09.25
Mon
 フリーの結果は残念だったけれど、この時期に毒出しができてよかったと捉えておこうと思う。

 いやもちろんいろいろ思うことはあるし書きたい気持ちもあるんだけれど、書くとしてももうちょっと落ち着いてからにしようかと。なぜ落ち着いていないかというと羽生くんの結果にショックを受けてるからではなく、完全に私事ですが、実は昨日、趣味関係の会合のためかなり遠出の往復をしたのだが、朝、新幹線乗車駅に向かうべく自分が乗ったJRが不運な事故を起こしてしまって。もちろん私には事故に対して何の責任もないし、怪我なども全くなかったが、事故車両に乗り合わせたという事実は脆弱な精神の持ち主にとってはいろんな意味でしんどい。皆さまに、そして羽生くんにそういうことがありませんように。
 で、羽生くんは昨日の試合中に雑念に囚われていたと云うが、私も羽生くんが試合をしている時間帯、上記のようなわけで完全に雑念だらけであった。その頃私は予定よりかなり遅れて新幹線にようやく乗って、途中で合流するはずだった人たちや、行く先の人たちに「新幹線に乗れました。○時頃つきます」みたいな連絡をあわただしくしていたので。せめてちゃんと集中して応援の念だけでも送りたかったな。
 まあでも、行った先で、私が羽生くんファンだと知っている一部の人から「昨日のショートプログラムの羽生くん良かったですね」的なことを云ってもらえてそれは嬉しかったのだった。


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09.23
Sat
 なにー右膝に違和感ってやっぱり4Loの影響?今回は4Loを外して難度落とすって?まあそりゃあしょうがないわね大事なシーズンだからねー無理しないのが一番、ていうか、そういうときちゃんと抑えることができるようになったんだねーえらいえらい。ま、初戦だし試合勘をつかむくらいのつもりでやればいいよねー……とか思ってあまりなめらかでないライヴストリーミングを観てたら、あれ?なんかすごくいい感じかも?でも私の観ていたライストは最後の方で固まってしまったので、他で情報を拾ったら……112.72点で世界最高点更新!
 とりあえず動画で三回くらい演技を観返した状況でこれを書いている。
 美しい。なんというか、バラード第一番を演じているというより、もはや羽生くん自身がバラード第一番の化身となりつつあるのではないだろうか。
 スケートはなんだかんだ云って足元の動きが大事だというのはわかっているが、私は今回手の動きに目をとられた。顔芸という言葉はあるが、羽生くんの手の動きは手芸だなあ、と。手芸っていうと編み物だの刺繍だのパッチワークだのと同じ字面になってしまうが、手の動きが芸術的に美しいという意味での手芸ということで。というか、もちろん、スケートにとって大事な足元の動きがすべてなめらかに美しく遂行されているからこそ、その手芸の美しさが生きるわけで。バラード第一番はもともとスピン中の手の美しさには定評があるが、それにもさらに磨きがかかっていた気がするし、他のところの美しさも増していたように思う。4T3Tの3Tタケノコも手芸の美しさとして際立っていたのではないだろうか。
 とにかく、羽生結弦ここにあり、を見せつけた演技となったと云えるだろう。世界最高点更新おめでとうございます!

 そういえば衣装は変わってなかったけれど、これから変わるのだろうか。五輪のときに新衣装とかになるのだろうか。

 しかし肝心の明日、私は諸般の事情で朝から晩まで出かけていてライストもままならないし、明日朝早く起きるためには、今日の羽生くんの演技が報じられるだろう今夜のニュース類もあまり観ていられない。このオータムクラシックについてちゃんといろいろ認識できるのは残念ながら月曜日以降になりそうである。うむむ。


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09.19
Tue
 またフィギュアスケートマガジンプレシーズン号の記事について。羽生くんのインタヴュー部分を漠然と眺めていて気づいたのだが、時々「なんだろう」という言葉が出てくる。ざっくり数えてみたら、共同インタヴューとフィギュアスケートマガジンの個別インタヴューと合わせて二十回以上は出てくる。
 まんべんなく出てくるわけではなくて、しばらく出てこないこともあれば、一つの発言の中に何回も出てくることもある。よく出てくるところは、要するに、羽生くんが質問を受けてから、その答えを考え、組み立てながら話している度合いが強いところなのだろう。
 こんな記事があった。「「なんだろう」が口癖の人の心理や性格とは」この記事の最後のまとめの部分を下記に引用する。
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「なんだろう」が口癖の人の心理として、自分でもうまく表現できないことが分かっているが、しっかりと気持ちを伝えたいという心理が働いています。
そのためしっかりと考えて適切な言葉を選んで話をするので、言葉に重みと深みがあります。
「なんだろう」と悩んでから話す人は、自分の考えを的確に相手に伝えたいという気持ちが強い人なのかもしれません。
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 この内容はほぼ羽生くんに当てはまっているのではないかと思う。もっとも、羽生くんはもともと言語化能力が高いので、比較的言葉がすらすら出てくる方だが、質問によっては、それに対してぱっとうまい言葉が簡単には出てこない場合もある。でも「なんだろう」と自問し内省して、できるだけ的確な言葉を誠意を持って返そうとしているということだと思う。ぱっと思いつく間に合わせの言葉ではなく、可能な限りニュアンスまできちんと伝わる言葉で答えたいという思い。自分がどんなことをどんなふうに考えているかを、メディアに、そしてその向こうにいるファンや一般の人にできるだけきちんと伝えることはとても大切なこと、と羽生くんは考えているから。
 今回のインタヴューの中で、おそらくあらかじめ質問が出るだろうことが予想された、プログラムやその構成などの戦術面の質問に対する答えにはあまり「なんだろう」はない。「なんだろう」がわりと頻度高く出てくるのはもう少しある意味内面寄りの質問に対する答えだ。インタヴュー全体を通して、私にとって特に印象深かった二つの発言には、どちらも「なんだろう」が比較的多く出てくる。
 一つめは、少し長いが、プログラムの表現ということに大きく関わるこの発言。
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―昨シーズン、たとえばSPは非常にライブ感のある曲を使用していましたが、この1年間の経験は、今シーズンにどのように生きてきそうですか。
羽生 去年は割と自然をテーマにしたりだとか、希望であったりだとか、そういったものをすごく自分の中に取り入れようとしたりとか、また逆に、極端に言えばショートの方ではもうホントに…あの…なんだろう…フリーは…なんだろう…なんていうかな…背景みたいなもの…いわゆるその、何かに注目して見てもらいたいみたいな、抽象的なものを演じたわけじゃなくて、ホントにその、風であったり背景的なものを演じたのとは対象に、ショートではもろ…ある一種の…対象? シンガーであったり、私であったり、スケートであったり、そういったものにすごくフォーカスさせた演技になっていたので、そういった意味では今回、『バラード』をやるにも『SEIMEI』をやるにも、特に『SEIMEI』に関してはその…自分っていうキャラクターがすごく際立たせるような、まあタイトルもそうですし、プログラム自体そうなんですけれども、際立っているんだけれどもその背景まできちんと見えるような表現をしたいっていうのをすごく今、思えていて。またそれは、『ホープ&レガシー』で培ったものだし。で、『バラード』に関しては曲がきれいだからこそ、曲に1つひとつの…なんだろう、ピアノの1つひとつの音に重みがあるからこそ、それを表現しつつも1つひとつの音が自分に重なっていく、そういったことも演じきれるかなというふうに、昨年から学んだこととしては思っています。
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 この発言から、羽生くんが昨季のプログラムを通して何を得たか、それを今季のプログラムの表現にどう還元したいかということを誠実に考えていることが伝わってくる。「なんだろう」も出てくるし、全体にあまり断定的な表現がないのは、模索中であることを反映しているかもしれない。ただ、そのことに対して曖昧な考えしか持っていないというわけではなく、むしろ、表現という生ものの生ものらしさを殺さないために、自分の言葉によってイメージが限定的になることを回避しているという面もあるかもしれない。いずれにせよ、この発言で、新バラード第一番と新SEIMEIの表現の深化がなおいっそう楽しみになった。
 もう一つはこちら。
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―羽生選手のコメントの中に、よく「羽生結弦」という言葉が出てくるのですが、自分の理想とする羽生結弦とのギャップに苦しくなったりすることはあるのでしょうか。
羽生 もう、日々あります。日々あるだろうけど、別に…なんだろう、逃げる場所もないし、逆に言えば…なんだろう…スケートって「場所」は…なんだろう…逃げたいことを忘れることのできる場所でもあるので。そういった意味ではスケートに頼りっきりです。スケートがないと心がつぶれそうになることもあるし、まあ、いっぱいあったけど、この3年間(笑)。だから、そういった意味でも、やっぱスケート続けてよかったなあって…なんだろう…根源的に「スケート好きだなあ」って思うし、スケートやっててよかったなあって思います。
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 「羽生結弦くんの「自分力」」という記事でも述べたが、羽生くんには「こうありたい羽生結弦像」「こう期待されている羽生結弦像」というのが強烈にあるのだと思う。それと現実の自分とのギャップというのは、羽生くんの向上心が消えない限りなくなることはないわけで、向上心の強い羽生くんにとっては、そのギャップは時にとてもつらいものなのだろう。でも「つらい」ということだけにフォーカスせずに「なんだろう」と内省を繰り返しながら「でも自分にはスケートがある」「スケートが好きだからやってゆける」というところにフォーカスを移してゆく。これこそ「羽生結弦」らしさだなあ、と感じた。

 たしか羽生くんは、メディア対応の場も、質問をもらうことで考えるきっかけになったりするのでありがたいというような発言を以前していたかと思う。これからも各メディアの皆さんが、羽生くんにとって実りある「なんだろう」を生むような質問をしてくれるといいなと思っている。

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 チェンくんがアクセル以外の五種クワドを制覇したり、宇野くんが初戦から自己ベストのハイスコアを叩き出したりして、羽生くんはさぞかしめらめらしているのだろうなと思う今日この頃。グランプリシリーズ並みにメンバーが豪華な初戦オータムクラシックがいよいよ近づいてきた。どきどき。

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 羽生くんがあの世界記録を出したグランプリファイナルのことを語るという24日(日)放送予定の「神様に選ばれた試合」が福岡ではホークス関係の番組に押しやられて放送されない。そりゃ福岡で羽生くんに興味ある人口<ホークスに興味ある人口だろうけれど、ちょっと暴れたい気分になっていたが、どうやら遅れて30日(土)に放送してくれるようだ。よかった。やればできる子KBC、今後も頼みます。


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09.15
Fri
 フィギュアスケートマガジンプレシーズン号は、オーサー、ウィルソン、ボーン各氏のインタヴュー記事が充実しているのも嬉しかった。三名の、それぞれの羽生くんへの関わり方、羽生くんについて思っていることがわかったのも興味深かったが、共通して「ユヅルは大人になった」といったことを述べているのが印象的だった。そして、オーサー氏は「自分のところに積極的に話に来るようになった」、ボーン氏は「心を開いてくれる」といったことをかなり強調している。
 羽生くんがトロントに渡ってもう五年だ。その多くの時間を一緒に過ごして、羽生くんが成長し、オープンになってゆく過程を間近で見られるというのはいいなあ、と思った。
 「大人になった」と「オープンになった」はもちろん密接に関係しているのだろうと思う。大人になるにつれて、考え方も成熟し、またそれを伝える能力も(英語能力の上達ということも含めて)上がったため、コミュニケーションのとり方がうまくなり、結果、そのコミュニケーションも実りの多いものになってきたのだろう。そしてコミュニケーションが実ると嬉しいから、ますますコミュニケーションをとる、というような好循環が働いているのかもしれない。
 もともと、羽生くんはオープンであることを心がけているところはあった。『羽生結弦語録』に収録されている中でも私の好きな言葉として「いつも心を開いているんです。心を開いていなければ何も吸収できないしおもしろくない。心を開くことが成長の原動力」というのもあるし。しかしこの段階での羽生くんの心の開き方は、吸収する、インプットすることに重点がある感じがする。それが最近になって「自分からのアウトプット」ということにも積極性が出てきた、心の開き方のモードが一段階上にあがった、というような感じがしないでもない。
 それはコーチや振付師とのあいだで、自分の意見などをより積極的に打ち出してゆく、という形だけであらわれているわけではないと思う。昨季打ち出した「コネクト」にもそれを感じるし、この夏のファンタジーオンアイスでのファンサービスっぷりにも感じるし、フィギュアスケートマガジンの山口記者の記事にレポートされた「かまってちゃん」「こまったちゃん」ぶりなどにも感じる。真面目なコミュニケーションでも、エンタテイメント的にも、自分からのアウトプットをより積極的に打ち出すようになった印象。
 どうしてそうなったのだろうか。フィギュアスケートマガジンで羽生くんは「コーチ、振付師は『オープンになった』と言っているがその理由は」と問われて「慣れてきたというのはあるかも」「お互い議論し合って良い方向に持っていけるようになった」といったことを答えている。成長して、慣れて、経験を積むことで自然とアウトプットもするようになっていったということだろうか。
 そうかもしれないが、それだけだろうか。何かきっかけになるようなできごととか、認識の変化とかもあったのかもしれないなあ、ともちょっと考えてみたくなる。山口記者みたいに、内心では「どうしたのかなー、何があったのかなー、何が君をそうさせるのかなー」と尋ねている私である。

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 シニアB級試合の情報も流れてきて、ああいよいよシーズン始まったなあオータムクラシックも間近だなあなんて思っているところにマイレピ更新が。ボールドちゃん動画の安定の新妻っぷりもよいが、台に乗って洗濯機の回転をじっと見ているちびゆづを思わず想像してしまって顔がにこにこしてしまう。子どもってなんだかそうやって回転するものとか妙に好きだったりするよね……ということで思い出したのが「ほぼ日」サイトの「観たぞ、ソチオリンピック!」の2014年2月8日分の下の方「オリンピックのある風景。」に掲載されていた「初めてフィギュアを観た三歳の子が羽生くんの4回転とかスピンとかに大受けでゲラゲラ、そういえば正月にコマを回して見せたときも同じ反応だった」という趣旨の投稿。コマの回転を「楽しい」と感じる子どもにとってはたしかに羽生くんのジャンプやスピンはものすごく楽しそう。
 しかし海で波にもまれて縦に三回転したっていうのもすごい話である。ひょっとして海があまり得意ではないのはそのトラウマもあったりするのだろうか。


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09.13
Wed
 さて、ISUのルール変更案が出て、いろいろ意見も出ているようである。プルシェンコ様が激おこだという話も。高難度ジャンプの基礎点を下げるというのはそれらに挑む意欲を削ぎスポーツとしてのフィギュアスケートの進化を止めてしまうという見方もあると思うし、今のフィギュアスケートのジャンプ偏重化をとどめたいし選手の身体の負担を考えても今回のルール変更案は妥当という見方もあると思う。どっちが正しいとかというより、どういう見地に立つかで意見が異なるという状況かと。いずれにしても現行の得点システムが想定していた限度的なところまでフィギュアスケートが来てしまったのは事実だろうし、その状況をもたらした大きな要因は羽生結弦の台頭だろうというのはまあほぼ間違いないんだろうけれど。
 で、多分わりと多くの方が思っているのではないかと思うが、仮に羽生くんが現役続行してこのルール変更を経験しても、まあそれはそれで大丈夫なんじゃないかと。賢い羽生くんはルールをきっちりと研究して、自分はどのようにすればこのルール下で得点を稼げるかということをしっかりと考えて対策するに違いないから。さらに、多少点のつけ方が変わったにせよ「より難度が高い技を、より上手にこなせば、より高い点がつく」という大前提が崩れない限りは、自他共に認めるオールラウンダー羽生くんが不利になることはないだろうと。
 でもそれ以上に根本的なところで、羽生くんは大丈夫だろうなあ、という感じがする。点のつけ方が変わって、高難度ジャンプの得点に対するメリットが減ったとしても、だからといって羽生くんが高難度ジャンプへの意欲を失うとも思えないのである。
 ものごとをやる動機づけには外発的動機づけと内発的動機づけがあるとされている。外発的動機づけとはたとえば、ほめられたいからとか、報酬がもらえるからとか、あるいは叱られるのがイヤだからとか、そのものごと「以外」のことが動機になっているというものである。それに対して内発的動機づけは、そのものごとをやることそのものが楽しい、好き、そういう動機である。一般に内発的に動機づけられた方が長続きするとか成果も上がるとか云われている。また、外発的動機づけは一時的な効果はあるが、その動機がなくなる(たとえばほめてもらえなくなるとか、報酬がなくなるとか)と、そのものごとに取り組む意欲をなくしてしまうことがありがちである。また、内発的に取り組んでいたことに対して報酬を与えてしまうと、せっかくの内発的動機づけが外発的なものに変わってしまい、報酬がなくなるとやらなくなることがあるといったアンダーマイニング効果というものもある。とはいえ、外発的動機づけが必ずしもよくないわけではなく、最初は外発的に動機づけられてやっていたことでも、やっているうちに面白くなって内発的動機が生まれてくることもある。また、外発的動機づけと内発的動機づけがうまく両立している場合もある。
 羽生くんの場合は、みごとに外発的動機づけと内発的動機づけが両立しているのではないかと思う。金メダルをとりたいとか、記録を出したいとか、ファンの期待に応えたいとか、震災復興などに役立ちたいとか、そういうスケートそのものではない動機もたくさんたくさん持っている。でもなんといっても、羽生くんの芯にあるものは、スケートがとにかく好きで好きで仕方ない、という内発的な動機づけではないだろうか。以前にも引用した昨年末のNumber誌での下記の発言(「なぜスケートに惹かれるのか」という問いに対する答えである)などからそれがうかがえる。羽生くんはスケートをするということそのものを愛してやまないのだ。
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非日常的、非現実的というところから始まったんです。やっぱり陸上では考えられない体の使い方、風の受け方、ジャンプの跳び方など。難しいことに挑戦して達成したときに自分も喜べるし、みんなも喜んでくれる。氷の上はありのままの自分でいられる場所。特別だと思います。
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 また、先日のフィギュアスケートマガジンのウィルソンコーチのインタヴューを読んでも、スケートへの愛を自覚させることを意識的にしてくれているのが伝わってくる。それはきっと羽生くんの内発的動機づけを支えてくれているだろう。
 羽生くん自身にもルール変更に対する意見はあるだろう。ジャンプの基礎点が下がることで、外発的動機づけは若干影響を受けるかもしれない。でもそれが羽生くんがフィギュアスケートを極めたいという内発的動機の強さを削ぐことはないのではないだろうか。おそらく、羽生くんは、選手である以上与えられたルールでやるしかないという達観と共に、ルールというのはそのときの状況などで変化する恣意的なものであることは仕方のないこと、点数のつけ方はどうなろうとそれはそれとして、自分の求める、たとえば「美しい四回転ジャンプ」の絶対的価値はみじんも変わらない、というような達観も持っているのではないだろうか。羽生くんはルールが変わっても、現役を引退しても、スケートに関わっている限りはひたすらにその時々の自分のできる限りのフィギュアスケートのイデアを求め続けるだろう。
 スケオタ未満のフィギュアスケートファンとしての私は、このルール変更がフィギュアスケート界のこれからにとって是か非かなどはまだちょっと判断できないが、羽生結弦ファンの私としては「ルールがどうなっても、羽生くんが自分の思い描くフィギュアスケートのイデアを追求する姿が見られればそれでいいな」と思っている。

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 羽生くんの新SEIMEIにスパイラルが入っているとか。あまり長い時間ではないようだけれど。スパイラルというのも、あの姿勢をとって、しかもそのままなめらかに移動してゆくというのは陸上のダンスなどでは考えられないので、フィギュアスケートの醍醐味だと云えるだろう。The Final Time Travellerにも少しスパイラルがあった。かつて女子が行っていたスパイラルシークエンスくらい長いスパイラルを羽生くんがやっても見栄えがするのではないかと思ったりもするが、少なくとも競技プログラムでは無理だろう。でもいつか見てみたい。
 新SEIMEIで、SEIMEIの初披露の時にだけあったステップ中のバックのクロスロールが復活しないかなあという秘かな望みも抱いているのだが、さて。でもこの新SEIMEIがヴェールを脱ぐ時は私は諸般の事情でライストを観るわけにはいかなさそうである。残念。

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 写真はしばらく前に友人からもらったカフェインレスコーヒー。なぜかプーさんパッケージなのがちょっと嬉しい。私事ですがどちらかというとカフェインに弱い(HSPにありがち)のである。でもコーヒーや紅茶はわりと好きなので、近年カフェインレスの製品がいろいろ出てきたのを嬉しく思っている。
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