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10.19
Fri
 キシリトールのクリアファイルキャンペーンに関しては「今回はもう、いいかな」という気分に正直なりかかっていた。というのも、数か月前から諸般の事情でほぼ在宅ワーカーとなっている私は、以前のように「出勤ついでに」という手段が使えなくなり、となるともともと面倒くさがりの出不精なので「まあクリアファイルを手に入れることがファンの証明ってわけでもあるまいし……」的なことも思ったりして、さらに今回、扱っているコンビニがデイリーヤマザキとポプラだったのも「もういいや」感に拍車をかけた。ちょっと調べてはみたものの、うちの近辺ではどちらも行くのがちょっと面倒な場所にしかなかったのである。ちなみに私はペーパードライバーで、高齢の父が免許を返上して車を廃車にしてからは、うちには車もない。私がちゃちゃっと車を運転するタイプだったらさっさと行動したかもしれないが。
 しかし仕事関係で昨日、博多駅に出る用事が出来た。博多駅付近ならデイリーヤマザキもポプラもあるのでは、と思い調べてみたら徒歩圏内に二軒ずつある。ならば行ってみようか、と思ったわけである。とはいえキャンペーン開始から二日後、残っている可能性は低いかな、と思ったのだが、ダメ元で行ってみようと。
 結果、デイリーヤマザキのうち一軒とポプラ二軒にはもうキャンペーンの表示すらなかった。そしてデイリーヤマザキのもう一軒、駅からやや離れた方に、二種類だけ残っていた。デイリーヤマザキ限定ではない、共通のデザイン三種類のうちの二種類である。とりあえずその二種類をゲット。
 それで私は思った。博多駅近辺はそりゃ人が多いからコンプリートするのは無理だろう。でも郊外都市であるうちの近辺のデイリーヤマザキやポプラなら、残っている可能性もあるのではないか?
 で、帰りがけに少し時間の余裕があったので思い切ってうちの比較的近辺のデイリーヤマザキとポプラに行ってみよう、と思った。博多駅からJRに乗っていつも使っている駅で降り、そこから自宅に帰るのとは別系統のバスに乗る。そして終点まで行く。その系統のバスで終点まで行くのは初めて。そこはバスの終点だけあって、住宅地がそこまでで終わる、という地点だった。そこから徒歩数分。めざすデイリーヤマザキは人家もまばらな地域の道路脇にあった。
IMG_5994.jpg
 こんな感じのところならデイリーヤマザキ限定ヴァージョンも含めて残っているのではあるまいか、と私は思った。だがしかし。ファイルの数自体はわりと残っていたが、限定ヴァージョンは一枚もなかった!
 しょうがないので、共通デザイン三種類のうち、博多駅付近のデイリーヤマザキでは手に出来なかった一種類のみをゲットして店を出る。そしてバス停に戻り、ぽつんとひとりでバスを待ちながら考えた。写真はバス停のベンチからの眺め。
IMG_5995.jpg
 こんな場所のデイリーヤマザキにすら限定ヴァージョンが残っていないとは、今回のキャンペーンは結構厳しいとは聞いていたが本当だな……。ポプラ行くか?しかしポプラ行くにはまた別系統のバスに乗り換えないといけないし、行ってポプラ限定ヴァージョンなかったらダメージでかいしな。それに日も暮れてきたし。今回は共通デザイン三種類を手に入れたことでよしとしよう。
IMG_6003.jpg
 というわけで今回は五種類中三種類のみのゲットにとどまった。しかしロッテのキャンペーンももう何回にもなるが、クリアファイルの出来としては今回が一番いいんじゃないかと思う。羽生くんはパーソナルカラーがサマータイプであることは以前の記事に書いたが、このブルーグリーンは羽生くんにとてもよく似合う色だし。
 それにまあ、出不精な私が、いつもは行かない場所にまで行って、ごく小さい旅気分を味わったような感覚だった。羽生くんのおかげである。

 しかし「クリアファイルを入れるファイル」をあるとき二冊買ったのだがもういっぱいになってしまっていてこの新たな三枚が入らない。羽生くんのだけでなく、好きなアーティストのやら美術展などで買ったのやら、人からもらったのやらでもったいなくて使えないのを入れてあるのだが、羽生くんものが一番多い。
 そしてまたガーナのクリアファイルキャンペーンも始まるという。今度は対象商品がアイスなのもハードルが高い。見送るかどうか考え中。


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10.15
Mon
 現在発売中の文藝春秋にオーサー氏をインタヴューした記事が載っている。全体的に興味深かったが最後のところが印象的だった。オーサー氏は羽生くんのことを「ステージ上で観客に自分の魂を与えてくれる、特別なエンターテイナーのよう」と形容している。
 そういえば新書館から出た書籍のタイトル(私は未入手だか入手予定)は『羽生結弦 魂のプログラム』である。それから、シェイ=リーン・ボーン氏がこないだ、Originの演技について、最後のポーズは「World of Spirits」にも手を伸ばしていることをあらわしていると述べていた。この「World of Spirits」は「魂の世界」と訳すことも可能である(オーサー氏のインタヴューに出てきた「魂」は原語はsoulだろうかspiritだろうか、気になる)。
 さて、私は「魂」という言葉は、下手に使うと大仰な印象も与えかねないし、あまり好ましくない根性論や精神論の類とも結びつきやすいし、あるいは怪しげな宗教やオカルト方面とも結びつきやすいということで、扱いが難しい、うかつに使えない言葉だなあと感じている。ゆえに、アマチュアとして詩歌を書いているが、そちらでも魂という言葉を使ったことはほとんどない。その、魂という言葉の難しさあやうさについて、またしても河合隼雄氏関連の著作からになるがちょっと引用したい。河合隼雄氏と柳田邦男氏の対話集『心の深みへ 「うつ社会」脱出のために』(新潮文庫)からである。
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柳田:(前略)私、このごろ「たましい」という言葉にものすごく魅力を感じているんです。われわれは戦後の科学主義とか物質的豊かさが進んでくる中で、「たましい」というものを忘れていた。戦前、精神主義がイデオロギー的に日本の国を支配して、そして精神というもののうさんくささにあまりにも警戒心が強くなったために、戦後は科学主義がのさばって、「たましい」とか心というものを怪しげな目で見るようになってしまった。だけど、いまこそ「たましい」というものを見なおさないと、ほんとうの意味での人間の豊かさというものが再建できないんじゃないかということをこのごろ痛切に思っていましてね。(中略)
河合:「たましい」というのは危険な言葉ですから、私はだいぶ長いあいだ言わずに黙っていたんです。(中略)しかし、だんだんそういうことを言えるようになってきました。脳は死んでも「たましい」はあるというようなことが徐々に理解されてきて、そういうものがあるんだったら、その根本に名前をつけていいじゃないかという格好で言ってきたんですね。(中略)
 ただ怖いのは、「たましい」の話を現実の戦争に勝つとか負けるとか、金が儲かるか儲からないかという次元にもっていく人がいることです。これは大失敗する。「たましい」の話は「たましい」の領域で話をしておかねばならないのに、「たましい」の話を他の世界へもっていくと、大和魂で戦争に勝つとか、ものすごくばかげたことをやるわけです。
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 こういうふうに難しい「魂」という言葉であるが、羽生くんという存在は、何か「魂」という言葉を使いたくなるようなところがあると感じる。オーサー氏の言葉にある「魂を与えてくれる」はやはり他の言葉だとぴったりしない。そして、羽生くんがそういう存在だと感じられるゆえに『魂のプログラム』という書籍のタイトルも、ちょっと大げさに感じないこともないが、まあつけたくなるのはわかるなあ、という気がする。ボーン氏も「World of Spirits」という表現を持ち出してきたのは羽生くんだからこそ、という面もあるだろう。そして、私は自分の詩歌に魂という言葉をほとんど使わないと述べたが、その数少ない例外が、以前の記事でも紹介させてもらった、羽生くんの名前を織り込んだこの五行歌である。

 羽撃きはトレモロ
 生の昂ぶりのままに像を
 結びゆく憧れを奏でる
 弦のきらめくわななき
 君の魂の

 ここはやっぱり「魂」でなければならないと思ってあえてそうした。魂という言葉に慎重な私に魂という言葉を使わせる羽生くん。もちろん、私の意図するところは、変に精神論などと結びついた魂ではなく、河合隼雄氏が「たましいのことはたましいの領域で」と述べているような、そういう本当に大切な意味での魂である(そういや以前「練習着好きの魂」「続・練習着好きの魂」という記事を書いたが、それはその時期に羽生くんを扱った「アスリートの魂」が放送されたのもあって、そのもじり(?)である)。
 なぜ羽生くんには「魂」という言葉を使いたくなってしまうようなところがあるのか。それはオーサー氏が「魂を与えてくれる」と表現したように、羽生くんの演技に羽生くんの「魂」があらわれている、とやはり感じられるからなのだろう。
 羽生くんには「負けじ魂」という言葉であらわされるような「根性」と結びつくような「魂」もあるけれども、なんというかそれ以上に、羽生くんの演技には、羽生くん自身の、純粋な意味での「魂」が込められているという感じがする。と書くだけでもなんだか大仰な気がして書くのをためらっている面もあるのだが、あえて書くと、羽生くんの演技には羽生くんの魂が純度高く込められていて、それは時と場合と人によっては、観る側の魂と共振を起こす、みたいなところがあるのだと思う。ボーン氏の云う「World of Spirits」で観る側とつながりあう、と表現してもいいかもしれない。
 何らかの表現活動に携わる人はおそらく皆、究極のところではそういう状態を求めているのではないかと思うし、表現を受け取る側もそういう状態を経験することを望んでいると思う。ただ、それを実現するのはそうたやすいことではなく、また表現する側と受け取る側の波長の相性なども影響すると思う。だから、羽生くんという「魂を与えてくれる」人を観ることが出来て、共振することが出来るということは、やはりある種奇跡的なところがある。ゆえに魂という言葉を使うのがふさわしいと感じられることがままあるのだろう。
 とはいえ、やはり私としてはこの言葉は濫用したくはなくて、これからも使うとしても抑制的に使うつもりではあるけれど。

 以前も書いたが私は若い頃から佐野元春氏のファンである。で、その佐野元春氏に「君が気高い孤独なら」という曲がある。羽生くんのファンになってから、この曲は何となく羽生くんに似合うのではないかと感じるようになった。そしてさっき気づいたのだが、この曲には「魂」という言葉が出てくる(歌詞の全体はこちら)。

 もしも君が気高い孤独なら
 その魂を空に広げて
 雲の切れ間に
 君のイナズマを
 遠く遠く解き放たってやれ

 私が感じるに、この歌詞の「魂」はきちんと余計な意味合いを含まない「魂」の意味で使われていて、しかも歌詞の中に自然になじんでいる。使うならこんなふうに魂という言葉を使えたらなあと思う。


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10.11
Thu
 羽生くん関係のあれこれがここのところいろいろあるが、今日「羽生結弦 オルゴールを初監修」というネットニュースの見出しを見たときは思わず脳内で「へ?」という声が出た。羽生くんが曲を監修したオルゴール発売だそうで。そうきたか。で、私が気づいた時点でもう予約分は売り切れになっていた。買おうと決めたわけじゃないのでいいのだが。
 ううむ。曲が羽生くん監修ということだから、その曲自体は聴きたい。聴きたいけれども正直、個人的にはオルゴールのデザインがあんまり好みじゃない。もっとこうシンプルにすっきりと……まあ私の好みのままにやると「それはシンプルを通り越して、地味」ということになりかねないのだが。それか、いっそのことスピンの体勢をとった羽生くん人形がくるくる回るようなデザインだったら、とかも思った。ドーナツのバラード第一番とビールマンのSEIMEIが選べますみたいな。
 ううむ。だから多分私はこのオルゴールは買わないのだが、曲は聴きたい。だから、羽生くんが監修したオルゴール曲を収録したCDを売ってくれないだろうか。バラード第一番とSEIMEI以外にも、羽生くんの歴代プログラム使用曲を軒並みオルゴールアレンジして収録したアルバム。売れると思うけどな。お休み前のリラックス用に、お子様のお昼寝どきに、雰囲気あるお店のBGMに、等々、いかがですか。

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 マイレピも更新されている。しかも今だけ一般公開と銘打たれている。
【今だけ一般公開中】第24回:今語る、平昌冬季オリンピック
【今だけ一般公開中】第25回:<羽生選手から読者の方々へ、4年間のありがとう>
 「今だけ」の今っていつまでなんだろう。まあ私は会員登録しているからいいけれど。これらについてもそのうち記事を書くかも。



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10.09
Tue
 一人の印象的なスケーターがリンクを去った。町田樹氏。
 現役時代も異彩を放つ存在だったし、プロスケーターとなってからも、独自の世界を切り開いてきた。まだまだ、スケーターとして見ていたかった気持ちもあるが、本人がそれなりに考え抜いて決めた今後のこともあるのだろう。スケーター人生、本当にお疲れさまでした。数々の名演技をありがとうございました。これからの道に幸がありますように。

 私が町田氏を生で初めて観たのは、2013年に福岡で行われたファンタジー・オン・アイスだった。ああ、この人は「表現者」なんだな、と実感したことをはっきり覚えている。
 そのシーズンからめきめきと頭角をあらわし、ソチ五輪代表をつかんだこと、ソチ五輪でショート11位から総合5位まで巻き返したこと、そしてソチ五輪後の世界選手権で羽生くんと死闘を繰りひろげてワンツーフィニッシュしたこと……なんだかつい最近のことのようにも感じる。
 そして私は2014年の全日本選手権フリーを現地観戦した。結果的に現役選手としての町田氏の最後の演技を観たことになる。
 現役引退してからは、生では演技を観ていないが、数々の個性的なプログラムを生み出して演じていることは知っていたし、映像でも若干観ていた。
 また、町田氏はその独特の思考、語り口でも知られる。哲学的だったり詩的だったりして、でも、それに見合うだけの演技の実力やセルフプロデュース力が伴っていたところが凄いと思う。
 好きなプログラムを一つ挙げるとしたら、私は「エデンの東」かな。

 プロスケーターとして最後の演技となった、ジャパンオープンでの「そこに音楽がある限り」カーニバル・オン・アイスでの「人間の条件」をテレビで観た。
 それぞれのプログラムに、町田氏の深い思いがあることが伝わってくる演技だった。そして、もう一つ感じたのは「町田氏はスケートがスケートであることをすごく大事にしているんだな」ということだった。
 スケートは、云うまでもなく「滑る」もの、氷上で滑るからこそ、陸上では不可能ななめらかな動きが可能になる。滑ることによるなめらかさの上に、美しいポーズや美しい動作を乗せることで、滑ることによってだけ得られる美を究極まで引き出そうとする演技だったと思う。

 フィギュアスケートがブームでなく文化であるようにと願っているとのこと、その願いが叶えられるように祈る。私も非力ではあるが一人の観客として心に留めておきたいと思う。

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 ジャパンオープン、カーニバル・オン・アイス、テレビでそれぞれに楽しんだ。しかしジャパンオープン、非公式試合だしシーズン序盤だし、まあ多くのスケーターがそれほど完成度の高い演技を見せられなくてもしょうがないか……と思いながら観ていたところにあのザギトワちゃんの完成度はいったい何なんだ。あと別の意味で凄いのが、現役引退してもうだいぶ経つのに、現役選手として十分やっていけそうな演技を見せ、さらにエンターテイメント性まで乗っけてきた織田信成氏。

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 そして現役復帰の髙橋大輔氏が近畿選手権三位で西日本選手権へ。西日本を突破して全日本へ駒を進めてくるか、選手としての演技をどこまで磨き上げてくるか、期待したい。


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10.05
Fri
 Originについては先日の記事で、普遍的な創世神話みたいなものを感じる、羽生くんの動きは世界を始まらせていろいろなものごとを産み出し変化させてゆくエネルギーのよう、という私の(といってもシェイ=リーン・ボーン氏のインタヴューに影響を大いに受けているが)主観的な印象を書いた。で、つけくわえるならば、そういう神話的なエネルギーには男性的な力も女性的な力もあると思うし羽生くんはその両方をあらわし得るけれど、Originの印象はどちらかというと男性的なものをより強く感じる。
 スタートのポーズ、両手が水平なのは、世界が始まる前の闇とか混沌がただ広がっているイメージかな、などと思う。そこから立ち上がる動き、両手を上げる力強さ、それから頭をぐっぐっとやる動きが印象的。世界の始源のエネルギーの動きという感じがする。4Lo、4Tと続くジャンプは、そのエネルギーの最初の大きな炸裂といった感じか。
 シットツイズルが入っているのが嬉しい。シットツイズル愛好家としてはもっと長く見られればもっと嬉しいのだが、まあ限られた時間の中では難しいだろうなあ。そして最初のスピンにレイバック姿勢が入っているのが嬉しい。
 ステップは全体的にもちろんしっかり音を捉えているのだけれど、特に途中でヴァイオリンの長めの音に合わせてイーグルでぐるっとやるところが心地よい。あと、ボーン氏のインタヴューの中でも触れられていた、ステップ終わりに身体をそらすところもすごく印象的。
 4Sからおよび4Tからのコンビネーションジャンプはいずれもうまくいかなかったけれど、それはまあ今後に期待することにして、その2Tになってしまったジャンプから後は全てコレオシークエンスなんじゃないかと思うような動きの多彩さが魅力的だと思う。いろいろな存在が次々と誕生して、それらが相互作用しながら変化してゆく様を描いているように感じる。
 イーグルから3A2Tを跳ぶのが凄い。もっともこの3A2Tは四回転からのコンビネーションジャンプがうまくいっていれば別のジャンプになるのかもしれないけれど、タケノコジャンプが好物な私としてはぜひセカンドジャンプタケノコをどこかに残して欲しい。そしてイナバウアーから間をおかずに3Aというのも凄い。その少し後にもシングルジャンプを跳ぶし、本当に密度の濃い構成だなと思う。ハイドロブレーディングももっと長ければと思うが難しいだろうなあ。
 最後のスピン二つの連続は、本当に豊穣になった世界の総仕上げみたいな感じ。そして締めのポーズもダイナミックで好き。これについてボーン氏が語ったことをモモ博士様のブログで読ませていただいたが、地と「World of Spirits」に両方手を伸ばしていることを表現したかったとか。私が先日の記事で「超越的な霊性と官能性の両方を感じる」的なことを書いたこととつながっているようでなんだか嬉しい。
 そして羽生結弦が世界を創り終えると、それを祝福してプーさんの雨が四方から降りそそぐのだった……。

 「秋によせて」について書いた前の記事で、私は「このプログラムに関しては鬼神やドヤ禁止でお願いしたい」と書いたが、Originの方は鬼神、ドヤありだと思う。というか、最後のポーズを決めた後にドヤる羽生くんがむしろ見たい。

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 いろいろとフィギュア界ではB級試合があちこちで行われていたりして、そういうのも追いたいんだけれど、日々のあれこれと羽生くんのことでいっぱいいっぱいで全然追えていない。もっと体力気力と時間が欲しいなあ。


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