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羽生結弦選手について地味に語ってみる。

気の向いたときにつらつらと。情報や画像などは基本ありません。突出して好きなのは羽生くんですがみんな応援。

雪肌精トークショーで美の個別性と普遍性についてあらためて考え込んでしまった。

 雪肌精トークショー、まあ企画から云ってセールストーク多めなのはしょうがないか。でもそのセールストークの部分にきちんと自分なりの経験とかを結びつけて語るあたりは羽生くんとても上手いよね、と思う。それから、着ているもの、以前羽生くんのパーソナルカラーがサマータイプだという話を記事にしたが、まさしくサマータイプの王道を行く色のものを着ていたなあ。
 さて、スケートに関して語った部分でネットニュースの見出しにもなっていたりする発言「どんな価値観の方にも美しいと感じていただけるような表現」、私はこれに対して即「無茶云うなや」とツッコんでしまった。
 いやいやいやいや、人の価値観って本当にいろいろよ?と、特に私はアマチュアで詩歌活動をしているからことさらに思うのかもしれない。たとえば、仲間と集まって、作者名を伏せた作品だけを並べて、互いに良いと思う作品に点をつけたりそれについてコメントを述べ合ったり、というようなことをするのだが(その後作者を明かす)、自分がいいと思って点を入れた作品が他の人からはあまり評価されてなかったり、逆に他の人がたくさん点を入れた作品に自分が点を入れてなかったりということはざらにある。さらに云えば、その場であまり評価がぱっとしなかった作品でも、所属している同人誌に出したときには巻頭や佳作に採ってもらえる、逆に点が良かった作品は採られないなんてことも全く珍しくない。本当に「表現の美や良さ」に関する人の価値観ってばらばらだなあということがよくわかる。あと、私は以前「羽生結弦くんの美は「羽生結弦」という対象と「私」の精神との相互作用によって成りたつ」という記事を書いて、美意識というのは社会や文化によっても、個人の性質によっても異なるから、美というのは究極的には個人的体験なのだということについて述べた。そういう見地から云うと「どんな価値観の方にも美しいと感じていただける」はかなり強引というか乱暴だぜい、と思ってしまうわけである。
 がしかし。美というものが究極的には個人的な体験だとしても、それでも「この対象については比較的多くの人が美と感じます」ということは現実にあるわけで、一般的にそういうものが普遍性を持つ「美」として認識されるというわけである。で、羽生くんは詩歌をやっているのではなくてフィギュアスケートをやっているのである。フィギュアスケートは採点が曖昧だとかいう批判もありがちだけれど、私に云わせれば詩歌に比べれば全然基準がはっきりしている(もっとも、詩歌については基準がはっきりするべきだと思っているわけではないけれど)。技術点は「難しいことを上手にするほど点が高い」わけだし、いろいろ物議を醸す演技構成点にしたってそれなりに基準は定められているのだから。で、特にGOEとPCSで評価を受けるものはフィギュアスケート的に「美しい」ものとされるということでだいたいは間違いないということは云えると思う。というか、競技だから、9人(試合によってはもっと少ないが)のジャッジをねじ伏せないといかんわけだ。どうだGOEとPCSを出さざるを得ないだろう、と。そういう場に臨む人としては「どんな価値観の方も美しいと感じていただけるような」くらい鼻息が荒くないといけないのだろうな、と思ったりもした。
 さらに云えば、羽生くんは現在アマチュアだが、大勢の人の前で演技をする立場であり、アイスショーにも出演してお客さんからチケット代をとる立場でもあり、またさらに将来的にその道で身を立てるプロになることを目指しているだろうこともあるので、アマチュアではあるけれど限りなくプロに近いのであった。で、プロというのはやはりある程度「多くの人に届くものを」という意識が必要である。そういう意味でも「どんな価値観の方でも」は、実際には完全に達成することは無理なことなのだが、目指すべきあり方であるのだな、と思う。

 実際、すべての人というのは無理にせよ、羽生くんの演技の美をかなり多くの人が認めているのは事実であろう。そして「多くの人が認める」ものというのは往々にしてその時々の流行や人々の好みの最大公約数をとったにすぎないようなつまらないものということもありがちなのだが、おそらく羽生くんの演技の美というのはそういうものではなく、時を超えて伝わる力を持ったものではないか、と私は予測している。たとえばこないだ私が観てきた「氷上の王、ジョン・カリー」に含まれていたいくつかのカリーやその共演者たちの演技が、もうずいぶん前のものであってもとても魅力的に感じられたように。今から何十年後かに、フィギュアスケートのあり方がかなり変容を遂げていても、羽生くんは「伝説のスケーター」としてたとえばドキュメンタリー映画が作られ、そしてリアルタイムで羽生くんの演技を知らない世代の人が観ても、その演技に惹き込まれるのではないだろうか。

 ただ、私個人としては、羽生くんの美を多くの人が認める、というのは嬉しいことだが、その事実にもたれかかりすぎないようにしたいと思っている。たとえば50人が認める美よりも100人が認める美の方が上なのか、というとそうは行かないところが美の難しいところだ。それに何についてせよ、数の力にものを云わせるのは私はあまり好きではない。なので、私は「多くの人が認めている、だから羽生くんはこの上なく美しい」というふうには思わず「私という個人は羽生くんがこの上なく美しいと感じる」というところに意識の立脚点を置いていたいと思っている。

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羽生結弦選手グランプリシリーズはスケートカナダとNHK杯

 昨夜グランプリシリーズのアサインが発表されて羽生くんはスケートカナダとNHK杯だと。羽生くんが再びNHK杯に戻ってきたことは日本の羽生くんファンにとって嬉しい一方で、順当に行って羽生くんがファイナル進出とすると、NHK杯(札幌)→ファイナル(トリノ)→全日本(代々木)が鬼スケジュールになるのが心配ではある。というか、今年は無事にファイナルにも全日本にも出られますように、とまずそこから祈らねばだ。
 NHK杯は羽生くん以外のメンツも(男子シングル以外も含めて)魅力的なので、現地に行きたいなあと思いつつ、でも場所的に行きやすいのは全日本の方だし、両方行くというのはちょっと厳しいし、というかどっちもチケット獲れるかどうかがまず問題なのだが、いやしかしどっちも行かないというのが、老後資金が二千万いるとか云われているこのご時世、冷静に考えると正しい選択肢だよなあ、などと心は千々に乱れているのであった。

 アサイン表をながめて、ヴォロノフさんとかブレジナさんとかビシェンコさんとかのベテラン勢の名前があるのはなんだか嬉しい。ハン・ヤンくんの名前もまた見られて嬉しい。そしてNHK杯に山本草太くんが入っているのも嬉しい。

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 『YUZU’LL BE BACK』(スポーツニッポン新聞社)をようやく入手。見応えがある。また感想はあらためて記事にしたいと思っている。それにしても書きたいネタが最近多くて、かといってどんどん書いてゆけるタイプではないので困っている。というわけで多分これから時機を逸した今さらな記事が多くなりそうな気がする。

Fantasy on Ice 2019神戸公演パンフレットのジェフリー・バトル氏と羽生結弦選手の対談感想

 地震お見舞い申し上げます。被害がなるべく速やかに復旧しますように。また余震がおさまりますように。

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 ジェフリー・バトル氏が現役選手として世界の表舞台に出てきたのを見たときは「おお、なんか気のよさそうなカナダ人の兄ちゃんが出てきたな」という感じだった。その気のよさそうなカナダ人の兄ちゃんがその後名だたる振付師になり、自分の大好きなスケーターの振付をするようになるとはその時夢にも思ってなかったなあ、とちょっと遠い目になる。
 読み応えのある対談だった。羽生くんは本当にいろいろな出会いに恵まれてきて今があると思うけれど、バトル氏ももちろんその一人である、という事実をあらためて強く実感させてもらえる内容だ。しかも、単に出会ったというだけでなく、スケーターと振付師としての関係をかなり長期にわたって築いてきた、そのことの重みもよくわかる内容だ。
 バトル氏が羽生くんのいいところを引き出そうとするのはある意味振付師だから当然の仕事と云ってしまえばそれまでなのだが、バトル氏は単にそういう仕事としてではなく、羽生くんの成長も引き出すような関わり方をしていた。また、羽生くんも、そういうバトル氏の力量に応えるだけでなく自分からも貪欲にバトル氏から吸収できるものはしていった、つまり互いが互いの良さを引きだし合い、それらを統合して羽生くんのプログラムという作品として結晶させてきた、そういうことが二人の言葉から読み取れる。
 そういう日々を積み重ねてきた一つの到達点として「秋によせて」があるのだな、と思う。二人の人間がお互いの経験を重ね合い、そこでまるで果実酒のように熟成してきたものをフィギュアスケートというフィルターで濾過して、純度の高いものに仕上げた、というふうに喩えてもいいかもしれない。あの、透明感もありつつ一種のまろやかなコクもあるような感じ……。
 そういえばバトル氏と羽生くんが最初に組んだ作品「パリの散歩道」の曲を最初に聞いた時、正直「え?これを羽生くんが演じるってちょっと違うんじゃない?」と思った。結果的にはそれが羽生くんの成長を引き出し、世界最高点を出したり五輪で優勝したりしたという記録の面だけでなく、記憶にも残る名プログラムになったことをあらためて思う。それはバトル氏が羽生くんの成長も織り込んだ上での振付をしてくれたことと、羽生くんがそれに応えられる器であったこととの相互作用でなされたことだったのだ。
 バトル氏との関わりの中で、バレエやモダンダンスやミュージカルなど他の分野にも意識を持ちつつも「フィギュアスケートであること」の芯を大切にしているという羽生くんの意識の持ち方もあらためてわかってそこも印象的だった。
 これから先もこの二人の共作に期待したい。さらに熟成度、純度の上がったフィギュアスケート作品を見せて欲しい。
 二人の対談の中にもあるように、次々にいろいろな振付師と組んで、それによって新しい自分を発見してゆくというようなことも一つのあり方だが、長い間同じ相手と組んだからこそ出来ることがある。羽生くんの場合、プログラム自体もどちらかというとあまりくるくる変えたくないタイプのようなので、振付師さんとの関係も、じっくり長期熟成型が向いているのだろうと思う。

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 まだP&Gトークショーの内容などでも触れたいこともあったりするが、また新たに雪肌精トークショーがあるという話が入ってきたり(私は残念ながらリアルタイムでは視聴できそうもない)、注文は早くにしたのにまだ入手していない長久保さん小海途さんの羽生くん写真集が好評だったり、全日本が代々木に決まったという話が入ってきたり、そういえばもうすぐグランプリシリーズのアサイン発表だったり、なんだかめまぐるしいなあ。

羽生結弦くんを守る力のない意気地なしの長いつぶやき

 ファンタジーオンアイスのパンフレットの話も書きたいが、ネット上でいろいろと拾い読ませていただいたトークショーの話についても述べたいことがいろいろ出てきた。しかも富山で昨夜羽生くんが4Fに挑んだとかいう情報も入ってくるし。

 とりあえず今日は羽生くんの「ファンに守られてる、僕もファンを守りたい」をめぐってごちゃごちゃと考えたことなど述べてみたいと思う。この手の話については人によっていろいろ考え方、感じ方があると思うので、まあこういうやつもいるんだ、という感じで読んでいただければ幸いです。
 なんだか、そういう発言を聞くと、私個人としては「いえいえ、私はあなた様を守るようなことは何もしておりませんので守っていただくなど恐れ多くてご辞退申し上げます」という感じになってしまうのである。実はCwWの「声をあげてくれてありがとう」の時も思った。「いえいえ、私はあなた様のために声をあげたことなどありませんからありがとうと云っていただける資格はございません」と。
 前もちょっとだけ書いたことがあるけれど、このブログでは基本、俗に云うアンチあるいはヘイト、誹謗中傷などの件に対してはスルーしているのである。一つには、誰が何を云おうとしようと、羽生くんの本当の価値を貶めることは誰にも出来ないし、そのことはわかるひとにはわかると思っているからというのがあるのだが、もう一つ、大きい理由として、私が豆腐メンタルだからというのもあるのだ。
 たとえば私が何かしら「声をあげる」としよう。そうすると、それに対して誰かから絡まれる可能性、っていうのが残念ながらゼロじゃない。まあこんな辺境ブログまでやってきて絡む人はいないだろうとは思うのだが、万が一ということがある。そうすると、確実に私はダメージを喰らう。それに対して強い態度で臨んで切り返すとか、そういうことは出来ない。
 だいぶ前、まだ羽生くんの存在すら知らなかった頃、趣味関係の方でネット上の掲示板で仲間とやりとりしていたことがあった。そのときにちょっとした認識の行き違いで、ある人から絡まれたのである。実のところ、その絡んできた人は、多くの人から「嫌なやつ」認定されているような人だった。だから、私も「絡んできた方が嫌なやつなんだから」と受け流してもよかったわけである。だが私はそれが出来なかった。めっちゃダメージを受けた。若干体調も崩し、それから後、しばらくネット上に何か言葉を発するということはしなくなったし、ネットの世界に戻ってきてからも、ものすごく用心深くしか言葉を発しないようになった(このブログも基本、用心しいしい書いている)。
 まあそういう人間なんで、声をあげる度胸はないわけである。だから「こんな私は羽生くんに守られる価値なんぞありません」と縮こまってしまう今日この頃。
 あと、もう一つ思っていることがあって。対象が羽生くんかどうかに限らず、誹謗中傷だのなんだのをやってしまう人を私はどこまで責められるのかと。いや、やっていること自体を庇う気はないのだが。
 人間、好き嫌いはあって当たり前だと思う。少なくとも私は、この世に嫌いな対象はいませんというような聖人君子ではない。しかし「嫌い」という感情を発するにはTPOというのがとても大事だと思う。まあたとえば、気心の知れた人のあいだで嫌いな対象についての思いをぶっちゃけあうとかはある程度多くの人にあることかと思うし、そこまで制限するのはやりすぎだろう。
 ただ、一般的な理性とか良識とかで考えると「これは行きすぎだろう」と考えられるラインというのはあると思う。で、そういうマナーを超えて誹謗中傷その他をやってしまうというのは、何かそうさせてしまうかなり強いエネルギー、心理的要因が働いているのだと思う。悪いことと自覚しつつやっている場合と、自分ではそれが正当なことだと思い込んでいる場合と両方ありそうだが、いずれにせよ、普通だったら超えない一線を超えてしまうのにはそれなりの要因があるはずだ。
 そういう、マナーやルールを破る言動に対して「それはよくない」と声をあげ、たとえば必要かつ可能であればそれを封じるような手段を講じるとか、罰則を考えるとか、そういう対処的なことも大事であろう。ただ、その人がなぜそこまで至ったか、その要因をつきとめ、解きほぐさねば本当の解決にはならないなあ、と思うのである。なぜそこまで誰かをヘイトするような心境になってしまうのか、その人をとりまく環境の中に何かストレスがあって、そのはけ口がヘイトになってはいないか、などなど(多分多数の要因が複雑に絡んでいることも多いと思う)。ただ、それを解きほぐすとすればプロのカウンセラー並みの力量が必要になってくる。そういうことをする人の存在を一人一人つきとめ、それらの人すべてに対してカウンセラー的に働きかけるなんてこと、まず普通に考えて無理であろう。ちなみに、私はカウンセラー方向の仕事に就こうかと考えたこともあるが、すぐに自分には無理だと悟った。そういう仕事は何かしら負のエネルギーを持った人と接することになるわけで、メンタル脆弱な自分はすぐに影響を受けて自分が参ってしまう、と思わざるを得なかったのである。
 で、自分がそういう、誹謗中傷だのなんだのを絶対にやらない人か、というとそこも自信がない。今現在は大丈夫だが、たとえば私が何らかのきっかけで何らかの対象をヘイトするようになることがあったら、たとえば私が厳しいストレスに晒されて、そのはけ口としてヘイト的な方向に活路を見いだしてしまったら……。人は、人にもよるが意外と弱いものだと思っている。やらないと思っていることでも、状況によってはやる、あるいは間違っていると思っていることでも述べてしまうというようなことが過去の心理学実験などでも示されている。
 いやもちろん、どんな要因があろうとも、してよくないことはよくないのである。そこを庇う気はないことは繰り返しておく。しかし、そういうことをしてしまう人がいる、ということに、怒りをおぼえないわけではないが、むしろ悲しみをおぼえてしまうのである。もし何かそこに至るまでのトリガーが一つでもなかったら、その人はそんなことをせずには済んだのではないか、と考えてしまうのである。

 きれいごとかもしれないけれど、対象が羽生くんかどうかに限らず、今誹謗中傷などを行っている人たちが、そういうことをしなくてもよくなるような状況になればいいなと思っている。私はそれらに対して声をあげるようなことができない意気地なしだが、私は私なりに、羽生くんのこういうところがいいと思っている、ということをここで地味に語り続け、私なりに応援してゆくしかないか、と思っている。

 あと、いろいろと神経質な私は、羽生くんとそのファン界が「守り、守られる」という意識で変に閉じた圏にならなければいいなということもちょっと心配してしまうのである。

 こんなふうにぐだぐだ考えてしまう私だが、羽生くんは器が大きいので、こんなうじうじとした意気地なしファンのことも「守りたいファン」の中からハブったりしないだろうなと思っている。なんだか本当にかたじけない。

Fantasy on Ice Tour 2019神戸三日目感想 -ほとばしる熱いパトスが思い出を裏切った-

 ヤーキーズ・ドットソンの法則というのがある。最適なパフォーマンスは、覚醒度が高すぎず低すぎずの状態の時に出来る、覚醒度が低すぎても(起きたばかりでぼーっとしてるとか)高すぎても(緊張しすぎたり、気持ちが昂ぶりすぎたりしているとか)パフォーマンスは低下するというものである。つまり、アイスショーで羽生くんを観られる私の気持ちはとても昂ぶっていることは間違いないので、記憶パフォーマンスが低下するのは無理もない現象なのである。ほとばしる熱いパトスが思い出(を定着させたい気持ち)を裏切ってしまうのである。
 そういうわけで、前の記事にも書いたように記憶はほぼ崩壊しているので、ネット上の他の方のレポートなども参考にしながら記憶補完計画を遂行してみたい。ちなみに席はロングサイド正面側(東)のステージ寄り四列目。前もちょっと書いたけれどFaOIはショートサイドがおいしいと思うので(ステージを背にしてショートサイドに向けてアピールするようなプログラムが多く、ジャンプもわりとショートサイド前が多い、演技とステージが同時に目に入る)ショートサイドだったらいいなと思っていたからちょっと残念だったけれど、でもこの場にいられるだけ幸運だということはわかっているので、それはそれとして楽しんだ。席の場所からいって、スケーターに注目するとステージを観ることはほぼ不可能だったので、アーティストさんのパフォーマンスは申し訳ないがほぼ目に入っていない。

 余談だが、私はこの前日、アニメ映画「プロメア」を観に行ったのだ。私は堺雅人さんのファンで、主要キャラの声を堺さんがつとめていて、その評判がやたらと良かったので。できればFaOIの前日は避けたかったが他にうまくスケジュールがはまるところがなかったのだった。で、堺さんの声は評判通りで、FaOIに臨む前に私の心はすでに「滅殺開墾ビーム」で焼け野が原になっていた。そこへ羽生くんを観に行くともう私の心は白い灰しか残らないことは容易に予想がついた。そして実際にそうなったわけである。

 だいたい、オープニングが「残酷な天使のテーゼ」って聞いた時からある意味死にかかってたし。「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビ版の主題歌で、私はエヴァに関してはこの最初のテレビ版しか観てないし、面白いとは思ったがそこまではまらなかった。世間には主人公のシンジくんと羽生くんが似ている説もあるが、私は、わからないでもないけれどそこまで似ていると思わないなあ、という感じである。まあ、シンジくんに似ていようと似ていまいと、羽生くんにもプラグスーツ(エヴァのパイロットが着るもの)は似合うとは思ったけれど。ただ、この主題歌「残酷な天使のテーゼ」は当初から大好きで。カラオケ(あまり行かないけど)やお風呂で口ずさむレパートリーでもある。多分多くの方が思っていたように、この曲は羽生くんにとても似合うし。でもまさか、この曲で羽生くんが演じる日がこんなに唐突にやってくるとは思ってもいなかったので。
 FaOIのテーマ曲での出演者紹介の時に、4Tがみごとに決まった羽生くん。「残酷な天使のテーゼ」でもキレキレに踊る。「なんかすごいカッコよかった」というのと「羽生くんはわりと歌いながら演じてる」(歌詞ありの曲の時はわりとそうだよね)ということぐらいしか憶えていない。あ、私はX JAPAN関係には正直あんまり興味を持っていなかったのだが、Toshlさん歌うまいなあ、と。

 羽生くん以外も、みんなとてもよかった。結構忙しくスタンディングオベーションしてた。セットリストは多分他の方がどこかで上げてくれていると思うので順不同でざっくりと感想を。日本の現役女子、舞依ちゃん花織ちゃん梨花ちゃん知子ちゃん、それぞれ持ち味を発揮していたけれど、特に知子ちゃんの表現力がとても細やかでよかったと思う。ロシア女子三人、ザギトワちゃんメドベージェワちゃんトゥクタミシェワ姐さんの三人がそろったということだけでもすごいなあと思ったのだけれど、三人ともそれぞれの魅力でたっぷりと魅せてくれた。ヴァリシリエフスくんもみずみずしい演技だった。アクロバットの二人は相撲をテーマにした演技で安定の面白さとスリル。エアリアルは今回初めて観る人たちでロマンティックで素敵だった。エアリアルを観るたびに、羽生くんもたとえば部分的にでいいからエアリアルを取り入れた演技なんて将来やってくれないかなあと思う。宙を舞う羽生くん観てみたい。バルデさんバックフリップも込みで生き生きとノリよく。ヴォロソジャル&トランコフのペア、ヴァーチュー&モイヤーのダンス、それぞれに雰囲気があってさすがだなあと唸らされる。明子ちゃんの豊かな表現力も堪能。
 そして、男子プロの皆様はもちろんそれぞれに「さすが」だった。織田くんのエンターテイナーっぷり、ウィアーさんの二つのプログラムの振り幅と個性的な衣装、バトルさんの端正で味のある滑り。神戸ではフェルナンデスくんがいなかったのが残念だったけれど、逆に神戸にだけINしているキャンデロロ様のダルタニアンをまた観られたことが嬉しい。ダルタニアンはロロ様の代表プログラムであるわけだが、私はアレクサンドル・デュマの『ダルタニアン物語』のシリーズがすごく好きで。一般的に知られているのは第一部『三銃士』だろうけれど、第二部、第三部も面白くて、第一部で青年だった主人公ダルタニアンが大人になり、最期を迎えるまでを描いているわけで、そういう意味では歳を経てもロロ様が「ダルタニアン」を演じているのは、なんだか物語の主人公と共に歳月を歩んでいる感じで感慨深い。プルシェンコ様の「アダージョ」はなんというか、悠然とした存在感という感じ。そしてランビエール先生が、いつもカッコいいのだが、今回はなんだか観客へのアピールがさらにパワーアップしている感じがした。2プログラム演じたが、1つめはクラシックな感じ、2つめはモダンな感じで、どちらにもそれぞれの曲にあった色気とカッコよさをふんだんに詰め込みました的な。結構会場を焼け野が原にしていたと思う。1つめのプログラムの後、会場の各方向に挨拶するとき、いちいちカッコよくくるくる回りながら挨拶しに行っていたので「そこまでするか!」となんだか笑ってしまった。
 男子プロの皆様がそれぞれの個性を存分に発揮して光っているのがことさらに嬉しく思えるのは、こないだ映画「氷上の王、ジョン・カリー」を観たことも関係していると思う。カリーが美しさ、芸術性を追求する男子フィギュアスケートを切り開き、プロとしても成功をおさめてくれたおかげで、私は今こうやって男子プロの皆様の百花繚乱ともいうべき演技を享受できるのだ。それは本当に尊いことだと思う。

 さて大トリの我らが羽生結弦くんの「マスカレイド」だが。
 ありていに云って、この日はプログラム中のジャンプは不調だった。3A転倒、1A(3Aを狙ったが抜けた?)、1Aだったと思う。ただ、このプログラムのキレの良さ、激しさ、カッコよさ、手袋ベシッ、は堪能した、と思う(記憶が飛んでるので堪能したはずだとしか云えない)。終わった後、両手で顔を覆ったりしながらToshlさんとやりとりしていたのがなんだか微笑ましかった。
 以下、マスカレイドの演技映像をGet Sportsで放送したのなんかも観て記憶を補完した印象で書く。このプログラムは「オペラ座の怪人」の続編的な位置づけという話もあるようだ。以前競技プログラムで演じた「オペラ座の怪人」は、選曲から云っても羽生くんが「バイバイ」と呟いたことからみても、ファントムとクリスティーヌの関係性に焦点を当てた作りだったのかなあと思う。ただ、私は「羽生くんがファントムを演じるなら、クリスティーヌとの云々というより、ファントムの孤独と狂気に焦点を当てて演じて欲しいなあ」と当時ひそかに思っていたりしたわけである。そして今回の「マスカレイド」は当時私が思っていたイメージに近くなったと私はごく個人的に感じて嬉しかったのである。こじつければ衣装だって「孤独の黒と狂気の赤」に見えるし。
 さらに、勝手な個人的な思い入れで書かせていただければ、私は以前「羽生結弦くんのもの狂おしさ」という記事を書いていて、羽生くんという人はとにかくとてつもないもの狂おしさで出来ている人ではないかというようなことを述べた。もし、私の思うようなもの狂おしさが羽生くんに実際にあるとしたら「マスカレイド」はそれが一番よくあらわれたプログラムかもしれない。

 エンディングはMay J.さんと末延麻裕子さんのコラボで「君の瞳に恋してる」。私はこれもレパートリーなので(ただし英語の発音は適当)思わず小声で口ずさみながら観ちゃってた。羽生くん3Aリベンジして成功!
 しかしなんといっても会場が一番盛り上がったのは、何人かがジャンプ大会に挑んだ後、最後に出てきた羽生くんが、4Lzに挑んで一度は抜けるも、二度目でクリーンに決めた、その瞬間だった。もうその瞬間の会場の叫びとどよめき。凄まじかった。スケーターがみんな羽生くんに駆けよって取り巻いて。その輪から少し離れたところでプル様が見ていて、その後、羽生くんとハグ。
 いやもう、私は小心者だから、羽生くんと4Lzという組み合わせは正直怖いのである。今回のショーのラストで挑んでる、という話を聞いたときから「脚大丈夫?」が気になって気になって。でも、怪我のもとになった4Lzをそれでもまだ羽生くんは挑むんだ……そういう4Lzへの思いを、無謀すれすれの勇気を、会場に集まった多くのファンも、スケーターさんたちも知っているから、成功したときのあの会場大爆発だったんだよなあ……。
 最後は羽生くんの、恒例のマイクを通さない「ありがとうございましたー!」で締め。

 本当に幸せな時間だった。ジョン・カリーの云うように「現実的なことだけじゃ人生はつまらない」わけで「“生きててよかった”という喜び」を与えてもらった感じである(そういえば「君の瞳に恋してる」の中に「I thank God I’m alive」という歌詞がある)。燃え尽きて灰になって、この先何を楽しみにしようという虚脱感もあるのだが、その一方で、ふだんの現実の中でやってゆくエネルギーも「氷上のファンタジー」から新たにもらってきたように思う。

 写真は終演後に撮った会場。
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 パンフレットも充実していた。これについてはまた記事を書こうかと思っている。