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羽生結弦選手について地味に語ってみる。

気の向いたときにつらつらと。情報や画像などは基本ありません。突出して好きなのは羽生くんですがみんな応援。

亀のような速度で『天と地と』を読み終える。

 全日本終わった少し後くらいから『天と地と』(海音寺潮五郎氏作)の本を、寝る前に、一日一章読むか読まないか、くらいの亀のような速度で読み進めて、ようやく読み終えた。ちなみに大河ドラマでやってた頃は「生まれていたけれど、憶えていない」くらいの世代である。うちで観ていたかどうかすら定かではない。映画やそれ以外のテレビ化なども全く観たことはなかった。
 上杉謙信公については、一般的には義を重んじた、敵に塩を送った、といったイメージが強いが、近年の研究ではそれは伝説的な見方に過ぎないかも? という話もあるらしい。ただ『天と地と』に描かれた謙信公は、といってもこの小説の中では謙信を名乗るまでには辿り着かず、景虎という名の時代が長いのだが、その世間一般のイメージを裏切らない魅力的な人物である。
 以下、小説のネタバレ含むので、これから読もうと思っている未読の方はお気をつけください。
 この小説では景虎という名前の時代が長いので、以下景虎で。まあ確かに、羽生くんを彷彿とさせる。戦うのは己の利のためでなく義があるときだけ、戦い方も筋を通して、策は練るけれどもいわゆる自分の美学に背くような手段は使わない、みたいな。その、戦いの美学にこだわるようなところは、羽生くんの、プログラムを自分らしい表現にしたいというこだわりに通じるものを感じる。信玄という好敵手に対するある種のわくわく感も、強い相手と戦いたいという羽生くんの欲求に似ていると思うし。
 あと、羽生くんがギフテッドかも記事は前に書いたが、景虎もものすごくギフテッドっぽい。早くから、人の心理までしっかり折り込んだ戦略を練る頭があったり、楽器の演奏もすぐにコツを飲んだというところなんかも。感情の振幅が大きいところもそう。ギフテッドはそれゆえにうつ状態にも陥りやすいと云われるけれども、景虎も時々、憂鬱、虚無感に襲われるという描写がある。一度は遁世騒ぎを起こしたりとか(その遁世騒ぎのところで、景虎が西行法師を思い出す描写がちらっとあって、じゃあ私が羽生くんの演技に西行の言葉を感じた、っていうのもあながちものすごい的外れではないじゃん、と勝手に思った)。ギフテッドは頭がよいゆえに「こうなってこうなればいいのに」みたいな理想がすごく見えすぎて、でも現実はなかなかそうはいかなくて厭世感に襲われる、みたいなことなんだと思うが。まあ羽生くんもいろいろな局面で此の世の苦さを感じて落ち込んだ、ということはあったわけだし。景虎の時代くらい遁世がリアルな時代だったら、羽生くんも遁世騒ぎを起こしてたかもしれないなあ、とか。
 あと音楽好きとか。いい琵琶に巡り会って無理に譲ってもらうあたりとか、たとえば羽生くんのイアフォンへのこだわりと多分通じるような。
 ただ、景虎は酒好きなのでそこは羽生くんとは違うのかなと。あと、景虎と両思いでありながら、けれど結ばれなかった乃美に対する思いや、乃美と対照的な存在として作者が描いたと思われる藤紫(あるいは人間の愛欲全般)をめぐる心の動きなどについては、物語の重要なモチーフではあるのだが、羽生くんがこのあたりにも共鳴しているのかどうかというのはまあプライヴェートな領域なので置いておこうと思う。
 ただまあ、これだけ書いておいてなんだが、こういうふうに、どういうところが似ているとかいないとか、というより、人間像全体の雰囲気としてやっぱり似通っている感じはする。
 あと、羽生くんがインタヴューで云っていた、霧の中にいるイメージ、それはこの本を読んでよりよく感じられた気がする。信玄との戦いの中での霧の描写はなかなか印象深い。そういえば、羽生くんの衣装の色合いも、なんだか霧が流れているような雰囲気もある。

 羽生くん自身とよく適合する人物を描いたプログラムとして、先にSEIMEIという名作もあるわけだが、SEIMEIはどちらかというとファンタジックなキャラクター性の適合であり『天と地と』はよりリアリティのある人間像の適合という感じがする。そういう人間像、理想と苦悩とがあのプログラムに彫り深くあらわれているのはすごいな、と思う。そしてもちろん羽生くんはあのプログラムをとても充実したものにしたのだが、それでいてある種の虚無感や諦念といったものも感じる……。いわゆる「無常」感なのか。それを二十六歳の青年が体現してしまうのか。

 さて、好きなものをリピートするというのはごく自然な心理だと思うのだが、私の場合、好き過ぎるともったいなくてリピートできなくなる、みたいなこともあって、そして羽生くんのこないだの全日本がそうなっている。で、たまに観ると「やっぱりこれが競技プログラムっておかしい……(いい意味で)」ってなっている。

 ところで、景虎はもちろん魅力的だが、智将好きとしては宇佐美定行が好きだなあと読みながら思った。実在のモデルは一応いるもののフィクションの人物らしいが。でも景虎の能力や性質を見抜いて、それを上手に引き出したり相談に乗ったりする様がなんかいいな、と。景虎の心の恋人乃美のお父さんでもある。
 羽生くんにも、コーチやスタッフなど、宇佐美定行的な立場の人がこれまでに何人もいたのだよな、などとも思ったりした。

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 そういえば小学校の頃、運動会で「川中島」という競技があった。高学年男子のいわゆる騎馬戦である。私の出身校では赤が上杉、白が武田であったが、学校によっては逆らしい。で、赤白それぞれに結構立派な旗が何本かあった。そして赤の旗のうち一本には「毘」の字が一文字大きく描かれていたのを憶えている。でも当時はそれが謙信の信仰した毘沙門天の毘だなんてことは知らず「男」に似ているけれど違うしなんだか不思議な字だな、と思っていた。まさかそれから数十年後にその毘の字に再び注目する日が来るとは。



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羽生結弦選手とリモート振付

 山火事お見舞い申し上げます。早く鎮火しますように。付近の方はくれぐれもお大事にお過ごしください。

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 新型コロナウィルス禍でいろいろなことがリモート化された。だけれど、リモート環境になじめるかどうかは個人差がある。また、物事によって、リモートでも全く支障のないものから、リモートでは全く無理なことまでいろいろある。
 その中で、フィギュアスケート振付というのは「リモートでも不可能ではないけれど、リアルの方がずっとやりやすい」ものなんだろうなと思う。また、リモートの方が難しい分、それがうまくゆくかどうかは個々の状況によるばらつきが大きいだろうな、と思う。
 多分それを左右するのは、もちろん互いのコミュニケーション能力、それまでにどのような関係性を築いているか、そしてリモートではどうしてもリアルよりは伝わりにくくなってしまう部分を補えるイマジネーションやクリエイティヴィティ、といったものになってくるのかなと漠然と想像する。
 もしそうだとすると、羽生くんはリモート振付ということに対してはわりと適応が出来る方だったんだろうなと思う。Number1019号の、バトル氏とボーン氏のインタヴューを読んでいると、とった方法論はそれぞれに多少違うみたいだし、リモートならではの困難もあったはあったようだけれど、でも結果としてはあの全日本の演技に結びついたわけで。やはりそれは、これまでに互いに築いてきた関係性の賜物というのが大きいのだろうと思う。バトル氏にしてもボーン氏にしても、羽生くんの性質を理解し、一方的に振付を与えるのではなく共同作業というかたちを作り上げてきていた。だから、リモートでも、十分に充実した振付作業が出来たのだろうと思う。
 多分、振付師の方というのは職業柄、コミュニケーション能力が優れている場合が多いのではないかと思うが、羽生くんの側もきちんとそれを受け止めてコミュニケーションが出来る人であるということも確かだろう。また、イマジネーション、クリエイティヴィティの部分でも、振付師の方と対等に渡り合うだけのものをこれまでに培ってきただろう。だからおそらく、これまでの共同作業の中でも、最も羽生くんが関わった率の高いプログラムを、ある意味リモートだからこそ、高い質で生み出せたのだと思う。

 あと一つ、羽生くんが大学の通信制で学んでいたことも影響はしているような気がする。もちろん大学のリモート授業と振付とは全く違う作業だけれど、リモートで何かをする、ということの素地がすでにあったということはメリットだったのではないかと思う。
 羽生くんの卒論担当の西村教授は、遠隔教育を専門としている。その西村教授が、羽生くんには指導者としての素質もある、と述べているのは、リモート授業の中でも、きちんと学ぶべきことをしっかりと吸収したり、伝えるべきことをわかりやすく伝えるというような能力を十分に発揮していたのだろうと思う(遠隔授業の専門家としては、遠隔授業をした相手がこれだけの成果を出してくれたらやっぱり嬉しいだろうなあ)。

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 ところで、一本前の記事に羽生くんの卒論読みたいと書いていたら、学術誌に載ることになっているような情報が。それがいったいなぜ週刊誌がソースなんだと思うが、もしそれが本当になるのなら、論文サイトからダウンロードして読めるようになる可能性もないわけではない。西村教授の所属学会のジャーナルだろうかと思って少しばかりサーチしてみたが、その中で可能性のありそうな学会は日本教育工学会、教育システム情報学会、情報処理学会、電子情報通信学会とあって絞りきれない。
 まあ本当に掲載となれば何らかの情報はそれなりのところから出回るだろうから、待ってみようと思う。

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 羽生くんが研究者になったらいいな的なことは何度か書いてるが、羽生くんを研究したい、羽生結弦学という学問を創始したいという妄想ネタをだいぶ前に書いていたことを思いだした。まあ、今でもできる範囲である意味勝手に研究させてもらってるようなものだが。

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 今度はダイアリーか……。ていうかこれ、ダイアリーもついてる小型写真集だよね実質。買うと思うけれど、多分もったいなくてダイアリーとして実際には使えない気がする。

あらためて羽生結弦くんの卒論が読みたい話

 またNumber1019号ネタに戻るのだが、羽生くんの卒論を指導した西村昭治氏教授の話も印象的であった。羽生くんの卒論についてすごく褒めている。論文は3つのパートに分かれているが、1つずつが卒論一本成立するレベルだと。私も、ジャンルは違うが人を相手にデータをとって分析するタイプの学問に若干縁があったので、この「パート1つでも卒論一本分」という感覚はなんとなくわかる。というか、これ卒論じゃなくて修士論文に持ってゆけるレベルじゃないだろうか。そういう意味ではちょっともったいない(?)。
 そのへん、やることは中途半端じゃなくしっかりやりますという羽生くんらしさなんだろうなやっぱり、と思う。大学で学ぶからにはきっちりとそれなりの成果も出すし、実益にもつなげます、と。
 文章力もあってちゃんと理解ができる文章が書けているというのもそうだろうな、と思う。インタヴューでの受け答えとか聞いてても、どういう言葉選びをすればできるだけ正確に伝わるかというのを常にきちんと考えているタイプだと思うので、そういうところは論文書きに必ず生きてくるはず。加えて、本人も云っていたように結構理数系、理詰めできっちり考えることが出来るタイプだと思う。数字を使う専門的なデータ分析も得意そう。
 羽生くんが将来の道をどう選ぶかわからないけれど、西村先生も研究者の素質があると云ってるし、私も前から何度か書いているけれど研究者としての羽生くんというのは見てみたい。おそらくスケート界の実務に何らかのかたちで関わってゆくだろうから、それとの両立というのはなかなか難しいかもしれないけれど。でもたとえば、羽生くんの持っている研究アイディアを、誰かが羽生くんのアドヴァイスを受けながらデータを取ったり分析したりの実務を引き受けて、共同研究できたりするようなことがあればいいのにな、と勝手に妄想がふくらむ。
 それにしても、羽生くんの卒論が読みたい。その、文章力が優れていて理解ができるように書かれているという論文を読んでみたい。あと、卒論の内容についてプレゼンする羽生くんとか見てみたい。そういうののライヴ配信とかどこかの誰かが企画しないだろうか(ないだろうな)。

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 アイスリンク仙台が2月21日から営業再開ということでとりあえずよかった。

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 世界選手権が無観客バブル開催という報が流れているが、やっぱりバブルがどの程度しっかりしているのか、バブルの中の人どうしの接触はどうなのかということが気になる。本当にいろいろな国から選手と関係者を集めるのなら、かなり前からの健康観察とか、移動の交通機関のチャーターとか、もうありとあらゆる万全な手を打ってほしいと切に思う今日この頃。

地震お見舞い申し上げます。

 天候も荒れ気味ですし、引き続きお気をつけてお過ごしください。被害の復旧や必要な支援ができるだけ速やかになされますように祈ります。余震もあるようですが早くおさまりますように。

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 羽生くんがどこでどういうかたちで地震に遭ったかわからないけれど、あまり怖い思いなどしていないといいな。
 アイスリンク仙台も使用停止になっているようで。できるだけ早く復旧するといいのだけれど。

 それにしても、東日本大震災から十周年を迎えようとしてるのに、まだその「余震」だという。地球の仕組みとはいえ……。まあ日本列島自体が、プレートが寄ってきてしわしわっとなって出来たようなものだからなあ。だからこその日本ならではの自然の複雑さとか豊かさとかもあるんだけれど……。
 日本中、どこで地震が起こってもおかしくないな、ということをあらためて認識しなおしたい。

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 最近、震災機構から羽生くんポスターを取り寄せ、また、震災機構が通販を取り扱っているモーモーハウス大槌のモーモーラスクも取り寄せた。それらについてきた書状には羽生くんのことがちょっと書いてあり、ちょっと写真も載っていた。
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 東日本大震災、まだまだ息の長い支援が必要だと思うし、また教訓としても忘れてはいけないだろうと思う。そういうことを思い出すのに、羽生くんがいてくれてよかったなと思う。

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 ものすごく熱心なファンというほどではないけれど、SEKAI NO OWARIが好きなので、最近出たベストアルバムを聴いている。だいぶ前に、羽生くんがインタヴューで触れていた「yume」という曲が入っていて嬉しい。

羽生結弦くんと白鳥と北という方角

(2021年2月13日23:55追記)
 この記事をアップしてしばらくして東北地方を中心とする地震の報を知りました。揺れの強かった地方の皆さまはくれぐれもお大事にお過ごしください。大きな余震等ありませんように祈っております。

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 昨日(2021年2月12日)の天声人語に白鳥のことが出てきた。以前、私も白鳥と羽衣伝説について記事を書いたが、この天声人語でも白鳥と羽衣伝説の関わりについてちょっと触れている。そして赤羽正春さんという方が、人が白鳥に聖なるところを見たのは、北の方角から渡り、北へ帰ることにも関わっているといったことを述べているとのこと。「日が昇る東、日が没する西、あたたかな南、そして寒冷な北。北は生命が塞がれる方角、さらには生命が始まり、終わる場所として認識されたのではないか」というようなことらしい。
 しかし北という方角は、一般にあまりよいイメージを持たれてないような気がする。寒さ、暗さといった感じ。さらに「敗北」という言葉にも北が含まれている。これについても折しも今日の新聞に書いてあった。北という字がもともとは方角を表す漢字ではなく、人が背を向け合っている象形文字で、背くとか逃げるとかいう意味だったらしい。敗北というのは敵に背を向けて逃げるということだ。で、中国の皇帝が南に向いて坐ることから、「背を向ける方角」が「北」と転じたらしい。
 なんだか不憫だ、北。
 しかし私は昔からどういうわけか南より北に惹かれる(何度か記事で触れた五行歌の筆名が「南野」なのは別の事情による)。南のリゾートなどより、北国に行ってみたい。それは私が福岡県で生まれ育っているものの、両親の血筋としては東北系なのが関係しているのかもしれない。もっともどちらかといえば寒がりなので、北国の寒さとか雪の多さとかの現実には多分適応出来なさそうな気がするけれど。ただ、北、という方角の雰囲気は好きだ。寒く厳しいけれど凜とした感じ。
 北半球における「北」とは、他の方角に比べて「極まる」感じが強い気がして、極北、という言葉は辞書的にもものごとの極限に至るという意味があるわけだ。そういや町田樹氏がかつて「フィギュアスケートの極北」という言葉を発していたではないか。
 で、赤羽正春さんによると、人は北に聖なるものを感じたということだが、そういや古代ギリシャでも、北の彼方に理想郷が、という話があったな、と思い出してネットで調べてみたりした。ヒュペルボレオイとか、トゥーレとか。ヒュペルボレオイは、芸術の神アポロンと関わりが深いわけだが、そのヒュペルボレオイからやってくるとされる白鳥がアポロンの聖鳥でもある。アポロンは白鳥の引く車でヒュペルボレオイと往復するとか。トゥーレは英語ではThuleと綴るが、ultima Thuleは世界の北の果てという意味でもあり、はるかなる目標、理想という意味でもある(もっとも、トゥーレという概念は、ナチスドイツの母体の一つともなったトゥーレ協会に使われているが、もちろん私はそういう文脈でこの言葉を使うつもりはまったくないことを念のためお断りしておく)。
 聖なる方角としての北、そこにまつわる白鳥、そういう象徴的イメージの中に羽生くんがあらためてぴったりとはまるなあと。羽生くんは「北日本」「東北」出身だし(あ、そういや故郷は七北田だからここにも北が入ってる)。ていうか、羽生くんと南っていう組み合わせはなんかぴんとこない。明るい南洋のリゾートでアロハシャツを着ている羽生くんよりはオーロラ舞う北の大地に立つ羽生くんの方がずっと想像しやすい。
 いや、そういうことじゃなくて、なんか象徴的な意味で北という方角の神秘性、極限性みたいなものに羽生くんの姿がすごく似合う。その北からの使者が洋の東西を問わず白鳥。もちろん云うまでもなく羽生くんと白鳥は縁が深い。
 そして以前の記事でもちょっと触れたけれど、町田氏とは個性は違うけれど羽生くんもフィギュアスケートの極北、ultima Thuleを求めてやまない人なわけで。そういう意味でも羽生くんと北という方角の象徴性は響き合う。
 と、北という方角びいきの人間としては思ってみたのだった。