子ファンブック Quadruple2016+Plus(スキージャーナル)で本田武史さんが羽生くんのことについていろいろ語っておられるのが興味深かった。ジャンプのことについても、いろいろ専門家の視点から述べてくれていて読み応えがあった。その本田さんは羽生くんが世界選手権で4Loを入れてくると踏んでいるようだ。さてどうだろう。

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 4月10日に「情熱大陸」で羽生くんをとりあげるとのこと、とても楽しみだ。

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 チャリティーオークションで羽生くんが数回はいたスケート靴が3,361,000円で落札。お金持ちはいいなあ。
 しかしそういうオークションもありだとは思うけれど、私はあの、羽生くん金メダルパレードの時のことを思い出す。あのとき資金難と云われていたのに、羽生くんTシャツを売り出したらあっというまに余剰金が出るまでになったではないか(私もTシャツを買ったうちの一人である)。たとえばすごく乱暴な計算だが原価2000円のチャリティー羽生くんTシャツを2500円で2万枚売れば1千万円の儲けがでる。そのうち5枚くらいに羽生くん直筆サイン入りが混じっているとかすればいいのに。Tシャツじゃなくてもいいけど、そういう庶民も参加できて夢も見られるチャリティー企画があるといいのになあ。


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03.17
Thu
 ご本人のブログ

 うん。なんだかそんな気はしていた。昨年末の全日本を観たときから。
 持ち前の端正で滑らかなスケートに加えて、最近演技にコクと艶が出てきた気がしていたのでもったいないけれど、でも先天性の故障と折り合いをつけながらの競技生活はもう限度だということなのかもしれない。
 ご本人がブログで印象的な思い出の一つとして挙げている2014年の全日本選手権、男子フリーを私は現地で観ていたのでまざまざと覚えている。私は羽生くんファンなのでもちろん羽生くんを一番応援していたのだが、一番胸が熱くなった演技は小塚くんのだった。あのとき間違いなく会場全体が一番盛り上がったとも思う。小塚崇彦会心の演技を観られて幸福だった。
 あと、云ってみれば四回転冬の時代だったバンクーバー五輪で、四回転を決めた一人だったことも印象深い。
 これでそのバンクーバー五輪に出場し、三強時代を築いた日本男子三人がみんな現役を退いてしまった。一時代の終わりを感じて、なんだか寂しい。

 今後について「氷上を去る」「トヨタ自動車の従業員として」と書いているけれどどう解釈するのが正しいのだろうか。どうやらアイスショーなどはこの4月のスターズオンアイス東京公演楽日が見納めになるらしいがもったいない。ファンに「山手線一周して欲しい」と云わしめたあの美麗イーグルはもう観られないのか。
 トヨタの社員として普通の会社員になるということなのだろうか。今後トヨタに所属するかもしれないフィギュアスケート選手のサポートなどに回ったりしないのだろうか。何にしても、大学院でフィギュアスケートの研究をしてきたみたいだし、以前連盟の仕事にも興味がある旨発言していたかと思うので、何らかの形で後進のために活躍してくれたらいいのにと思っている。

 いずれにせよ、お疲れさまでした。今までありがとうございました。
 今後の人生に幸多いことを祈ります。

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03.15
Tue
 下記は『羽生結弦語録』(ぴあ)を入手したしばらく後くらいに某SNSで書いた日記から一部抜粋して加筆修正したものである。

---------------------
 そもそも二十歳で語録っていうのがすごい話だが。でも、確かに折りに触れいいこと云っているのだ。言語化能力高いのだ。自己分析力も凄いのだ。だから、出版社の「語録」作りたくなる気持ちはわかる。
 それこそいろいろな発言にいろいろな感想があるのだが、私が個人的に特に好きな発言を3つ選んでみた。

3位。

~~~~~~~
できることを
出し惜しみしても
おもしろくない。
それは一生懸命とは
言いません
~~~~~~~

 凄い。なんか、私みたいにぼんやりした人間はそもそも「全力を出す」ってどういうことかわからなくなっちゃっているから。だから羽生くんみたいに「常に全力を出すのが流儀」で、それがとてもわかりやすい形で目に見える存在に憧れるんだろうなあと思う。

2位。

~~~~~~~
いつも心を開いているんです。
心を開いていなければ
何も吸収できないし
おもしろくない。
心を開くことが
成長の原動力
~~~~~~~

 これも憧れる。3位のがアウトプットに関してなら、これはインプットに関してということになるかと思う。私は、すぐ心閉じちゃうから。いろんな対象に対して開いていたいとは思うのだけれど、特に、苦手な対象に対してだとオートマティックにシャッターが降りちゃうみたいなところがあるから。羽生くんは「頑固」も自認しているけど、その頑固は心を閉じている頑固さじゃなくて、いろんなことを心を開いて吸収して、そのうえで自分がこうだと決めたことはゆづらないという頑固さなのだと思う。

 あと、くしくも3位のアウトプット、2位のインプット共に「おもしろくない」 という言葉が入っている。「おもしろいかどうか」って羽生くんにとってだいじなんだ。つまり、羽生くんは自分の生を貪欲に味わい、楽しみ尽くしたいと思っている、そういう意味では欲張りな人なんだろうなと思う。それだけのエネルギーを持てる器だということでもあるのだろう。

1位。

~~~~~~~
自分が勝つか負けるかの
問題ではなく
自分が高みに立とうと
しているのか、いないのかを
すごく重要視しています
~~~~~~~

 いや、勝つか負けるかにもものすごくこだわっているということは、とても負けず嫌いであるということは、語録に載っている他の発言からも明らかなのだが、でも加えて「高みに立とうとしているのか」が重要なのだという意識を持っているところが凄く好きである。勝ちたいけれど勝つだけで納得ゆくわけじゃなくて、自分のスケートをより高みに引き上げられたかどうか、それが大切だという求道者的なところ。町田樹くんは「極北」という言葉を出して周りの目を点にしたけれど、でも、羽生くんの目指すところも、町田くんとは個性、方向性が違うにせよ、それも一つの「極北」だと、「極北」という言葉が好きな人間は思うのだった(英語ならultima Thuleという言葉を当ててみたい)。それは羽生くんが以前から云っているように、技術と表現、アスリートとアーティストが高度なレベルで融合して、一体化した境地なのだろう。羽生くんが心から望む境地の演技が出来ることを願うし、それを目にしたい。
---------------------

 と、書いていたのだが。
 このあと、NHK杯とグランプリファイナルで羽生くんはある一つの「高み」に到達するのだ。
 でももちろん、なおも高みの上の高みをめざして今も練習に打ち込んでいるのだろう。
 そろそろ世界選手権に向けてのどきどきが始まってきそうな今日この頃である。チームチャレンジカップには出ないということで、バラード第一番とSEIMEIはおそらく試合では見納めになるのだろう。しっかりと目に灼きつけねば。

*******

 山本草太選手が骨折のため世界ジュニア選手権欠場となった。とても残念だ。もちろん本人が一番残念に決まってる。高橋くん織田くん小塚くん羽生くん宇野くんという世界ジュニア優勝者の系譜に連なるべくきっと一生懸命練習してきてただろうに。でも焦らずじっくり治してまたがんばってほしい。次世代のホープなのだから。順調な治癒を祈る。


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03.13
Sun
 先日、縁あって、この春で九州大学を退官される三浦佳世先生の最終講義を拝聴した。三浦先生は感性という大きなテーマに関して、さまざまな研究を行ってこられた方である。その中で、とりわけ興味深かったのが「絵画に対する時間の知覚」のことであった。絵画はもちろん静止している。でも私たちは、描かれている内容によってはその絵の中に「すばやい動き、変化」を見たり、あるいは「ゆっくりと時間が流れている」と感じたりする。そして、絵によっては「時間が止まったような感じ」を受けることもある。
 「時間が止まったような感じ」はどういう絵に感じやすいかというと、余白ないしは余白的な背景が広いこと、描かれている事物と背景との間に現実的なつながりが感じられないことが条件となるようだ。たとえば、林檎の絵が描かれているとする。その林檎が籠に盛られて、他のいろいろなものと一緒に、テーブルの上に置かれている、そしてその背後には部屋の中の様子もいろいろと描かれている、というような絵だと、私たちはその絵に、日常に流れているような時間が流れていると感じるだろう。でもまったく具体的な背景がない、一面をべったり一色で塗りつぶされたようなところに林檎がいきなり描いてあったらそれは時が止まった印象になる、ということである。
 私は絵画以外のことにも連想を広げてしまっていた。吉川晃司の「ラ・ヴィアンローズ」の歌詞に「時を止め 君だけを抱きしめていたい」というのがあったが、何も置かれていない、壁が一色で塗られたような、広い部屋で君を抱きしめれば時が止まった気分になれるかもしれない。「機動戦士ガンダム」でララァは「ああ、アムロ、刻(とき)が見える……」と云ったが、あのときアムロとララァの意識、心象風景は宇宙という余白的な背景の中に浮遊していたに違いないということを考えると、ララァの「刻が見える」は、確かに「時が見える」ではいけないのだ。あれは流れている普通の時ではなく、刻まれる一瞬一瞬が止まったかのように感じられる「刻」だったのだ、きっと。
 さらに私はフィギュアスケートのことを連想したのだった。フィギュアスケートはもちろん静止した絵ではない。むしろ時間の流れに伴う動きがその本質だ。けれど、リンクという舞台は、いってみれば一様に塗りつぶされた背景だ。氷自体は基本的に(マーク等が若干入ってはいるが)無地の背景である。まわりを取り囲む観客席だが、演者は観客のことをもちろん意識しているし、観客は演者の演技を楽しみにしていたり応援していたりと、そこには心理的なつながりはあるかもしれない。けれど演じられている演目の内容にとっては観客席は通常直接リアルな関係はない。そういう意味で観客席もテクスチャーと化す。そして、リンクで何かが演じられている間は、その演目の時間が濃密に流れはするものの、観客にとって、日常の普通の時間は「止まって」いるのではないか。リンクという広大な「余白」の中で。
 時間が止まって見える絵画は、幻想的、非現実的な印象を与える場合が多いらしいのだが、フィギュアスケートを観る人々は、現実の時の流れをしばし止め、非日常の時間を味わっていると云えるのではないか。
 「ああ、結弦、刻が見える……」

 そういえば以前「能とフィギュアスケートと羽生結弦選手」という記事を書いて、能とフィギュアスケートの共通点について若干述べた。能舞台というのもリアルな舞台装置等といったものが存在しない空間だ。やはり日常の時間を止めた、切り取られた時空といったイメージだ。そのあたり、能とフィギュアスケートはやはり共通している。
 (日本の芸術の特徴として「余白の美」があるというような言説もあるが、ひょっとして日本人は時が止まった感覚が好きなのだろうか)

 しかし思うのだが、リンクのフェンスに出ている広告、あれはなんとかならないのだろうか。以前から、興ざめだなあと感じていた。あれがうかつに目に入ってしまうと、現実の時間に引き戻される気がする。私は日本人だから、外国文字の広告はまだ模様的なものと思って見過ごせるところもあるが、日本語でしっかり書いてあるとどうしても「文字」として意識してしまうからつらいものがある。もっとも、試合の時、羽生くんは広告看板の位置でジャンプの位置などを確認しているというような話もあったから、役に立って(?)はいるのだろうが。でもたしか五輪ではフェンス広告はなかったはず。あと、エリックボンパール杯では、フェンスに広告はあったものの、色が青と白に統一されていてうるさくなくていいなと思った。他のところもそういう工夫をしてくれてもいいのに。

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03.11
Fri
 東日本大震災の発生から五年が経過した。復旧、復興が進んだところ進まないところ、そういった状況から見える人や社会のあり方、思ったり考えたりすることはいろいろある。そういうことを語るためのブログではないのでそのへんについては割愛するが、助けを必要としている人や場所に、必要としている助けが届くようにと祈っている。

 羽生結弦くんと震災については先日の記事「「教科書で学べない災害」羽生結弦くん部分」で少し触れた。このことについても思うことはきりなくあるが、羽生くんの、震災後スケートのために仙台を離れたことへの罪悪感、被災地に対して何ができたのかという無力感、それが少しでも和らいでいるといいなと思う。
 少なくとも私は、羽生くんのファンになったことで、東北への意識を、そうでなかった場合より強く持てるようになったと思う。そして、微額ではあるものの「羽生くんにプレゼントをしたつもりで」「羽生くんの活躍にご祝儀を出すつもりで」といった感じで寄付などしてきたりもしている。そういう心のきっかけみたいなものをもらえてありがたいと思っている。前にも記事で紹介したモーモーハウス大槌のラスクやフレンチせんべいも羽生くんがきっかけで知ることができたし。

 五年前、私は私のレベルで無力感にうちひしがれた。自分はたとえばボランティアに行くのに必要な基本的な体力気力もなく、人や物やお金を動かす力もない。けれど、私が落ち込んでいたって誰の何の得にもならないのだ、と自分に云い聞かせて、なるべく元気でいようと心がけることにした。微力でもできることをできるときに無理せずすることにした。それが上記の微額の寄付だったり、あるいは日常の買い物の中で被災地の産品を買うことだったりする。「三陸産めかぶ」とか「福島県産桃」とか。あと震災よりずっと前から石巻のふしみ屋のくるみゆべしは時々取り寄せる。これはうちでももちろん食べるが、ちょっとしたお礼などにもいい。たいてい「美味しい」と覚えていただける。震災後、わりと早く営業再開してくださっていたのでほっとした記憶がある。

 私は福岡県出身在住だが、血筋としては完全に東北系である。ただ、現在つきあいのあるような親戚は東北にはいなくなっている。そのため、私は二歳のときに曾祖母の葬式に連れて行かれて以来、旅行などをまめにする方でないことも手伝って、東北の地をずっと踏んだことがなかった。ただ、東北は自分のルーツの地として、なんとなく勝手に親近感は持っている。特に仙台は、母の父方の出身地で母の戦時疎開地で父と母の結婚後初の赴任地であるということで思い出話を聞く機会が多く、東北の中でも一番親近感の強い土地である。そして羽生くんが仙台出身ということで、ますます親近感を強めていた。ちなみに、羽生くんが育った七北田は、私の曾祖母が里子に出されていた先だったらしく、その縁でうちの母は疎開中に食料などもらいに行ったことがあると云っていた。そのせいでうちの母の中で羽生くんは「あの七北田の子」というイメージらしい。
 というわけでいつか仙台に行きたいとは思っていたのだが(私の好きな堺雅人さん主演の映画「ゴールデンスランバー」のロケ地ということもある)、一昨年、仕事がらみでついに行くことができた。仕事がらみだったので心ゆくまであちこち見て回るということはできなかったが、母が戦時中疎開していたあたりと、アイスリンク仙台には足を運んだ。羽生くんが練習していた、そして震災を体験した場所に、とりあえず立ってみたかったのである。
 またぜひ仙台に行きたいと思っている。

羽生結弦が抱く仙台への特別な思い「信じること」の大切さを実感した5年
[チャリティ]羽生結弦さん 直筆サイン入り スケート靴

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