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02.29
Mon
 フィギュアスケート専門誌としては後発の雑誌、Ice Jewels(舵社)はvol.1もなかなかいいなと思ったけどvol.2も充実している。アイスクリスタルが肝いりで宣伝しているだけのことはあるかもしれない。家庭画報を見送った私としては羽生くんの和服写真があったのが嬉しかった。
 記事全体としても読み応えがあったけれど、その中で印象に残った羽生くんの言葉についてピックアップして少し。

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(グランプリファイナルはプレッシャーのかかる中でできた、そういう気質は選手としてプラスだという話を受けて)これは性格もあると思います。負けず嫌いというのもあるし。それで幸せと思えるのは、自分が負けたくないと思った時にはやりたいと思ってたことが全部できるんです、それが幸せ。都築章一郎先生はじめ、いろいろな先生から学んだ基礎があるからこそ、負けたくないと思ってアドレナリンのような興奮物質が出た時、僕の中の引き出しが開けられると思うんです。それができる自分は幸せだと思います。
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 この「幸せ」という認識力が素敵だな、と思った。自分の性格と、それから過去に受けた教えの賜物を素直に受け容れて、それを幸せと認識し、表現できる。そういう心の姿勢が、高みへのぼる羽生くんを支えているんだろうと思う。
 負けたくないと思った時に自分の中の引き出しが開けられて、つまり自分の持てるものが引き出されて十分に発揮できる、そういう人になるのはなかなかに難しいことだと思う。私など羽生くんの倍以上生きていまだに自分の全力を発揮するとはどういうことなのかつかめていない。だから、そうやって自分の能力をフルに発揮できるという(おそらく)稀有な力をあの若さで身につけている羽生くんに憧れるのだろうなと思う。

 ジャンプについて二つ。

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これまでも意識していたけれど、NHK杯からグランプリファイナルまでの間、やっぱり「ジャンプも表現だよね」ってところをすごく注意してやってきました。
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どんなに表現がうまい選手でも,ジャンプがきれいに決まるからこその完成されたプログラムじゃないですか。ジャンプをミスったら完成されたプログラムではなくなります。
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 ジャンプにかける強い意志が伝わってくる言葉でいいなと思った。以前から羽生くんはすべての技術を一体化して一つのプログラムとして完成させたいという意識を言葉にしてきた。そういう姿勢にすごく惹かれてきた私としては、ジャンプも表現の一部であること、そしてジャンプが成功してこそのプログラムだということへの意志をまっすぐ持っているところをあらためて感じられて嬉しい。

 そして、パトリック・チャン選手に敗北したスケートカナダ後の言葉から、印象的だった部分を。というのは、先日書いた記事「羽生結弦選手のエネルギーの原点が知りたい」で、私は羽生くんの持つエネルギー、パッションの量や強さについて、その原点が知りたいという話をした直後にこのIce Jewelsを読んだので、下記の言葉は「おっ」と思わざるを得なかったわけだ。

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自分の根源となるパッションを盛り込まないと羽生結弦ではなくなっちゃうから。
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 ああ、やはり「パッション」なんだ、と。羽生結弦を羽生結弦たらしめているもの。
 多分そのパッションが一番純粋にわかりやすい形で炸裂したのがおそらくニースロミオで、でもそれ以外の演技でも、あれほど生な形でなくても、少なくともいいときの羽生くんの演技にはいつでも羽生くん以外の誰にも発することのできないパッションが底流している。それを感じられるからこそ、私は羽生くんの演技に惹かれてやまないのだ。

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 バスクリンのおまけにまた羽生くんマグネットがついてくるという。今度は全十種類だそうだ。私はコンプリートする気はないが、一個ぐらいなら見かけたら買うかもしれない。前のも、一つだけ買った。マグネットは冷蔵庫に貼ってある。今回の告知はこちら
 「「きき湯 冷泉炭酸湯」を入れた“ぬるめのお湯”で、さまざまな羽生結弦選手のシーンを想像しながら楽しいバスタイムをお過ごしください。」とあるが、いったいどんな「さまざまな」シーンを想像すればいいのだろうか。想像すると云えば、そもそもバスクリンに羽生くんが起用されるという話が出たときに、CMがどんなのになるか想像した人はたくさんいたかと思う。下の画像は私が当時描いたらくがきである。
yuzuyu3.jpg

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02.27
Sat
 パトリック・チャン選手はなぜか私の中では「チャンくん」とか「チャンさん」と呼ぶのはしっくりこない。「チャン様」でもない。その都度「チャン選手」と呼ぶのもまだるっこい。で、しっくりくるのは「チャン氏」である。なので、以下「チャン氏」とする。
 チャン氏については、正直なところ、以前は「どこがいいのかわからない」と思っていた。「審判の評価が高いのだから上手いのだろうけれど、でもよくわからない」と。それは、私が長く漠然とフィギュアスケートファンだったとはいえ、ある程度目が肥えてきたのはようやくここ最近のことであるということにまず起因しているかと思う。あと、決して小さくない要因としては、チャン氏はかつては高橋大輔くんの、次いで羽生結弦くんのライヴァルだったということもあるだろう。そういうことがどうしてもチャン氏の良さを認める目を曇らせていたところがあると思う。
 そういうことがふっとんだのは、私が試合としては初めて現場で生で観た、2013年福岡でのグランプリファイナル、男子フリーだった。
 前日の男子ショートも生観戦してはいたのだが、チャン氏の出番は羽生くんより後で、羽生くんが世界最高点(当時)を出したところだったこともあって、その昂奮にまぎれた中で観たというのもあるだろうし、また実際チャン氏の出来もあまりよくなかったので印象は比較的薄かった。
 翌日のフリー。今度はチャン氏の方が先に滑った。そのシーズン、そこまでの戦績はチャン氏の圧勝だったし、今回もチャン氏がある程度以上の出来でフリーを滑れれば、ショートで首位の羽生くんを逆転するのは難しくないだろうと思って観ていた。だけれども、私はチャン氏がミスして羽生くんが優勝すればいいな、というふうには考えなかった。むしろチャン氏がいい演技をしたらいい、それに対して羽生くんがどれだけ迫れるか見たい、という気持ちの方が強かった。
 実際にフリープログラムを滑り出したチャン氏は、強かった。
 どこがどうというより、とにかく全体的に、何かすごく上手いのだ。おそらく、チャン氏は、テレビより生の方が良さがわかりやすいタイプの最右翼なのではないかと思う。テレビだと、選手をカメラが追いかけるから、選手をクローズアップで観られるという利点はあるものの、スケーティングのスピード感とか滑らかさみたいなものは現地で観るものより相殺されてしまうところがあるのだろうと思う。
 このときのチャン氏の演技は、その前の試合のエリックボンパール杯でフリーの世界最高点(当時)を出したものには及ばなかったものの、それに近いほぼノーミスだった。そして私は、試合前にはチャン氏にスタオベする自分というのを余り想像していなかったのだが、チャン氏が滑り終えたときには思わずスタオベしていた。
 ただ、そのあと羽生くんが4S転倒したもののそれ以外は素晴らしい演技でなんと合計293点を超えてしまい、チャン氏をしのいで優勝したのでびっくりして、嬉しくて、そっちの印象の方がどうしても強く残ってはいるけれど。そこまで2戦のチャン氏に対する負けっぷりから「うーん、今回は出来れば270点超えの自己ベストを出して、五輪までにチャン氏との差を少しでも詰めておければ……」などと思って観ていたものだから。
 まあでもとにかく、この時以来、私もチャン氏の演技の良さ、というのがだんだんとわかってくるようになったのである。
 先日の四大陸のフリーでは、チャン氏の良さがまさしく炸裂していたな、と思う。

 ソチ五輪の頃までは、チャン氏がPCSも手堅くとってくるオールラウンダー型で、羽生くんがジャンプが特に強いTES特化型という見られ方をしていたかと思う。その後羽生くんもPCSでチャン氏と互角に渡り合える点数を出せるようになって今やオールラウンダー型と云ってまったく差し支えはないかと思う。点数としては現在、TESが高い分羽生くんの方が突出しているが、先日の四大陸の結果を見る限り、チャン氏もショートとフリーをそろえてくれば300点クラブの仲間入りをする可能性は多分にあるだろう。それにそもそも、羽生くんが今季世界最高点を二連発する、その起爆剤として、その前のスケートカナダでチャン氏に敗北したことは大きく働いたようだ。やはりチャン氏の存在というのは大きいのである。

 先日「羽生結弦選手の演技の芸術性についての個人的見解」という記事で、フィギュアスケートの芸術性を感じる演技には、(私にとっては)その演技が情感的に何かを感じさせるタイプと、感覚的に何かを感じさせるタイプがあるというような話を書いた。ざっくり「情感系」と「感覚系」に分けてみたいと思う。情感系とは文字通り、喜怒哀楽とか、もっと微妙な言葉にならないものでもいいのだが、とにかく何らかの情感、情動、情緒を感じさせるようなタイプである。それに比して感覚系とはもっと反射的というか感情より手前にある「快か不快か!」「美か醜か!」みたいなところに訴えてくるタイプである。もっとも、この二つはもちろん厳密に分けられるものではなくグラデーションしていると思う。また、同じ選手でも演目によって情感寄りになったり感覚寄りになったりすると思う。たとえば私にとって、羽生くんは技術的な精度の高さと美しさ、音楽とのシンクロが感覚的に心地よいという面が大きいので感覚系だが、エキシなどでは本人の情感が色濃く乗ってくる演目も多く情感系の色彩をかなり帯びてくる。ニースロミオのように特殊な情感が乗る場合もある。それに観る側に常に「応援している」という情感があって入り交じるから、情感と感覚を切り分けるのは難しい。でも一応羽生くんは基本的には感覚系として捉えている。情感系として見ているのは高橋大輔くん、町田樹くん、最近だと宇野昌磨くんもそちらになるかと思う。
 そうやって分類すると、チャン氏の演技も、何らかの情感を引き出すというよりは、スケートのうまさそのものと音楽との融合が心地よい、という方が強い気がするので感覚系だ。その点で羽生くんとチャン氏は同じ仲間なのだ、ということに最近気づいた。
 もっとも、二人が同じ感覚系だ(私の思うところでは、だが)と云っても、それぞれが感覚的にもたらすものはもちろん全然違う。主として、羽生くんはシャープさと繊細さ、チャン氏は重厚感となめらかさ、といったところだろうか。

 なんにしても、お互いがいい刺激剤になっている関係であることは間違いないと思う。これからも二人それぞれの持ち味を活かしたいい演技でしのぎを削って欲しい。まず来月の世界選手権が楽しみだ。


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02.23
Tue
 先日「羽生結弦くんに似合う衣服とは」という記事で、福岡市博物館にアール・ヌーヴォーのガラス展を見に行った話を書いた。同じ日に福岡市美術館のモネ展にも行った。こういう展覧会に行くと、もちろん展示品を楽しめるのだが結構疲れる。展示されている作品から発するエネルギーにあてられるという感じだ。近年、そうやって作品を残す人の創作のエネルギーのもとは何なのだろうというようなことをよく考える。展覧会の対象になるような人は、それだけの質の作品を、しかもたいていの場合たくさん残しているのである。それだけのことを成し遂げるエネルギーとは何なのだろう。肉体的にもだが、特に精神的に。いや、肉体精神不可分な何かと捉えた方がいいかもしれない。
 音楽のライヴ、あるいは舞台などに行ったときなどにも考える。大勢のオーディエンスを前にして、それらの人々を巻き込むだけの歌唱や演奏、演技をするエネルギーとはいったい何なのだろうと。直接にオーディエンスの反応があるから、相乗効果でパフォーマーの側のエネルギーも高まるというのもあるかもしれないが、いずれにせよ最初の発火点はパフォーマーの側にある。その最初のエネルギーはいったい何なのだろう。どういうものなのだろう。
 その疑問は、スポーツとしてはきわめてショー的な色彩の強いフィギュアスケートをする人に対してもある。大勢の目の前で演技をする、したい、というそのエネルギーは何なのだろう。
 私は羽生結弦選手のファンであるからして、彼について特にその点に興味を持ってしまう。羽生くんはフィギュアスケートを好きな理由の一つとして、一人で大勢の目の前で演技が出来て、みんなが自分一人だけを観てくれること、というようなことを云っていたかと思う。そんな状況が好きで、そこで自分のパフォーマンスを披露することに喜びを感じるという性質の原点にはいったい何があるのだろう。私は人前で目立つことをするというのが基本的に苦手な人種なので、羽生くんのような「目立ちたがり、学芸会で主役をやりたいタイプ」という人種の心情は想像しきれないところがどうしてもある。そして羽生くんは数多いるフィギュアスケーターの中でも、特にその自己顕示欲というようなものが、少なくともリンク上では強い方だというように感じるのだ。
 ライヴや舞台と同様、フィギュアスケートの場合もオーディエンスとの相乗効果というのはあると思う。たとえば、羽生くんが先日のNHK杯のとき、最後のルッツ前に観客からの期待をものすごく感じたというようなことを云っていたのは印象的だった。しかし何にしてもやはり最初の発火点はスケーターの側にある。観客を巻き込むパワーを投げかけるエネルギー、それはどこからどのように湧いてくるどんなものなのだろう。先日のグランプリファイナルでは直前に滑った地元のフェルナンデス選手へのコールで観客席が沸いていたのを、羽生くんは「俺だぞ!今から俺が滑るんだぞ!」という気合いでウォームアップのトリプルアクセルを跳んで観客の注意を自分に引きつけたという。それだけの強さは何から湧き上がるのか。
 野村萬斎さんとの対談で出てきた話の一つとして印象的だったのが、観客を含めて、その「場」をまとうことができれば観客を喜ばせることができるということだった。羽生くんはそのことについて意識を新たにしたようだが、しかしもともと羽生くんは観客を巻き込むのがうまいと云われてきていた。やはり並外れた自我の強さ、パッションの強さが観客の意識を引きつける力があるのだと思う。
 もちろん、観客の目を独り占めするということだけでなく、それだけの実力をつけること、すなわち技術も表現も磨く、そのために練習を積むこと、それを一生懸命やるということには相当のエネルギーがいるわけである。スケートが好きという膨大なパッションがなければとてもじゃないが持続できないだろう。
 なぜそんなにもスケートが好きで、なぜそんなにもパッションを注ぎ込めるのだろう。それは私が考えたってわかりようもないことではある。本人だって「なぜ」自分がそんなにもスケートが好きで打ち込めるのかその究極的な理由は知らないかもしれない。天性、天から与えられた運命のギフトと云ってしまえばそれまでかもしれない。でも私はやっぱり考え続けてしまうだろう。そのエネルギーの原点は何なのだろうと。
 いずれにせよ、それだけの強いエネルギーを存分に発揮できる人というのはおそらく稀有なわけで、だからこそ背負った辛いことも多分たくさんたくさんあるのだろうが、でも、世の中の多くの人にはちょっと理解しがたいほどの幸福感を味わってもきたのだろう。そんなふうに漠然と想像している。

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02.21
Sun
 まずは宮原知子選手、優勝おめでとう!それも自己ベスト更新の世界歴代六位のスコアを記録してのことだから凄い。宮原選手の手堅い成長っぷり、そして本当にミスをしない……中継が「ミス・パーフェクト」と呼んでいたが、ミシェル・クワン氏以来のその称号が本当にふさわしくなってきた。SP、FSとも表現もどんどん豊かになってきていると思うし、この調子で世界選手権に乗り込んでほしい。
 本郷理華選手はちょっと惜しいところがありつつも三位表彰台おめでとう。SPもFSもそれぞれに個性的なプログラムだしもっと伸ばせると思うので世界選手権に期待。
 村上佳菜子選手はSPは本当に凄く良かったんだけど……。でも調整が難しい状況ではあったと思うし、来季に向けてまた糧にしてゆくのでは。
 長洲未来選手の活躍も嬉しかった。バンクーバー四位のときの演技は結構よかったなあと印象に残っていたんだけれどそれ以降がなかなか……という感じだったので。でも今回は自己ベスト更新ということで良かったな、と思う。
 グレイシー・ゴールド選手はなかなか安定して実力が発揮できない感じがする。でも地力はあると思うので、世界選手権までにまとめてくれば上位争いにまた加わってくると思う。

 男子は……SPで五位に沈んだパトリック・チャン選手が大逆転優勝。びっくりした。FSは本当に凄かったと思う。FS200点超えクラブ三人目の会員だ!オールラウンダーとしての強さが炸裂した感じ。やっぱり全体の質が高くてプロトコルのGOEの欄が美しい。そして、苦手と云われてきた3Aを二本きれいに決めてきたところに気合と意地を感じた。これでSPもそろえてくれば世界選手権の上位争いは凄く面白いことになる。
 脅威のジャンプマシン、ボーヤン・ジン選手、ついにFSで四回転三種類計四本成功。凄いこと。GOEとかPCSとかもこれからさらに磨かれてくると思うので、やっぱり世界選手権が楽しみ。
 ハン・ヤン選手も地力があるのを、今回はきっちり発揮してきた感じ(しかしFSのあの曲はどうしてもニースの羽生くんが頭の中で演技してしまう……)。
 宇野昌磨選手は、特にFSで四回転が二本ともまとまらず、特に二本目がダウングレードになってコンボ券も捨てたのが残念だった。でもこのへんをきっちりとってくれば、GOEやPCSは高くとれる力を持っているから、世界選手権に向けて頑張って欲しい。
 無良崇人選手と田中刑事選手、どちらも来季への糧になるだけの結果はつかめたのではないだろうか。
 あと、ケヴィン・レイノルズ選手が国際大会の舞台に帰ってきてくれて嬉しい。SPはちょっと転倒が多かったけど、FSでは四回転二本決めて、クワドエルフ復活の兆しが見えてよかった。
 デニス・テン選手が棄権したのが残念。出ていたらおそらく上位争いもまた違った様相を呈したのではないかと思うので。

 この四大陸の結果を見て、現在世界ランキング一位のあの男はきっとまた闘志を新たにしているだろう。

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02.19
Fri
 先日、福岡市博物館にアールヌーヴォーのガラス展を見に行った。もちろんガラス器がたくさん展示されていたのだが、一部、ガラス器と雰囲気の合う博物館の収蔵品(屏風など)がコラボで展示されているところもあった。そういった中に、三着の振袖が並べてかけてあるところがあった。同じ柄(だったと思う)で、赤、白、黒の色違いである。
 それを見たとき、私は、ああ、これらの振袖を羽生くんに着せてみたい、と反射的に思ったのだった。きっちりと着付けをするのではなく、無造作に羽織らせてみたい。それで、三着それぞれをポーズ違いで写真を撮ってみたい。あえて赤の振袖では赤背景、白は白背景、黒は黒背景で撮って組写真にするのだ。
 そんなふうに羽生くんは「○○を着せてみたい」と思わせられる存在である。あのスタイルの良さや肌の美しさ、独特の存在感がそう思わしめるのだ。そういえば最近何かのアンケートで「コーディネートしてみたい一位」みたいになっていたのをネットで見かけた記憶もある。
 しかしその一方で「私服がダサい」といったこともよく云われるのが羽生くんである。本人もファッションに無関心と云っている。普段はどうやら着心地優先らしい。そりゃ、特に移動中(私たちが私服を見かける確率が高いのはそういうときだ)などは身体に負担がかからない楽なものがいいに決まっている。サイズ表示の「M」シールが貼ってあるままであっても着心地が楽ならばいいのである。
 まあでも、無頓着ならそれはそれでいいと思う。おしゃれに意識があるのに、センスとしてダサいというのよりはいいだろう。
 それに、羽生くんはいわゆる「ファッショナブル」な格好はむしろ似合わないという気がする。an・anに載った羽生くんはそれはそれでとても素敵だったが、あれはan・anという文脈の中で見るからいいのだ。たとえば羽生くんが「an・anの撮影をきっかけにファッションに興味を持つようになってなんとかというブランドのあれこれがどうとかで」とか云いだして、毎日髪をふわふわにセットするようになったりしたら、ひっつかんで振り回してぶん投げたくなる気がする。そこへゆくと、以前高橋大輔くんが雑誌で「ベルギーの何とかいうブランドがどうとかで」という話をしていたが、それは一向に腹が立たなかった。「うん、おしゃれに関心あるだろうねえ」と思った。そこはキャラの違いというやつだろう。
 羽生くんは自身は無頓着で、ファンに「あんなの着せてみたいこんなの着せてみたい」と想像させる余地があるのがむしろいいのだ。
 もし私が羽生くんの私服をコーディネートするならば、やっぱりいかにもファッショナブルというよりはオーソドックスな路線にすると思う。料理にたとえるなら素材の良さを生かして味付けはシンプルにというやつだ。私もファッションには疎いのでブランドがどうとかとかはとんとわからないのだが、色としては白、黒、グレイのモノトーンに紺と生成りを加えたくらいでほとんどすべてのアイテムをそろえる。時々差し色を加えるくらい。あまり柄物は入れず無地が基本。形としてもシンプルで洗練されたものを選ぶ。コーディネートもシンプルに、いかにもレイヤードというようなのはしない。
 そういえば、私は以前、まだ羽生くんの写真集が出るよりだいぶ前、もし写真集が出たらと想像したことがある。それは当然、演技中の写真とその周辺のオフショットから構成されるだろうが(実際の写真集もそうなったが)、もし企画ページが作れるとして、そこでスタジオなりロケなりで好きなシチュエーションで撮れるとしたらどんなのを撮りたいか、いろいろ妄想してみたものだ。それについてもまたいずれ記事にするかもしれないが、そのとき私は「どんなシチュエーションで撮りたいか」はわりと考えたけれど「何を着せたいか」はそれほど考えなかった。普通のシャツやTシャツ、ジーンズという格好でいればいい、むしろどういう場面の中に置きたいか、ということの方に私の興味はあったようだ。
 とはいえ、冒頭に書いたように振袖を着せて写真を撮ってみたいとかいうことも全く思わないわけではない。先日も「能とフィギュアスケートと羽生結弦選手」という記事の最後に能装束をつけた羽生くんの写真が見たいと書いた。そういうふうに、私服とはかけ離れた、日常から遊離した、コスプレ的な領域への想像も掻き立てるのが羽生くんという存在である。そういえばフィギュアスケートの衣装というのも特に羽生くんの場合、日常からの遊離感はかなりあるタイプのものが多い。またそういうのが似合ってしまうのがすごいところだ。
 つまり羽生くんの似合う服というのは「オーソドックスな私服」と「日常からかけ離れた服」の両極端であり、その中間がないということなのである。

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 四大陸選手権が始まっている。デニス・テン選手の棄権が残念である。
 楽しみに観ているしみんな応援しているのだが、やはり羽生くんの出ない試合というのはなんと心穏やかでいられるのだろうとあらためて実感もしている。

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02.17
Wed
 羽生くんはまだアマチュアフィギュアスケート選手として現役バリバリだ。平昌で引退するようなことは結構前から云っているが本当にそうなるかはまだそのときにならねば本人もわかるまい。さて、しかるべきときに現役引退をしたとして、その後ある程度の年齢まではプロフィギュアスケーターとして活躍することはほぼ間違いないだろうと思う。加えて、以前はコーチになることを考えていたが、それよりもっとスポーツ界全体に貢献できるような、講演などできる立場になりたいというようなことを云っていたような記憶がある(そのためには、比較的多くの先輩がそうしてきたように大学院に進むかもしれないなあともちょっと思っている)。
 それはそれでいいと思う。しかし心配性の私は、羽生くんの将来について、こうなったらイヤだな、というケースをついつい考えてしまうのだ。
 もちろん犯罪とか薬物に手を染めるとかそういう方向はなしでお願いしたい。それは多分大丈夫だと思うのだが。
 出来婚というやつもできれば回避願いたい。結婚相手は芸能人とか女子アナとかではない方がいいとどうしても思ってしまうが、そういう相手でも羽生くんが納得しているのならばこちらがとやかく云う筋合いではないであろう。本当に、本人が云っていたように25、6歳で結婚するかどうかも気になる。何にせよ、賢い羽生くんのことだから大丈夫だとは思うが、変な女にひっかかって「早まるな!」と云いたくなるような展開にならないよう祈る。
 しかし、私が何よりも強く願ってしまうのは「政治家にだけはならないでくれ」である。政治家になられるくらいならよくわからないタレントと出来婚でもされた方がはるかにマシである(比較対象として妥当かどうかは置いておく)。
 理由は、平たく云えば私が政治家という人種を基本的に大嫌いだからだ。いや、政治家というのは大切な、なくてはならない仕事だ。それ自体が悪いわけじゃない。しかし政治家の実態というのを考えると……。
 羽生くんが、単純に票寄せパンダになるだけのような人ならまだいいのだ。「バカだなあ」で済む。でも思うに、羽生くんは賢い。物事の本質や真理を見通せるタイプだ。で、本来政治家というのはそういう人がならなければならないのだと理想論としては思う。思うのだが、現実問題としては、ものごとの本質や真理が見える人であればあるほど、政治家をやるのは非常に辛いと思うのだ。
 とはいえ、羽生くんはいろいろ社会貢献したい気持ちもあろう。そして、政治家になった方が実質的に動かせる金や力は大きくなるのだろう、多分。でもできれば、政治の中には踏み込まずに、外から、影響力のある人物として発言や活動を続けた方がいいと思う。
 13歳のハローワーク公式サイトにもあるが政治家には面の皮の厚さ、神経の太さは絶対に必要である。羽生くんは目立ちたがりで勝ち気ではあるが、しかし決して面の皮が厚いわけでも神経が太いわけでもない。むしろある種感受性が豊かすぎるきらいすらあるくらいだ。政治の世界は多分辛すぎると思う。あと、体力もなくてはならない。羽生くんは決して体力に恵まれてもいないのだから。
 ただ、上記サイトにもあるように、政治の外の世界で十分経験を積んで、それでもどうしても政治の世界で実現したいことがあるのであれば、そのときには政界に入るもよいであろう。よくよく考えた上で覚悟して決めるのであれば私が止める筋合いでもない。そもそも、一ファンであるに過ぎない私が止め立てする手段はない。記事タイトルに老婆心と書いたが、私が羽生くんのばあやであれば「ばあやのたっての遺言」として「ぼっちゃま、政治家にだけは決してならないでくださいまし」と云い残すのだが。まあ、羽生くんが政治家になるかも知れない時分には、羽生くんの親世代である私は、もう実際にこの世にはいないかもしれないのだが。 

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02.13
Sat
 フィギュアスケートは、誰それの演技に芸術性はあるのないの、ということが話題になったりするものである。それに関して私が思うことは、身も蓋もないが「それは個々人によって結論が違うから、正解はない」ということである。そもそも芸術というものに絶対的な定義が不可能だと思うし、それゆえ、人によって芸術観というものが異なるわけだし、だから、同一人の同一演技に対しても「芸術的」という人と「芸術的じゃない」という人が存在するのは当然のことかと。どちらが正しいかなんてめくじら立てても仕方がない。まあ確かに「比較的多くの人が芸術的と感じる演技」とそうでない演技というのはあるだろうが、芸術性というのは議会制民主主義ではないのであるからして、多数決で決まるわけでもない。多くの人が芸術性があると思うものに対して「そう思わない」と云ってもかまわないし、当然その逆、多くの人が芸術性があると思わないものに対して「あると思う」と云ったっていいわけだ。個人の自由である。
 というようなことを踏まえた上で、私が羽生くんの演技の芸術性についてどう感じているかについて述べてみよう。おそらく、これについては「申し分なく芸術的」と思っている人から「技術偏重で芸術性が感じられない」と思っている人までさまざまあるのだろうと思うが。
 私は「いいときの羽生くんの演技は芸術。演技全体としてはよくないときでも、エレメンツ単位で見ると芸術になっていることも多々ある」というふうに感じている。どういうときにどういう点で芸術を感じるかというと、やはり、技術そのものが高いレベルで遂行されている上に、出来栄えとして美しいこと、そして動作と音楽とのシンクロがとても感じられることだ。観ていて、非常に「感覚的」に心地いいのである。
 思うに、比較的多くの人に芸術的と思われやすい演技というのは、感情、情感の部分に訴えてくる要素が強いものが多い気がする。そして私もそういう演技も好きである。が、羽生くんの演技がいいと思う理由は、そういう情感的なところよりも、感覚的なところの方が強いと思う。一般に、技術性が高いというと芸術性と相容れないような感じで受け取られがちなこともあるかもしれないが、技術は完成度高く遂行されるとそれ自体が芸術となると私は思っている。それは非常に感覚的な美を生むのだ。羽生くんの演技は私にとって、視覚、聴覚を通じてえもいわれぬ快感をもたらす美である。
 少し言葉を変えてみる。フィギュアスケーターには「芸術的な動きをするタイプ」と「動きを芸術にするタイプ」がいるような気がしている。前者の典型は、たとえば昨季惜しまれながら引退した町田樹氏ではないかと思っている。それに対して後者の典型が羽生くんだ。あくまで推測だが、町田氏は、いかにして動きを芸術的に見せるかということをとことん追求し遂行した。それに対して、羽生くんは、芸術的に見せるということを意識しないというわけではないが、どちらかというと技術としての完成度に意識を持って行く、そうやって極めた動きの結果が芸術になっているという感じである。
 もちろん、羽生くんの演技が情感的に無味乾燥だと思っているわけではない。羽生くん自身は非常に感受性にあふれた人だと感じられるし、だから時と場合によってはそっちの要素もかなり強く乗ってきた素晴らしい演技となることもある。

 最近、羽生くんの演技の質感をなんだか「上等な白磁」とかに喩えたくなってきた。焼き物に全然詳しくはないのだが。
 絵付けなどのない、無地の上等な白磁である。その白の肌合いと、フォルムそのものとに美が集約されている器である。絵付けや金彩銀彩のあるような器の華やかな美のかわりに、静謐で純粋な美があるというような印象。

 羽生くんの演技自体の芸術性に関する感じ方は人それぞれとしても、羽生くんが多くの人にとって、芸術というか、創作を引き出す存在であるのはまず間違いないと云えるだろう。ネット上だけでも多くの人が羽生くんを題材に何か描いたり作ったりしている。そういえば、私はいつか天野喜孝氏が羽生くんの絵を描いたらいいのにと思っていたが、それもこないだ実現してしまった。
 かくいう私も、若干詩歌創作の活動をしているが、羽生くんがらみで発想して書けることがファンになって以来とても多い。おそらく私の仲間諸氏は近年の私の作品にそういうものがあまりに多いことに多分呆れている。

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02.11
Thu
 遅ればせながら「スポーツ酒場語り亭」でみっちり羽生結弦くんが取り上げられているのを観た。話されていたあれこれの感想は以下に述べてゆくとして、全体として思ったことは「素人ファン代表として私もそこに混ぜて欲しい!」ということだった。とはいえ、実際問題としては、私は人見知りで緊張しいなので、混ぜてもらっても多分うまく話はできない。

○バラ1の衣装
 ミッツさんが「ベルトは昨季の黒の方がよかった」ということを云っておられたが同意見である。というか、私は衣装全体昨季の方が好きだ。今季のは金色のアクセントがなんだかちょっとうるさい気がする。ブルーの色も昨季の方が深みがあって好き。

○ソチのフリー
 能登さんがソチのフリーだけは羽生くんも普段とは違う様子だったようなことを云っておられたかと思う。それが五輪の魔物というものなんだなあと。ただ、それをいっぺん経験している羽生くんは、次回の時は強いかもしれないと思った。

○今季のスケカナとNHK杯のあいだの一か月
 スケカナで惨敗した後、ショートの構成を高難度に上げることにしての一か月どんな「血のにずむ」練習をしたのか、ということが推定ではあったが語られていて興味深かった。ランスルーを数多くやったのだろうと。それにしても3kmダッシュとか5kmダッシュとかを四、五回やるような感覚とはどのようなものか、運動音痴の私には想像を絶するなんてもんじゃない。

○バラ1の昨季と今季の比較
 詳しくやってくれて面白かった。スピン後ステップに入るまでの間だとかスピンの回転数とかの話は、さすがにそこまで精密に観ていなかったので。シットスピンの手の動きが増えたのは私も印象的なところだったのでそこがあらためて確認できたのもよかった。あのスピンは蒼白い繊細な火花が散るようでとても美しい。

○曲を支配できている
 宮本賢二さんが「曲に支配されるのではなく曲を支配できている」というようなことを云っておられたかと。これは野村萬斎さんとの対談で出てきたことともつながっていて、振付師である宮本さんから見てもそう見えるのだということは、羽生くんが「曲を支配する」感覚を習得できたのだなあとあらためてなんだか嬉しかった。

○羽生くんのジャンプについて
 これについては私もいずれ記事を書きたいと思っていたのだが、ジャンプの軸の細さ、回転の速さについては特に現地で生で観てから強烈に感じていたので、今回比較映像などもあり実質的に確認できてよかった。曲に合わせて毎回同じタイミングで跳ぶというのは実際に難しいことなんだなというのもあらためてわかったし。あと、羽生くんは上に上がるというより遠くに跳んで滞空時間を稼ぐタイプで、その方が流れがあってジャンプとしては美しいけれど軸をとりにくいという話も興味深かった。それでも軸を細くしゅるっとまとめる羽生くんはさすがなのだな。

○型を解釈すること、静と動
 野村萬斎さんとの対談からの映像もあり。私は少し前に「能とフィギュアスケートと羽生結弦選手」という記事を書いて、その中に萬斎さんとの対談について
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おそらくそこから得たものは即効性でわかりやすく羽生くんのスケートの表現に反映されるというようなものではないかもしれない。ただ、萬斎さんと対談したことで、表現というものに対する認識の次元が変わったと思う。そのことが今後きっと羽生くんの演技に味わいと深みをもたらしてゆく。その片鱗はすでに先頃のNHK杯とGPFで見えたと云えるのではないか。
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と書いた。ミッツさんが「型を解釈することは直接的ではないけれど表現力に出てくる」というようなことを云っておられたので、なんだか私の記述を裏付けてもらったようで嬉しかった。
 「静と動」についての一連の話も、萬斎さんとの対談で出てきた緩急などの話と非常に関連が深いことだ。羽生くんは常に120%で動いてしまうので静と動の境目がなくなってくるという宮本さんの指摘が面白かった。でもそんなこんなの感覚も今はみごとに吸収してきたようで何より。

○ニースとプーさん
 伝説として取り上げられていたこの二つの話題。ニースロミオは何度見てもやっぱり胸が高鳴る。会場がのまれてゆく、という話が出たけれど、そういうふうに会場を巻き込む力はある程度天性で凄いものがあるなあと思っている。そのへんもいずれ記事にしてみたい。プーさんとの折り合いは今後どうなるのか、という視点も面白かった。羽生くんは多分少年性をずっと保ったまま大人になるタイプな気がするので、プーさんを持ち続けるというのも案外あるかもしれない。

○今後の期待
 宮本さんが「感情ではなく音の表現を100%に」と云っておられたのが印象的だった。私が少し前に書いた記事「音楽は力。今君は、それを手にしている」に書いたことともなんだかつながるようで嬉しかった。本田さんの「今のルールでできる最高のものを」というのも本当にそう思うし佐野さんの「行くところまで行け」というのもファンのみんなが思っていることかと。ただ何にせよ身体にだけは十分気をつけて欲しいが。

 またいつか羽生くんの特集をやってほしいし、引退後でもいいので羽生くんがゲストでやってくる、というのも観たい。

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02.09
Tue
 プロフィール欄にもあるように、子どもの頃からライトなフィギュアスケートファンである。羽生くんに関してだけは「ゆづオタ」と云われてもしょうがない状態かもしれないが、フィギュアスケート全体に関しては今でもライトなファンの域ではないかと思っている。どんな感じのファン履歴なのか、昨シーズンまでをざっくり振り返ると下記のような感じである。2012.3.31以降は詳しく振り返るときりがないのだが。

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※スケーター名は敬称略

<幼少期>
 漠然とフィギュアスケートを観ていた記憶はある。友達が何らかのフィギュアスケート漫画を持っていて、それに影響を受けてかと思うが 、フィギュアスケートをしている女の子の絵を描いていた記憶もある。綺麗な衣装を着て、氷の上で綺麗な動きをするというところに憧れていたんだろうと思う。

<80年代>
 ビールマンスピンの元祖、デニス・ビールマンを観て、なんかすごい体勢でスピンする人だなあと思った記憶が。おそらく1980年のレークプラシッドオリンピック。このオリンピックでは、男子シングルが、スタイルのいいカズンズ優勝で、新聞の見出しに「足の長さだよ金メダル」と書かれていたことを覚えている。
 1984年、サラエボオリンピック。アイスダンスのトービル&ディーン組の「ボレロ」に衝撃を受ける。ノリよく始まって、中間にスローパートがあって最後に盛り上げて終わる、というパターンが普通だったところに、この「ボレロ」は最後まで一定のリズムの曲で、しかもその中にストーリー性をしっかり盛り込んできたところにしびれた。なんかすごいもん観た感。
 1988年、カルガリーオリンピック。ボイタノとオーサーの「ブライアン対決」はなんとなく覚えている。ボイタノのイーグルが綺麗だった。しかしオーサーがその後年月を経て羽生結弦のコーチになるとは、このとき夢にも思うはずがない。あと、伊藤みどりももちろん応援していたけど、カタリナ・ヴィットの「カルメン」すごく好きだった。

<90年代>
 1992年、アルベールビルオリンピック。伊藤みどり銀メダル。でも伊藤みどりの凄さはこの頃より今の方がよくわかるようになった気もする。
 1994年、リレハンメルオリンピック。ケリガンとハーディングが話題になったけど、金メダルを持ってったのはバイウルだったっけ。キャンデロロが気になりだしたのは多分このへんから。
 1998年、長野オリンピック。銅メダル、キャンデロロの「ダルタニアン」にしびれる。特に最後の剣技を模したストレートラインステップ。日本男子の第一人者は本田武史だったけど、私は田村岳斗がひいきだった。その田村岳斗も今はコーチとして貫禄を見せている。時が経つのは早い。アイスダンスのアニシナ&ペーゼラ組が気になりだしたのはこのへんから。私が録画でフィギュアスケートを残したのはこのときが初めて。
 90年代の終盤頃、NHK杯などに姿を見せた少年時代のプルシェンコを観て「おおっ」と思う。

<00年代>
 2002年、ソルトレイクシティオリンピック。伝説のヤグディン対プルシェンコ。ヤグディンも印象的でもちろん覚えているけれど私はプルシェンコびいき。アニシナ&ペーゼラが金メダルで嬉しかった。
 2006年、トリノオリンピック。荒川静香金メダルも凄いけれど、四位だった村主章枝にもメダルをあげたかった。プルシェンコ孤高という感じの金メダル。プルシェンコって、どのプログラムがどうとかじゃなくて「いつでもなんだか凄いプルシェンコ」なんだよな、と思う。このとき高橋大輔8位だった。あと、すでに実力は折り紙付きだった浅田真央が年齢制限で出られなかったのだった。
 で、このあと頭角をあらわしてきた高橋大輔、がぜん気になる存在に。「オペラ座の怪人」とか「白鳥の湖HIP-HOPヴァージョン」とか。でも怪我してしまって一シーズン出られなかった。そのシーズンはさびしかった。

<10年代>
 2010年、バンクーバーオリンピック。高橋大輔日本男子初のメダル獲得ものすごく嬉しかった(仕事中にテキスト中継に貼りついてしまった)。「Eye」も「道」も名プログラムだ。織田信成靴紐事件がありつつも小塚崇彦と共に入賞して、日本男子全員入賞だったし。本当に、日本男子がこれほどまで強くなる日がくるとは思っていなかった。ライサチェク対プルシェンコ、キム・ヨナ対浅田真央の頂上決戦も見応えあった。鈴木明子8位、このときの「ウェストサイドストーリー」はすごく好き。
 2010-2011シーズンに羽生結弦シニアデビュー。このときは「うーんこの子はまだ若いし、フリー後半の体力が課題だね」ぐらいしか思っていなかったのだが……。
 2011-2012シーズンのグランプリファイナル。4位になった羽生結弦がすごく気になる存在になる。
 そして忘れもしない運命の2012.3.31。
 ニース世界選手権、男子3位になった羽生結弦「ロミオとジュリエット」。これで私は決定的に撃墜され、ゆづオタの道を歩み出す。この世界選手権では高橋大輔銀メダル、このときの「ブルース・フォー・クルック」も好き。鈴木明子銅メダルも嬉しかった。あと、浅田真央がこのシーズンまで二年連続で使ったフリー「愛の夢」は、結果はあまりいいものは出せなかったかもしれないが私個人としては浅田真央のプログラムの中で一番好きである。
 ニース世界選手権終了後「蒼い炎」を買い、また、フィギュアスケート雑誌に手を出すようになる。ネットでの情報収集も始める。そんなこんなで羽生結弦の人となりもある程度知り、ますますのめりこむ。
 そして「羽生くんを17歳のうちに一度は生で観ておきたい!」というわけのわからない動機で、夏にアイスショーへ。人生初生フィギュアスケート。それまでは「アイスショーなんてお金持ちの行くものだ」と思っていたのだが……。以降何度か、アイスショーに足を運んでいる。
 2012-2013シーズンから、主として羽生結弦のものだが、試合後にプロトコルをチェックするようになる。このシーズンは高橋大輔vs羽生結弦が楽しめた。名プログラム「パリの散歩道」誕生のシーズンでもある。全日本選手権では、高橋大輔「道化師」凄かった。このシーズンの鈴木明子「キル・ビル」「O」も好き。
 2013-2014シーズン。グランプリファイナルが私の地元福岡で開催。必死にチケットをかき集め(オークションやダフには手を出していない、念のため)、男子SP、男子フリー、エキシビションの日に行く。試合現地観戦はこのときが初めて。羽生結弦がパトリック・チャンとの差を詰められればいいなあと思って観ていたらなんと勝ってしまい、昂奮しすぎたのかその後ちょっと体調を崩す。このときのトータル293.25点はついこないだまでは羽生結弦の自己ベストであり、そういう意味では羽生結弦の歴代の演技の中でもいいものを生で観られて幸せであった。
 そしてもちろん2014年、ソチオリンピック。基本、睡眠時間とか生活リズムを乱してまでテレビ観戦はせずに録画対応する主義だったけれど、このときの男子フリーは頑張って生で観た。羽生結弦、日本のみならずアジア初の男子フィギュア金メダル。少し前から独特の存在感をあらわしはじめていた町田樹と高橋大輔も入賞。女子では浅田真央の挽回劇。鈴木明子の「愛の讃歌」「オペラ座の怪人」両方好き。アイスダンスのデービス&ホワイト素敵だった(グランプリファイナルでもSDだけ生で観て、惚れた)。
 さいたま世界選手権での羽生結弦vs町田樹も凄い勝負だった。
 このシーズン後、羽生結弦の露出がいろいろと凄いことになり、競技に影響しないか心配したりして……。
 2014-2015シーズン。羽生結弦、初戦フィンランディア杯を腰痛で欠場。心配していたら中国杯には出てきた……もののハン・ヤンと激突事件。NHK杯も強行出場するも4位に終わる。でも強運で出たグランプリファイナルでフリー自己ベスト更新して優勝。全日本選手権(フリーを生で観た)でも優勝……はいいのだが、その直後尿膜管遺残症で手術。練習再開直後に捻挫。それでも出てきた上海世界選手権では惜しくも銀メダル、と羽生結弦山あり谷ありに振り回されたシーズン。そうそう、町田樹衝撃の引退も。
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 ちなみに、テレビ観戦はいまだに私の場合地上波のみである。フィギュアスケートファンであるならBSやCSに入った方が充実したファン生活を送れるのはわかっているのだが、いい歳して実家である意味穀潰し状態なので、BSやCSに入りたいなんてわがままは云えない。でもまあ、地上波だけでも結構録画とその整理がたいへんなので、BSやCSまであるととんでもないことになりそうで、私の場合はちょうどいいのかもしれない。もっとも、昨年末の野村萬斎さんと羽生結弦くんの対談、それからこないだの「スポーツ酒場語り亭」だけは人に録画を頼んでしまったが。

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02.07
Sun
 またなんとなく羽生くんがらみの替え歌ができてしまった。元歌は松田聖子の「時間の国のアリス」である。サビに繰り返しfairy girlと出てくるが、羽生くんはfairy boyだなと思ったことから。まあ全体としてとってつけたような感じになってしまったが。
 ちなみに「青シャツと白パンツ 着ているあなたが WOW WOW/イノッチと二人して ウィンクするの」の部分の原曲の歌詞は「半袖のセーターを着ているあなたが WOW WOW/三日月に腰かけて指笛吹くの」である。羽生くんが三日月に腰かけていても似合うのは似合うと思う。

「氷の国のユヅル」

金髪のプルシェンコ 滑って跳んで
あでやかなジョニー・ウィアー ポーズ決めるわ
青シャツと白パンツ 着ているあなたが WOW WOW
イノッチと二人して ウィンクするの
ミヤケン先生 カメラ向ければ
オダノブナリを壁ドンしちゃう

Woo Fairy Boy あなたを追いかけ
チケポチるけど うまくとれない
Woo Fairy Boy 私はちょっぴり不機嫌
氷の国のユヅル

誰だって玉子かけご飯は好きさ
永遠の少年のあなたが云うの
プーさんのぬいぐるみ 降り注ぐから WOW WOW
拾ってる子どもたち とても大変
ユヅが終われば ハビを見なくちゃ
ああ忙しいオーサー走る

Woo Fairy Boy フィギュアの試合じゃ
ミスしなければ 世界最高
Woo Fairy Boy 喜びあふれるキスクラ
氷の国のユヅル

フラッシュ浴びて 横にウノショウマ
頬つまんでイタズラするのね

Woo Fairy Boy あなたを追いかけ
チケポチるけど うまくとれない
Woo Fairy Boy 私はちょっぴり不機嫌
氷の国のユヅル

Fairy Boy 叶うなら生で観させて
氷の国のユヅル

 かつて「僕は陸上生物じゃないんだと思います」といった発言があったかと思う。つまり氷上生物だと。だからそういう意味では「氷の国のユヅル」というのはあながち間違ってないのかもしれない。

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